森の踏切番日記

ただのグダグダな日記です/2018年4月からはマイクラ日記をつけています/スマホでのんびりしたサバイバル生活をしています/面倒くさいことは基本しません

『城塞』下巻再読・樫井の戦闘

『城塞』再読(14)

🐱司馬遼太郎の『城塞』下巻を再読しております。今回は、大河ドラマ真田丸』に先駆けて、大坂夏の陣前哨戦を振り返ります。

 


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◾元和元年4月25日、徳川方先鋒を務める藤堂高虎隊と井伊直孝隊が、それぞれ淀と伏見を進発する。対する大坂方は先制攻撃を仕掛ける。

 

 

大野主馬の大和侵攻

◾4月26日、大野主馬治房が後藤又兵衛と共に二千の兵を率いて河内・大和の国境にある暗(くらがり)峠を越えて、大和へ入る。

大和郡山城を攻める。城を守っていた筒井定慶は、城を捨てて逃亡。大坂方は城下を焼き払う。

法隆寺村に乱入、略奪、放火、暴行、殺戮を繰り返す。

※『城塞』では、淀殿が、家康陣営へ奔った大工頭の中井大和守正清の屋敷を焼き払うように命じたことになっている。

 

 

大野道犬斎の堺焼き討ち

◾4月28日、治房の弟・治胤(道犬斎)率いる二千の兵が、堺の町を焼き討ちしている。これは、徳川方に寝返ったことへの報復措置だったという。

▶一隊は、さらに岸和田城の小出吉英を攻める。

※大和でも堺でも、「大野焼け」と称して、この「無用の放火と殺戮」を呪い、大野兄弟への憎悪の伝承が、江戸期いっぱい続いたという。

 

 

紀州攻め

◾一方、大野主馬隊三千の兵は、和歌山から進撃してきた浅野長晟の兵五千を迎撃するために進発する。

紀州は、元来「難治の国」といわれ、国人達は新来の浅野家に反感を抱いていた。大坂の陣では、新宮行朝など大坂城に入城する者も多くいた。そこで大野修理は、あらかじめ国人達を扇動して一揆を蜂起させる工作をして、挟撃の手筈を整えていた。

※浅野家は、北政所の実家(厳密には養家)であるので、豊臣家とは縁戚だが、関ヶ原の時に北政所が家康を支持したので、浅野家は家康方についている。4月12日に尾張名古屋城徳川義直に嫁したのが浅野家の女(むすめ)であった。大坂方(大野修理)は浅野家を勝手に味方だと思っていたようで、浅野家の出陣を裏切りという印象で見た。

 

 

 

樫井の戦闘

◾大野主馬隊に属した塙団右衛門はかねてより、

「いくさのときには某(それがし)を先鋒に」

と、主馬にくどく頼んでいたのに、主馬は不用意にも岡部大学に先鋒を命じてしまう。岡部大学は堺焼き討ちに参加した後、紀州路を南下する。

▶4月28日深夜、岡部大学が先鋒として進んでいると知った塙団右衛門は、それを追い抜くべく二、三百の兵を率いてにわかに宿営地を出発した。

 

🐱『城塞』を引用すると長くなるので、『大坂の陣名将列伝』(永岡慶之助:学陽書房人物文庫)から引用します。

「おのれ大学め、先鋒たるわれらの先を行くとは、何たることぞ!」

抜け駆けされたと思って激怒した団右衛門は、ただちに馬を鞭打って街道を疾走した。

「抜け駆けされてたまるか!」

喚き、鞭を鳴らし、馬腹を蹴る。またまた一騎駆けの悪い癖が噴き出たのだが、それも気づかぬほど頭に血が上っているのだ。白地に墨痕鮮やかに

「塙団右衛門直之」

と大書した指物が奔り、その後を遅れじと淡輪六郎兵衛らの数騎が追い、兵も走る。

 ▶北上する亀田大隅率いる浅野勢と、南下する団右衛門の部隊が激突したのは、泉州樫井村の辺りである。浅野勢は、大軍が攻めて来たと勘違いして結構弱腰になっていたのだが、岡部大学と先陣を争う団右衛門は遅れた者が到着するのを待たずに敵陣へと突進する。団右衛門の勢いに、浅野勢は一時恐慌をきたしたが、やがて、盛り返し激闘となる。

▶亀田大隅の寄騎で多胡相左衛門という弓の名手が放った矢が馬上の団右衛門の左脇に突き刺さる。浅野忠知の家来八木新左衛門と、上田宗古家来横井平左衛門が、同時に槍を入れる。団右衛門はたまらず落馬する。

4月29日早暁、塙団右衛門討死。

 

 

◾その頃、大野主馬率いる本軍は、貝塚願泉寺という西本願寺派の寺で休息していた。西本願寺派は元々豊臣びいきだったのだが、既に家康が根回しをして家康方に寝返らせていた。「ボッカンさん」と土地の者から呼ばれる卜半住職は、酒と食事を振る舞い、主馬達を足止めしていたのである。どこまでも抜け目のない家康である。

▶団右衛門隊の全滅を知った主馬は、戦わずしてすごすごと大坂城へ引き上げてしまう。岡部大学は負傷して退却していた。紀州の国人達の一揆も不発に終わった。

 


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大坂の陣名将列伝』より

 

 

🐱塙団右衛門は江戸時代から人気の高い武将だが、その理由を司馬は次のように分析している。

かれの人柄が日本人としてその長所と短所を濃厚にもっていた典型的人物だったからであろう。

彼は詩人であった。

日本人に愛されるには、詩人もしくは詩的行動者でなければならない。

塙団右衛門の戦死の状況についても諸説あり、司馬遼太郎は、「どの説をとるべきか、迷わざるをえない」と書いている。

 

🙀団右衛門は、敵と戦う事よりも、岡部大学との先陣争いに勝つことで頭がいっぱいになって、最後は暴走してしまった感がある。この局地戦は、大坂方に勝機はあったのだが、大野主馬は実戦経験不足であり、統率力が無かったといわざるを得ない。🐥

 

 

 

 

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📄関連日記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『真田丸』第47回「反撃」の感想

大河ドラマ真田丸』視聴

 第47回「反撃」

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😽大蔵卿局を叱って下さい。

 

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🐱まずは先週の場面から。

 


片桐且元「話が違うではござらぬか」

🐱信じる方が悪いよな。ただ、先週も書いたけど、片桐且元レベルを騙すのは、小悪党のする事だよな。

 

 

◾茶々、放心状態。流れは和睦に傾く。

🐱結局そうなりますよね。

 

 

◾幸村、きり。

きり「そりゃ助けますよ、人として」

😽人として。

 

 

◾牢人衆集会。

毛利勝永「心配するな。お前たちの事は、ちゃんとこの兄貴が面倒みてくれる」

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後藤又兵衛「俺に任せとけい!」

😽なんか、別のドラマが始まりそうだな。後藤組旗揚げか? 関東徳川会との抗争が始まるのか?

 

 

木村重成、大野主馬、幸村
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主馬「和睦はならぬ。•••和睦はならぬ」

😸 うわぁ~い。主馬がしゃべったぁ。何故に片言?

 

 

大野修理登場。主馬、にらむ。

🐱冬ノ陣で主馬は、兄の修理の無能な命令で恥をかかされているし、和睦派の修理と主戦派の主馬という確執があるのだが、このドラマでは、それがぼやけてしまっているから、なんで睨んでいるのか、伝わりにくくないか?

 

 

◾修理、幸村

修理「まことに相済まぬ」

幸村「まだまだこれから」

😽修理は、謝ってばかりだな。それより、母親をなんとかしろよ。

 

 

◾秀頼、幸村、修理、大蔵卿局、有楽。

大蔵卿局「勝ったのだから(牢人衆は)最早用済みじゃ」

😽別に勝ったわけでは無いだろう。牢人衆を嫌っているだけだな。大坂方の愚かさを大蔵卿局一人に集約して悪者にしようという方針のようだな。茶々の意をくんでということだろうが、暴走し過ぎではないか。誰も止められないのか。

 

 

◾茶々、幸村。

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茶々「茶々を叱って下さい」


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茶々「もうこのようなことは、たくさんじゃ」

 

 

◾ロウニンジャー集会。

毛利勝永「二人の仲を疑うものがいる」

😽通説では、大野修理と淀殿の仲が疑われるのだが、その役割を幸村にさせたか。茶々の弱さという点は変わらないから、頼る相手は誰でもよいのだな。修理が相手ではドラマにならないものな。

 

 

◾江戸、お通の屋敷。


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信之「重くはないか」

😽こんな店、あったよな。

 
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😽やっぱり、八木亜希子の京言葉は無理。


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😽跡つけてた。


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😽言い訳下手すぎ。


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🙀はーい。はーい。


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信之「膝枕で二百文とは」

お通「いややわぁ。私を誰やとお思いどすかぁ」

😽こういうセリフの京言葉は強烈やな。も少し上手く言うて欲しかった。


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稲「帰りますよ」

😽次の方どうぞ。

 

 

◾牢人衆集会。堀田作兵衛呼び出し。

😽ヤンキーの集会に呼び出された硬派の堀田君。


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😽 騙してばかりの人? 果たして信玄に対して義はあったのかどうか。


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😽昌幸と信繁は、生き方が異なると思うがな。

 

◾家康本陣。家康、秀忠、正信。

正信「和睦と見せかけて敵を丸裸にする。それから、総攻めを」

🙀元々これは、秀吉のアイデアなんだよなあ。大坂城が完成した時に秀吉は、家康を含む諸侯の前で、調子に乗って言っちゃたんだよなあ。

「この城は難攻不落じゃが、ワシならこう攻める。まずは、何とかして和睦に持ち込む。しかる後に、惣濠をすべて埋めてしまう。そうすれば、この城は簡単に落ちる」

余計な事を言ったなあ。

 

 

◾秀頼、有楽、修理、大蔵卿局、幸村。

幸村「ここは、おなごの使者を」

大蔵卿局「私が参ります」

🙀通説では、家康方が女同士の和睦会談を持ち掛けるのだが、逆にしたか。幸村が初を使者に推すのは上策では無いだろう。初では家康の思うつぼになる事は見え見えなのに。そして、大蔵卿局が出しゃばることも見え見えなのに。幸村、策に溺れたなり。

 

 

◾家康本陣。家康、秀忠、正信。

正信「その手で来ましたか」

🙀いいなあ、正信の嫌らしさ。

 

◾茶々、初、大蔵卿、幸村、きり。

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きり「お任せあれ」

 

 

◾和睦会談。阿茶局、初、大蔵卿局、きり


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 🐱阿茶局VS常光院

 

◾秀頼、幸村。

秀頼「そなたは、しぶとい」

幸村「望みをすてぬ者だけに、道は開けるのです」

 

◾和睦会談。

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😽どうでしょう。


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😼あ、長澤まさみ父親は元サッカー選手だった!

 


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阿茶「真田丸は取り壊し。ついでに堀も埋めてしまいましょう」


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大蔵卿「そう致しましょう」


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大蔵卿「埋めてしまいましょう」

😽お前が勝手に決めるなよ。全然勝負になりませんな。

 

 

◾家康、阿茶局、秀忠、正信。

家康「大手柄じゃ」

 

真田丸取り壊し。

😽はや!

 

◾秀頼、大蔵卿局、幸村、修理、有楽。


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大蔵卿局「わたくしが許しました」

幸村「なんという愚かな」

修理「母上は豊臣をおつぶしになられるおつもりか」


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大蔵卿局「全ては、豊臣のためじゃあああああ!」


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有楽「これで良かったのだ。これで」

幸村「戦えぬ我らに、家康が約定を守るとお思いか!」

😾幸村、さすがに大蔵卿局にブチ切れる! 遅すぎるけど。有楽は一安心だな。あとは逃げるだけ。

 

 

◾家康、秀忠。

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家康「これで、裸の城じゃ。あとは向こうが和睦を破るように仕向けるだけじゃ。秀忠、これが城攻めよ。ワハハハハ」

😽あんたのアイデア違うやろ。秀吉のアイデアのパクリやん。だからこそ気分が良いということだろうな。

 

 

◾ロウニンジャー作戦会議。

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幸村「策は無い」

幸村「城を枕に討ち死にと愚かな事を考えないように」 

◾幸村去る。

長さん「ここにいても先はない」

又兵衛「お前ら行く当てあんのかよ」

勝永「どうやって戦う」

又兵衛「ハハハハハ、面白えじゃないか」

🐱あくまで楽天的な又兵衛。幸村との性格の違いがよく出ていますな。本来なら、又兵衛がリーダーで、幸村が参謀であるべきだろうな。

 


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幸村「ここまでじゃ」

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又兵衛「早く策を立ててくれよ」

ミサスキー「私は何のために九度山に行ったのです?」

長さん「わしらはお主に従う」

勝永「考えろ」


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作兵衛「徳川に一泡吹かせてやりましょう」


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秀頼「望みを捨てぬ者だけに道は開かれると、そなたは言ったではないか。私は、まだ捨ててはいない」

幸村「かしこまりました」


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又兵衛「えい!」

一同「オー!」


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又兵衛「えい!」

一同「オー!」

😽なんか、TVドラマらしい展開だなあ。あまりにベタ過ぎるので、特に感想は無い。

 

 

🐱次回は「引鉄(ひきがね)」か。今夜こそ、お前を落としてみせるのか?

 

 

📄関連日記

 

 

 

 

 

 

『城塞』下巻再読・家康再征

『城塞』再読(13)

🐱司馬遼太郎『城塞』下巻を再読しております。大河ドラマ真田丸』に先駆けて、今回は、夏の陣に至るまでの過程を振り返ります。

 


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◾家康は、自分の寿命がいつまでもつのかということで気の焦りもあり、事を急いでいた。冬ノ陣の和睦直後には、「秀頼を大和に移封する」という風説を流している。これは、和議の条文(秀頼の居城も封土も元のまま)を無視するものであった。さらに、

 家康が冬ノ陣で大坂からひきあげるとき、その謀臣たちに、すぐ折り返して再征するつもりだ、その支度をしておくように、と命じたが、この内命がその直後にあらゆる諸侯の耳に入ったために、公然の秘密になり、大坂にもきこえてしまっている。

 大坂としては、牢人を徴募せざるをえないであろう。同時にその徴募が、家康にとって絶好の征討の理由になるというぐあいに循環する。

 

 

◾元和元年3月5日、京都所司代板倉勝重、「大坂方が堀を掘り返し、牢人を集め、彼らが京都で乱暴狼藉を働いている」と駿府の家康に報告。

 

 

◾3月12日、板倉、「大坂城では、米・材木を集めているばかりか、冬ノ陣で籠城していた牢人は、解雇したはずの者すら一人も去ってはおらず、大野治房(主馬)に至っては、さらに牢人を召し抱え、すでに開戦の談合まで行っている」などと町人からの情報を報告。

 

 

◾3月15日、和睦を維持したい大野治長は釈明のため、使者として米村権右衛門を駿府の家康のもとへ送る。それに対して、家康は、秀頼の大坂退去か牢人の全追放かの二者択一を迫る。

 

 

◾4月1日、家康、土井利勝酒井忠世の連名をもって畿内の諸大名に、大坂からの落人の捕縛を命じる。

 

 

◾4月4日、家康、第九子義利(尾張徳川義直)の婚儀に参列するためと称して駿府を発つ。

 

◽同日、大坂城評定。秀頼の決意表明、

「家康がきたらば来よ、予はいさぎよくこれと決戦し、武運つたなくやぶれたるときは最後の一矢を射放って討死する覚悟である」

冬ノ陣の戦闘は、秀頼を一時におとなにした観がある。

※織田有楽の嫡男頼長、総大将に立候補して一同から反対される。頼長、怒って退城。

※『城塞』では、冬ノ陣の後、家康におだてられて勘違いして天狗になった大野治長がそのまま総大将的な位置についている。これは、家康の策謀で又兵衛や幸村に総大将になられると困るので無能な治長が総大将になるように仕向けたのだ。

※治長の母大蔵卿局は、主家を裏切らぬという点では安心な男であると、息子を評価している。淀殿は、親戚の織田信雄や有楽に裏切られ、「まして牢人どもは油断できぬ」と、ひとえに修理を信頼している。成長した秀頼は修理を信頼していない。

 

 

◾4月5日、大野治長使者が家康のもとを訪れる。そこで示されたものは、国替え案を撤回してほしいという秀頼・淀殿からの嘆願であった。 

「悠長なことだ」

家康はめずらしく声をたてて笑った。当方は征討の途にのぼっているというのに、征伐されるほうはいまどきそんな返事をもってきたのである。

 

◽同日、秀頼、「城外お見廻り」

淀殿はこれをきいて、秀頼の身の危険をおもい極力反対したが、秀頼はきかなかった。秀頼はどうやら冬ノ陣以前のかれとはちがった人物になりつつあった。

しかもその行列というのは、ただの儀礼的なものではなく、豊臣家の軍容を誇示するという目的を兼ねており、ことごとく重装備しているばかりか、その軍列および母衣武者や歩卒の行装は太閤の盛時そのままを踏襲していた。

この日、秀頼とその麾下が練ってまわったのは、おそらく決戦場になるであろう土地土地であった。

大野修理治長は、お城でお留守番。

 

▶その夜の淀殿と修理の会話。

淀殿「このたびの戦い、勝てるであろうな」

修理「••••••」

淀殿「勝てるか」

修理「••••••なんとか御運のひらけるように相努めてみたいと存じておりまする」

淀殿「勝てるか、ときいておる」

と、いったが声は小さい。

▶この会話の後、修理は、屋敷に戻る途中で刺客に襲われ負傷する。犯人は、大野主馬の家来成田勘兵衛の家来服部源蔵であった。服部源蔵は修理の家士平山重蔵に斬られ即死、成田勘兵衛は自邸に火を放って自殺した。

 

※大野主馬は、過激派の代表で、兄修理の無能と優柔不断が作戦の不統一をまねいているとし、兄を血祭りにあげねばと洩らしていたが、主馬が事件に関与した証拠は無かった。

※この事件を4月9日とする本もある。主馬は、冬ノ陣で治長の無能な命令で恥をかかされたことを根に持っていたという。12月17日の塙団右衛門の夜襲に主馬も参加したのだが、木札をばらまいた塙においしいところを全部もって行かれて目立たなかったという。

 

 

◾4月6日、家康、伊勢・美濃・尾張三河などの諸大名に伏見・鳥羽に集結するように軍令を発する。

※「大坂移封のために軍を発する」という名目だった。

 

◾4月7日、西国諸大名に対しても出陣準備を命じる。

 

 

◾4月10日、家康、尾張に到着。将軍秀忠、江戸を出発。

 

◾4月12日、尾張において義利の婚儀が行われる。

※織田有楽、家康を訪ねる。

 

◾4月15日、家康、尾張名古屋城を出発、海路、伊勢桑名に入る。

 

 

◾4月18日、家康、二条城へ入る。

 

◾4月21日、家康、伏見城に入る。

※すでに京入りしている大名は、伊達政宗黒田長政加藤嘉明など。

※引き続き、前田利常、上杉景勝、池田利隆らが、京入り。

 

◾4月23日、将軍秀忠、京入り。

 

◾4月24日、将軍秀忠、伏見城にのぼる。

 

◾4月25日、家康は、大蔵卿局、二位局らを呼び寄せ、最後通牒を突きつける。

「大坂へもどって秀頼に申せ。おとなしく大和に移れ、と。それが秀頼の仕合わせの道である。そう勧めるのが媼たちの忠義である」

大蔵卿局もさすがにこの時期になれば、家康という男のことばを片鱗も信じられなくなっていた。

城に帰って、すぐ淀殿に拝謁した。大蔵卿局がいっさいを報告したが、淀殿は、

──自分にはよくわからない。

とのみ言い、無表情のままときどきかぶりを振った。

この件を秀頼に申し次ぎしたのは木村重成である。

秀頼は大きくうなずき、

「返書は」

と、天性張りに富んだ美しい声でいった。

「無用である」

これがいわば徳川に対する断交と宣戦の布告というものであったであろう。

 

 

◾先鋒を務める藤堂高虎隊と井伊直孝隊が、それぞれ淀と伏見を進発、河内路をとる。

※別働隊が、大和路をとるが、家康は先鋒大将に水野勝成(三万石)を選んでいる。(水野家は家康の生母於大の実家)

 

 

◾4月26日、大坂方が先手を打つ形で大坂夏の陣の前哨戦が始まる。 

 


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😽大河ドラマ真田丸』も残すところあと四回。夏の陣は、一気にやってしまいそうだな。最後はどうするつもりだろうか。幸村・秀頼生存説を採用するかどうか。

 

 

 

📄この記事の続き

 

📄この記事の前 

 

 

 


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😽家康は、幼少時から何度も窮地に陥りながら生き延びてきた。その悪運の強さを呼びこんだのは、忍耐力と学習能力と判断力と決断力と冷酷さだろうか。

 

🐱絶賛愛読中だった新聞小説『家康』(安部龍太郎作)が「三方ヶ原の戦い」までで終わってしまった。残念。早く続きが読みたいものだ。ここまでの家康は、乱世の非情さに翻弄される一大名に過ぎない。家康がいつ非情な権力の亡者となるか、そこが読みたいのだが。🐥

 

 

 

 

 

 

『真田丸』第46回「砲弾」の感想

大河ドラマ真田丸』視聴

 第46回「砲弾」

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◾家康陣。英国からの大砲がまだ届かず。

家康「ただ待っておるのも癪だのう」


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😽真田丸への攻撃は、前線が勝手に始めた事だけどな。実際は、半年前から色々準備していたけどな。小競り合いも、ずっと続いているけどな。家康はそんなに甘くないぞ。この家康は巨悪という感じではないな。小悪党レベルだな。鬨の声作戦とは、せこいな。予算の関係なんだろうなあ。

 

 

◾秀頼、幸村。積極的な秀頼を抑える幸村。

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幸村「なすべき事は城を守り抜くこと」

秀頼「父上を超えたい」

秀頼「私は言われて伸びる男ぞ」

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😽幸村は、「殿様」と言っているが「右大臣様」だろう。「殿様」だと秀頼が家康よりも格下だと認めていることになる。幸村は対外的には手紙に秀頼を「殿様」と書いているが、本人には言わないだろう。

😽秀頼クンも言われて伸びる男じゃ駄目だろ。

 

 

真田丸。家康方の鬨の声。塙団右衛門吠える。


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塙「ワォワォワォン、ワオオオン」

😽飲み会にはいて欲しい人だなあ。


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◾茶々、幸村、大蔵卿局

茶々「私は戦にも政にも関心はありません。秀頼さえ無事でいてくれたらそれでいいのです」

 😽外の世界から目を背けておりますな。

 

常高院、幸村。

常高院「あの人は死にたがっている」

常高院「姉を救ってやって下さい」

😽そういう感じにも見えないのだが。

 

 

◾江戸真田屋敷。信之、平野。🙀無茶をするなあ。バレたら終わりだよ。

 


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◾稲登場。「これ以上何を申し上げても無駄のようですね」

🙀こわ! でも正論だね。

 


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出浦昌相登場。🙀そりゃ止めるよ。

 

 

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スパイダーマン

 


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信之「何なんだ、これは!」

😽どうでしょう。

 

 

◾家康陣。家康 、秀忠、本多正信

家康「戦の何たるかを分かっとらんようだ」

😽秀頼と秀忠がイケイケで、幸村と家康が同じことを言ってたしなめる。秀頼も秀忠も経験不足なだけで無能ではないのだけどな。二人ともただのバカ殿にされたな。幸村と家康は同じこと(兵を損なわぬようにする)を言っているが、意味合いは違うだろう。

 

◾家康「あの手この手じゃ」

😽実際は、もっとあの手この手を使っているけどな。

 

◾家康「真田左衛門佐を調略せよ」

😽家康得意の調略作戦。十万石は信之より上だし、最初からやるつもりは無いものな。

(信之は、この頃九万五千石)

 

 

真田信尹、幸村。

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信尹「読まんでいい」

幸村、ビリッ。

😽あっさり破った。

 

 

◾家康陣。家康、信尹。

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信尹「調略不首尾に終わりました」

😽家康はそんなに甘いおっさんじゃないけどな。実際には信濃一国に条件をつり上げて二回行かせているものな。この信尹はカッコよいな。ただ、あまり見え見えな態度だと、潰されるだろうな。

 

 

◾秀頼御前会議 。秀頼、幸村、有楽、大蔵卿、治長。徳川方に内通している有楽が和睦を進言。幸村大反対。

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大蔵卿「和睦いたしましょう」

😽何故、お前が言うかな。

 

◾そんなこんなで、秀頼、和睦を決意。

😽秀頼がぶれたらいかんなあ。覚醒した秀頼は和睦拒否でぶれないのが取り柄だったのに。ただのバカ殿ではないか。

 

◾治長、幸村。

治長「誠に面目ない」

😽君が謝っても仕方が無い。

 

 

◾茶々、幸村。

茶々「私は秀頼と一緒にいられればそれでいいのです。この城だって手放しても。どこか小さな国に移ったっていいし」

😽甘い。家康はそんなに甘くないぞ。根本的に見えてないぞ。

 

◾幸村、茶々に秀頼の説得を頼む。

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茶々「お任せなさい」

😽幸村も迷走しておるな。茶々は本気か?

 

◾茶々、秀頼、大蔵卿、有楽、幸村。

茶々「和睦はなりませぬ。この城は私の城です」

🙀もう訳が分かりません。

 

◾秀頼、幸村。


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秀頼「一体、何がまことなのじゃ」

幸村「私は戦に勝つためにここに参ったのでござる」

😽秀頼がぶれたらあかんて。秀頼を覚醒させてやれよ。それにしても、幸村、案外冷たい人。

 

 

◾又兵衛、勝永、長宗我部さん、ミサスキー、木村重成、塙団右衛門。塙、夜襲の計画を明かす。又兵衛、勝永、乗っかる。長宗我部さんとミサスキーは逃げる。

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😽又兵衛、長宗我部さんを長さんて呼んでる。駄目だこりゃ。

 

◾長さん、幸村にチクる。

😽おいおい。

 

◾塙、又兵衛、勝永、重成、夜襲。幸村登場。

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幸村「私も加えてくれ」

😽皆さん君においしいところ持っていかれた不満で夜襲しようとしてるのにな。

 

😽やっぱり殺陣のシーンも欲しいよね。又兵衛も勝永も活躍場面が無いとね。

 

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😽木札一枚だけ?
 

 

◾家康陣。家康、片桐且元

家康「市正、淀殿の居室はどこじゃ」

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 😽家康、騙した。家康以外は悪者にしないという方針なのかな。淀殿の居室を狙うから教えよ、という方が家康の残酷さが強調されると思うのだが。小狡く騙すというのは小悪党のすることだろう。

 

 

◾大砲登場。

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「その一発の砲弾が多くの人々の運命を狂わせる」

😽上手いこと言ってるようで全然上手くない。


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🙀ようやく現実に目を向けたという演出か?

 

 

 

🐱全体的に説明的な内容だった。家康も幸村も薄っぺらい感じがした。大砲も一門で一発だけとは。なんかしょぼいなあ。幸村は、上手いことやっているようで、あまり上手くないな。ドラマとしては低調。次回は「反撃」か。どっちが反撃するのだ?

 

 

 

 

◾関連日記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『城塞』下巻再読・和睦後の幸村

『城塞』再読(12)

🐱司馬遼太郎の『城塞』を再読しております。今回から、ようやく下巻に入ります。

 

🐱徳川家康にとって冬の陣における講和は、あくまで表向きのことであり、大坂から引き上げるとすぐに大坂方を追い込むべく悪謀をめぐらせているのだが、その前に今回は、冬の陣和睦後の真田幸村について振り返っておこうと思う。

 


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◾冬の陣和睦後の真田幸村

司馬遼太郎は、幸村の人柄について、

情のこまやかなうまれつきで、しかも性格にあまりひずみがなく、人あたりもよかった。

と、描写している。

※冬の陣の和睦が成立したことで、幸村は真田本家と接触が可能になった。

冬ノ陣がおわって大坂がしずかになったとき、攻城軍に参加している本家真田の陣屋にたずねてゆき、兄の名代で出陣している兄の嫡子河内守信吉十八歳とその弟信政十七歳と語りあい、また本家の重臣とも懐旧談などをして、夜ふけまで時を忘れた。

幸村は、信吉とは四歳の時に会って以来ということになる。村松殿の夫の小山田主膳とは頻繁に会っていたという。(丸島和洋の『真田四代と信繁』では嫡男小山田之知としている)

 

 

◾幸村の村松殿への書状

※姉の村松殿(松)は、人望があり、家中一同から特別な敬愛をよせられていた。彼女は、大坂に籠もった幸村の身の上を気づかって、泣くことも多かったらしい。『城塞』から、幸村が村松殿へ宛てた書状を引用する。

「ちょうど便がありましたので一筆申しあげます。さてもこのたび不慮の事にて御とりあい(冬ノ陣後の和睦のこと)になり、そのため私の日常には変化がありません。ご心配をかけていると思いますが、ただし(意外にも)まずまず相済み、私もしに(死に)申さずにすごしております。あすに変わりますかは知りませんが(明日にも政情が急変するかも知れませんが)今は何事もありません」

丸島和洋の『真田四代と信繁』によると、この書状は、慶長20年(元和元年・1615)1月24日のもので、上田に向かう旅人に託したものであったようだ。

大河ドラマ真田丸』では村松殿は江戸にいるが、実際は上田にいたようだ)

※明治時代の正岡子規も松山への手紙を松山へ帰郷する人に託している。旅人に手紙を託す方法は、郵便制度が発達していない時代では一般的なことだったようだ。

 

丸島和洋の前掲書によると他にも、2月10日に、長女すへの夫石合十蔵に対し、「もうお目にかかることはないでしょう。すへのことは気に入らないことがあってもお見捨てなきようお頼みします」との書状を送っているということだ。

 

※3月19日には、小山田茂誠・之知父子に対し、「当年中を静かに送ることができればお会いしたい」としつつも「先の見えない浮き世ですから、一日先のことはわかりません。私のことなどは、最早浮き世にいる者とは思わないでください」と書き送っている。すでに覚悟を決めていたものと思われる。

※司馬は、この手紙について、(司馬は、村松殿の舅小山田壱岐と婿の主膳としているが)次のように引用している。

「そちらの方は変わったこともないという由、満足しています。こちらのほうも無事でいますから、御心安なされたい」

「殿様(秀頼)が自分を懇ろにしてくださるのはなみなみではないが、しかし萬、気遣いのみが多い」

気遣いとは、城内の政情が複雑で心労が多いという幸村なりの愚痴であった。城内では淀殿の女官グループが権力をにぎり、戦術までくちばしを出したことがあり、さらには大野修理が滅亡の危機のなかで自分の権勢を守ろうとしてさまざまな小細工をしている。そのなかでの気遣いはよろず大変であろう。その気遣いのなかで、

「一日一日とくらし候」

愚案愚策を押しつけられる城内にあって、幸村の日常はひどくつらいものであった。これについては、

「面上ならでは(会った上でなければ)委しく申すことはできないことばかりで、書面では申せない。いずれにせよ、なつかしい思いがやまやまである。さだめなき浮世であるから、もともと一日さきなど人間知ることができないものだが、自分についてはとくに願わしく思うのは、もう浮世にない男だと思ってほしいことである。恐々謹言」

※ちなみに、後藤又兵衛の場合は、1月14日付の書状に「今日と明日が変わる浮き世は面白いものです」と書いている。

 

 

◾夏の陣直前の真田幸村の心境

※『城塞』では、夏の陣が始まる直前に、武田家旧臣で当時、越前松平藩士だった原家の系統の老人(原貞胤)が、大坂城の幸村の元を訪ねてきている。幸村は懐かしがり、夜が更けるまで語り合っている。

「私は冬ノ陣のときに討死を覚悟していたが、あのように和睦になったから生きながらえた。幸村はべつに死にいそぐつもりで大坂に入城したのではないが、男子とうまれて右大臣家から一手の大将をおおせつけられ、自在に自分の能力をふるえることは、不肖の身にすぎた幸運で、本懐だと思っている。つぎに一戦あるときは、自分はかならず討死するであろう」

それでもすこしの悔いもないと幸村はいうのである。

 

※いかに鮮やかに采配をふるい、いかに潔く戦い、いかに美しく死んで己の名をすがすがしくするか、それが戦国の世を生き抜いてきた男達の誉れなのだった。そして、その情景をのちのちの語り草にしてもらいたい、ということであった。

 

 

 

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『城塞』中巻再読・家康の悪謀

『城塞』再読(11)

🐱司馬遼太郎『城塞』中巻を再読しております。今回は、講和会談の経過から講和後の状況まで、家康の悪謀をざっくりと振り返ります。

 


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◾12月17日、家康、後水尾天皇の仲介を拝辞。

家康からしてみれば、今さら朝廷に出しゃばって欲しく無いのだろう。朝廷・公家は大方豊臣びいきだった。

 

※この日、徳川方は、領地加増を認める代わりに大坂退去を求めたという。秀頼が頑なに拒否したため、有楽が淀殿に「淀殿母子が自害して兵の助命をするか、和睦をして機会を待つかの二者択一しかない」と迫り、ともに秀頼を説得したという話もある。

 

 

◾同日夜半、塙団右衛門、徳川方蜂須賀麾下の中村右近陣所へ夜襲をかける。

この時、「夜討の大将塙団右衛門直之」と書いた木札を諸方にばらまかせて引き揚げている。

 

 

◾12月18日、常高院阿茶局による講和会談始まる。

常高院は、浅井三姉妹の真ん中の初のこと。淀殿の妹で徳川秀忠夫人お江の姉。京極高次に嫁したが、高次に慶長14年(1609)に先立たれ、剃髪して常高院と称した。その立居振舞の艶めきは当時評判だったという。彼女は秀吉から二千四十石の領地を貰っていたので、平素は京で気ままに暮らし、ときどき大坂にくだって姉の淀殿の話し相手になっていた。『城塞』では、冬の陣が始まった時、たまたま大坂城内にいたので、そのままとどまっている。当時四十歳代前半だった。息子の忠高は徳川方についている。司馬は、交渉会場を忠高の陣屋(今里の真宗寺)としている。常高院は夏の陣でも落城前日まで姉淀殿に講和を説得している。

 


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常高院VS阿茶局

 

 

◾12月19日、講和妥結。

講和の内容は、

  • 籠城牢人は従来どうりいてもよい。
  • 知行の宛行は前々とおりにする。
  • 淀殿は江戸へゆく必要はない。
  • 秀頼が大坂を立ち退くというなら、どこへ替わろうと望み次第

という豊臣方にとっては望外に甘い条件だった。ただし、これには付帯条件があって、

  • 臨時につくられた惣構と三の丸、二の丸を破却すること。
  • 織田有楽斎大野治長が人質を出すこと

というものだった。『城塞』では、本多正純が言葉巧みに答礼として要求し、人の良い常高院は安請け合いしている。ここで、惣構・三の丸の取り壊しは徳川方が、二の丸の壊平工事は大坂方で実施するということになっていた。

 

 

(12月20日、講和成立)

 

 

◾12月21日、大坂方の使者、茶臼山に赴き、和睦遵守の誓書を交換する。

大坂方の使者は、正使木村重成と副使郡主馬良列(秀頼の近習頭)。ここで、重成が大胆不敵にも、家康の血判が薄いとクレームをつけ、再度の血判を要請するという逸話が生まれ、木村重成の名を天下に高らしめた。

※『大坂冬陣記』では、家康から血判書を貰い受けたのは、常高院、二位局、相庭局の三人で、12月20日と記されていて、翌日、木村重成らは、将軍秀忠から血判誓書を貰ったという。つまり、上の逸話は無かったことになる。

 

(同日、家康、松平忠明らに普請奉行を命じる)

 

 

◾12月22日、家康の使者大坂城に至り誓書を交換する。

使者は、正使板倉重昌と副使阿部正次。板倉重昌京都所司代板倉勝重の次男。『城塞』ではこの日、家康は、

「間を置いてはならぬ。即刻、支度にかかれ、十万人の黒鍬(土方)をあつめよ、仕事はあすの早朝からどっとはじめるのだ」

と、本多正純に命じている。

 

 

◾12月23日、大坂城壊平工事が始まる。

この日、早朝から徳川方により始まった惣構・三の丸の破却は凄まじい勢いで進んだ。櫓、城門を始め、三の丸にあった武家屋敷や町屋までも破壊し、ことごとく濠に投げ込んでいくという乱暴な作業である。この作業は夜を徹して行われて、翌朝には、三の丸一帯は野っ原のようになった。

▶家康は、「二の丸の濠までうずめてしまえ」と命じ、徳川方は、そのままの勢いで二の丸の濠をうずめていく。

▶『城塞』では、大野修理の抗議に対して、徳川方は「ソウ濠のソウとは総ではないのか」と屁理屈をこねている他、大坂方をとことん愚弄するやり方をしている。司馬は、権力(強者)の持つ傲慢さ、さらに、権力のかさにかかった下っ端の傲慢さを、これでもかと云うくらいに描いている。

 

※もともと講和を信用していなかった幸村は、

「もはや大坂城は無いも同然。古来、こんなばかばかしいやり方で陥された城はなかった」

と、ぼう然とする。

※幸村と又兵衛は、家康の本営を強襲することを進言するが、その日、家康と面会しておだてられて勘違いして天狗になった大野修理は急に態度が大きくなって、これを却下する。実は、この大野修理おだて作戦も家康の悪謀なのであった。

 

 

◾12月25日夜、家康、大坂を発ち、京の二条城に引き上げる。

『城塞』では、夜襲を警戒して、予定を急に変更している。

※さらに、徳川方が大坂方を愚弄するエピソードが続くが省略する。

 

 

◾1月3日、家康、駿府へ帰る。

※引き続き、秀忠も大坂で諸隊を解散し、みずから旗本を率いて、大坂を去る。

 

 

🔘和睦成立後の淀殿

彼女(淀殿)は和睦の成立後──というよりこの大城塞が濠と塀をうしなって裸城になりはててからは──声にも張りをうしない、肩の肉が薄くなったようで、諸事気弱になっているような印象があった。

 

 

🔘家康の詭弁

「自分は秀頼を害する気持はいっさいない。城の総濠をうずめたのは、むしろ秀頼の安全を思うがためである。堀があればこそ城は手ごわい。城が手ごわければ、野心ある者が秀頼に謀叛をすすめる。堀さえうずめておけばそういう者もあらわれず、豊臣家は安泰である」

「自分は秀頼に保護を加えてきた。自分としてはあくまでも義をもって臨もうとするがためである。でありながら、秀頼は悪心をいだき、このたび反乱をくわだてた」

「わしはそれでも秀頼をたすけるのだ。このたびの和議が、その証拠である」

「しかしながら」

「秀頼がもし今後わしの恩を忘れ、悪謀を抱くとすれば、[略]、悪果たちどころに至って滅ぶにちがいない」

 

😾よく言うよな。家康に限らず、権力者(強者)の論理と云うものは常にこのようなものである。『城塞』は、これでもかと云うくらいに巨悪の典型を描いている。🐥

 

 

 

城塞 (中巻) (新潮文庫)

城塞 (中巻) (新潮文庫)

 

 

 

 

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😸もしも真田幸村がボブだったら

ミサスキー「幸村さん、是非大坂城に入城をして下さい」

幸村「••••••」

ミサスキー「軍資金も、たっぷり準備しましたから」

幸村「行けたら行くわ」

ミサスキー「幸村さん、冬の陣が始まってしまいますよお💦」

幸村「ゴメーン、先約があったわ。夏の陣までには行くから」

きりに代わりに行ってもらおっかなあ)

 

 

 

 

 

 

『城塞』中巻再読・家康大筒作戦

『城塞』再読(10)

🐱司馬遼太郎『城塞』中巻を再読しております。今回は、家康による神経戦と和平交渉をざっくりと振り返っておきます。

 


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🐱大坂冬の陣のこの年は、近年にない厳冬が続き、野陣を張る関東方将士の困苦は筆舌に尽くしがたいものがあったようだ。兵糧も不足し、一部では士気の低下が見られる程であった。

 

🐱一方、大坂方は武器弾薬も兵糧も限りがあったし、豊臣恩顧の大名が誰も味方につかないという見込み違いがあった。大坂籠城軍の内訳は、騎馬(将校クラス)一万二、三千・歩兵(下士官クラス)六、七万・雑兵五万だったという。この他に御本丸女中衆が一万人いたそうだ。

 

 

🐱家康は、10月下旬には早くも大坂方に和睦を打診していたようだ。11月20日には、本多正純に命じて和睦の書状を送らせている。

🐱大坂方の講和交渉役は、家康に内通していたと云われる織田有楽斎であった。弱気になった大野修理も講和に傾いている。淀殿も条件さえ良ければ講和したいと有楽と修理を急かしているのだが、秀頼は頑なにこれを拒否する。

 「和議は、いっさいまかりならぬ」

大坂城を墳墓にして戦う」

この若者が母親に対して抗ったのは、おそらくこれがはじめてであったにちがいなかった。

 

🐱『城塞』における秀頼は、温室育ちで世間知らずではあるが阿呆ではない。後藤又兵衛真田幸村などの牢人衆に刺激され本来の資質が開花したようで日に日に成長している。特に、後藤又兵衛に懐いていて、乳兄弟である木村重成とともに信頼している。淀殿はそれが気に入らない。

 
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◾12月3日

 織田有楽斎、秀頼の和睦拒否を家康に伝える。

 

◾12月4日

真田丸の攻防戦。徳川方は大損害を被る。

 

※ここから、家康は本格的に和平工作に乗り出すとともに、あの手この手で大坂方、特に、淀殿心理的に追い込む作戦を展開する。用意周到なところをみると、最初からそのつもりだったものと思われる。

 

※家康にしてみれば、戦を長引かせたくはないが、短期決戦で損害が大きいのも困る。さらに、大名に手柄をたてられると加増しなければならないから、それも困るということなのだろう。謀略によって、まず大坂城の防御力を無くしてしまうのが最善だったのだ。後は何とでもなるということだろう。

 

 

◾家康による心理作戦

  • 寄せ手の陣所から大坂城天守真下まで地下トンネルを掘り、そこへ火薬をつめて爆発させようという坑道作戦。そのために諸鉱山から金堀人夫数百人を呼び寄せ、天王寺口の藤堂高虎の攻め口から掘り始めている。現実的ではないが心理効果を狙ったもの。
  • 連日、夜中に一刻ほど鉄砲を連射して威圧。女中衆や淀殿に恐怖心を与える作戦。
  • 投降を促す矢文を城内に放って城兵たちの動揺を誘う作戦。
  • 幸村ら牢人衆が内通し秀頼を誘拐して城を抜け出すという偽手紙を作製 、淀殿と秀頼にだけ見させる工夫をめぐらす(有楽斎を使うしかないと思うが)偽手紙作戦。秀頼が偽手紙であることを見破る。秀頼は書道に明るかったのだ。
  • 幸村に対する調略作戦(詳しくは➡炬燵して語れ真田が冬の陣 蕪村 ~真田丸の攻防 - 森の踏切番日記Z

 

 

◾家康がだした講和条件

  • 淀殿を人質として、江戸へ送ること。
  • 大坂城の濠を埋め、無防備の裸城にすること。
  • 新規召しかかえの牢人を全部追放すること。
  • または、秀頼を大坂城から出して、どこかへ国替えすること。

 

※『城塞』では、大坂方は南海道のどこかならと妥協するが、豊臣恩顧の藩が多い西国は家康が難色を示し、「安房と上総の二国以外はいかん」と拒否している。

 


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※この間にも小競り合いは続いているが、和議の噂が城内を駆け巡ると士気が下がりはじめる。その中で真田丸だけは、いささかの緩みも見せていない。

「必ず変事がおこる。変事は待つだけではどうにもならぬ。作るのだ。作るためには戦っておらねばならぬ」

 


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◾家康、大筒を準備させる。

鉄砲組の中から大筒(大砲)の名手を三十人選び、城南に一隊、城北の備前島に一隊進出させ、遠く天守閣を狙って撃ち込ませるべく準備させる。

 

※家康は、国友の鉄道鍛冶を69人引き連れており、五十匁玉の大筒を準備している。射程1500m以上といわれている。他にも、さらに大きい一貫目玉の大筒、英国・蘭国から購入した巨砲も用意している。

──女どもを戦慄せしめよ。

 

 
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◾12月16日、家康、大坂城に向け、大筒による集中砲火を行わせる。

家康の狙いは淀殿への威嚇であり、片桐且元の指図で、天守閣に最も近い備前島(京橋口)より射撃目標である淀殿の居所を狙って撃ち込ませた。砲弾の一発が淀殿の居間に命中、侍女数名が死傷する。

淀殿は悲鳴をあげ、侍女たちが泣きながら走りさわいだ。

淀殿は激しく狼狽し、有楽と修理に和議を命じるが、秀頼は、

「講和は、無用である」

と、顔色も変えずにいった。

後藤又兵衛が和議の噂を聞きつけ、秀頼に和議に応ずベからざることを説いておいたのである。秀頼は又兵衛を深く信じていた。

▶ここで、有楽が秀頼に「牢人どもはめしのたねがなくなることを怖れて和議に反対している」と注進する。大野修理嫌いの又兵衛は修理が言ったと勘違いしている。何も聞かされていない木村重成は、それを知って憤慨する。

▶又兵衛は和議に反対できなくなってしまったと重成に伝える。

「和議は家康の調略なのだ。場馴れた者なら、駿府翁の肚の中が見えて透けているが、しかしかといってそれに反対すればわれわれは野良犬としてあつかわれる。ついにはめしのたねのために豊臣家をほろぼす者とまで言われる」

▶又兵衛は、このことについて幸村とも話しあっている。幸村はずいぶん思案したあげく、いっそ和議に賛成しよう、と言い出す。今の城内は雑然とし、正邪入り交じってとても戦える態勢ではない。いっそのこと和議に応じて、城内の「邪」を一掃した方が戦いやすいのではないか、というのが幸村の真意である。

▶有楽からしつこく和議を迫られ続けている秀頼は、殿中で評定を開くことにする。又兵衛は牢人諸将を代表して和議に従うことを伝える。ただし、和議のあと、すぐさま幸村を総大将にせよ、と主張する。

 

🐱こうして、家康の思惑通りに講和会談が始まったのは、12月18日のことであった。

 

 


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備前島から天守閣に向けて砲弾を撃ち込む。

 


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真田丸』第45回「完封」の感想

😽全体的にテレビドラマらしい分かりやすい展開でエンタテインメントとしては面白かったが、見せ場を作るためとはいえ、真田丸に敵を侵入させては駄目だろう。大河ドラマの予算では、あれが限界だろうが、やや、あっけなかった印象。出来れば細かい前振りは抜きにして、じっくりと攻防戦をやって欲しかった。

😽家康もテレビドラマらしい分かりやすい悪役を演じている。あのワルい表情は好きだけど。家康にとって、真田丸への攻撃はイレギュラーだったのだから「他の手」では無いと思うのだが。

😽今福・鴫野の戦いは、又兵衛と重成の活躍の場面なのだが、コントにしてしまったな。あれはかすり傷だし、味方を鼓舞する場面なのにな。戦果もあったのにな。

😽大蔵卿局のウザい演技と稲姫の鬼嫁の演技は楽しめるなあ。茶々の演技は相変わらずエキセントリック。女優陣にもそれぞれ出番を作らないといけないから面倒だな。

😽火縄銃であの距離から、かんぬきを射抜くだけの精度と威力があるかどうか実験してほしい。

😽最近、『城塞』を読んでいても又兵衛が哀川翔になってしまうのだが、どうしたものか。🐥