森の踏切番日記

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筒井康隆の短編集『繁栄の昭和』の感想

8月の読書録07ーーーーーーー

 繁栄の昭和

 筒井康隆

 文春文庫(2017/08/10:2014)

 ★★★★

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繁栄の昭和

 

本書は2014年に刊行された短編集が文庫化されたものである。短編が9編とコントが2題、それにエッセイが1編という構成になっている。表題は、巻頭の短編のタイトルがそのまま使われているが、全体的に昭和を感じさせる内容と云えるか。『創作の極意と掟』(講談社文庫)に引き続いて読んだので、いろいろ思い当たる事があって面白かった。

 

 

表題作「繁栄の昭和」は、昭和の探偵小説風だが一筋縄ではいかない。「反復」が効果的に使われているメタフィクションな作品。「繁栄」という言葉が繰り返し使われるが、最初に出てきた段階で違和感を覚え、繰り返される度に違和感が増し、最終的には「繁栄の昭和」の亡霊に取り憑かれたかのような気分になる。

過去は、記憶と記録の中にしかない。それは完全な情報ではあり得ない故に、京極夏彦風に云うと、歴史は物語に過ぎないのだ。「昭和の繁栄」は二度と戻らないが、虚構の世界には虚構の「昭和の繁栄」がずっと残っていくのだ。

 

「大盗庶幾」は、江戸川乱歩作品へのオマージュと云える作品。いろいろ出てきて楽しかった。ここで描かれているのは、乱歩作品の中の虚構の世界の大正時代から戦前の昭和時代なのだが、なぜか懐かしい気分になる。何年か前に小原愼司の漫画をアニメ化した『怪人二十面相の娘』を深夜に見ていたことを思い出した。あれは、よきアニメであった。

 

「科学探偵帆村」は、巻末の松浦寿輝による解説によると、海野十三へのオマージュであるようだ。さすがに海野十三作品は知らないが、知らなくても十分楽しめる内容である。始めは話がどこへ向かっていくのか見当がつかなかったが、オチでは脱力させられた。過去作品の「郵性省」や「ハリウッド・ハリウッド」を思い出したが、アイディアはまったく新しく、進化した作品と云える。UFOが出てきて処女懐胎したりするので、読んだばかりの三島由紀夫の『美しい星』を連想して、ちょっと笑った。

 

リア王」は、伝統的な自然主義リアリズムを信奉する名優が主宰する劇団「伝灯座」の古典的な「リア王」が、とあるきっかけで歌入り(「君の瞳に恋してる」)になってしまい、それが受けたことから、劇中歌がどんどん増えていき、仕舞いにはカーテンコールでよりによって、「It's A Small World」が歌われるという、時代の変化を感じさせる皮肉な内容の一編である。昔の筒井作品なら、結末は主人公が悲惨な目に遭うことが多いのだが、お年を召されて丸くなられたのか、ハッピーエンドになっている。

 

「一族散らし語り」は、ツツイワールドお馴染みの日本建築の迷路のように入り組んだ大きな屋敷での悪夢のような話。今回は、衰退しつつあり、腐敗しつつある。「繁栄の昭和」も今は昔の話という風情で哀感がある。

 

「役割演技」は、格差社会の見せかけの繁栄の虚しさを感じさせる悪夢的な話。現実の世界でも、皆が自分の役割を演技させられていると云えよう。演技をとちれば、仲間から追い出されるわけである。怖い怖い。

 

「メタノワール」は、映画の撮影と実生活がごちゃ混ぜになっていく話で、過去の作品では「市街戦」などが思い出されるが、本作では、深田恭子北村総一朗船越英一郎宮崎美子が実名で登場する。 メタフィクションの映画版をフィクションで書いたというややこしい構造の一編である。

深田恭子のテレビドラマ『富豪刑事』は良かったなあ。設定の変更が功を奏した成功例だったなあ。某アイバ君の『貴族探偵』とは大違いだ。今年度の4月~6月期は珍しくテレビをよく見たのだが、その反動でテレビ拒否症が再発してしまい、7月以降はテレビをほとんど見ていない。

 

「つばくろ会からまいりました」は、不思議な味わいがする一種の愛妻小説。主人公が最後に理屈抜きに確信を得ることから、この話全体が夢の中の出来事だったような気にさせられた。

 

「横領」では、話の展開上唐突感のある主人公が語る話が印象に残った。夢とセレンディピティの関係を思い起こした。いいところで終わって、夢から覚めたような気分になる。

 

「コント二題」のうち「絵の教室」は、次のエッセイ「高清子とその時代」に出てくるエノケン映画のコントのような時事コント。「知床岬」は、「知床旅情」の歌詞の大ボケ新解釈だが、こちらも時事コントで、作品集全体の中では、次のエッセイへのワンポイント・リリーフのような役割を果たしているようだ。

 

巻末のエッセイ「高清子とその時代」は、ある日、高清子という女優が自分の妻に似ていることに気がついたことから、気になりはじめた著者が、高清子について調べるに従い、その魅力にハマっていく過程を綴ったもの。そこから浮かび上がってきたものは、昭和という激動の時代を生き抜いた一人の女性の人生で、NHKの朝ドラとは似て非なる感動があった。

高清子という女優については、まったく知らなかったが、本エッセイによると、大正2年浅草生まれで、昭和の初期にエノケン榎本健一)一座に参加し、数本の映画に出演している。二十歳で結婚した相手の正邦乙彦は、ジプシー・ローズを日本一のストリッパーに育て上げた演出家で、のちに内縁関係になっている。正妻の高清子は苦労が絶えなかったようだ。永井荷風のお気に入りだったようで、『断腸亭日乗』に名前が出てくることから、戦後も舞台に立っていたことが分かる。昭和57年没、享年69。

坂口安吾も高清子がお気に入りだったようで、「この人には、変テコな色気があった。色々な女の、色々の色気がなければならぬ」と書いているそうだ。坂口安吾、いいこと書くなあ。高清子は、気が強くて負けず嫌いな人だったそうだが、そういうところも妻に似ていて著者にはポイントが高いようだ。単行本も文庫本も表紙の写真は高清子になっていて(上の画像は単行本の表紙)、どんだけ好きやね~ん。そやけど、つまるところは、「妻そっくりの女優を好きになる愛妻家」いう役割を演じとるんやんかいさ。相変わらずでんなあ。

 

 

 

 

繁栄の昭和 (文春文庫)

繁栄の昭和 (文春文庫)

 

 

 

 

 

🔘「ラ・シュビドゥンドゥン」(作詞作曲:筒井康隆 ピアノ演奏:山下洋輔) - YouTube