森の踏切番日記

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夏目金之助、狂せり!?

漱石鏡子夫妻まとめ(4)

?土曜ドラマ夏目漱石の妻」に合わせて、漱石鏡子夫妻についてまとめております。今回も前回に引き続きロンドン時代の夏目金之助の鏡子にあてた手紙を中心に紹介します。

 

 

81 The Chase, Clapham Common,

London, S.W.

明治34年(1901)7月20日、金之助は最後の下宿先、81 ザ・チェイス のミス・リール方に引っ越す。書籍類を入れた箱が門に入らなくて大騒ぎだったと日記に書いている。

池田菊苗の影響を受けた金之助は「組織立った」文学論の著述を思い立ち、この下宿で「文学論」の執筆に専念する。日記の記述もメモ程度になり、11月13日の記述までしか残っていないようだ。人にもあまり会わず、根を詰めて執筆に励んだようだ。そりゃ神経衰弱にもなるよね。

 

明治35年(1902)2月2日付の鏡子宛の手紙では、鏡子がなかなか返事を書かないことを「それやこれやにて音信を忘れたり云々」と言い訳してきた事に対してブチ切れている。

よく考えよく思うて口をきくべし。また事をなすべし。以来ちと気をつけるがよろしい。

遠距離夫婦喧嘩。ダンナの小言にいちいち言い返すヨメっているよね。余計にダンナがブチキレたりしてね。手紙でもやってる。メールで喧嘩するカップルみたいなものだな。鏡子は、少々のことではびくともしやしない女なのだ。

 

鏡子が2月14日に出した手紙が3月18日に金之助の元に着いたようだ。上の手紙とは入れ違いになっている。遠距離すれ違い夫婦。

この手紙には家族の写真が同封されており、金之助の3月18日付の手紙(すぐ返事を書いている)に皆の顔が変わったことに驚いたと書いている。この頃には、夏目の様子がおかしいという噂が日本にも伝わり、鏡子の耳にも入ったようで、

世間の奴が何かいうなら言わせて置くがよろしい。

近頃は著述をしようと思って大に奮発している。倫敦では日本人が大分いるが少しも交際しない。

たった一人で気楽でよろしい。

と書いている。孤独感を深めているように思われる。他には、相変わらず小言とか、熊本には帰りたくないとか、書いている。

 

4月17日付の鏡子あての手紙より。

ただ面白からぬ中に時々面白き事ある世界と思いおらるべし。面白き中に面白からぬ事のある浮世と思うが故にくるしきなり。生涯に愉快な事は沙(すな)の中にまじる金の如く僅かしかなきなり。

当地には桜というものなく春になっても物足らぬ心地に候。

日本に帰りて第一の楽しみは蕎麦を食い日本米を食い日本服をきて日のあたる縁側に寝ころんで庭でも見る、これが願に候。それから野原へ出て蝶々やげんげんを見るのが楽しみに候。

かなり弱ってないか? 大丈夫か?

吾輩は金之助の鏡子にあてた手紙ではこの部分が一番好きである。

 

5月14日付の鏡子にあてた手紙では再び、鏡子の寝坊癖に対してキレている。

手紙の趣によれば夜は十二時過朝は九時十時頃までも寐るよし。夜はともかく朝は少々早く起きるように注意ありたし。

以下、長々と説教を垂れている。鏡子もわざわざ寝坊のことなんか書かなければよいのにと思うのだが、それが鏡子という人なのであろう。鏡子は、少々のことではびくともしやしない女なのだ。

 

 

夏目狂せり!?

同年9月、夏目発狂の噂が文部省に報ぜられる。

半藤一利によると、再三文部省から催促してきた研究報告書を金之助が白紙で提出したことで、「あいつ、頭おかしくなってね?」ということになったらしい。

一方その頃、下宿の婆さん(ミス・リール)から、気分転換に自転車に乗ることを「命ぜ」られた金之助は自転車の稽古に明け暮れるのであった。「自転車日記」より。

大落五度小落はその数を知らず、或時は石垣にぶつかって向脛を擦りむき、或る時は立木に突き当って生爪を剥がす、その苦戦云うばかりなし、しかしてついに物にならざるなり

当時の自転車は乗りにくいこともあって悪戦苦闘している。気分転換になったのか?

10月、文部省は藤代禎輔に「夏目精神に異常あり、保護して帰朝せらるべし」という旨の電報を打った。その頃、金之助はスコットランド地方を旅行している。友人への手紙から、その一部を。

目下病気をかこつけに致し、過去のことなどいっさい忘れ、気楽にのんきに致しており候。

12月5日、金之助、日本郵船博多丸でロンドンを出発。

出発直前、正岡子規の訃報(9月19日没)を知る。12月1日付の高浜虚子に宛てた手紙に記された句が次の五句である。

筒袖や秋の棺にしたがはず

手向くべき線香もなくて暮の秋

霧黄なる市に動くや影法師

きりぎりすの昔を忍び帰るべし

招かざる薄に帰り来る人ぞ

明治36年(1903)1月24日、金之助、東京着。漱石はすっかり英国嫌いになったようである。

「尤も不愉快の二年なり」

 

こうして帰朝した金之助は、とりあえず家族の住む中根家の離れに落ち着くことにしたのだが、まず、家族の窮迫した生活を見て驚いた。あばら屋の畳は破れ、身なりはみすぼらしいものであった。長女・筆子も、初対面の次女・恒子もおびえて金之助に近づこうともしなかった。長女・筆子の手記から引用しよう。

私が物心ついて初めて父に逢ったのはこの時です。

この留守中、二年余の空白は私達一家にとって[略]かなり重大なものであった事を、幼い私等に解ろう筈もありませんでした。大方、母にも解っていなかったでしょうし、恐らく父にも自覚されていなかったのではないでしょうか。

つまりある意味で、父は前とは別人になっていたのです。

この後、筆子が見た神経衰弱な父・金之助の姿が描かれているのだが、長くなるので、今日は、ここまでにしよう。

 

 


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鏡子宛(明治35年4月13日付)

 

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子規宛ハガキ(明治33年12月26日)

 

 


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81 ザ・チェイス


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クラパム・コモン

 

 

 

?次回は、漱石黒歴史」と「吾輩は猫である」誕生秘話。DV漱石のエピソードはあまりシャレにならないしなあ。ドラマではどこまで再現するのだろうか。まだ赤ん坊だった恒子を庭に投げ捨てたりするものなあ。?

 

 

 

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