森の踏切番日記

ただのグダグダな日記です/2018年4月からはマイクラ日記をつけています/スマホでのんびりしたサバイバル生活をしています/面倒くさいことは基本しません

新田次郎の短編小説「昭和新山」のあらすじ

MY LIBRARY ーーーーーーーー

 昭和新山

 新田次郎

 文藝春秋社(1971/11/05)

 ★★★★

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11月4日(土)放送のNHKブラタモリ #89洞爺湖』を視聴して、思い出したのが本書である。これは、1971年に刊行された新田次郎の短編集だが、表題作の「昭和新山」が、『ブラタモリ』で紹介された三松正夫をモデルにしているのだ。

記録文学を読むときに注意しなければならないのは、記録文学は、あくまでフィクションだということである。記録の部分は、だいたいにおいて事実に基づいて語られるが、全てが事実に基づいているとは限らない。また、記録に残らない部分はもちろんのこと、人間ドラマについては作者の創作が入る。

たとえば、新田次郎の作品でいえば、『孤高の人』や『八甲田山死の彷徨』などがそれにあたる。これらの作品には、作者の創作が含まれていて、事実とは異なる部分がある。これらの作品は文学作品なのである。

したがって、「昭和新山」についても、事実に基づいて描かれているが、小説として読まねばならない。その事を踏まえた上で、この短編は、概ね事実に基づいて描かれているなという印象を持つ。

 


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三松正夫(1888-1977)

NHKブラタモリ』より)

 

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昭和新山ができる前

NHKブラタモリ』より)

 

 

昭和新山」あらすじ

最初の地震はひそやかな音を立てて去った。外を歩いていたら気がつかないでいる程度の地震であった。電灯がかすかに揺れた。

小説「昭和新山」は、1943年(昭和18)12月28日、北海道有珠郡壮瞥町の郵便局長・美松五郎(三松正夫がモデル)がかすかな地震を感じるところから始まる。

五郎は明治43年の噴火を思い出す。その時に火山学者の助手を務めて以来、五郎は火山に興味を持って、有珠火山帯を歩き回って調査していた。温泉を発見したこともあった。その彼のことを、この地方の人はよく知っていた。

その日から連日、鳴動、地震が続き年が明ける。五郎はそれを記録していく。昭和19年1月5日、国鉄胆振線が隆起のため不通になる。フカバ地区の北条忠良から井戸の水が熱くなったという報告が入る。この北条忠良は美松五郎の周辺人物を代表する創作人物と思われる。また、洞爺湖で大きな渦巻きが目撃される。この辺りは、事実に基づいているが、細かい部分は創作があるようだ。

室蘭測候所長と伊達町警察署長が郵便局を訪れる。警察署長は、戦時中の警察の典型的な人物像。測候所長は、軍部が神経質になっていることを伝える役目。

 

2月に入っても鳴動が続く。フカバ地区で次々と異常が起きる。大地に亀裂、地皺、隆起が増える。この異常は、九万坪の西部が隆起の中心で、そこからフカバ地区と九万坪地区の楕円形の範囲に限られた。亀裂のため北条忠良の家が傾く。

 

3月に入っても専門家は一人もやって来ない。五郎は自分で観測することに決める。経緯儀がないので、裏庭の一カ所に観測点を設けて、目測でその日その日の状況をスケッチすることにした。それとともに、定期的に変動地の巡回も続けた。五郎は美術学校に行きたいと父に願ったほど絵が好きだったので、その技術が役に立った。実際、三松正夫は少年期に日本画を習いおぼえたという。火山の詳細なスケッチが残されている。

 


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NHKブラタモリ』より )

 

 

4月に強い地震が起こった。5月になると地震の回数は急に減った。だが、フカバ、九万坪地区付近における亀裂、地皺、隆起は続いた。6月に入ってすぐ、五郎は田口博士を迎える。九万坪地区の隆起は日を追って増加した。

 

6月23日の午前8時15分、東九万坪で最初の噴火が起こる。五郎は爆発を目の当たりにする。噴煙、轟音、火柱。郵便局にも灰が降る。フカバ地区の農民が次々とやって来て、状況を報告、五郎に指示を仰ぐ。噴煙は1㎞の高さまで昇った。五郎が噴火現場に行ってみると、直径50mほどの火口湖ができていた。

五郎はまだ熱い火口湖に近づきながら、戦地にいる二人の息子や間もなく生まれるであろう孫のことを思う。五郎の家族については、事実に基づいているかどうか不明。

孫の誕生とその母の死を知らせる電報が届く。火山爆発に関する一切の報道は禁止された。憲兵隊からは、爆発の事実を火山学者以外に知らせてはならないと厳命される。田口博士をはじめ、火山学者たちが次々とやって来る。五郎は彼らの案内に立った。

招かざる客もやって来る。伊達町警察署長が警官を引き連れてやって来たのだ。彼らは隆起地区に非常線を張って、人が火口湖に近づかないように警戒した。非常線をたくみに突破し、火口近くに日参する五郎は、彼らから目の敵にされた。

 

その後も大爆発がしばしば起こった。大爆発が起こるたびに新しい火口ができた。地形の隆起はその速度を増したようだった。8月近くになるとフカバ地区の家のほとんどは倒壊寸前となった。農民たちは安全な場所に家を移築した。火口近くの建物は熱石の落下で焼失した。九万坪地区は地皺と地割れと降灰と落石で全滅に近い状態だったが、農民たちは農地に執着した。

※6月23日から7月29日までに10回の大噴火があり、最初の4回の噴火で4つの火口ができた。

 

8月に入って間もなく、夜の11時を過ぎたころ大爆発が起こった(8月1日の第11次大噴火)。爆風、黒煙、火柱、雷電、地鳴り、震動。焼石が降る中を農民たちは逃げまどった。降灰は遠く苫小牧まで及んだ。郵便局の屋根にも20㎝も灰が積もった。フカバ地区は壊滅的打撃を受け、農地は灰の下に埋もれた。この大爆発で、フカバにいた招かざる客たちは伊達町に逃げ帰った。8月半ばになって、五郎の妻が札幌の死んだ嫁の実家にいた孫娘を連れ帰ってくる。 

※8月には大噴火が3回、中噴火が1回あった。20日の中噴火で第5火口形成。26日の第13次大噴火で、幼児1名が火山灰で窒息死した。

 

9月になっても爆発は続いた。爆音、火柱、黒雲、雷光、竜巻。それでも、火口から2km以上離れると、まず命に別条はないとみられた。フカバ地区と九万坪地区は完全に崩壊した。北条忠良はまだ頑張っていたが、五郎が説得して、ようやく退避する。

熱風が山林を襲い山火事を起こした。山林は荒廃した。9月の末にも大爆発があった。大爆発があったあとは、五郎は必ず新火口を確かめに行った。火山は爆発毎に様相を変え、凄惨な様相から怪奇な様相へと移行していくようであった。その日も火口を見に行った五郎は、灰なだれに遭遇し、九死に一生を得る。 

※9月は、8日に第14次大噴火で火山弾による火災発生。16日に中噴火で第6火口形成。9月末の大爆発は、10月1日午前零時半の第15次大噴火で第7火口形成。

 

10月31日の夜の大爆発は、それまでの爆発と異なり、華麗であった。黒雲、火球、電光。爆発は1時間後にやんだ。この第17回目の大爆発が、新生火山の最後を飾るものとなった。翌日、五郎は2番目の息子の戦死公報を受け取る。

※10月16日に第16次大噴火、30日に第17次大噴火。これを最後に降灰をともなう噴火は収束した。

 

その後、新山は急に肥りだす。日々の観測でその成長ははっきりしていた。新山の頂はもとの畑の面より150mほども隆起していた。小爆発は間歇的に繰り返され、噴煙と熱気と灰の泥濘で、五郎は火口に近づくことができなかった。

12月4日の朝、五郎は溶岩塔(溶岩ドーム)を初確認する。溶岩塔は日に日に生長を続けた。溶岩塔が推上するにしたがって新山全体がいちじるしく肥り出した。

昭和20年に年が変わると、溶岩塔の発達は、さらにいちじるしくなった。溶岩塔が推上するにつれて、7つの火口は押しつぶされた。

3月になると、溶岩塔自体の高さが50mになり、その近くに副岩塔が現れた。主岩塔と副岩塔は背丈を競うように生長した。白煙と小爆発と崩壊、それに灰の混ざった泥土で、五郎は新山に近づくことができなかった。

溶岩塔は1日に1.5mの速さで生長、新生火山は日々姿を変えていった。夜になると亀裂から放射される赤熱溶岩の光が新山を真紅色に染めた。

 

8月15日、終戦の重大ニュースを聞く。

翌日、小雨の中を五郎は新山に向かった。今日こそ、溶岩塔正体を見届けようと思ったのだ。熱板の上を歩くような地肌、熱湯の泥池、噴気の柱、紅の炎、刺激性のガス。五郎は、ようやく溶岩塔を見届ける。その日から、新生火山の活動は衰え始める。

9月20日、五郎は新生火山の停止を確認する。地震発生から1年9ヶ月にわたって活動を続けていた新生火山は、もとの地面より264mの高さに達したところで、その生長を停止した。

それからおよそ2ヶ月後、五郎は孫娘の父である長男の戦死公報を受け取る。

 


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昭和新山活動前(上)と活動停止後(下)

NHKブラタモリ』より)

 

 

終戦後も五郎の火山観測は続けられた。予後の観測の重要性を熟知していたからである。 

鉱山師が新生火山の硫黄に目をつけた。彼らは、昭和21年春頃から許可を待たずに採掘にかかった。その事が我慢ならなかった五郎は、新山を守るために新山の土地を買い取ることにする。北条忠良は五郎のことを「ばかな人」だと言う。

昭和23年、オスロで開かれる世界火山会議で、田口博士(田中館秀三がモデルか)は五郎の観測記録を発表することにする。新山にはまだ名前がついていなかったが、五郎の提案で「昭和新山」と決められた。オスロの会議では、五郎が観測した新山生成の過程を示した図(新山隆起図)は世界で唯一の火山誕生の記録として高く評価され、「ミマツダイヤグラム」と命名された。このことが、日本の新聞でも報道されてから、昭和新山の名はようやく一般に知られるようになった。

昭和26年6月、美松五郎は郵便局長を辞した。

 


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マツダイヤグラム(着色はNHKによる)

NHKブラタモリ』より)

 

 

昭和30年代になると、昭和新山は観光の対象となる。昭和35年を過ぎて観光ブームが始まると、昭和新山を訪れる人が急に増えた。この頃には火口の跡はわからなくなっていた。洞爺湖を訪れる人は例外なく昭和新山を見たがった。洞爺湖を一巡する道路から、昭和新山観光用の完全舗装道路が完成されてからは、年間50万人を優に越す観光客が昭和新山に訪れるようになった。

観光業者からは、昭和新山を高値で買い取りたいという申し出が相次いだ。その噂を聞いた北条忠良は、「局長さんは、ほんとうは利口だったんですね」と言った。北条は、観光道路が完成したときに土産物屋を開店し大もうけしていた。

21歳を迎えた昭和新山は、美しく変貌した。降灰のため枯死した付近の森林は回復し、昭和新山の麓一帯も樹木が生い茂っていた。昭和新山が吹き出した灰には植物の生長に効果のある成分が多量に含まれていたのだ。孫娘も美しく成人した。五郎には新山と孫娘が姉妹に見えた。観光業者からの申し出を全て断ったことを知った北条は、「やはり局長さんはばかですね」と言った。

「ばかかもしれないが、そのお陰で大ぜいの人が儲けているからそれでいいではないか」

五郎は笑っていた。

 

孫娘は大学を卒業した年の秋、結婚した。婿の紫郎(三松三朗がモデル)は、生物学を専攻する大学の助手だった。翌年の夏、東京に新居を持った孫娘夫婦は壮瞥で一夏を過ごすことにした。紫郎は五郎の資料整理を手伝ううちに、すっかり昭和新山に魅せられてしまう。その夏の終わり頃、五郎は紫郎を誘って昭和新山に登った。学生時代山岳部にいた紫郎は五郎を助けながら頂上をめざした。

「ありがとう、おかげでどうやら登ることができた。昭和新山は24歳になった。だがこれ以上この足で登って見てやるわけにはいかないだろう。此処に来るのもこれが最後かもしれない」

と、頂上に立った五郎が言う。紫郎は、その言葉を聞いて決心する。

「ぼくが、あとをつづけましょう」

 


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三松正夫さんについて語る現在の三朗さん

NHKブラタモリ』より)

 

 

この小説は、1969年に発表された。昭和新山が24歳の年である。つまり、発表された時点では、「現在」までが描かれたことになる。新田次郎がこの小説を書こうとした動機、この小説の主題は、最後の紫郎の決意にあるのではないかと思った。

昭和新山の記録に関しては、細かい部分で事実と異なる部分があるが、おおむね事実に基づいていると思われる。三松正夫の著書を参考にしたと思われる箇所もある。人間関係についてはどこまで事実に基づいているか分からないが、一面の真実を描いているように思われる。

昭和新山は、太平洋戦争で戦局が悪化した時に活動を始め、日本国の敗色が濃厚になるにつれて、活動が活発化し、最後は不気味な溶岩ドームを発達させ、敗戦とともに活動を終結させた。偶然とはいえ、まことに象徴的に思われる。そして、ついた名前が昭和新山である。戦後は日本の復興とともに緑が回復していく。これもまた、象徴的に思われる。きっと、多くの人が、そのように感じたことだろうと想像する。

昭和新山 - Wikipediaを参考にしました)

 

 

昭和新山はほんとうにすばらしい山だ。男子が一生を賭けても、惜しくない山だ」

 


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昭和新山

 

 

短編集『昭和新山』には、この他に、初めての南極観測越冬隊のために開発された保温洗滌式人体模型第一号(要するにダッチワイフ)にまつわる笑うに笑えない、でも笑ってしまう「氷葬」、日本にいた白熊を追いかける男を描いた「まぼろしの白熊」、ちょっとした油断から山で遭難する女性三人を通して山の恐さを描いた「雪呼び地蔵」、沖縄のかなしいさんにまつわる哀しい話を描いた「月下美人」、観光開発業者が開発することになった浜辺にある不法建築物に住む少女を描いた感傷的な「日向灘」が収録されている。バラエティに富んだ内容の6編だが、いずれも読み応えのある佳作である。

 

 

 

昭和新山 (文春文庫)

昭和新山 (文春文庫)

 

 

 

 

📄関連日記

🔘洞爺湖でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記 

🔘洞爺湖でブラタモリ(2/3) - 森の踏切番日記

🔘洞爺湖でブラタモリ(3/3) - 森の踏切番日記

 

 

 

 

 

洞爺湖でブラタモリ(3/3)

ブラタモリ』#89洞爺湖(3/3)

~なぜ “世界の洞爺湖” になった?


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同級生、また会おう!

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洞爺湖でブラタモリ(2/3) - 森の踏切番日記の続き


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昭和新山の溶岩を見てみよう。


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たぶん「デイサイト」(火山岩の一種)


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近江ちゃんの溶岩のイメージ。

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タモリ「出てすぐ固まる?」

 


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本日の『きょうの料理』は「昭和新山のきな粉和え」です。


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小麦粉にイカスミと水をくわえて粘りが出るようによく練ります。

できましたら、ビニール袋に入れて穴の開いた紙皿の下に備えつけます。

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紙皿には、きな粉をたっぷり敷きつめましょう。


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できましたら、ビニール袋を下からムニュッと押します。


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タモリ「その時、昭和18年の終わり頃ですかね」

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グラグラ

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ボコボコボコ

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横山「最終段階でこういう事が…」

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タモリ「流れません」


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表面に付着した麦畑の土(きな粉)が焼ける。

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粘り気の強い溶岩が出てきて、ほとんど流れないまま出てきた所で固まったのが昭和新山

 


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1943年(昭和18)12月28日、壮瞥町周辺で最初の有感地震

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1945年(昭和20)9月20日、全活動停止。

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その活動のすべてを記録した人がいた。

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それがこのグラフ(ダイヤグラム)。

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最初の有感地震以降、地震や隆起などの異変が続いた。およそ半年後、最初の大噴火が起こる。

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1944年(昭和19)6月23日、第1次大噴火。第1火口形成。10月30日までに17次にわたる大噴火で、第7火口まで形成される。この間の大噴火では火山灰や火山弾の噴出があった。また、亜硫酸ガスの噴出で山林が荒廃した。

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第17次大噴火で降灰はおさまり、12月から溶岩ドームの推上が始まる。翌年9月20日の活動停止までに、溶岩ドームの主塔の高さは175mに達した。


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1948年、オスロで開かれた万国火山会議で紹介された。

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わが家の押し入れには祖母や伯父が遺した昭和の本がしまってあるのですが、その中に新田次郎の短編集『昭和新山』があります。

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以前、読んだことがあるのですが、表題作「昭和新山」の主人公・美松五郎のモデルになったのがこの人、

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三松正夫さん。


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こちらがその三松正夫さん(1888-1977)。

1910年の噴火も経験しています。

1977年の有珠山の噴火も見届けています。

生涯で三度の噴火を経験したことになります。


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娘婿さん(80歳らしい)。新田次郎の小説では、孫娘のお婿さん・紫郎として登場しています。

小説では、孫娘の母はお産の時に死亡し、父は戦死しています。これが事実に基づいているならば、孫娘を養子にして育てたということでしょう。

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有珠郡壮瞥町壮瞥郵便局長。

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1910年の有珠山噴火の時、火山学者の案内をして以来、多くの火山学者と知り合い、自身も火山に興味を持ったという。 


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草彅「しかし、正夫さんは工夫して器具をつくり」

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草彅「世界を驚かすあのグラフを作りあげました」

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戦時中は、昭和新山の噴火はいっさい公表されなかった。

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1946年(昭和21年)のことです。

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新田次郎の小説では、硫黄に目をつけた鉱山師に山を荒らされるのを防ぐためだとしています。これは、三松正夫さんの著書に基づいているようです。

三松正夫さんは、昭和新山に愛着を感じていたのでしょう。

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三朗さんに託された。

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照れ隠し?

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1951年(昭和26)天然記念物指定

1957年(昭和32)特別天然記念物指定

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三松「(正夫さんは)損得のない人で」


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三松正夫さんが作製した「昭和新山隆起圖」は、1948年、オスロで開かれた万国火山会議で専門家から世界で唯一の火山誕生の記録として高く評価され「ミマツダイヤグラム」と名付けられた。このことが日本でも報道されて、昭和新山の名はようやく世間に広く知られるようになったという。


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草彅「火山とともに生きる姿勢が」


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新田次郎の小説によると、昭和新山が観光の対象となったのは、昭和30年代から。昭和35年以降の観光ブームで観光客が急増したという。当然、観光業者から山を高値で買い取りたいという申し出もあったが、美松五郎(三松正夫がモデル)は全て断っている。三朗さんの言う「損得のない人」というのは、その事を指しているのでしょう。

 


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草彅「一連の活動で、2人が亡くなり、1人が行方不明に。多くの家屋も被害を受けました」

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草彅「それでもこの地域の人々は火山と向き合い、共に生きる道を探そうとします」



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噴火の予兆を捉えて、噴火が始まる前に全住民完全避難。

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草彅「これまでに積み上げた経験や記録が」

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すばらしい。

 


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草彅「もうひとつの意外な理由が分かります」

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タモリ「これは道路ですか?」

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道路、池、道路。

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後ろの方は、下り坂。

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なんと。

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隆起しちゃった。


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草彅「その当時のままに広がっています」


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ほお~。

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噴火の痕跡をあえて残している場所

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西山山麓火口散策路

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段になってます。

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プチ断層崖

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近江「はあ~」

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火山の噴火でこの場所が隆起、地表部分が割れて広がった。

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水などに浸食されずにすんだ。

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草彅「散策路として整備されました」

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タモリ「残すっていうのがえらいですね」

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そうですね。

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近江ちゃんのポイントは、そこ?

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🔍西山山麓火口散策路Google マップ



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タモリさん大満足。

 


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♬記憶と想い出を~

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洞爺湖 - Wikipedia

有珠山 - Wikipedia

昭和新山 - Wikipedia

を参考にしました。

 


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昭和新山と三松正夫像 

像の下の台に「麦圃生山」とある

 

📄関連日記

新田次郎の短編小説「昭和新山」のあらすじ - 森の踏切番日記

 

 

 

次回は
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洞爺湖でブラタモリ(2/3)

ブラタモリ』#89洞爺湖(2/3)

~なぜ “世界の洞爺湖” になった?


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癒やされない!

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洞爺湖でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記の続き

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タモリ「赤くなった、ほら!」

近江「あっ、赤くなった」


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NHK放送文化研究所によると、新聞・放送では、「癒す」ではなくて「癒やす」と書くことに決めているそうです。

「癒(ユ)」には、「いえる」と「いやす」の二通りの訓読みがありますが、「いえる」を「癒る」とすると、「傷もいえ、~」は、「傷も癒、~」となってしまいます。これは現代日本人には気持ちが悪いから、ということのようです。なので、「癒える」と送ることに決めたそうです。そうなると、「いやす」も「癒やす」と送ることなります。知らんかった。

「むかう」が「向う」ではなくて「向かう」なのと似ています。


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100℃以上!


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効能「やけど」て。

 


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草彅「この土地ならではの秘密がありました」

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なるわけです。


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草彅「湖からしみこんだ豊富な地下水がありました」

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なるほど。


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意外な事実とは?


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タモリ「噴火口ですか、これ☝?」


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横山「1910年にたくさんの水蒸気爆発を起こした」


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わけです。


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でも、そのおかげで…


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♨️温泉街ができた。


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草彅「幸運にも温泉が湧いた所にあったのは」


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草彅「活発な火山活動が絶妙なコラボを生みました」

 


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噴火が起きた年です。


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1910年の噴火の次の噴火は…


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1944年の噴火。


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行きましょう!

 


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草彅「一大ポイントです」


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感激の御対面。


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近江「おそろしいですね」


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近江「それで火山が」


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横山「約2年間です」

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タモリ「こういう平たい麦畑だった」

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近江「麦畑で…」

タモリ「ところが、ある日ですね…」


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横山「こうしますか」

近江「ちょっと比べて頂いて…」

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近江「徐々に数mmずつ浮いてくるんですか?」

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タモリ「ボコボコボコだろうね」

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ポコの次はボコ

近江家ボコボコに改名してほしい。

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1945年9月20日全活動停止。

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森田一義氏は、1945年8月22日生まれ。

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幼なじみ?

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火山としては非常に若い。

しかし、この誕生の衝撃で…

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世界的な存在にのし上がった。

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近江「すごい急成長したんですね」

シンちゃんの気持ちを代弁するカズちゃん。

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タモリ「熱いんでしょうね、あそこらは」

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それでは、昭和新山を登ってみましょう。

 


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といっても私有地ですからね。

持ち主さんの許可がいります。

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昭和新山の持ち主の三松さん。

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俺んち、火山持ってるから。

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関係者以外立ち入り禁止

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おじゃましま~す。

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三松「72年の間に緑が回復しました」

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抜けました。

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タモリ「すごい」

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横山「水蒸気… 噴気が上がってますけども」

噴気はガスや蒸気のこと。水蒸気だけじゃないようです。


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近江ちゃん、ばててない?

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タモリ「麦畑が盛り上がったんですね」


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タモリ「麦畑だったんだよ」

近江「信じられない」

 


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草彅「そして、ゴツゴツと盛り上がった異様な姿です」


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近江さんお答え下さい。

近江「赤ですね」

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近江「違いますか?」

タモリ「冷えれば…」

近江「冷えればもう赤くなくなる」

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実物を手に取って観察してみよう。

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近江さん、レンガはどうやってつくります?

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タモリ「レンガはね…」

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ここにもいたか、マルナゲドン。

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タモリ「マグマで熱変成を受けて焼かれた」


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一体どうして出来たんでしょう?

 


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次の記事へと続く

 


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画面中央下が有珠山。その右の小さいのが昭和新山


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南から見た有珠山(左)と昭和新山(右)

標高は、有珠山が737m、昭和新山が398m。

 

🌋有珠山は、約5万年前の中島の活動に引き続いて、約2万前頃から活動を始めた。

8000年前~7000年前に山体崩壊が発生。以後活動休止。

1663年(寛文3)の寛文大噴火以降活動を再開。特に、1822年(文政5)の噴火はものすごく、多くの死傷者を出した。江戸時代には4回の噴火の記録が残っている。

その次の噴火が、1910年(明治43)の噴火になる。このときできた「明治新山」は「四十三(よそみ)山」と呼ばれている。

 

 

 

 

洞爺湖でブラタモリ(1/3)

ブラタモリ』#89洞爺湖(1/3)

~なぜ “世界の洞爺湖” になった?


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G2洞爺湖サミット

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はるばる北海道へやってまいりました。


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内浦湾じゃないよ。


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早くも絶好調な近江ちゃん。


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面積約71平方キロメートル

周囲長約50キロメートル


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湖畔に有珠山昭和新山

観光客年間300万人。

 


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タモリ「すごいことが行われたんでしょうね、これは!」


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早くも期待大

 


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ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパの

サミットメモリアルテラスで記念撮影。


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近江「私、サルコジ大統領🇫🇷」


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こちらが当時のG8

サルコジ大統領どれだ?

左から、ベルルスコーニ伊首相🇮🇹、ハーパー加首相🇨🇦、メドベージェフ露首相🇷🇺、ブッシュ米大統領🇺🇸、福田康夫首相🇯🇵、サルコジ仏大統領🇫🇷、メルケル独首相🇩🇪、ブラウン英首相🇬🇧、EUのバローソ欧州委員長🇪🇺。

 


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今回の案内人はアンモ家ナイト師匠。

「横山ライト」ではないのな。


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真っ白


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恒例のパネル登場。


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2009年8月22日に新潟県糸魚川及び長崎県島原半島とともに世界ジオパークネットワークに加盟。


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2017年現在では他に、山陰海岸ジオパーク室戸ジオパーク隠岐ジオパーク阿蘇ジオパークアポイ岳ジオパーク(北海道日高振興局)が世界ジオパークネットワークに加盟している。

 


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有珠山🌋、昭和新山🌋、温泉♨️、リゾート🎵


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今日は洞爺湖ブラタモリ

 


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🔍洞爺湖Google マップ


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洞爺湖周辺の地形図


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タモリ「あの島はここで見るとかなり複雑ですね」


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横山「いくつかの山がくっついてできています」


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横山「実は、このことが洞爺湖誕生の秘密と深く関わっているんです」

 


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近江(ポコポコ?)

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手でポコポコしてます。


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横山「何回もいろんなタイプの噴火をしながらできたものなんですね」

 


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カルデラ


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草彅「遊覧船クルーズは洞爺湖観光最大のアトラクション」


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草彅「世界の洞爺湖の魅力を生み出したのは大昔の火山活動だったんですねえ」


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中島君が真ん中でよかったね。

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平均水深は117m。


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ということで…


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中島から700mほど離れた湖上。


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横山「急に来ますから」

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近江「底が! 岩が!」

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深い湖の中に突如として現れた神秘的な風景

なぜここだけが浅瀬に?


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横山「水深1mちょっとぐらいです」

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タモリ「ということは中島みたいな火山があるわけですね」


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タモリ「ポコですね」

横山「ポコです」


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洞爺湖には、湖底を含めて11の火山体が確認されているそうな。 


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タモリ「奇跡的なことですねえ」


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タモリ「地表にあると風化がかなり進みますよね」


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よく分かりました。


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草彅「つくり出していたんですねえ」



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草彅「もうひとつの魅力が分かるんです」

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タモリ「温泉ですね」

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半数近くが海外からの観光客

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聞いてないよ~?

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約45℃のお湯。

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近江アナ熱湯風呂に挑戦。

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タモリ「これ熱いよね?」

近江「熱いですね」


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いっそのこと「近江家ポコ」に改名してほしい。

 


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🐦次の記事へと続く

 

 

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📄ブラタモリこの記事の前

🔘立山でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記 

🔘立山でブラタモリ(2/3) - 森の踏切番日記

🔘立山でブラタモリ(3/3) - 森の踏切番日記

 

 

 

 

三島由紀夫のラブコメ小説を読む~『夏子の冒険』(3)

10月の読書録02ーーーーーーー

夏子の冒険 (角川文庫)

夏子の冒険 (角川文庫)

 

 


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三島由紀夫のラブコメ小説を読む~『夏子の冒険』(2) - 森の踏切番日記の続き

 

 

第二十三章~第三十章

札幌へ向かう野口君と不二子ちゃんの二人と別れた後、そのまま千歳に滞在していた井田青年と夏子さんにもコタナイ・コタンに例の熊が現れたという噂が伝わります。二人はコタナイ・コタンをめざします。

コタナイの村に着いた二人は、村長の家を訪ねますが、二人を出迎えた村長夫人の顔を見た夏子さんは顔色を変えてとびのいてしまいます。村長夫人は伝統的な口が耳まで裂けているような刺青をしていたのです。肌の色も土気色で死人のようでした。そんな姿で夕闇の濃い室内から現れたので、予備知識を持たない夏子さんが驚いたのも無理のないことだと思いますが、これがアイヌの人たちの心証を害する原因になってしまいました。 それに、あの人喰い熊を狩ろうというのに女連れで来たということも反感を買ったようです。どの家も泊めてくれそうにありません。

仕方ないので二人はランコシ・コタンへ行くことにします。夏子さんを連れてランコシ・コタンへ向かう井田青年の心中は如何に。夜道でカップルにありがちなイベントが発生したりします。夜遅くランコシ・コタンに着いた二人は、大牛田家に迎え入れられます。十蔵は井田青年をしげしげと見て目を潤ませます。夏子さんは、仏壇の秋子さんの写真がちっとも不二子ちゃんに似ていないので安心します。井田青年は秋子さんの写真を見つめながら怒りを新たにします。その夜、疲れとか苛立ちとか怒りとかで野獣化した井田青年を夏子さんがなだめたりします。

 

翌朝、十蔵がコタナイ・コタンへ説得に出かけますが、コタナイの村は無気力が支配していてうまくいきません。三日目の夜、帰りの遅い十蔵を案じていると、十蔵が黒川氏を連れて帰ってきます。黒川氏が万事話をつけてくれたのです。井田青年と夏子さんが黒川氏と十蔵とともにコタナイへ着いてみると、夏子さんは「あっ」とおどろきます。祖母、母親、伯母の三人が野口君とともにいたからです。三人は、取材のためにコタナイへ向かう野口君の車に強引に乗り込んで来たのです。

「夏子がいろいろお世話になりまして」と、母。

「はじめまして、松浦でございます。今後とも何分よろしく」と、祖母。

「まあ! 井田さんでいらっしゃいますか、お噂はかねがね」と、伯母。

三人は、井田青年が「良家の子弟」の特徴を備えていることを見て取って、安心したようです。この騒動をコタナイの村人は総出で見物していました。一行は村長の二号さんに迎えられて、四間ほどあるその別宅におちつきます。二号さんは、六十にちかい肥ったこぎれいな人で、秋田訛りの元芸妓です。その晩は何事もなく過ぎました。

 

明くる日は終日曇天でたいそう涼しい日でした。夜に入ると、一同打ち合わせ通りに配置について熊を待ちます。夏子さんは、井田青年とともに緬羊小屋の屋根に寝そべって熊を待ちます。手には村田銃を持っています。単なる気安めです。期待と不安が入り交じった夜が更けていきます。

奥様トリオの方は村長の別宅にいましたが、寝つかれずにおしゃべりをしていました。ここからは、狂言芝居のような滑稽さで笑わせられます。羊のヒィーヒィー鳴く声に気味悪がり、けたたましく犬の吠える声に取り乱し、そして、窓から大きな熊の顔がのぞいているのを目撃したとき、ついにパニックに陥ります。三人と女主人は、反対側の暗い三畳へ逃げ込みます。祖母は、片手にとろろこんぶのお椀を、片手に箸を持ったままです。

 

地鳴りのような音が起こる。家が揺れる。木の裂ける音が轟く。ついには、裏手の勝手口の引き戸が叩き割られる。硝子が床に落ちて、粉みじんに砕ける涼しい音がする。

三畳の入口の閉められた唐紙がぐらぐらと揺れはじめる。唐紙が前に倒れてくる。祖母が渾身の力をふるって、お椀ごととろろこんぶを投げつける。唐紙がとろろこんぶごと、四人の上に倒れかかってくる。生臭い猛毒のような匂いが立ちこめる。四人は意識を失ってしまった。

 

結局、熊は不味そうな四人には手をかけずに、廊下の板壁をぶち割って出ていきます。家に入る熊を見て夏子さんはパニクりますが、井田青年はそんな夏子さんの頭を思わずポカリと殴りつけます。家を出て羊を襲い始めた熊を、井田青年は見事に撃ち倒します。終わってみれば、あっけない最期です。青年が手を調べると指は四本でした。

 

奥様トリオにすっかり気に入られた井田青年は、秋子さんの墓参りをすませると、夏子さんたちとともに帰京することになります。

「東京へかえったら、いつ結婚しよう」

「そうね。いつでもいいわ」

青函連絡船の甲板で井田青年は結婚後の将来設計を目を輝かせて語ります。夏子さんは、そんな青年の目を悲しそうに見つめます。

井田青年のかたわらを離れて船室に戻った夏子さんが言い放った言葉に、祖母と母と伯母の三人は呆気にとられます。神秘的な沈黙が支配する中、物語は幕を閉じます。

 

 


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口の周りに刺青を入れているアイヌの既婚女性

 

 

 

松浦夏子の憂鬱

こうして、夏子さんの「冒険」は終わりました。コタナイのアイヌの協力を得られずに途方に暮れる辺りが、クライマックス前の試練といえますが、自力で解決したわけではないので盛り上がりに欠けます。クライマックスの四本指の熊との対決も奥様トリオのせいで喜劇的になってしまいました。井田青年は熊を一発で仕止めますが、あまりにもあっさりとした決着に本人も茫然とした感じです。夏子さんは傍観者に過ぎませんでした。

 

この小説は、

或る朝、夏子が朝食の食卓で、

「あたくし修道院へ入る」

といい出した時には一家は呆気にとられてしばらく箸を休め、味噌汁の椀から立つ湯気ばかりが静寂のなかを香煙のように歩みのぼった。

という場面から始まり、

「夏子、やっぱり修道院へ入る」

三人は呆気にとられて、匙を置いた。三つのコーヒー茶碗から立つ湯気ばかりが、この神秘的な沈黙のなかを、香煙のように歩みのぼった……。

という場面で終わります。三島由紀夫といえば、「小説は最後の一行が決まらないと書き出せない」という有名な言葉があるそうですが、この小説の場合は、明らかに冒頭部分と最後の場面が最初から決まっていたと考えられます。

一般に教養小説というのは、主人公が様々な体験を通して内面的に成長していく過程を描く小説のことをいいますが、夏子さんの場合は、このひと夏の体験を通じて内面的にあまり変化しなかったようです。結局、振り出しに戻っただけです。逆にいえば、内面を成長させるような出来事は何も起こらなかったと考えることができます。夏子さんの「冒険」はその程度のものだったのです。

 

夏子さんは、井田青年に恋をしたつもりだったのでしょうが、その恋には矛盾があります。

毅の目にはもう熊の姿しか映っていなかった。そういう毅を見ていることが、夏子にはうれしかった。そういうときだけ、彼を独占している心地がしたのである。

夏子さんは熊のことを考えているからこそ井田青年が好きなのであって、そこに夏子さんは介在しません。

二人にとってその熊は、仇敵なのか、それとも理想なのか、見分けがつかなくなっていた。

と、あるように、熊が象徴しているのは「理想」や「ロマン」といったものです。夏子さんのは、いわゆる「夢を追いかけてるあなたを見てるのが好き」というやつです。冒険物語の主人公に夢中になっているのと変わりありません。これが本当の恋ではないことは明らかなのですが、本人はその事に気がつきません。「冒険」が終わって、井田青年が平凡な将来設計を語りはじめると急速に冷めてしまうのも無理ありません。彼女は、井田青年に恋をしていたのではなくて、ロマンに恋をしていただけなのですから。彼女は、おとぎ話のお姫様のように「めでたし、めでたし」では満足できないのです。困ったお姫様です。

 

その後の夏子さんを想像してみます。このまま、すんなりと修道院へ行くとも思われません。気を取り直して井田青年と交際するのでしょうか。お嫁に行かずにずっとお嬢様のままでいそうです。彼女の内面を揺さぶるような大事件でも起こらない限り、彼女は何も変わらないような気がします。怪人二十面相みたいな人物が現れたら、喜んでついて行きそうです。そのうち、宇宙人と未来人と超能力者と異世界人以外は興味がないとか言い出しそうです。

 

この物語で、いちばん得をしたのは野口君でしょう。特ダネをものにできて、編集長から金一封を頂戴した上に、不二子ちゃんというカノジョまでゲットしたのですから。野口君は、夏子さんに失恋したり、奥様トリオに振り回されたりするうちに少しは成長したのかも知れません。思わぬ副産物です。

 

 

 

 


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三島由紀夫の祖父母、平岡定太郎となつ。

平岡なつの通称名は、夏子。気位が高く、気性が激しかったという。幼少期の三島由紀夫(本名:平岡公威)は、祖母の絶対的な影響下にあったという。

 

 

 

 

 

三島由紀夫のラブコメ小説を読む~『夏子の冒険』(2)

10月の読書録02ーーーーーーー 

夏子の冒険 (角川文庫)

夏子の冒険 (角川文庫)

 

 


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三島由紀夫のラブコメ小説を読む~『夏子の冒険』(1) - 森の踏切番日記の続き

 

 

 

第八章~第十九章

翌朝、札幌に着いた二人は井田青年の友人の野口君と合流します。野口君は、小肥りで若禿でかん高い声の新聞記者です。夏子さんは祖母と伯母と母親がいる函館の温泉に「ツイセキムヨウ」と電報を打ちます。行く先々で電報を打って安心させると同時に函館に足止めを食らわせようという作戦です。井田青年と野口君が待っている喫茶店に戻ると井田青年の姿が見えません。井田青年は、野口君に夏子さんを函館まで送り届けてもらうことにしたのです。もちろん、夏子さんはそれくらいのことであきらめたりはしません。夏子さんは、野口君をお供に札幌見物へ繰り出します。野口君は、なにげに幸せそうです。

夜になって、大胆にも夏子さんは野口君の部屋についていきます。安全パイに見える野口君にも警戒を怠らない用心深い夏子さんですが、きっと井田青年が現れるだろうと待ち伏せするつもりなのです。案の定、井田青年がやって来ます。井田青年は観念して夏子さんを自分の宿へ連れて行きます。夏子さんは別の部屋をとって、井田青年の部屋の鍵を取り上げ、逃がさないように部屋の外から鍵をかけてしまいます。夏子さんは自分の部屋でぐっすり眠りました。

 

翌朝、二人は野口君に見送られて札幌駅を発ち、熊が出たという牧場をめざします。牧場は、支笏湖を央にしてランコシ・コタンの反対側にあります。白老駅で降りて、2㎞ほど徐々の登り道を歩いて牧場に着いてみると、前日に熊が現れて馬を襲った後でした。二人は牧場主の森山家に泊めてもらって、熊がまた来る機会を待つことにします。夏子さんは森山さんから奥さまと呼ばれます。

その晩、井田青年は「現場」にいちばん近い牧夫小屋に泊まり込みます。夏子さんも強引についていきます。床の中で急に心細くなった夏子さんは、思わずとなりに寝ている井田青年の指先にふれます。こういう状況になったとき男子はどうすればよいのでしょうか、少し悩みます。相手にその気があるのかないのか。何もリアクションをしないのはかえって失礼なのではないかとか考えたりします。もしかしたら、いけるんじゃないか? 

井田青年は、夏子さんの手を強くつかみ、身をもたげます。

「だめ……、だめ……、ね、熊を仕止めたらそのときね。それまでは、絶対にだめ」

これだよ。青年は、二人の間にミッドランド銃を置いて、背を向けます。当時のお嬢様は結婚するまでは処女でいるのが当然ですから仕方ありません。つまり、「そのときね」というのは「結婚すること」を意味します。

その夜は何事も起きませんでした。夏子さんはほとんど寝つかれませんでしたが。二人は早朝の川原でキスを交わします。その日、熊が二里離れたとなりの牧場に現れて馬を二頭とらわれたという知らせが入ります。

 

二人は、となりのY牧場へ移動します。その途中で、不二子ちゃんに出会います。不二子ちゃんは、Y牧場の老牧夫の一人娘でした。彼女は野性的な美少女です。年は十六七に見えますが、体は成熟しています。夏子さんは少女に「女が女を見る目」を感じます。

牧場に着くと、不二子ちゃんの井田青年に対する献身的なサービスが始まります。朝から晩まで二人にくっつきどおしで、井田青年に馴れ馴れしくします。青年もまんざらではなさそうです。夏子さんは、イラっとします。

不二子ちゃんは、夏子さんとは真逆のキャラです。都会っ子と自然児、お嬢様と洗濯や裁縫をこなす家庭的な娘。良家のプライドの高さと庶民的な馴れ馴れしさ、色白と日焼けした肌、これは勝手な想像ですが、夏子さんはたぶん貧乳、不二子ちゃんは(夏子さんの主観では)成熟した肉体の持ち主です。夏子さんは、不二子ちゃんを見ていると、何かしら胸苦しくなるのでした。

二人がY牧場に着いてから二日後、野口君が現れます。編集長命令で夏子さんを連れ戻しに来たのです。函館に置き去りにされた、祖母、伯母、母親の三人が父親に連絡したところ、父親の親友の親友が野口君の新聞社の社長だったのです。

(野口君の主観では、不二子ちゃんは何の疾しさもない目の表情をしていて、体はほっそりしていて、北海道の冬にきたえられた手は大きくて、さわれば固そうです)

 

「帰るつもりよ」

「おどろいたな」

夏子さんは、不二子ちゃんを見ていて生まれてはじめて自分に欠けているものを意識し始めたのです。「恋が人を弱くする」という典型的な展開です。

夏子さんは、我知れず泣いてしまいます。夏子さんが人前で涙を見せるとは、未だかつてなかったことです。

「ねえ、不二子ちゃん、あなた井田さんが好きでしょう。私の代わりにあなたが熊狩りのお供をして下さる?」

夏子さんは女の直感で、不二子ちゃんの子供っぽい世話焼きの中に、女の親切を読みとっていたのです。不二子ちゃんは、井田青年をじっと観察してから、こう言いました。

「ふん、好きでもない」

これには一同大爆笑です。ということで、夏子さんは帰るのをやめました。恋をすると女の直感は鈍る傾向にあるようです。このとき夏子さんの言ったことを今風にリミックスするとこうなります。

「別に焼きもちなんか焼いてないんだからね! どこまでもついて行ったら悪いかなって、ちょっと思っただけなんだからね!」

 

そんなこんなで、二人の仲はかえって深まったりします。その夜、夏子さんを見る目がちょっとヤバい牧場主が酔っぱらって夏子さんの部屋に闖入して眠り込んでしまう騒動があったりします。夏子さんには、不二子ちゃんが熊に殺された秋子さんに似ているのではないかという不安があったようです。

翌朝、新聞社から野口君あてに、四本指の熊が支笏湖に現れて重傷者が一名出たという電報が届きます。Y牧場からは20㎞以上離れています。野口君には、夏子さんを連れて帰る途中で、帯広の病院に入院した重傷者を取材するよう社命が出ます。夏子さんは帰らないと言います。夏子さんを連れて帰らないとクビになるかもしれない野口君は半泣きです。そのとき、私が代わりに札幌まで行ってあげると言い出したのは、不二子ちゃんでした。井田青年と夏子さんも重傷者から情報が欲しいので四人で千歳まで行くことになりました。

 

千歳の病院では、四本指の熊に遭遇した重傷者の生々しい体験談が語られます。その描写は息がつまるような緊迫感があります。ここで初めて、夏子さんと読者は井田青年の仇が並々ならぬ相手だということを知ります。井田青年は熊を狩る決意を新たにします。

 

 

第二十章~第二十二章

井田青年と夏子さんの二人と別れて、野口君と一緒に札幌まで行った不二子ちゃんは、野口君のために編集長に事情を説明します。牧場を離れた不二子ちゃんは、年相応の少女という感じがします。

夏子さんの祖母、伯母、母親の奥様トリオが新聞社へやって来たときには、不二子ちゃんは、奥様トリオに怖じ気づいてうまく話せません。ここは彼女たちの扱いに馴れた野口君が事情を説明します。

奥様トリオは、姦しく夏子さんを心配しますが、こちらから「ケツコンユルス」の電報を打たない限り、夏子さんは帰ってくるまいという点で意見が一致します。それなら、皆で会いに行こうと祖母が言い出します。相手の男振りが気になり始めたのです。

野口君は井田青年から猟友会支部長に協力を求めるように頼まれていたのですが、それを知った奥様トリオは私たちが頼みに行きましょうと言い出します。彼女たちは、歯科医をしている支部長の黒川氏を口説き落とすために五日間通いつめます。その間に人喰い熊はランコシ・コタンから二里以上千歳川の上流(支笏湖寄り)にあるコタナイ・コタンに二度現れました。黒川氏は、ついに決断を下します。

 

 


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ガンを飛ばすヒグマ

 

 

 

おおぐま座を追いかけて

ここまでが、中盤のあらすじです。野口君はカンペキに三枚目で、夏子さんにすっかり参ってしまいますが、最初から叶わぬ恋で、あっさり失恋してしまいます。野口君には不二子ちゃんがお似合いのようです。

最初の牧場主は山ほど紙に盛った胃散を呑むほどの胃弱、編集長はズボンのお腹が機雷のようにふくれているビール好き、Y牧場の牧場主は政治家気取りの俗物、黒川氏は子供が付け髭を生やしたような小男です。作者は、これらの作中人物を軽妙かつ辛辣に細部を描写することによって人物像を浮かび上がらせています。

特に、夏子さんの祖母、伯母、母親の奥様トリオの描写は強烈です。祖母は、十九でお嫁に来てお姑さんに叱られて以来、いびきをかいたことがないのが自慢なのですが、祖母がいびきをかくことは皆が知っています。伯母は、事なかれ主義で、何かにつけてすぐに泣きます。母親は三人の中ではいちばん冷静で、「趣味のよいおばさま」と言われるように気を配っています。作者は、三人のブルジョア的な嫌らしさを事あるごとに辛辣に描写し笑いのタネにします。この奥様トリオが夏子さんを追いかけて珍道中を繰り広げるのもこの小説の面白さのひとつになっています。

 

黒川氏は、井田青年について、彼は熊ではなくてお星様を追っているようだと評します。

「狩人がねらうのは獣であって、仇ではございません。獲物であって、相手の悪意ではありません。熊に悪意を想像したら、私共は容易に射てなくなります。ただの獣だと思えばこそ、追いもし、射てもするのです。[後略]」

秋子さんを殺したのが人間だったとしても、仇を取るのかということでしょうか。

熊を殺したところで、秋子さんが生き返る訳ではありません。仇討ちは死者のためのものではなく生者のためのものです。井田青年も相手が人間だったら仇を取ろうとは考えなかったでしょう。彼にとってこれは、自分の中で区切りをつけるための儀式のようなものなのでしょう。彼はそこにロマンを感じてしまったようです。そういった意味では自己陶酔的で、彼と四本指の熊の間には最早秋子さんは存在していないように思われます。特に、夏子さんと出会ってからは、熊を狩ることは、夏子さんと結婚するための条件に変わってしまいました。彼のあの目の輝きはロマンを求める者の目であって、夏子さんはそれに共鳴してしまったようです。

 

 


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🐻次の記事へと続く

 

 

 

 

三島由紀夫のラブコメ小説を読む~『夏子の冒険』(1)

10月の読書録02ーーーーーーー

 夏子の冒険

 三島由紀夫

 角川文庫(1960/04/10:1951)

 ★★★☆

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この小説は、昭和26年(1951)、三島由紀夫が26歳のときに「週刊朝日」に連載し、年末に刊行された娯楽色の強い小説です。三島は、この連載の前には問題作『禁色』の第一部を発表しています。年末からは、半年にわたる世界一周旅行に旅立ち、転機を迎えます。


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函館市トラピスチヌ修道院

 

 

第一章~第七章 

主人公の夏子さんは、二十歳の良家のお嬢様です。いつも黙りがちで熱っぽいところがあって、どちらかというと南方系の顔立ちをしています。すこし腫れぼったい瞼が目つきにいいしれぬ眠たげな色気を添えています。

夏子さんは、ミッション系の女子高を卒業しているのですが、その在学中から降るほどの結婚の申し込みを受けていました。卒業後は、夏子さんのまわりに男の姿を見ないときはない、というくらいにモテモテでした。

昭和26年頃といえば、良家のお嬢様は、四年制大学なんかには行かずに、さっさと良縁を持つのがお決まりのコースという時代でした。けれども、夏子さんは、言い寄る男どもをことごとく振ってしまいます。彼女には情熱家の血が眠っているのです。彼女の中に眠っている烈しく強力な情熱家の血は、それと同じくらい烈しく強い情熱としか共鳴しないのです。ありふれた将来設計しか語らない都会の男どもでは、夏子さんの意にかないません。

「まるで袋小路の行列だわ」

いくら探しても望む男が見つからず、すっかり絶望した夏子さんは、家族に宣言します。

「あたくし修道院へ入る」

つまらない男と結婚するくらいなら一生神様にお仕えした方がマシだと思い込んでしまったのです。

一度言い出すときかない夏子さんの強情な性格を熟知している家族は困惑してしまいます。学校へ相談に行った父親は、入会後半年間の志願期間の間に帰りたくなればいつでも脱退できるときいて、娘はどうせ帰ってくるだろうという希望的観測のもとに、娘の修道院入会を承諾します。

夏子さんは梅雨明けと同時に函館へ発つ手筈を整えます。彼女の祖母と伯母と母親がお供に付き添い、函館近郊の修道院まで見送ることになりました。

函館へ向かう出発の夜、夏子さんは、たくさんの見送り人に囲まれた上野駅のホームで猟銃を背負った一人の青年を見かけます。夏子さんは彼の目のかがやきを見たとき思わず心の中で叫びます。

『ああ、あれだわ』

 

夏子さんは、青函連絡船の遊歩甲板で再び青年を見かけます。

海をじっと見詰めているその目の輝きだけは、決してざらにあるものではなかった。その目は暗い、どす黒い、森の獣のような光を帯びていた。よく輝く目であったが、通り一遍の輝きではない。深い混沌の奥から射し出て来るような、何か途方もない大きなものを持て余しているような、とにかく異様に美しい瞳であった。午前の海峡の明るい光りを見つめているようで、その実もっと向うの定かならぬ影を追っているような深い瞳である。

夏子さんは、今まで言い寄ってきた男どもにはない青年の目を見て感動し、この目こそは情熱の証だと確信します。けれども、女性から見知らぬ男性に話し掛けるなどというはしたない真似はできません。夏子さんは本心では修道院になんか入りたくはありません。救いの手を求めていたのです。夏子さんは苦しげに扇をあおぎます。

そのとき海風が、扇を強引に奪い去って行きます。それを見た青年が、とっさに扇を取ろうとしますが間に合うはずもありません。これがきっかけで二人は自然と会話を交わすことができました。短い会話でしたが、夏子さんは青年の名が井田毅だということと函館での宿の名前を知ります。

 

函館に到着した夏子さんたち家族は郊外の温泉に宿泊します。翌朝、夏子さんは入念にお化粧をして勝負服を着て出かけます。これから修道院に入るのに勝負服がスーツケースに入っていたのは、浮世の最後の一日を最初から楽しむつもりだったのでしょう。

夏子さんは、井田青年が宿泊している宿を苦もなく見つけ出し彼を誘います。

「今日はね、あたくしが浮世にいる最後の一日なの」

二人は函館山へ散歩に行きます。道すがら、青年は北海道へ来た目的を明かします。

「僕はね、仇をつけ狙ってるんです」

そんなロマンチックな言葉を聞いて、夏子さんは目を輝かせます。青年の仇は熊でした。函館山の頂上の砲台跡の廃虚で、青年は、なぜ熊を仇と付け狙うことになったのか、夏子さんに語ります。

 

それは、二年前の秋のことでした。青年は学生でした。実業家の父親から質実剛健に育てられた彼は、猟友会の会員だった父親の影響で狩猟免許を持っていました。その年の春、彼の父親は脳溢血で突然亡くなりました。青年は、父の形見となったミッドランドの二連銃を携え、学生時代最後の猟季を過ごすため、ぶらりと北海道へ旅立ちました。これまでとは違って、勝手気ままな一人旅でした。青年は、念願だったアイヌの村に泊まるために、千歳から一里ほど隔たったランコシ・コタンへ向かいました。ランコシ・コタンでは、大牛田家に好意的に受け入れられました。大牛田十蔵には三人の娘がいましたが、そのうち真ん中の十六歳の秋子はアイヌではなく和人の娘でした。

 

「和人って何のこと?」

「和人って、内地人のことさ」

それまで、ですます口調だった青年は、うっかりタメ口になります。このタメ口に夏子さんは盛り上がります。いつもの取り巻きのBFにやるように、青年の膝に手をかけて揺すぶりながら、こう言います。

「それ好き! 夏子、そういうの好き! ます口調なんかやめて『だよ』っておっしゃって」

このモテモテのお嬢様は、自分がどういう態度をしたときに、男がどう反応するか熟知しております。あなどれません。ここから青年はタメ口で語ります。夏子、一歩前進です。恐ろしい子

 

ある日のこと、十蔵は、車からふり落とされた貴婦人を助けました。彼女は赤ん坊を抱いていました。十蔵はその貴婦人を家に泊めてやりますが、赤ん坊をおいたまま夜の間に居なくなってしまいました。残された赤ん坊が秋子だったのです。

一週間後、千歳から20㎞ほど離れた山中の崖下に転落していた自動車から男女の死体が発見されました。女の方があの貴婦人でした。男の方は、札幌の金持ちの一人息子でしたが、事業に失敗して破産していました。女の方は月に一度ほど東京から男に会いに来ていましたが、結局正体は分かりませんでした。華族の娘だったのでしょうか。

 

夏子さんは、このロマンチックな話にすっかり夢中になってしまいます。

「すごいお話ね。夏子、そういうお話大好き。夏子もそういうことしてみたいわ」

まったく、困ったお嬢様です。

 

井田青年は、すすめられるままに一週間も大牛田家に滞在しました。その間、秋子と日に日に親しくなっていきました。青年は、秋子と結婚しようと心に決めてランコシ・コタンを去りました。

ところが、帰京して十日ほどのち、突然悲劇がおとずれます。秋子が人喰い熊に殺されたという手紙が届いたのです。猟友会の会員たちが二週間追い回しましたが、結局その熊を仕止めることは出来ませんでした。アイヌの間では、人を喰う熊は四本しか指がなくて、そういう熊は悪い霊の化身だと信じられていましたが、その熊も四本指でした。

傷心の井田青年は、死んだ父の倉庫会社へ入りましたが、あきらめきれず、秋には一週間の休暇を取って北海道を訪れました。なんとか仇をとりたいと願ったのですが、猟友会の協力が得られず断念するしかありませんでした。

今年の六月に入って、札幌で新聞記者をしている友人から四本指の熊が出たというニュースが青年のもとに届きました。青年は、早速休暇を取って北海道へやって来たのです。

 

こんな話を聞いてしまっては、夏子さんはもう我慢できません。あたくしもつれて行ってと駄々をこね始めます。バブル時代に『私をスキーに連れてって』という映画がありましたが、夏子さんの場合は『あたくしを熊狩りに連れてって』です。でないと、睡眠薬を呑んじゃうから。

青年は、感じやすいお嬢様に刺激的な話をしてしまったことを後悔します。正直言って、足手まといにしかなりません。女連れで熊狩りなんかあり得ません。青年は大人の思案で、体よくまいてしまう方法はないかと考えます。

夏子さんは、この青年のあとを追ってゆくこと、それこそが情熱のあとを追ってゆくことだと決意を固めてしまっています。彼女は大胆な行動に出ます。

「おどろいたお嬢さんだ」

「これでいいでしょ。つれてってね」

青年と読者をおどろかせた夏子さんは、青年につれて行ってもらう約束をとりつけます。ところが、青年は、翌朝発つと嘘をついて、夏子さんを置いていくつもりだったのです。ところがところが、夏子さんの方が一枚上手でした。青年が今夜の夜行で発つことを調べ上げます。

その晩、八時半の夜行の三等車の座席に青年の姿がありました。ちょっと残念な気もしますが、あんな派手なお荷物を背負い込んでどうするんだと自分に言い聞かせます。

 発車のベルが鳴りだした。ふとやさしい声をきいて、毅は物思いからさめた。

「ここ空いております?」

 彼は、顔をあげて、あっと言いそうになった。ボストンバッグを提げ、青いカーディガンに女仕立のズボンをはいたその乗客は、夏子であった。

 何を云うひまもなく、汽車は一瞬あともどりするように揺れて、動き出した。……

こうして夏子さんの冒険が始まりました。

 

 


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津軽要塞・御殿山第二砲台跡

(出典:津軽要塞 - Wikipedia

 

 

 

夏子さんの勝負服

ここまでが、この小説の導入部のあらすじです。三島由紀夫のおもしろい小説を書こうという意気込みが伝わってくる文章です。26歳でこれだけの完成された文章を書くのですから驚かされます。ディテールを積み重ねてリアリティを生み出す手腕にうならされます。たとえば、引用した「汽車は一瞬あともどりするように揺れて、動き出した」という部分ですが、単に「汽車は動き出した」としないところに目を見張ります。汽車に乗ったことがある人なら分かると思いますが、発車のときのあの感覚がはっきりと感じられます。しかも、青年の心理を暗示しているかのようです。この小説は単なる娯楽小説ではありません。

昭和26年といえば、9月にサンフランシスコ講和条約が調印されました(発効は翌年4月28日)。この小説は、日本国が独立を取り戻す、まさにその時期に連載されました。日本人は敗戦のショックから立ち直り、前年から始まった朝鮮戦争の特需で産業界は活況を呈しておりました。この小説には時代背景は直接描かれてはいませんが、そういった前向きの明るさが感じられます。

我が家の押し入れには、祖母や伯父が遺した昭和の小説本がしまってあるのですが、三島由紀夫石坂洋次郎など昭和20年代、30年代の小説を何冊か読んだことがあります。その中で印象に残ったのが、戦後の新憲法下での新しい女性像を描いていることでした。戦争の前後で大きく変わったことのひとつに女性の地位があります。この頃の通俗的な小説には、そうした新しい理想の女性像を提案する役割もあったのではないかと思います。

この小説の夏子さんもまた、そうした新しい女性像として描かれているように思います。彼女の祖母と伯母と母親の古い女性たちは夏子さんの破天荒な行動に右往左往するばかりで、その様がコミカルに描かれています。

世の人は、安定を志向する人と冒険を志向する人に分かれると思います。農耕民族タイプと狩猟民族タイプといってもよいでしょう。夏子さんは明らかに後者です。夏子さんが求めるのは、冒険とロマンです。

夏子さんは、戦争を経験してはいますが、おそらくそれほど不自由することなく育ったのではないかと想像します。だから、ありふれた人生を送ることが、どれだけ大変なことか想像もつかないのだと思います。彼女の持っている熱情は、危うい一面も持っていると思います。

東京生まれで東京育ちの夏子さんにとって、当時の北海道は地の果てに近い感覚ではなかったかと思います。函館の女子修道院は、そんな地の果てにあるところが、夏子さんの琴線に触れたのではないかと思います。北海道まで行けば、もしかしたら冒険とロマンが待っているかも知れない、もし何も起こらなければ、あきらめて修道院に入ろう、そういう淡い期待を持っていたのかもしれません。夏子さんの勝負服には、そんな意味があるのではないかと思いました。

 

 


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支笏湖

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