森の踏切番日記

人生LARKしたい

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を再読して思い浮かんだこと

10月の読書録01ーーーーーーー

 アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

 フィリップ・K・ディック

 浅倉久志・訳

 ハヤカワ文庫(1977/03/15:1969)

 ★★★★

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最終世界大戦後、地球は放射能灰に汚染され、生き残った人々の多くは他の惑星へ植民した。一方、残留者の大多数は市街地に集住していた。人間以外の動物はほとんど滅んでしまったこの世界では、生きている動物を所有することが地位の象徴となっていた。

サンフランシスコに住むリック・デッカードは、所有していた本物の羊を破傷風で死なせて以来、人工の電気羊で誤魔化していたが、どうしても本物の大型動物が欲しくてならない。だが、逃亡したアンドロイドを廃棄処理するバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)のリックにとって、本物の大型動物は高嶺の花だった。

そこに、火星から8人のアンドロイドが地球へ逃亡しサンフランシスコに潜伏したという情報が入る。そのうち2人は主任のデイヴ・ホールデンが処理したが、ホールデン自身も重傷を負ってしまった。リックは、上司のハリイ・ブライアント警視から残り6人のアンドロイドの処理を依頼される。この6人を処理すれば、莫大な懸賞金で念願の本物の大型動物を手に入れることができる。リックの決死のアンドロイド狩りが始まる。

 

 

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

 

 

 

本書は、言わずと知れた映画『ブレードランナー』(1982年) の原作小説である。映画の方は、細かい設定や展開が原作とはかなり異なっていて、よく似た別の作品と考えた方がよい。小説には小説の良さがあるし、映画には映画の良さがある。どちらも、それぞれの分野で名作である。今月の初め、懐かしくなって、久し振りに読み返してみた。小説も映画も超有名作なので、ここでは細かく触れることはせずに、再読して思い浮かんだことをダラダラと書き留めていくことにする。

 

 


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この小説では、「エンパシー (empathy) 」という言葉がキーワードになっている。エンパシーには「感情移入」という訳語があてられているが、難しい言葉である。よく似た言葉に「シンパシー (sympathy) 」がある。どちらも「共感」という意味があるので違いが分かりにくい。

シンパシーの方は、「同情」「思いやり」「あわれみ」という訳もあてられる。どちらかというと、上から目線というか、他人事という距離感がある。エンパシーの方は、「他人または他の対象の中に自分の感情を移し入れること」という意味がある。他者の身になって他者と感情を分かち合う、他人事ではなく自身のこととして感じるということだろうか。シンパシーには、そこまでの一体感はない。

 

 


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この小説のアンドロイドは有機的アンドロイドという設定なので肉体的には人間そっくりであり、大多数の人間よりも知能が高い。肉体を改造して強化することも可能である。映画では、アンドロイドという語感に機械的なイメージがあるのを嫌ってレプリカントという言葉を造語した。

リックは、「フォークト=カンプフ検査法」を使って人間とアンドロイドを識別する。逃亡したネクサス6型アンドロイドを識別する方法は他にない。このフォークト=カンプフ検査法は、感情移入度を検査することによって、アンドロイドを識別するのである。アンドロイドには感情移入能力がない。つまり、人間とアンドロイドの違いは感情移入能力の有無しかないというのが作者の主張なのである。

 

 

この小説と並行して、三島由紀夫の『夏子の冒険』という小説も読んでいた。その中に狩猟家が出てくるのだが、次の一節が印象に残っている。

狩の目的の動物の中に何かの「心」を想像すること、それは心が心を狙うことであり、人間同志の殺し合いと同じことになるというのであった。

だから、「狩る鳥や獣に余計な感情を想像しない」というのである。 

 

 

また、今週読んだ吉村昭の『高熱隧道』で、トンネル工事中に起きた落石事故で同期の同僚が頭骨を粉々に砕かれて死んだのを目の当たりにして放心状態にある技師に先輩技師が殴り飛ばしてから言った次の言葉が印象に残っている。

「おれたちは、葬儀屋みてえなもんだ。仏が出たからといって一々泣いていたら仕事にはならねえんだ。おれたちトンネル屋は、トンネルをうまく掘ることさえ考えていりゃいいんだ。それができないようなら今すぐにでも会社をやめろ」

「いいか、このことだけはおぼえておけ。仏が出てもその遺族たちのことは決して考えるな。それだけでも気分は軽くなるんだ」

いちいち感情移入していては仕事にならないのだ。人間が最も非人間的になるのは戦場だろう。戦場で味方の死を一々悲しんだり、敵に感情移入していては、戦争にならない。

 

 


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リックは、ある種のアンドロイド、魅力的な女性アンドロイドに感情移入してしまう。狩る対象に余計な感情を想像してしまったのだ。彼は、アンドロイドを追跡する過程で知り合った別組織のバウンティ・ハンターであるフィル・レッシュにアドバイスされる。

「まず、彼女といっしょに寝て──」

「それから殺すんだ」

この部分の前の会話も気に入っている。

「むろん法律違反さ。だが、セックスのたいていのバリエーションは法律違反じゃなかったかね? それでも、人間ってやつはそうする」

「もし──セックスでなく──愛だとしたら?」

「愛はセックスの別名さ」

 

 

リックは、レイチェルとセックスをする。精巧なダッチワイフに射精するようなものである。ヒトのオスの場合、気持ちよく射精できれば、何だって良いのではないか。レイチェルがセックスの後で、「さっきはよかった?」と尋ねるところが面白かった。

レイチェルの方は、リックにアンドロイド狩りをやめさせることが目的だった。逃亡したアンドロイドの中にレイチェルそっくりのアンドロイドがいる。レイチェルは量産型なのだ。レイチェルを殺そうとするが殺せなかったリックは、レイチェルそっくりのアンドロイドを殺せそうにないと思うが、なんとか任務を完遂する。映画と違って、アンドロイドは案外あっけなく殺されてしまう。

よくわからないのは、リックと別れた後のレイチェルの行動である。リックの住居へ向かったレイチェルは、リックが手に入れたばかりの雌山羊を殺して去ってしまう。意趣返しなのか、山羊に対する嫉妬なのか、それとも、何か「アンドロイドなりの理由」があるのか。

 

 


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アンドロイドに「感情」と「記憶」を持たせることは可能だろうが、それは作り物の感情と記憶に過ぎない。たとえば、アンドロイドに作り物の恋愛感情を持たせることはできる。人間が恋愛するときの感情のパターンをデータとして学習させて、真似させればよいのである。アンドロイドが人間のように恋愛するわけではない。ペットを溺愛する人と同じで、全ては人間側の思い込みに過ぎない。人間の感情移入能力は架空のキャラにさえ恋愛をすることができるくらい柔軟性があるが、それはエンパシーではなく、ナルシズムかエゴイズムだろう。

人間の記憶のメカニズムは、人工知能の記憶のメカニズムとは本質的に異なるが、人工の記憶を作り出すことは可能だろうし、人間に人工の記憶を植え付けることも可能だろう。SFではよくある話である。そうなると、記憶とはいったい何かということになってくる。この小説では、リックもレッシュも自身が本当に人間かどうか疑心暗鬼を生じる場面があるが、自己の記憶が信用できないものだとしたら、アイデンティティの崩壊につながりかねない。

 

 


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問題は、アンドロイドに「心」はあるのかということになる。「心」とは「意識」であると考えてよいだろう。「意識」は、複雑な情報処理の過程で脳内のニューラルネットワークを流れる電気信号のパターンの時間変化から生じると考えてよいだろう。

それでは、人間の脳と同様のニューラルネットワークを人工的に構築することができれば、そこに意識が生まれ、心が宿るのだろうか。人間の脳や心自体もよく分かっていない現状では想像するしかないが、人工知能に「心」が生まれても不思議はないという。生物は必ずしも心を持っているわけではない。人類も進化の過程でどこかの時点で心を獲得したのである。意識が生ずるには多数の情報の統合する能力が必要だという。

心を持つということは、他者もまた心を持っていることを認識することであり、他者の立場で物事を理解する能力があるということである。この小説のアンドロイドは心を持っているようには思われない。映画の方のレプリカントは、長く生きると感情が芽生えてしまうという理由で4年しか寿命を与えられていないのだが、レイチェルや反逆レプリカントのリーダーのロイには、心が宿っているように思われる。

人工知能が獲得する心が我々の心と同じようなものであるとは限らない。アンドロイドには、アンドロイドなりの「心」が芽生えるかも知れない。それが、我々の心とは異質なものであったなら、我々は彼らと心を通い合わせることができるだろうか。

 



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小説のレイチェルには、生殖能力はない。

「アンドロイドは子供は生めないわ。それは損失なのかしら?」

と問う。

「わたしにはわからない。わかりようがない。子供を生むのはどんな気持ちのもの? そういえば、生まれてくるのはどんな気持ちのもの? わたしたちは生まれもしない。成長もしない。病気や老衰で死なずに、蟻のように体をすりへらしていくだけ。また蟻がでたわね。それがわたしたちなのよ。あなたじゃない。わたしのこと。ほんとは生きていないキチン質の反射機械」

映画のレプリカントは、遺伝子工学の進歩で作られたという設定なので、限りなく人間に近い存在といってよい。生殖能力を持っていても不思議はない。

人間そっくりレプリカントが心を持ち生殖能力を持つならば、それはもう新たな知的生命体といってよいのではないだろうか。

 



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人工知能が人間の知能を凌駕し、社会に大変革が起こる技術的特異点2045年頃に訪れるという説があるが、映画『ブレードランナー』が2019年の設定で、続編が30年後の2049年の設定になっている。前作公開から35年になるのに合わせたのだろうが、近い年になっているのが興味深い。

 

 

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))