森の踏切番日記

人生LARKしたい

河東碧梧桐の子規愛

10月の読書録02ーーーーーーー

 子規を語る

 河東碧梧桐岩波文庫

 1610-02★★★★

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🐱河東碧梧桐は明治6年(1873)2月26日、松山生まれ。兄が正岡子規と友人だったこともあり、幼少時より子規を見知っている。明治22年夏、帰省した子規から野球を教わってから本格的な付き合いが始まったようである。碧梧桐が本格的に俳句を始めるのは翌年の事である。以後、碧梧桐は子規から多大な影響を受けている。(子規は碧梧桐の6歳年上)

 

🐱本書は、そんな碧梧桐が、世に出るまでの子規(明治28年まで)を描いた回想録である。碧梧桐の文体は硬質で表現も昔風で読むのが大変だった。高浜虚子の文体は割に平易で読みやすいのだが、こういう点にも二人の個性の違いが感じられて興味深かった。また、子規の書簡が多数収録されているのだが候文で読むのが大変だった。 その為、読むのに時間がかかったが、おかげで、候文に慣れることが出来た。

 

🐱子規の書簡からは、文学に対する熱い想いが伝わってきて、司馬遼太郎が云った「坂の上の雲」の意味が、初めてよく理解できた。子規と碧梧桐や虚子を始めとする子規の周辺にいた人々の青春時代が生き生きと伝わってきた。初期の彼らの俳句は結構下手くそだったりして、何となく安心した。また、子規の碧梧桐に対する心のこもった叱咤激励に子規の人柄を見る思いがした。子規にしても漱石にしても門下生に対して本当に心のこもった手紙を書いている。二人が多くの門下生から慕われたことが理解出来る。

 

🐱子規について、これまで疑問に感じていたことに子規の異性観があったのだが、碧梧桐の見方によると、「女性の問題には常により冷かに見下す」傾向があったようだ。

子規が異性を劣等視するから、子規に対異性の経験が稀れであったか、それとも異性に対する経験が稀れであったから、自然冷酷に見くびったのか

 

🐱藤野古白の自殺の真相についても詳しく書かれていて納得した。付録として子規の母と妹律の談話も掲載されているのも貴重である。本書は、伊集院静の『ノボさん』を読んだことのある人には興味深い内容だと思う。

 

🐱子規の妹律の談話で最も印象に残ったのは、

そう言えば、兄の黒紋付の羽織は、私が松山にいる時分、自分の何かにするつもりで、自分で蚕を飼い、それをまた自分で糸をとり、宅にあった機(はた)[略]にかけて手織にしたものでした。

という箇所である。昔の人は凄いなあ。

 

 

 

子規を語る (岩波文庫)

子規を語る (岩波文庫)

 

 

 

 

📄関連日記

虚子と子規・漱石 - 森の踏切番日記Z

※読書録:『回想  子規・漱石高浜虚子

 

🐱高浜虚子は明治7年(1874)2月22日、松山生まれ。中学時代に碧梧桐と同級生になる。明治24年に碧梧桐の紹介で子規と文通を始めていて、この年から俳句を始めている。子規は「虚子は熱きこと火の如し、碧梧桐は冷やかなること氷の如し」と評している。

 

🐱碧梧桐と虚子は後に作風の違いから袂を分かつことになるのだが、虚子は、碧梧桐が入院中に元々碧梧桐の婚約者だった大畠いと(糸子)と親密になってしまい明治30年に結婚している。キース・リチャーズブライアン・ジョーンズエリック・クラプトンジョージ・ハリスンのような話だ。クラプトンとハリスンの友情は続いたが、キースとブライアンの関係は壊れてしまい結果的にブライアンは死んでしまった。碧梧桐と虚子の場合は、どうだったのだろうか。碧梧桐は淡々と虚子の事も書いていたが。🐥

 


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河東碧梧桐(左)と高浜虚子(右)

 

 

 

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😺1602-02★★★★