森の踏切番日記

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『城塞』下巻再読・大坂城炎上

『城塞』再読(17)

司馬遼太郎『城塞』の再読もようやく最終回になりました。


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岡山口の戦い

◾岡山口の総帥は、大野主馬であった。兵力は二万余。対する将軍秀忠率いる東軍の兵力は六万、先鋒の加賀前田軍だけでも一万五千の兵力であった。

▶主馬は、旧真田丸の南方に本営を置いた。東軍における主馬の評価は低く、東軍はなめてかかったが、大野主馬軍の守りは固く、上手く戦った。

▶乱戦となる内に東軍の形勢は次第に悪化し始めた。主馬は軽兵を率いて秀忠の本営に斬り込んだ。本営は大混乱に陥ったが、主馬は秀忠を討ち取ることは出来なかった。

▶善戦した大野主馬軍ではあったが、いかんせん多勢に無勢、東軍は立ち直った。主馬軍は悪戦苦闘して四回にわたって敵を押し戻したが、残存兵力がわずかになり、午後三時頃、城に向かって退却した。

 


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大坂夏の陣図屏風右隻(大阪城天守閣蔵)
 


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大坂夏の陣図屏風左隻


 

大坂城炎上

◾前線にいた大野修理は血まみれになって荷車で城内に運び込まれた。修理は失神していた。これは、主馬の家来に襲われたときの傷口が破れたもので戦傷ではなかった。

▶秀頼は淀殿、千姫と共に本丸の千畳敷にいた。真田大助もその場に控えていた。城外の敗報を聞くと秀頼は、「出陣する」と、言ったが、速水守久は、「すでに遅うございます」と、諫めた。

秀頼は生涯そうであったが、自分の思案で自分の行動を決定したことがなかった。

秀頼は、守久の言葉を聞き入れた。

▶その時、城内が騒然となった。御台所頭大隅与五左衛(大角与左衛門)が寝返りをうち、台所に火をつけたのだ。台所は本丸にある。

▶守久の先導で、秀頼、淀殿など、男女三十人は、北の山里曲輪に避難した。山里曲輪は、秀吉が茶をたしなむために自然の山水をつくりあげた一廓で、樹木が多いため安全なのだ。

大野修理も同行したが、途中で一時消え、千姫を城からおとしている。

 


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※二の丸城門で防戦していた堀田正高は、もはやこれまでと、腹を切った。

※城へ戻ってきた渡辺糺は、二人の児と共に本丸に入り、切腹した。母の正栄尼もその場でのどを突いた。

※城へ戻ってきた大野主馬は、本丸の炎上を見て死に処を失い、敵兵の中に紛れて逃走した。以後、行方は分からない(諸説あり)。

※秀頼の七手組組頭の一人伊東長次は遅まきながら寝返り、味方に向かって乱射している。長次はのちに高野山に謹慎したが、家康に許され本領を回復している。

※大坂方は、二万人以上の死者を出したという。

 

◾家康は、茶臼山にのぼって大坂城本丸の炎上を見守った。

 


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大坂城炎上絵図(1663年)
 

 

明石全登

◾家康を襲撃する遊撃隊を率いる明石全登は、船場に待機していたが、作戦は破綻し、秀頼の出馬もなくなり、戦機を失った。

▶やむなく全登は、突撃部隊としてキリシタン騎兵三百を率いて進撃した。ともかく家康の本営を突くべく南下し、藤堂隊を蹴散らし、水野勝成隊を潰走させたが、押し寄せてくる東軍の波にのまれて味方の大半を失った。

▶全登は、もはやこれまでと城東に向かって馬頭をめぐらし、血路を開いて戦場から脱出した。これは、宗旨が自殺を禁じているためであり、また、全登にとってこの戦いは、あくまで切支丹解放戦であって、秀頼への忠誠心ではなかったので、無用に討死にするのは本意ではなかったのだ。

▶その後、大坂を脱出した全登は九州へ落ちている。同じキリシタン武将に匿われていたが、幕府のキリシタン禁制が強まると消息を絶っている。南蛮へ渡ったという話もある。

 


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長宗我部盛親

長宗我部盛親は、前日の八尾の戦いのあと大坂城に戻ってから、土佐以来の旧臣を集めて、

「汝ら早く何処へも落ちよ、この城にて功を立てんこと今は叶い難し、自らも落ちぬべし、我に志あらば重ねて義兵をあげんを待って来たるべし、もし、我生捕られたりとも、何卒謀を巡し命全くせん」

と、言ったと伝えられる。

▶五月七日、盛親は京橋口の守備を担っていたが、大坂城落城後、京街道を北へと潜行する。

▶十一日、八幡近くの橋本の芦原に潜んでいるところを発見され捕らえられる。

▶二十一日、洛中引き廻しの上六条河原で斬首された。処刑の直前までかつての一国の主らしく堂々としていたという。 

 


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千姫

 

 

千姫

大野修理は、彼の家老米村権右衛門を千姫に付けて、その随行の侍女たち(刑部卿局、小督、松坂など)と共に大坂城から落とした。

▶修理の期待は、「秀頼・淀殿の御いのちと交換してもらいたい」ということである。

▶脱出は決死行であった。城内は広く複雑で、天守閣は大火災につつまれ、兵は駆け回り、銃弾は飛び交っていた。

千姫をふとん巻きにし、綱をつけ櫓の窓からそろそろと吊りおろし、つき従う侍女たちのほうは女の身ながら石垣に手足を掛け、命がけで降りた

というようなこともあったという。

▶米村権右衛門は、本多正信を頼り、秀頼・淀殿の助命を嘆願するが、

助命などする意志は家康になかった。

▶秀忠は、千姫の無事を喜んだが、

「女の身ながら、なぜ秀頼とともに相果てぬか」

と言ったらしい。

 

※米村権右衛門には、徳川方に大坂城中の金銀のありかについて尋問されたが「知らないものは拷問されても答えようがない」と堂々と答えたため、家康が「剛の者だ」と赦免したという逸話がある。のちに赤穂浅野家に仕え、治長の娘を匿い養育したという。

 

※『城塞』では、徳川方は秀頼と淀殿の居場所がつきとめられず、米村権右衛門も知らぬ存ぜぬで押し通すので、片桐且元に居場所を尋ねている。城内に顔見知りの多い片桐且元は、情報を集めていて秀頼・淀殿たちが山里曲輪の糒蔵に隠れていることを知っていた。

 

 
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豊臣秀頼

 

 

五月八日

◾一夜明けて、夜通し燃えつづけた天守閣も焼け落ち、あちこちで白煙が上がっていた。灰が累積し、何千もの人馬の焼け焦げた死体が散乱していた。東軍のうち五万人ばかりがが城内に入った。そのうち、井伊直孝らが本丸に入り、山里曲輪のほうを警戒した。

▶焼け残った山里曲輪の糒蔵で秀頼と淀殿と修理らわずかな近臣は身を寄せ合っていた。この期に及んでも修理は、秀頼・淀殿の助命に望みを託していたが吉報は届かない。

▶正午ごろ、山里曲輪に向けて徳川方の一斉射撃が始まった。射ち込んだのは、井伊勢と安藤重信勢であった。これは、覚悟を促すための射撃であった。やがて、蔵の中から火が吹き始めた。

火は、蔵の中における、自尽が終了したという証拠であった。

火は軒を舐めて屋根へのび、内部はしきりに爆発する音が聞こえた。

秀頼、淀殿とともに、大野治長毛利勝永速水守久真田大助らが自害して果てた。

最後に残った者が、煙硝をばらまいて火をつけ、死骸をことごとく灰にしてしまおうとしたに相違なかった。

 

豊臣氏はここに滅亡した。ときに秀頼は23歳、淀殿は49歳をこえていたという。

 

 

落城

 この日、家康は午後三時すぎまでたしかに茶臼山の本営にいた。

 が、その後、掻き消えるようにしてかれは、大坂の地から居なくなった。

 

◾大坂落城後の落人狩りは全国にわたって行われ、極めて厳しいものであった。秀頼の実子である八歳の国松は伏見で捕らえられ、京の六条河原で処刑された。秀頼には、もう一人七歳の女児がいたが、千姫が養女にして助命された。その後鎌倉の東慶寺に入り尼となった。千姫は、本多忠刻に再嫁した。

 

◾家康は落城の翌日、大坂城中の金銀を調べさせ没収したという。家康は豊臣家の痕跡を消し尽くすことに労力を費やした。大坂城の再建においても、旧大坂城の痕跡を完全に埋めた上に、さらに大規模な城を造り上げた。

 

 

信繁妻子のその後

真田信繁は、父昌幸の遺志をついで、最期まで強者に屈せぬ戦国武士の意地を貫き通した。その生き方が当時の人々を魅了したのであろう夏の陣のすぐあと、

花のようなる秀頼さまを

鬼のようなる真田が背負い

退きも退いたり鹿児島へ

という童歌が京で流行ったという。

 

丸島和洋の『真田四代と信繁』によると、大坂落城の混乱の中、信繁妻子は紀伊に向けて落ちのびようとしていたという。信繁の三女阿梅は一行からはぐれて伊達家家老片倉重長に捕らえられたというのが事実であったようだ。信繁正室竹林院は子女とともに浅野長晟に捕らえられたが、特に処罰を受けたわけではなかろうという。信繁次男大八は、阿梅の縁で片倉家を頼ったという。他にも信繁の遺児で片倉家を頼った者がいたという。

 

 

 

 

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