8月の読書録02ーーーーーーー
眺めて愛でる数式美術館
角川ソフィア文庫(2017/05/25:2008)
★★☆
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講談社ブルーバックスに付いている栞にはブルーバックスでお馴染みの科学者による自筆の数式が印刷されている。全部で何種類あるのか知らないが、私が持っているのは3種類だけである。
一つは、古澤明(物理学)による、アインシュタインの「質量とエネルギーの等価性を表す式 E=mc^2」で、一つは、大栗博司(物理学)による、オイラーの「数学の基本的な数である、0、1、i、π、eが一堂に会した式 e^(πi)+1=0」で、もう一つは、池谷裕二(神経科学・薬理学)による、シグモイド関数「薬の用量と作用の関係を表す式 S=1/(1+e^ーx)」である。シグモイド関数は、生物の神経細胞が持つ性質をモデル化したもので、ニューラルネットワークにおける活性化関数にも用いられる。
※シグモイド関数のグラフ。
理系の人に「あなたの好きな数式は何ですか?」と質問すれば、上のアインシュタインの式かオイラーの式を挙げる人は多いのではないだろうか。あまりにも有名なので、逆に避ける人も多いかも知れない。
さて本書だが、著者であるサイエンス作家・竹内薫が館長をつとめる数式美術館という設定で、古今東西(といっても東は無い)から蒐集された珍しい数式が展示されている。読者は館長の解説を聞きながらそれらを鑑賞して回るという趣向である。
ほとんどの数式はよく知られたもので、この種の一般向け科学解説書でよく見られるものばかりだが、おそらくサービス精神で、たまに変な数式も紛れこんでいる。各数式の解説はそれほど詳しくはないので少々物足りない感じがしないでもない。数学的な説明は厳密さよりも分かりやすさが優先されている。全体を通して読むと現代物理学と現代数学のエッセンスがなんとなく分かるように工夫されているように思う。本書をきっかけに、現代物理学や現代数学に少しでも興味を持ってもらえれば、という意図があるだろう。美術館というよりもショーケースといった趣である。
第1分館 物理と数学館
トップを飾るのは、「世界でいちばん有名な式」と題されたアインシュタインの E=mc^2 である。日本語にすると、
エネルギー=質量×光速の2乗
解説の方は、中高生でも分かる基本的な内容である。
続いて、ハイゼンベルクの不確定性原理の紹介と行列の説明がある。それから、著者の著作物ではお馴染みの自然単位系の説明とプランク長さの紹介がある。
その次に、著者の専門の超弦理論にまつわる不思議な数式が紹介される。Dブレーンの簡単な解説もある。『アスラクライン』を思い出す。
それから、何故かローレンツ変換に戻るのだが、自然単位系で紹介されているのが著者らしいところである。相対論の簡単な説明もある。
その次が、超有名な指数関数と三角関数に関するオイラーの公式 exp(ix)=cosx+isinx である。それから、関数 e^t は、微分しても積分しても変わらないという話になって、お世話になりますガウシアン(ガウス型関数)の話題へと続く。
ガウシアン exp(ーπt^2) は、フーリエ変換しても変わらないという話からフーリエ変換が紹介される。教科書的には、フーリエ変換しても変わらないガウシアンは、exp(ーt^2/2) だったと思うが、本書では一般の教科書とは異なるフーリエ変換の定義が使われている上に説明が雑なので分かりにくい。TVコマーシャルの好感度調査と「1/f分布」の話は面白かった。
その次が、お懐かしやラグランジュの未定乗数法である。例題は、もう一つくらい高度なのも紹介した方がよかったのではないか。ガンダムで有名なラグランジュ・ポイントの紹介もある。
それから、ディラック先生のデルタ関数(正しくは超関数)の紹介があって、最後にドレイクの方程式というヘンな数式が紹介される。
第2分館 数と数学館
この章は、いきなりクオータニオンで読者を驚かせる。いわゆる四元数です。これは、ハミルトニアンやケイリー・ハミルトンの定理でお馴染みのウィリアム・ローワン・ハミルトンが研究していたものだが、彼の生きた19世紀には全く理解されずにハミルトンは失意のうちに亡くなったという。それが20世紀になって、3次元グラフィックスの世界で大いに活用されることになるのだから、天才の考えることは時空を超越している。本書の四元数の説明は少々分かりにくい。クオータニオンよりもさらにヘンなオクトニオンも出てくる。ここまでくるとほとんどタコである。
※四元数については、こちらが基本的で分かりやすい説明をされています。
続いては、これは外せないフィボナッチ数列。フィボナッチ数列に関しては色々面白いネタがあると思うのだが、少し簡単すぎるのではないか。
その次が、数列つながりでカオス理論のロジスティック写像が出てくる。これも、この種の一般向け科学解説書ではお馴染みの数式である。
それから、話題が変わって、これまたよく出てくるカルダノの公式(三次方程式の解の公式)とフェラーリの公式(四次方程式の解の公式)が紹介される。このエピソードも有名なのだが、本書で紹介するには紙幅が短すぎたようだ。
そして、アーベルとガロアの登場である。五次方程式の解の公式は無いという話であるが、群論を説明するにはそれだけで1冊の本が必要になってしまう。ここでは12ページにわたって簡略に説明されているが、やはり無理があったようだ。群論を知っている人が読めば分かると思うが、知らない人が読んで理解するのは難しいと思う。
その次は、出ましたゼータ関数。ここでは、
1+2+3+4+5+・・・=ー1/12
という式で紹介されている。これはゼータ関数の ζ(ー1) の場合の式である。本書では紹介されてないが、この式に関するラマヌジャンの証明が手品みたいで私は好きだ。この式は超弦理論でも出てくる重要な式である。本書では、ζ(2)=(π^2)/6 も紹介されている。リーマンのゼータ関数の関数等式も紹介されているが、わざと難しい式を選んでいるような気がしないでもない。
第3分館 いろいろ図形館
まずは黄金比だが、連分数形で紹介されている。黄金比の表し方は他にも色々ある。それから、有名な「ケーニヒスベルクの七つの橋」が紹介されている。オイラーの一筆書きの問題である。これは、グラフ理論につながる。
ということで、次はまた出たハミルトンのハミルトン路の紹介。これは「NP完全問題」という問題につながるが、さすがに難しすぎる。その次は、結び目理論から「結び目の多項式の公理」の紹介になるが、この辺りは現代数学の難しい部分なので正直よく分からない。
続いては、ご存じマクスウェル方程式なのだが、ちょっとひねってロジャー・ペンローズの「グラフ記法」で紹介されている。数式の表記法は一通りではないことを言いたかったようだ。ペンローズ三角形も紹介されている。
次は論理学から「可能世界」と題された
~□=◇~
という不思議な式の紹介。これはド・モルガンの法則の発展形だそうで、□は必然を表し∀(全称記号)と機能的に同じであり、◇は可能を表し∃(存在記号)と同じなのだそうだ(~は否定¬を表す)。つまり、
¬∀xP(x)⇔∃x¬P(x)
ということか。従って、「任意のxについてP(x)ではない」=「P(x)が成り立たないようなxが存在する」と同じということになる。□は平行宇宙の全ての宇宙で「必然」ということで、◇は、平行宇宙のある宇宙において「可能」ということのようだ。すると、上のヘンな式は、「任意の宇宙について事象Pは必然ではない」=「事象Pが不可能な宇宙が存在する」という意味になるのか。またしても、『アスラクライン』を思い出す。
第4分館 無限の不思議館
最終章は、無限に関する話題である。まずは、
√2 ^√2^√2^√2^√2^√2^√2^√2^√2^√2^・・・
という式で、これは2に収束する。直感的な解法は示されているが厳密ではないので、やや消化不良。著者は、物理屋なのでと言い訳している。
続いては、
ー1=・・・999999
という式だが、これは、
1=0.999999・・・
の逆バージョンで「p進数」という。厳密にはpは素数でなければならない。例えば、2進数だと、
ー1=・・・111111
となる。本書では、発想の転換の例として紹介したのだと思うが、本来p進数は数論や素粒子物理学で使われていて、難しすぎて分からない。
続いて、無限といえば、やはりこの人、ゲオルク・カントールの登場である。ここでは、自然数と実数の「総数」はどちらが多いか、という問題について、対角線論法が紹介されている。これも、この種の一般向け数学解説書ではよく出てくる内容だが、説明の仕方が少し大雑把ではないかと思った。
カントールの次は、クルト・ゲーデルの不完全性定理の登場である。式にすると、
¬∃xP(x,n,n)=f[n](n)
となるらしい([n]は添字)。これを対角線論法を使って証明する方法が紹介されている。かなりややこしい。
因みに、ゲーデルの第1不完全性定理は、「公理的集合論が無矛盾ならば証明することも反証することもできない定理が存在する」みたいな感じで、第2不完全性定理は、「公理的集合論の無矛盾性を証明する構成的手続きは存在しない」みたいな感じです。長門有希を思い出す。
ここで、参考書として紹介されている、『はじめての現代数学』瀬山士郎著(ハヤカワ文庫)は、以前から読みたいと思っていた本なのだが、なかなか見つからなくて未だに手に入れていない。注文してまで読みたいという熱意は無いのだが、いつか読みたいと思っている。
このあと、グレゴリー・チャイティン、アブラハム・ロビンソンと現代数学の専門的な話が続いて、最後は「海岸線の長さはどうやって測る?」と題されたフラクタルに関する話題である。海岸線の長さを測るということは、意外に難しい問題なのだ。ここでは、フラクタル次元という非整数次元が紹介されている。最後は、量子の軌跡のフラクタル次元が2でブラウン運動のフラクタル次元と同じであるという解説があり、閉館となる。
こうやって全体を振り返ってみると、著者お得意の分野が多かったかなという印象で、著者の著作物を色々思い出した。重要だと思われる数式で取り上げられなかったものを幾つか思いついたが、この辺りの取捨選択は著者の好みによるものだろうか。
何故これが取り上げられなかったのか不思議に思ったのは、シュレディンガー方程式、ディラック方程式、熱力学第二法則、ボルツマンのエントロピー、シャノンの情報理論、波動方程式、ナビエ・ストークス方程式、リーマンの素数公式、ラマヌジャンのπの公式などである。オイラーやガウスには他にもいろんな数式があるし、キリが無いか。ヘンな式では、素数に関するウィランズの公式とかマティヤセヴィッチの素数公式とか。量子もつれの式もなんか変。
最後に、私の好きな数式は、ベタでもやはりこれである。
アインシュタインの重力方程式。
シュヴァルツシルトの闇!
フィボナッチ数列と黄金比に関する色々な数式。一番下の式が黄金比の連分数形。
ペンローズ三角形
※引用元:Penrose triangle - Wikipedia
アインシュタインの直筆。
M/(1ーv^2/c^2)^(1/2)が質量を表す。v=0のとき分母が1になる。この質量を静止質量という。この時、上の式は、
E=mc^2
となる。vが光速に近づくにつれて分母が無限に小さくなるから、質量が無限に大きくなる。
イアン・スチュアート(イギリスの数学者)による「世界を変えた17の数式」。17番のブラック-ショールズ方程式は、デリバティブの評価などに関係する経済学の方程式。