森の踏切番日記

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米澤穂信の短編集『満願』の感想

8月の読書録08ーーーーーーー

 満願

 米澤穂信

 新潮文庫(2017/08/01:2014)

 ★★★☆

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満願 (新潮文庫)

 

本書は2014年に刊行された米澤穂信の短編集が文庫化されたものである。本作は、2014年に山本周五郎賞を受賞し、「このミステリーがすごい!」「ミステリが読みたい!」「週刊文春ミステリーベスト10」の国内部門ランキングすべてで1位を獲得し、史上初の三冠を達成したことで、当時話題になった。直木賞候補にも挙がったが、受賞は逃している。

 

地味でシブい印象の短編集だが、後からジワジワ効いてくる。ただ、文庫本のオビにある煽り文句程にはスゴいとは思わなかった。どちらかというと、ミステリマニア好みの短編集なのだろうか。私はミステリマニアではない。

 

年間ランキングというのは、断トツの支持でもない限り、相対的な評価だと思うし、プロ野球の打撃成績のように数字で表せるものではないので、それをもって最高傑作とするわけにはいかないだろう。本短編集がオールタイム・トップ100に入るほどの傑作とは思わなかった。短編集は、それ自体弱いというのはあるけれども。

 

 

 

巻頭の「夜警」では、殉職した警察官の美談に隠された真実が暴かれる。まず、書き出しが良い。

葬儀の写真が出来たそうです。

そう言って、新しい部下が茶封筒を机に置いていく。気を遣ってくれたのだろうが、本音を言えば見たくもない。それに、写真に頼らなくても警察葬の様子は記憶に刻み込まれている。あの場の色合いも、匂いも、晩秋の風の冷たさも。

これだけで、語り手が警察関係者で、誰かが殉職して、「新しい部下」という言葉から、それは恐らく語り手の前の部下で、語り手にとっては忘れたくても忘れられない悔恨の記憶であることが分かる上手い書き出しである。

語り手は、交番に勤務する勤続20年になるベテラン巡査部長である。勤続20年にもかかわらず巡査部長である彼には痛恨の過去がある。彼は疲れ切っている。彼の語り口は暗い。この暗さは、過去の作品の『ボトルネック』や『追想五断章』などと同じ傾向の暗さである。

彼が勤務する交番に、警察学校を出たばかりの新人警察官が配属される。ベテラン巡査部長は、この新人が警察官としての資質を欠いていることを見抜く。その判断が間違いではなかったことに、配属されてからわずか一ヶ月余りで新人は殉職してしまう。刃物を持った男が暴れている現場に駆けつけた際、相手を射殺したものの、自らも切りつけられてしまったのだ。彼の最期の言葉は、

「こんなはずじゃなかった。上手くいったのに。上手くいったのに……」

この小説は、新人が配属されてからの日々をベテラン巡査部長が回想する形で進められるが、日常の交番勤務が詳しく描写される中で、新人の警察官としての資質の危うさが語られ、事件当日の小さな齟齬が語られる。何が「こんなはずじゃなかった」のか。

新人警察官が単なる報告の途中で唇を舐める個所がある。心理学的には、緊張したりストレスを感じると唇が乾くため無意識に唇を舐めるという。彼には緊張する理由があったのだが、こういう細かい描写に感心した。

作中、警察官に向かないタイプについて語られているが、自分の失敗を誤魔化そうとしたり隠蔽したりする人間は、どこの職場についても遠からず駄目になるだろうと思う。そんな人間が警察官になったばっかりに、命を落とす羽目になったということだろう。

ラストの一行は少し弱いかなと思ったが、なかなかの佳作である。

 

 

「死人宿」では、失踪した恋人との復縁を希望する証券マン(推定26歳)が、元カノの居所を探り当て、彼女が仲居として働いている山奥の温泉宿を訪れる。ところが、その温泉宿は年に数人は死人が出るという「死人宿」と異名をとる自殺の名所だった。主人公が、再会した元カノから解決を依頼された事件とは、という話だが、ミステリとしては少し弱いかなという印象である。女性宿泊客に色々な柄の浴衣から好きな浴衣を選んでもらうサービスをしている旅館もあるしなあ、と屁理屈を言いたくなった。

元カノが無神経な主人公に冷淡な言葉を投げつける場面は、『さよなら妖精』の太刀洗万智を思い出させた。そういえば、『王とサーカス』は、まだ文庫化されないのだろうか。待ち遠しいなあ。単行本買えよ。

この小説には、二人の関係がどうなったかは書かれていないが、主人公の元カノとの復縁はならないだろうと思わせる。なぜならば、元カノの方は、すでに自立していて主人公を必要としていなさそうだから。人間関係を常識だけで推し量ると、見るべきものが見えなくなるという教訓めいた話だった。

 

 

男から見れば、どう考えてもゲス野郎にしか見えないのに、なぜか女にモテモテという男はいるものである。何か特殊なフェロモンでも出ているのだろうか。そういう男は、オスの本能であちこちで種付けをするものであり、得てして生活力が無かったりする。「柘榴」は、そんなゲス野郎と結婚してしまった美人ママと娘の美人姉妹の話であるが、少女の暗い情念が恐ろしい。表題の「柘榴」は、鬼子母神の説話とギリシア神話のペルセポネーに基づいている。

このゲス野郎は声が武器で、「耳に心地よい声の響きや気を逸らさぬ話しぶりが妙に異性を魅了する」男である。その声は、実の娘すら「心の奥底をざわつかせる」不思議に柔らかい声なのだ。人間は視覚が発達しているので、まず見た目で判断するが、聴覚は視覚よりも原始的な知覚なので記憶に残りやすいのだそうだ。これは、私の偏見だが、声フェチの人は視力が低い人に多いと思う。

モテる男の声といえば、「フクヤマに決まってるやん」と、妹が言いました。さいですか。私が魅力的だなと思う女性の声は八木亜希子のような声かな。

嗅覚も原始的な知覚なので本能を刺激しやすいのである。男女問わずモテるためには「匂い」に気を遣うべきなのだ。臭い奴が嫌われるのは必然なのだ。

 

 

「万灯」は、社会派ミステリ仕立てになっている。時代設定は昭和50年代である。主人公の商社マンは、資源開発のプロジェクトを手がけている。彼は、インドネシアでの仕事で実績をあげ、部長待遇の開発室長としてバングラデシュでのプロジェクトを任される。ところが、バングラデシュでの交渉は難航を極め、ライバル会社の横槍も入り、主人公はある決断を迫られることになる。

バングラデシュという舞台設定が効果的で面白い。長編にもなり得る密度の高い内容で緊迫感がある。オチは、ショート・ショートにありそうなオチなので途中で読めてしまう。私の好みで云うと、ラストが少しきれいすぎる。主人公をもっと追いつめて苦しませるべきだったと思う。

会社人間が尊い仕事をしているつもりで、知らず知らずのうちに人としての道を踏み外してしまう、というのは社会派ミステリの普遍的とも云えるテーマだが、良く出来たストーリーだと思った。この密度の高さで長編で読んでみたかった。

 

 

今回、最も気に入ったのが「関守」である。スポーツ系のライターを目指しながら挫折した何でも屋のライターが、コンビニで売る都市伝説のムックのための急ぎの仕事を受け、先輩から「死を呼ぶ峠」のネタを提供してもらうという京極夏彦風の導入だが、もちろんオカルトではない。弱いネタを強引に都市伝説に仕立て上げるために取材に向かった主人公は、峠の寂れたドライブインのばあさんに話を聞く。このばあさんの語り口がとぼけていてユーモラスでリアリティがあって良い。オチも意外性があって申し分ない。ある意味現代の怪談と云える。私好みの一編である。

 

 

表題作の「満願」は、主人公の弁護士が独り立ちしてから初めて取り扱った殺人事件にまつわる物語である。弁護を担当することになった被告人は、苦学生時代に世話になった下宿先の夫人であった。彼女は、夫が借金をこしらえた相手を刺殺して罪に問われたのである。時代設定は昭和61年だが、下宿時代の回想が昭和40年代後半、事件が起きたのは昭和52年、裁判が終わったのは昭和55年となっている。

夫人が満期釈放となった日、彼女が挨拶に訪れるのを待ちながら主人公は、下宿時代に触れた彼女の人柄を回想し、事件のあらましを回想し、裁判の経過を回想する。お世話になった夫人の罪が少しでも軽くなるように主人公は未熟ながらも奮闘したのだった。彼には夫人が殺意を持って人を殺めたとは思われなかったのである。すべてを回想し終わったとき、主人公は小さな齟齬に気がつき別の可能性に思い当たる。ミステリとしては少し弱いかという印象が残る。

この小説に出てくる下宿先の主人は、家業の畳屋を継いだのだが、商売に向かないタイプの人間であるばかりでなく、生活破綻者の駄目人間である。酒に溺れて借金を重ねて、「女房が立派なのはなお悪い」とうそぶく人間であり、同情の余地はまったく無い。夫人は、不幸な結婚生活の中で何か心の支えを必要としていたのだろう。主人公は、下宿時代にはこの夫人に淡い恋心を抱いていたと思われるが、真相に気づいてしまった後では、それも過去のものとなってしまった。表題の「満願」は、目論見を果たして出所した夫人に罪の意識が芽ばえなかったのか、主人公が問いかけるものであるが、夫人が主人公の前に姿を見せないまま小説は終わってしまう。

この小説は、夫人の独白にしても面白いのではないかと思った。

 

 

全六編の短編はバラエティに富んでおり、短編集としてのバランスは良かったと思う。どの作品の登場人物も自分の人生を真摯に生きているのだが、知らず知らずのうちに人間の持つ暗い情念という底なし沼に入り込み、気がついた時には取り返しのつかない所まではまり込んでしまったという感じである。こうした悲劇が日常生活の延長上に突如として現出するところに恐ろしさを感じた。

著者には、密度の高い長編ミステリを期待したい。

 

 

 

 

満願 (新潮文庫)

満願 (新潮文庫)

 

 

 

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