森の踏切番日記

人生LARKしたい

人物像が浮かび上がってこない

6月の読書録01ーーーーーーー

 井伊直政

 高野澄

 PHP文庫(2016/12/14:1999)

 1706-01★★☆

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🐱井伊直政の人物像が、もう一つ掴みきれないので何か読んでみようと思って読んでみた。著者の高野澄(たかのきよし)は歴史小説作家だが、日本映画の父と言われるマキノ省三を描いた『オイッチニーのサン』を以前読んだことがある。軽妙な文体という印象が残っている。

 

🐱本書の「あとがき」によると、著者のイメージする直政の人物像は「颯爽」なのだそうだ。これがどこから来ているかというと、

三河譜代の徳川の臣下ではなく、浪々の境遇を家康にひろいあげられた「降伏人」の自意識に徹底していたからだ。

ということだそうだ。しかしながら、登場人物の造形が皆類型的であり、著者の文体が軽いこともあって、井伊直政の人物像が浮かび上がって来ないので困った。

 

🐱井伊直政のイメージといえば、家康に寵愛された、冷静沈着でもあり気性が激しくもあった、自身にも部下にも厳しかった、戦場での鬼武者ぶり、政治手腕外交手腕に長けていたなどとなる。そういった部分も描かれてはいたのだが、人物像がはっきりしない。

 

🐱著者は、元々立命館大学の奈良本辰也教授のもとで助手をしていた人なので、時代考証的な部分は信頼できるかと思う。直政に関する有名な逸話は、ほとんど出てきた。ただ、本能寺の変の時の伊賀越えのエピソードは、あっさりと片付けられていた。全体的に小説としての面白さは、あまり感じなかった。

 

🐱本書は、虎松が鳳来寺に潜伏していて、虎松の母親(大河ドラマではしの)が松下源太郎(清景)に再嫁することが決まる所から始まるので、天正2年(1574年)から始まることになる。虎松は14歳である。それまでの経緯は、南渓和尚が虎松に語る形で説明されていて分かりやすい。

 

🐱井伊家の家老としての小野和泉と小野但馬のあり方(単なる悪者ではない)や徳川配下での井伊谷三人衆井伊直政との関係(井伊直政の下に置かれた三人衆の自尊心も満足させる)などの見方は参考になった。それだけでも読んだ価値はあったとは思う。 

 

🐱次郎法師はほとんど登場せずに、縁の下の力持ちといった役回りを演じている。代わりに南渓和尚傑山昊天が活躍する。また、新野親矩の未亡人が瀬名との連絡役を務め活躍する。この辺りが小説的な趣向といえる。

 

🐱本書では、豊臣秀吉織田信長に仕える前に仕えていたという松下之綱と松下源太郎は親戚で、その縁で直政と秀吉に繋がりができるということになっていたのが印象に残った。本書には描かれてないが、常慶も松下家という話もあって、しのの再嫁先になぜ松下家が選ばれたのか興味深い。

 

🐱井伊直政が家康からあれだけ優遇されたのは、瀬名との血縁があったからであり、美男子だったからであり、人柄や才能を買われたからである、ということになるだろうか。

 

🐱新参にもかかわらず優遇された井伊直政に対して、古参の三河の家臣たちは当然嫉妬する訳だが、井伊直政の戦場での鬼武者ぶりも政治手腕外交手腕の発揮にしても自身や部下に対する厳しさにしても全て、そういった妬みを常に感じ続け跳ね返し続けなければならなかったことによるということになるだろうか。

 

🐱それでも、それだけの働きが出来たというのは、それだけの才覚があったからだろうし、成長期の経験が大きかったからだと思う。その辺りは、はっきりとは描かれていなかったが、龍潭寺の存在の大きさを何となく想像できた。

 

🐱読んでつまらなかった本の感想を書くのはしんどい。この感想を書く気になれなかったので次の本も読む気になれなかった。今月は、ほとんど読書が出来ないまま終わりそうだ。🐥