大河ドラマ『真田丸』最終回
その4
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◾高台寺
※北政所と片桐且元
寧「ほうですか…大坂城が…」
寧「全ては夢のまた夢」
😽片桐はん、こんな所に居たはったんや。
寧「さっ、あがってちょーだゃー」
🐱このドラマは片桐且元に対して同情的だな。通説では、且元が山里曲輪の糒蔵に淀殿・秀頼母子が潜んでいることを家康に告げている。そして、5月28日に病死している。
◾安居天神社
※幸村と佐助
🐱真田幸村の魅力は、「義の人」だったところ、強者になびかず己の誇りを貫く生き方をしたところにある。
🐱大坂の陣の頃の上杉景勝や伊達政宗は、藩主として家臣とその家族を養う義務があったし、領地を経営して領民を安んずる義務もあった。
🐱だから、幸村のような生き方はもう出来ない。関ヶ原の頃までとは時代が変わった事をしみじみと感じていたのかもなあ。
😽この真田幸村は、どうだろう?
😽大坂の陣編に限って云えば、あまり魅力を感じなかったのだけれども。
😽従来の作品と差別化を図るためか、役割を入れ替えたり、反対にしてみたり、ストーリーを変えたり、色々いじくっていたようだが、それで良くなったとは思わなかった。
😽TVドラマとしては、面白いことは面白かったけれども、ベタな展開が多かったな。ドラマあるあるな感じで、くすぐりが多かったな。
😽歴史ドラマとして見れば、突っ込みどころ満載だったな。意図的に通説をぶち壊しているものな。
😽上手く言っているようで、上手くないセリフが多かったように思う。表層的で言葉に重みも深みも無いからだろう。
😽こういう小技は上手いんだけどなあ。
幸村「ここまでのようだな」
幸村「長い間よう仕えてくれた」
佐助「はっ」
幸村「いくつになった?」
佐助「55でございます」
幸村「疲れたろう?」
佐助「全身が痛とうございます」
幸村「だろうな」
😽結局ダーツの矢が「切腹 」に刺さったようだな。
😽一番つまらん結果になったな。
◾大坂城・山里曲輪糒蔵
😽主人公切腹のため、放置プレイにさらされた人たち。
😽大助「あのう、僕も真田家の一員なんですけど、このまま放置ですか?」
😽大蔵卿「私は悪くない。私は間違ってない。牢人どもがみんな悪い。そうに違いない」
😽治長「私は悪くない。私は間違ってない。母上がみんな悪い。そうに違いない」
😽秀頼「サザエのつぼ焼き食べたいなあ」
😽茶々「左衛門佐の言うとおりにしたから絶対に大丈夫。望みを捨てぬ者にのみ道は開けるのよ」
🐱竹内結子の表情の演技はすごいなと、改めて思った。
◾家康の陣・家康と秀忠
家康「お千!」
秀忠「よう戻った!よう戻った!」
千「はい」
😽なんか、むかつく三世代。
🐱このドラマは家康を良いように描きすぎだな。家康は、牢人どもを滅ぼすという目的にすり替えることによって、自分が豊臣家を滅ぼすという大義の無い戦を仕掛けたやましさを誤魔化そうとしたのだ。
😽送り届けただけかよ。
😽さて、きりは
①幸村に言った通り茶々の元へ向かう。ただし、大坂城内は火の海。しかも、徳川兵が女子供を乱取りしているので、たどり着けるかどうか。
②とりあえず大坂城へ戻り、内記の亡骸を発見。その場で大坂城とともに燃え尽きる。
③時代劇ファンタジーで、幸村の元へ駆けつける。佐助に再びプロポーズされるが、再び秒殺して、幸村の後を追う。
④そっと、家康の背後に忍び寄り短刀でグサリ。歴史を書き換える。
※三匹の侍
※真田信吉の陣
😽結局、信政の方の家系が残るのだものなあ。
※春と阿梅
※十蔵とすえ
※幸村
😽賛否分かれるだろうな。
😽ドン・キホーテか。
😽本多正信は、この年、数えで78歳。夏の陣では籠に乗っていたという。
😽正信「私はね、全力疾走なんか出来ないですからね、先に抜け出したのですよ」
🐱毛利勝永は城に戻って最期まで秀頼に付き従ったという。
🐱ミサスキーは、戦場を突っ切って離脱、九州地方に潜伏したという。その後、南蛮に渡ったとも云われている。
🐱長さんは、八幡近くの芦原に潜んでいるところを顔見知りに見られ捕縛される。5月11日、京の六条河原で斬首される。
🐱大野治房は城に戻ったが、既に火の海で死に処を失い、そのまま行方をくらませている。
🐱5月8日正午、秀頼、茶々たちが潜む山里曲輪の糒蔵(ほしいくら)に向かって、徳川軍の一斉射撃が始まった。
🐱秀頼と茶々は、家康が助命する気が無いことをようやく悟り、自害した。大野治長、毛利勝永、真田大助らも自害。治長か勝永が煙硝に火を付け蔵を爆破炎上させた。
😽茶々「左衛門佐!これは、どういうことよ!」
😽秀頼「最後にもう一度サザエを腹いっぱい食べたかったなあ」
🐱徳川家康は、翌年元和2年4月17日死去。享年75歳。(慶長20年7月13日に元和に改元)
😽実は、夏の陣で家康は殺されていたという説がある。翌年に死んだのは影武者だったのだ。
😽佐助「次は、しくじりませんでした」
🐱正信は、家康の後を追うようにして、元和2年6月7日に没している。享年79歳。
😽信之、あんたは長生きするよ。
😽お家騒動で苦労するよ。
😽これからも、どうでしょう人生が続くよ。
😽やっぱり、縁起が悪かったな。
😽こういう小技は上手いんだけどなあ。
😽面白いことは、面白かったけれども。
😽そんな作品だったと思いました。
😽次は、何で遊べばよいのだ?🐥
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