森の踏切番日記

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近畿三角帯と阪神淡路大震災の話 『日本列島100万年史』を読む(4)近畿

9月の読書録02ーーーーーーー

 

 
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🐱南海トラフ地震で富士山が噴火? 『日本列島100万年史』を読む(3)中部 - 森の踏切番日記の続き

 

 

 

西南日本の成り立ち

🔘東北日本では地質構造が南北に延びているのに対して、西南日本では地質構造は東西に延びている。西南日本の成り立ちは、だいたい次のようになる。

(東北日本については「ブラタモリ」ファンの必読書? 『日本列島100万年史』を読む(2)北海道・東北・関東 - 森の踏切番日記を参照のこと)

 

2億5000万年前(中生代)以降から、ユーラシア大陸の端でプレートの沈みこみの場であったところに付加体が順次形成されて高まりとなった。

➡さらに、海底火山の噴火などの火成活動で花崗岩が形成されて高まりは陸地となり、西南日本の土台が形作られた。

➡1900万年前頃(新第三紀)に日本海が開き始めたことで日本列島はユーラシア大陸から分離、太平洋へ向かって移動。

➡1500万年前頃に現在の位置に到達。このとき、列島の西部は時計回りに回転、東部は反時計回りに回転した。その際、東西の境で折れ目になった部分が引っ張られて落ち込み、フォッサマグナ大地溝帯)になった。

「ブラタモリ」ファンの必読書?~『日本列島100万年史』を読む(1) - 森の踏切番日記を参照のこと)

➡西南日本は、約600万年前頃(中新世の末)から隆起運動を受け始める。隆起量や浸食量が、中部山脈地帯に比べて相対的に小さく、それ以前の中新世の安定した時期に作られた平坦面である準平原の遺物が広く残っていたため、比較的なだらかな地形が作り出された。

 

 

第6章 近畿


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1.近畿三角帯──京阪神と中京の地形

🔘近畿三角帯は若狭湾東部の敦賀付近を頂点として、淡路島とを結ぶ左辺と、伊勢湾とを結ぶ右辺、紀伊半島北部を東西に走る中央構造線を底辺とする三角形(上図赤線)のことである。

この中には、東海湖盆、古琵琶湖湖盆、大阪湖盆(大阪堆積盆地)という、それぞれ南北方向に細長く延びる三つの大きな堆積盆地が東西に並んでいる。

湖盆と呼ぶのは、これらの盆地には湖に堆積した砂や泥がたまっていて、海に堆積した地層が存在しないからである。

東の東海湖盆が最も古く、およそ600万年前(中新世末~鮮新世)に形成が始まり、古琵琶湖湖盆、大阪湖盆の順で形成されたが、互いに独立していて、つながることはなかった。

いずれも内陸の淡水湖だったが、約130万年前頃に四国紀伊半島間に紀伊水道ができて、海水準の高い時代には大阪堆積盆地に海水が入るようになり、海成堆積物と陸成堆積物とが交互に堆積するようになった。

 

🔘近畿三角帯には、南北に走る鈴鹿山脈や金剛・生駒山地、東西に走る和泉山脈、北東~南西方向に延びる比良山地六甲山地、北西~南東方向に続く養老山地や伊吹山地など、比較的小規模な山地が存在し、地形境界になっている。

これらの山地の両側の麓には活断層が存在し、両側から押されて隆起したり(地塁)、一方の断層のみが動いて土地が隆起し(傾動)、山地ができたと考えられる。

これらの隆起が始まった時期(活断層の活動開始時期)は新しく、多くの山地でおよそ50万年前(中期更新世前半)からで、これを「六甲変動」と呼ぶ。

 


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近畿地方の地形

(出典:2015年11月24日(火):第7回Nature Salon 「電力屋が見た自然保護」 - 兵庫県自然保護協会

 


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近畿地方活断層

(出典:都道府県ごとの地震活動 | 地震本部

※こちらで、各地方、各都道府県の活断層マップが閲覧できます。

 


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地塁(両側から押されて隆起した地形)

NHKブラタモリ #36京都・嵐山」の画像より

 

 

🔘東海湖盆は、伊勢湾西岸地域や濃尾平野~東濃・三河高原の地域にかつて存在していた。湖は東部の知多半島あたりから始まり、濃尾平野一帯へ広がった。東側から堆積が始まり西へ移動しながら縮小、伊勢湾西岸の養老山地と鈴鹿山脈にはさまれる北勢地域で約100万年前まで存在したのを最後に消滅した。

濃尾平野地殻変動は西側が沈降して東側が隆起する傾動運動で、「濃尾傾動地殻運動」と呼ばれる。約300万年前頃から沈降が始まり、約90万年前頃(前期更新世末)から沈降運動がいっそう活発化した。

➡12万年前の最終間氷期の海水準が高かった時代に濃尾平野に海水が侵入、熱田層という海成層を堆積させた。これが少し隆起して段丘となったところが現在の熱田台地である。

➡伊勢湾は水深が浅く、最深部でも水深39㍍しかないので、最終氷期には干上がって陸地になった。伊良湖水道(最深部110㍍)は、最終氷期に河川によって浸食されてできた渓谷が海底谷になったものだと考えられている。

 


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濃尾傾動地殻運動の模式図


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熱田台地

NHKブラタモリ #76名古屋・熱田」の画像より

 

 

🔘古琵琶湖湖盆は東海湖盆より少し遅れて、

約500万年前~400万年前頃、現在の上野盆地周辺から始まった。

断層活動で小さな盆地がいくつもできて低いところに水がたまり、大山田湖ができた(400万年前~320万年前)。このころは、亜熱帯性気候だった。

➡300万年前頃、再び阿山湖という湖ができて北(甲賀方面)へ広がった。浅い湖で、270万年前頃には北から埋まっている。

➡その頃、やや北に甲賀湖が出来た。安定した湖で、20万年ほど続いた。

➡250万年~180万年前頃、湖南から湖東地域にかけて蒲生沼沢地群が形成されたが、不安定な湖沼・湿地だった。

※沈降地域が北へ移動するにともない堆積盆地が移動、さらにそれを覆って扇状地が発達して湖盆の堆積は終わる。

➡100万年ほど前、今の琵琶湖を中心とした近江盆地が沈降地域になり、堅田丘陵あたり(大津市北部)に小さな湖ができる。これが現在の琵琶湖南湖になる。

➡40万年前頃、湖西の山地に沿った断層活動が活発化する。比良山地が盛り上がると同時に琵琶湖部分が沈降し始める。

➡30万年前頃には、今のような広くて深い琵琶湖ができた。

(参考:【琵琶湖博物館】展示(A展示室:琵琶湖のおいたち): A2 琵琶湖のおいたち

 


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琵琶湖湖底図

※琵琶湖の総面積は699平方キロメートル。周囲は241キロメートル。琵琶湖は北西部の方が深く、最大水深は103㍍。平均水深41㍍(南湖は4㍍)。

 

 

🔘大阪湖盆は、大阪湾から大阪平野周辺、京都盆地奈良盆地に広がる。

約300万年前(鮮新世末)頃に淡路島の東側の大阪湾で沈降運動が始まり、河成・湖成の地層が堆積した。やがて、堆積域は東や北に広がり京都盆地奈良盆地にも堆積した。

※大阪湖盆も内陸の堆積盆地だった。古琵琶湖湖盆とはつながっていなかった。

➡約130万年前に紀伊水道紀淡海峡が形成されて大阪湖盆に海が入ってきた。高海面期には、京都付近まで海が侵入した。

※その後、扇状地の拡大によって、京都に海が入ってくることはなくなった。

➡以後、海水準の変化にともない、海になったり、陸になったりしたので、海成層と陸成層が交互に堆積した。

鮮新世以降のこれらの堆積層を大阪層群と呼ぶ。

 

※縄文海進の時期には、上町台地生駒山地の間に河内湾が形成されて上町台地は岬のようになっていた。淀川と大和川(当時は北上していた)の流入により三角州が形成された。

弥生時代後期~古墳時代には上町台地から北方に砂州が発達し湾口がほぼ塞がれ、淡水化して河内湖となった。

➡淀川と大和川からの堆積物により、河内湖は次第に縮小していった。1704年の大和川の付け替え工事後、新田開発が進むと完全に陸地化した。

(参考:河内湖 - Wikipedia

 


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5500年前の大阪周辺


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NHKブラタモリ #53大阪」の画像より

 

 

🔘六甲変動とは、およそ50万万年前(更新世中期)から地殻の東西方向の広域圧縮が強まって、南北方向の逆断層や東西方向の横ずれ断層の活動が活発化した地殻運動のこと。

断層運動は、三つの堆積盆地の縁だけでなく、堆積盆地の中にも発生し、湖盆の堆積物を変位する傾動地塊が現れてきた。京都・奈良付近の河川の出口が狭められて、明瞭な盆地となった。

※例えば、奈良盆地の場合、西側の縁は中央構造線から北に湾曲した金剛断層(20)や、生駒断層(15)によって東方に傾動隆起した生駒山のブロックによって、大阪湾に注ぐ大和川の出口が狭められ、盆地化した。(20と15は上の近畿地方の断層マップの断層の番号)

※傾動地塊は、断層運動によって一方向に傾斜している地塊のこと。生駒山地は、大阪側が断層になっていて、奈良側の傾斜が緩やか。生駒山の標高は642㍍。六甲山地も傾動地塊。

 

 

2.神戸と兵庫県南部地震

六甲山地の最高峰・六甲山の標高は931㍍で、神戸の街に面した南東側斜面は急な崖になっている。この崖は断層がずれてできたものである。

断層が動くと地形的にずれが生じる。それが削られずに残っていれば、次の地震で同じ方向にずれが重なり、次第に崖などができていく。たとえば、六甲山もこのようにして何度もずれを重ねた断層によって、今の高さまで持ち上がった。

 

🐱1995年1月17日は、前の夜からなぜか眠れなくて、テレビの深夜放送を見て、それでも眠れなくて、仕方がないのでミック・ジャガーの日本公演のビデオを久しぶりに見ていたら、明け方に大きな揺れがきた。 あれから22年になるとは、月日が経つのは早いものだ。

 

その兵庫県南部地震阪神淡路大震災)は、六甲山の麓から明石海峡を渡って淡路島の北西岸に延びる全長71キロメートルの活断層「六甲─淡路断層系」の活動で引き起こされた直下型地震だった。前回のずれは2000年前だった。

最初に断層がずれ始めた場所、つまり震源明石海峡の下だったが、そこから北東と南西の方向に3本の断層が次々連動しながら「断層変位(断層のずれ)」を起こし、強い揺れが発生した。この間わずか10秒から20秒の出来事だった。

地表に顕著な断層変位が現れたのは、淡路島の北部に全長10キロメートル以上にわたって現れた野島断層である。このように地表に断層変位が見られる断層を「地震断層」と呼ぶ。

ところが、大きな被害のあった神戸の市街地には、このような地震断層は出現しなかった。地殻の変動がほとんど見られなかった神戸の街で大きな揺れが発生したのはなぜなのか?

 


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震央(×)と震源域(黄色)と野島断層(青線)

出典:File:Map of Great Hanshin Awaji Earthquake Ja.png - Wikimedia Commons

 


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震災の帯

出典:地震本部地震調査研究推進本部

 

 

上の地図の赤い領域は、震度7の揺れを受けた地域で細長く延びているので「震災の帯」と呼ばれている。通常は地盤の弱いところに出現するのだが、神戸の場合は扇状地になっているので、地盤は決して弱くない。

では何故震災の帯が出現したかというと、次のような理由があることがわかった

神戸市の地下には、六甲山を作っている花崗岩の基盤と、その上に大阪層群と呼ばれる堆積層の2種類の地層が存在する。

一般に波は、軟らかい物質中よりも硬い物質中の方が速く伝わる。地震波も波なので同様の性質を持つ。

花崗岩の方が大阪層群よりも硬いため、地震波は下層の硬い花崗岩では速く伝わり、大阪層群では遅くなる。

そうすると、光が異なる媒質の境界面で屈折するように、硬い基盤を伝わってきた地震波も軟らかい堆積層との境で屈折する。

花崗岩の基盤は海側に向かって傾斜しているので、入射位置によって入射角・屈折角が異なる。そのため、凸レンズで太陽光が集められるように、ある地点に揺れが集まる現象が起こる。

また、市街地と六甲山地の境には断層が地下まで続いているので、断層で縦方向に基盤と堆積層の境界があり、六甲山側の基盤を伝わってきた地震波が堆積層に入り地表を伝わる表面波となった。

こうした地震波の干渉と増幅を「焦点効果」と呼ぶ。そのまさに焦点にあたるところが強い揺れのゾーンである「震災の帯」となったのである。


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2015年の「NHKスペシャル」の画像より。

※基盤から堆積層への地震波は、もちろんこれだけではなく、入射位置の異なる地震波が屈折して震災の帯に集中した。

 


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凸レンズ

出典:レンズを通る光 ■わかりやすい高校物理の部屋■

※入射角によって屈折角が変わるので、光が焦点に集中する。

 

 


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🐱次の記事へと続く