森の踏切番日記

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『有頂天家族二代目の帰朝』の感想

4月の読書録03ーーーーーーー

 有頂天家族 二代目の帰朝

 森見登美彦

 幻冬舎文庫(2017/04/05:2015)

 1704-03★★★☆

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🐸本作は、2007年9月に幻冬舎より刊行された『有頂天家族』の続編になる。前作はアニメ化されたが、本作もアニメ化され、現在絶賛放送中である。地元京都では月曜日の夜8時から放送されていて、初回は見られなかったが、2回目からは視聴している。リアルな京都の背景の中、毛玉と天狗と人間が入り乱れてドタバタ劇を繰り広げる楽しいアニメである。と言っても、お子様向きのアニメではない。大人が十分に楽しめる内容になっている。

 


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アニメ『有頂天家族2』より

 

 

🐸狸たちは、人間社会にさり気なく溶け込みながら毛深く生活している。六角堂のへそ石は、実は狸が化けているという。京都タワーも狸が化けている疑惑が持たれている。天狗は、古来、愛宕山鞍馬山を根城に天狗的生活を営んでおり、京都では馴染みの存在である。人間どもの中にも妖怪的な連中がわらわらといたりする。

🐸本書の主人公は、狸界の名門下鴨家の三男・矢三郎である。彼は、「面白きことは良きことなり」をモットーに日夜、阿呆面白い狸生を謳歌している。下鴨家には宿敵とも言うべき夷川家がいて、前作では、下鴨家長男・矢一郎と夷川家当主・夷川早雲の偽右衛門の座をめぐる争いが描かれた。

🐸矢三郎は、師匠である天狗・赤玉先生を慕っているが、この老天狗は落ちぶれて、根城の如意ヶ嶽を鞍馬山の天狗に占拠され、今は出町商店街裏のボロアパートでくすぶっている。赤玉先生は、弟子であり人間の美女である半天狗・弁天にうつつを抜かしているのだが、弁天は世界一周クルーズの旅に出てしまった。

🐸人間界には、寿老人という妖怪的人物が主宰する金曜倶楽部なる悪食集団があり、彼らは毎年年末に狸鍋を食することを恒例行事としている。過去に矢三郎の父親も夷川早雲の奸計にはまり金曜倶楽部の狸鍋の具材とされてしまったのだ。

🐸矢三郎は、弁天に一目会ったその日から恋の花満開なのだが、弁天は半天狗の人間であり狸である矢三郎にとっては叶わぬ恋といえる。しかも、弁天は金曜倶楽部のメンバーでもあり狸鍋を食する人なのである。

「食べちゃいたいほど好きなのだもの」

 


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アニメ『有頂天家族』より

 

 

🐸前作は、お正月の初詣の場面で終わったが、今作は、その四ヶ月後の五月に赤玉先生の跡継ぎ“二代目”が英国より帰朝したことから始まる。彼は、百年ほど前に父である赤玉先生と一人の女性を巡って壮絶な大喧嘩を繰り広げた挙げ句敗れて英国へと旅立っていたのだが、この度何故か帰朝したのだった。狸界は、自分は天狗ではないと言い張る二代目をどう対処してよいか分からず困惑する。

🐸また、地獄から生還した幻術師天満屋なる男が現れたり、弁天が世界一周クルーズから帰って来て二代目と張り合ったりと、矢三郎の周辺は騒動に事欠かない。

🐸そんな中、下鴨家長男・矢一郎の偽右衛門就任話は順調に進み、また、矢一郎と将棋大好き女狸・南禅寺玉瀾との縁談も進み、下鴨家は順風満帆に思われるのだが、世の中そんなに上手く話が進むわけもなく、水面下では大きな陰謀が進んでいたのである。急転直下、危機に見舞われる下鴨家、捕らえられて狸鍋の具材にされようとする矢三郎。果たして彼らの運命や如何に。というのが、今作の見所である。

🐸まあ、結局は、狸、天狗、人間が入り乱れての大混乱になるわけで、今作も森見ワールド全開という感じだった。まさか、ぽんぽこ仮面まで登場するとは。

🐸前作では、送り火の夜に大文字納涼船合戦が派手に展開したが、本作でも大文字納涼船合戦が勃発する。矢三郎の次兄・矢二郎は、普段は六道珍皇寺の井戸の中で蛙の姿で生活していて、蛙の姿が板についてしまい狸に戻れなくなったりしたのだが、偽叡山電車に化けるのが得意で、今作でも偽叡山電車に化けて大暴れする。たまに、深夜に叡山電車が走ったりするが、あれが多分偽叡山電車なのだろう。

🐸また、矢三郎の前には決して姿を現さない矢三郎の元許嫁・海星ちゃんが何故姿を現さないのか理由が判明する。そんな理由があったとは。

 

 

🐸本書の前に読んだ森見作品は、『聖なる怠け者の冒険』だったのだが、読後は、作者が苦労して書いたことが透けて見えるような感じで、もう一つキレが無いように感じた。今にして思えば、よく練られた文章で、本書よりも印象に残るフレーズが多くあったし、あれはあれで悪くなかったな、と思い直した。

🐸本書の場合は、キャラクターの面白さやストーリーの面白さを楽しむ作品という印象である。特に地獄絵の屏風が良かったと思う。日本のユーモア小説の系譜に連なる作品という意味で、漱石の初期の作品に近い雰囲気も感じた。

🐸狸界は、どうしても腐れ学生界を連想させる。初期の作品に登場する腐れ学生たちは、やがては社会へと出て行かなければならない存在で、いつまでも腐れているわけにはいかない。『聖なる怠け者の冒険』は、社会へ出た腐れ学生たちのその後と見ることも出来る。阿呆であり続けるには、人間界は窮屈過ぎるのだ。その点、狸はずっと狸のまま阿呆であり続けられる訳で、モラトリアム願望と見ることも出来る。天狗は、傲慢であり自由であり人間界など屁とも思っていないという点で、窮屈な人間界から超然とありたいという願望と見ることも出来る。

 

 

「阿呆の血のしからしむるところだ」

🐸矢三郎は、父親から受け継いだ阿呆の血を騒がせて、人間や天狗相手に騒動を巻き起こす訳だが、自分が阿呆であるという自覚があるのが救いである。阿呆だと分かっていても血が騒ぐから阿呆を止められないのである。彼の阿呆の基準は、「面白きことは良きことなり」であり、それ故に、彼の阿呆さ加減は愛すべきものと云えるだろう。

🐸それに対して、夷川早雲は阿呆というより愚かである。彼は金銭欲や権力欲のために狸的悪知恵を働かせるのであるが、己の愚かさに自覚的でないし、彼の愚かさはシャレにならなくて笑えない愚かさである。しかもその悪狸をたぶらかす人間がいるというのだから、げに恐ろしきは人間なりと云えよう。

 

 

🐸文庫版の解説によると、作者の森見登美彦自身、弁天は「よくわからない人」であるらしい。

「弁天は、自分でも何がしたくて動いているのか、本当のところ分かってない人なんじゃないかって」(『有頂天家族公式読本』)

というようなキャラであるらしい。

🐸弁天の有り余るエネルギーを持てあましているという感じは、青春を象徴していると考えられなくもない。自分の生き方を模索しているような感じである。

🐸彼女は、騒動を楽しんでいるように見えるが、心から楽しんでいるという感じはしない。心の中に虚無があるように思われる。

 

 

🐸聞くところによると、本シリーズは三部作だそうで、完結編があるようだ。五年でも六年でも待ちまっせ。

 

 

 

 

有頂天家族 二代目の帰朝 (幻冬舎文庫)
 

 

 

 

 

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