森の踏切番日記

ただのグダグダな日記です/2018年4月からはマイクラ日記をつけています/スマホでのんびりしたサバイバル生活をしています/面倒くさいことは基本しません

「夏目漱石の妻」最終回の感想

土曜ドラマ夏目漱石の妻]視聴

最終回「たたかう夫婦」

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😾第3回までは、まあ楽しめたが最終回はひどかったな。がっかりした。感想を書く気にもならないが、ドラマを見て思ったことを取り敢えず記録しておく。

 

😾まず「文鳥」のエピソードだが、あの美しい小品をよくもあれだけつまらなくしてくれたものだ。台無しである。脚本家はアホではないだろうか。

 

😾オノマチが嫉妬する所を描きたかったようだが、陳腐としか言いようがない。脚本が陳腐だと役者の演技も陳腐にしか見えない。

 

😾壇蜜の大塚楠緒子は、意外に似合っていたので笑ったが、それだけかいという感じだった。現実の鏡子夫人はその程度の事で嫉妬するような器量の小さい人ではなかったように思う。漱石の女性関係に関して心配した形跡は見当たらない。

 

😾『坑夫』の執筆にあたって、鏡子夫人が助言したり荒井伴男が助言したような事実は無い。鏡子夫人は夫の仕事に口出しするような差し出がましいことをするような人では無かった。また、漱石が素人に助言される訳が無く『坑夫』の描写のリアリティは作者の力量によるものに他ならない。荒井は素材の提供者に過ぎない。ドラマはドラマであるにしても事実をねじ曲げてまで何を表現したかったのか理解出来ない。悪意があるとしか思われない。そうでなければ、この脚本家はただの莫迦である。

 

😾足尾銅山事件や大逆事件など当時の世相を織り込みたかったようだが、いかにも表層的である。荒井は単に自己弁護したかっただけで、何を言っても、こちらには伝わってこない。ただの愚人のたわ言に過ぎない。無能な脚本家ほど、こういう事をやりたがるものである。

 

😾荒井の場面でハセヒロが言った、荒井が新聞社に讒言したという部分は事実。他はほとんどドラマの創作と思われる。嘘をつく時は事実を混ぜ込むのは基本ではあるが。

 

😾明治時代の夫婦が愛してるだの愛してないだのと云った夫婦喧嘩をするというのはリアリティがあるとは思わない。そういう意味では、このドラマは現代ドラマと云える。しかも、陳腐な現代ドラマである。今更こんなのを見せられても退屈なだけである。

 

😾全体的に漱石を矮小化しようとする悪意があるとしか思えない場面が多かった。そもそも人物の一面だけを捉えて全人格を理解出来るわけも無く、しかも、漱石のような複雑な人格をこの程度のドラマで表現出来るわけも無いのだが、脚本家の頭の程度は相当安っぽいものと思われる。

 

😾漱石鏡子夫妻について描くなら修善寺の大患が重要であるのに簡単にまとめやがった。修善寺の大患について書かれた「思い出す事など」は漱石の鏡子夫人にあてたラブレターだという人もいるのに。漱石と子供の関係も一面しか捉えていないし、本当に悪意があるとしか思われない。

 

😾このドラマが果たして漱石鏡子夫妻を描いていたかとなると疑問を感じざるを得ない。最終回は、陳腐なホームドラマを見せられたに過ぎない。全くつまらん話である。

 

😾最後は風景で誤魔化しやがった。前回は、「ベタなくらい分かりやすい」演出と表現を抑えて書いたが、はっきり書くと陳腐な演出である。脚本が陳腐なら演出も陳腐。これではどうにもならない。

 

😾NHKのドラマはだいたいそうだが細部まで忠実に再現されたセットは素晴らしかった。

 

😾他にも色々あるけれども、これくらいにしておこう。辛辣な表現で御目を汚さしめたことをお詫び申し上げます。

 

 

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鏡子(明治44年)

 


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左が夏目夫妻(大正三年秋)

 

 

 

🐱漱石は明治40年11月から謡曲を習い始めるのだが正直下手くそで、ドラマのシーンは門下生が笑いをこらえる図のつもりのようだ。(あるいは我慢して聴いている?)

 

🐱修善寺の場面について補足すると、門下生の松根東洋城は、母方の祖父が宇和島藩伊達宗城で当時式部官、北白川宮に随って修善寺に滞在していて漱石修善寺に誘っていた。北白川宮漱石との面会を希望したが、漱石は声が出ないことを理由に断っている。なので、あの場面のハセヒロは声が出ない演技をしていた。

 

🐱漱石の容態が安定して安心した鏡子は家に置いてきた子供が心配になり帰ろうとしたのだが、漱石が帰らないでくれと懇願し、結局鏡子は漱石と共に帰京している。(そういう所を描けよ!)

 

🐱現実の山田房子は、小宮豊隆との縁談が不成立になったあと、明治44年頃夏目夫妻が親代わりとなって名古屋に嫁入りした。

 

🐱秦郁彦の『漱石文学のモデルたち』によると『坊っちゃん』の「清」は鏡子夫人ではないかという「珍説」はあり目新しくはない。多分、半藤一利の説だと思う(『漱石先生ぞな、もし』)。「母性的なもの一般への憧憬だろう」とする説が最も納得出来る。

 

 

 

🙀最初は気楽にこの企画を始めたのだけれど、最後はちょっとマジになってしまった。

あーあ。🐥