森の踏切番日記

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司馬遼太郎『城塞』上巻再読

『城塞』再読(1)

🐱NHK大河ドラマ真田丸』も真田幸村大坂城に入城したようで、いよいよ大坂の陣が始まる。『真田丸』の内容はだいたい想像がつくので今まで視聴しなかったのだが、大坂の陣をどのように描くのかは興味がある。

🐱絶賛愛読中の新聞小説『家康』(安部龍太郎作)は、本日の朝刊が第269回。三方ヶ原の戦いの最中である。家康はまだ脱糞していない。

🐱そんなこんなで、今月から司馬遼太郎の『城塞』(単行本)を久しぶりに再読していて現在上巻を読了し中巻を読んでいるのだが、こちらも丁度、幸村が大坂城に入城したところである。

 


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🐱『城塞』上巻は、慶長八年(1603)七月二十八日の千姫と秀頼の婚礼あたりから始まり、慶長十六年(1611)三月の二条城の会見を経て、慶長十九年(1614)に「方広寺鐘銘事件」が起こり、片桐且元大坂城退去までを描いている。

🐱今回は、『城塞』上巻から気になった箇所をメモしておこうと思う。

 

 

徳川家康

徳川家康というこの複雑な人格は、その前半生においてはまるで善人であることが商売であるような、とほうもない善人でありつづけた。

秀吉の死後の家康は、豊臣家に対してはまったく別人である。

ながい歳月をかけてみがきぬいた善人稼業を一夜でやめてしまった。

※司馬は家康を「一個の政治的妖怪」であったとしている。

家康にとって人情も酷薄さもすべて政治であったが、かといって不自然でなく、かれ自身が作為しているわけでもない。

家康はかれら(信長・秀吉)のように天才でなかっただけに自分を一個の機関に育てあげ、まるで政治で作られた人間のようになってしまっていた。

※司馬は家康が豊臣家を滅ぼす決意を固めたのは秀忠の凡庸さにあると見ているようだ。

家康は自分の老いにあせっている。子孫のために太閤の子孫を根絶やしにしておくということを当然ながら考えている。

 

◾小幡勘兵衛(景憲)

元亀三年(1572)、甲斐武田氏の家臣の家に生まれる。武田氏滅亡後は徳川氏に仕える。

文禄四年(1595)徳川秀忠のもとを出奔、諸国を流浪。

慶長五年(1600)関ヶ原の戦いでは徳川氏家臣の井伊直政に属して戦功を挙げる。

大坂の陣では豊臣氏に与するが徳川方に内通、大坂の陣後は1500石を拝領している。

甲州軍学の創始者として知られる。

文三年(1663)没。

※『城塞』では、主要登場人物の一人で徳川方の諜者として描かれている。司馬は勘兵衛を芸術家肌の軍学ヲタクと見ているようである。

 

大坂城

※勘兵衛は、「大坂城の権威そのものがまぼろしではあるまいか」と思っている。秀吉の妾にすぎない淀殿に最高指揮権があるのもおかしいし、家老の片桐且元の存在も虚偽くさい、ということである。

 

本多正信

本多正信というのはふしぎな男で、体じゅうのどこを押しても悪知恵が出てくる」

※正信はこの時期、将軍秀忠に付いていて、息子の正純が家康の謀臣をつとめている。家康の元には、金地院崇伝・林道春(羅山)・天海の三人の坊主頭がいて悪謀をめぐらせている。

 

淀殿

──いくさがこわい

というのは、淀殿のどうにもならない感情であった。淀殿は少女のころから城主の家族として二度も落城を経験した。それは地獄というようななまやさしいものではない。

少女のころからこの齢になるまで、淀殿が夢でうなされるのは、いつも城が落ちる夢であった。 

彼女にあっては、あらゆる事象はすべて自分のなかに固定してしまっている恐怖を通してしか見ることができない。秀頼のためのみを考えすぎ、それにとらわれ、それを通してしか事象を見たり判断したり物事を決めたりすることができない。

 

片桐且元

且元は弱者の側の外交官であった。そのデリカシーはとても崇伝や道春には汲みとれなかったであろう。

強弱でいえば、本来、外交などということも、これは強者のためにあるもので、弱者の外交というものは本来成立しがたいものなのかもしれない。

 ※大坂城を退去するにあたって、

この男は豊臣家にあるとき、「御家のため」という忠誠心やら擬態やら、芝居めいた思い入れやら泣きごとめいた弁明やらをしてきたが、要するに家康の諜者であったことを、この段階においてみずから知った。

 

 

城塞 (上巻) (新潮文庫)

城塞 (上巻) (新潮文庫)

 

 

 

 

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大河ドラマ真田丸』視聴

 第41回「入城」(再)

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🐱そんなわけで、『真田丸』第41回「入城」の再放送を視聴してみた。九度山退去の場面は色々説があるようなので、ああいう描き方もありだろうと思った。

 

🐱『城塞』では、真田信繁一行は妻子を含めて50人くらいだった。伝承では、信繁は剃髪していて山伏の恰好をして伝心月叟と名乗り飄然と入城したとされる。老人に扮装するというのは三谷幸喜らしい趣向だと思った。現存する信繁の書状からヒントを得たのかも知れない。


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🐱通説では、入城した信繁は、大野治長(あるいは弟の道犬)と対面したとされる。『城塞』では威儀を正して堂々と入城している。その方が大坂城にとっては宣伝効果があるからである。『真田丸』の方が浅知恵な感じがしないでもない。

 

🐱信繁自身が幸村と名乗った事実はないと思うが、幸村と名乗ることで今後フィクション性が強まることを示唆しているのかも知れないと思った。🐥

 


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