森の踏切番日記

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新田次郎の短編小説「昭和新山」のあらすじ

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 昭和新山

 新田次郎

 文藝春秋社(1971/11/05)

 ★★★★

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11月4日(土)放送のNHKブラタモリ #89洞爺湖』を視聴して、思い出したのが本書である。これは、1971年に刊行された新田次郎の短編集だが、表題作の「昭和新山」が、『ブラタモリ』で紹介された三松正夫をモデルにしているのだ。

記録文学を読むときに注意しなければならないのは、記録文学は、あくまでフィクションだということである。記録の部分は、だいたいにおいて事実に基づいて語られるが、全てが事実に基づいているとは限らない。また、記録に残らない部分はもちろんのこと、人間ドラマについては作者の創作が入る。

たとえば、新田次郎の作品でいえば、『孤高の人』や『八甲田山死の彷徨』などがそれにあたる。これらの作品には、作者の創作が含まれていて、事実とは異なる部分がある。これらの作品は文学作品なのである。

したがって、「昭和新山」についても、事実に基づいて描かれているが、小説として読まねばならない。その事を踏まえた上で、この短編は、概ね事実に基づいて描かれているなという印象を持つ。

 


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三松正夫(1888-1977)

NHKブラタモリ』より)

 

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昭和新山ができる前

NHKブラタモリ』より)

 

 

昭和新山」あらすじ

最初の地震はひそやかな音を立てて去った。外を歩いていたら気がつかないでいる程度の地震であった。電灯がかすかに揺れた。

小説「昭和新山」は、1943年(昭和18)12月28日、北海道有珠郡壮瞥町の郵便局長・美松五郎(三松正夫がモデル)がかすかな地震を感じるところから始まる。

五郎は明治43年の噴火を思い出す。その時に火山学者の助手を務めて以来、五郎は火山に興味を持って、有珠火山帯を歩き回って調査していた。温泉を発見したこともあった。その彼のことを、この地方の人はよく知っていた。

その日から連日、鳴動、地震が続き年が明ける。五郎はそれを記録していく。昭和19年1月5日、国鉄胆振線が隆起のため不通になる。フカバ地区の北条忠良から井戸の水が熱くなったという報告が入る。この北条忠良は美松五郎の周辺人物を代表する創作人物と思われる。また、洞爺湖で大きな渦巻きが目撃される。この辺りは、事実に基づいているが、細かい部分は創作があるようだ。

室蘭測候所長と伊達町警察署長が郵便局を訪れる。警察署長は、戦時中の警察の典型的な人物像。測候所長は、軍部が神経質になっていることを伝える役目。

 

2月に入っても鳴動が続く。フカバ地区で次々と異常が起きる。大地に亀裂、地皺、隆起が増える。この異常は、九万坪の西部が隆起の中心で、そこからフカバ地区と九万坪地区の楕円形の範囲に限られた。亀裂のため北条忠良の家が傾く。

 

3月に入っても専門家は一人もやって来ない。五郎は自分で観測することに決める。経緯儀がないので、裏庭の一カ所に観測点を設けて、目測でその日その日の状況をスケッチすることにした。それとともに、定期的に変動地の巡回も続けた。五郎は美術学校に行きたいと父に願ったほど絵が好きだったので、その技術が役に立った。実際、三松正夫は少年期に日本画を習いおぼえたという。火山の詳細なスケッチが残されている。

 


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NHKブラタモリ』より )

 

 

4月に強い地震が起こった。5月になると地震の回数は急に減った。だが、フカバ、九万坪地区付近における亀裂、地皺、隆起は続いた。6月に入ってすぐ、五郎は田口博士を迎える。九万坪地区の隆起は日を追って増加した。

 

6月23日の午前8時15分、東九万坪で最初の噴火が起こる。五郎は爆発を目の当たりにする。噴煙、轟音、火柱。郵便局にも灰が降る。フカバ地区の農民が次々とやって来て、状況を報告、五郎に指示を仰ぐ。噴煙は1㎞の高さまで昇った。五郎が噴火現場に行ってみると、直径50mほどの火口湖ができていた。

五郎はまだ熱い火口湖に近づきながら、戦地にいる二人の息子や間もなく生まれるであろう孫のことを思う。五郎の家族については、事実に基づいているかどうか不明。

孫の誕生とその母の死を知らせる電報が届く。火山爆発に関する一切の報道は禁止された。憲兵隊からは、爆発の事実を火山学者以外に知らせてはならないと厳命される。田口博士をはじめ、火山学者たちが次々とやって来る。五郎は彼らの案内に立った。

招かざる客もやって来る。伊達町警察署長が警官を引き連れてやって来たのだ。彼らは隆起地区に非常線を張って、人が火口湖に近づかないように警戒した。非常線をたくみに突破し、火口近くに日参する五郎は、彼らから目の敵にされた。

 

その後も大爆発がしばしば起こった。大爆発が起こるたびに新しい火口ができた。地形の隆起はその速度を増したようだった。8月近くになるとフカバ地区の家のほとんどは倒壊寸前となった。農民たちは安全な場所に家を移築した。火口近くの建物は熱石の落下で焼失した。九万坪地区は地皺と地割れと降灰と落石で全滅に近い状態だったが、農民たちは農地に執着した。

※6月23日から7月29日までに10回の大噴火があり、最初の4回の噴火で4つの火口ができた。

 

8月に入って間もなく、夜の11時を過ぎたころ大爆発が起こった(8月1日の第11次大噴火)。爆風、黒煙、火柱、雷電、地鳴り、震動。焼石が降る中を農民たちは逃げまどった。降灰は遠く苫小牧まで及んだ。郵便局の屋根にも20㎝も灰が積もった。フカバ地区は壊滅的打撃を受け、農地は灰の下に埋もれた。この大爆発で、フカバにいた招かざる客たちは伊達町に逃げ帰った。8月半ばになって、五郎の妻が札幌の死んだ嫁の実家にいた孫娘を連れ帰ってくる。 

※8月には大噴火が3回、中噴火が1回あった。20日の中噴火で第5火口形成。26日の第13次大噴火で、幼児1名が火山灰で窒息死した。

 

9月になっても爆発は続いた。爆音、火柱、黒雲、雷光、竜巻。それでも、火口から2km以上離れると、まず命に別条はないとみられた。フカバ地区と九万坪地区は完全に崩壊した。北条忠良はまだ頑張っていたが、五郎が説得して、ようやく退避する。

熱風が山林を襲い山火事を起こした。山林は荒廃した。9月の末にも大爆発があった。大爆発があったあとは、五郎は必ず新火口を確かめに行った。火山は爆発毎に様相を変え、凄惨な様相から怪奇な様相へと移行していくようであった。その日も火口を見に行った五郎は、灰なだれに遭遇し、九死に一生を得る。 

※9月は、8日に第14次大噴火で火山弾による火災発生。16日に中噴火で第6火口形成。9月末の大爆発は、10月1日午前零時半の第15次大噴火で第7火口形成。

 

10月31日の夜の大爆発は、それまでの爆発と異なり、華麗であった。黒雲、火球、電光。爆発は1時間後にやんだ。この第17回目の大爆発が、新生火山の最後を飾るものとなった。翌日、五郎は2番目の息子の戦死公報を受け取る。

※10月16日に第16次大噴火、30日に第17次大噴火。これを最後に降灰をともなう噴火は収束した。

 

その後、新山は急に肥りだす。日々の観測でその成長ははっきりしていた。新山の頂はもとの畑の面より150mほども隆起していた。小爆発は間歇的に繰り返され、噴煙と熱気と灰の泥濘で、五郎は火口に近づくことができなかった。

12月4日の朝、五郎は溶岩塔(溶岩ドーム)を初確認する。溶岩塔は日に日に生長を続けた。溶岩塔が推上するにしたがって新山全体がいちじるしく肥り出した。

昭和20年に年が変わると、溶岩塔の発達は、さらにいちじるしくなった。溶岩塔が推上するにつれて、7つの火口は押しつぶされた。

3月になると、溶岩塔自体の高さが50mになり、その近くに副岩塔が現れた。主岩塔と副岩塔は背丈を競うように生長した。白煙と小爆発と崩壊、それに灰の混ざった泥土で、五郎は新山に近づくことができなかった。

溶岩塔は1日に1.5mの速さで生長、新生火山は日々姿を変えていった。夜になると亀裂から放射される赤熱溶岩の光が新山を真紅色に染めた。

 

8月15日、終戦の重大ニュースを聞く。

翌日、小雨の中を五郎は新山に向かった。今日こそ、溶岩塔正体を見届けようと思ったのだ。熱板の上を歩くような地肌、熱湯の泥池、噴気の柱、紅の炎、刺激性のガス。五郎は、ようやく溶岩塔を見届ける。その日から、新生火山の活動は衰え始める。

9月20日、五郎は新生火山の停止を確認する。地震発生から1年9ヶ月にわたって活動を続けていた新生火山は、もとの地面より264mの高さに達したところで、その生長を停止した。

それからおよそ2ヶ月後、五郎は孫娘の父である長男の戦死公報を受け取る。

 


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昭和新山活動前(上)と活動停止後(下)

NHKブラタモリ』より)

 

 

終戦後も五郎の火山観測は続けられた。予後の観測の重要性を熟知していたからである。 

鉱山師が新生火山の硫黄に目をつけた。彼らは、昭和21年春頃から許可を待たずに採掘にかかった。その事が我慢ならなかった五郎は、新山を守るために新山の土地を買い取ることにする。北条忠良は五郎のことを「ばかな人」だと言う。

昭和23年、オスロで開かれる世界火山会議で、田口博士(田中館秀三がモデルか)は五郎の観測記録を発表することにする。新山にはまだ名前がついていなかったが、五郎の提案で「昭和新山」と決められた。オスロの会議では、五郎が観測した新山生成の過程を示した図(新山隆起図)は世界で唯一の火山誕生の記録として高く評価され、「ミマツダイヤグラム」と命名された。このことが、日本の新聞でも報道されてから、昭和新山の名はようやく一般に知られるようになった。

昭和26年6月、美松五郎は郵便局長を辞した。

 


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マツダイヤグラム(着色はNHKによる)

NHKブラタモリ』より)

 

 

昭和30年代になると、昭和新山は観光の対象となる。昭和35年を過ぎて観光ブームが始まると、昭和新山を訪れる人が急に増えた。この頃には火口の跡はわからなくなっていた。洞爺湖を訪れる人は例外なく昭和新山を見たがった。洞爺湖を一巡する道路から、昭和新山観光用の完全舗装道路が完成されてからは、年間50万人を優に越す観光客が昭和新山に訪れるようになった。

観光業者からは、昭和新山を高値で買い取りたいという申し出が相次いだ。その噂を聞いた北条忠良は、「局長さんは、ほんとうは利口だったんですね」と言った。北条は、観光道路が完成したときに土産物屋を開店し大もうけしていた。

21歳を迎えた昭和新山は、美しく変貌した。降灰のため枯死した付近の森林は回復し、昭和新山の麓一帯も樹木が生い茂っていた。昭和新山が吹き出した灰には植物の生長に効果のある成分が多量に含まれていたのだ。孫娘も美しく成人した。五郎には新山と孫娘が姉妹に見えた。観光業者からの申し出を全て断ったことを知った北条は、「やはり局長さんはばかですね」と言った。

「ばかかもしれないが、そのお陰で大ぜいの人が儲けているからそれでいいではないか」

五郎は笑っていた。

 

孫娘は大学を卒業した年の秋、結婚した。婿の紫郎(三松三朗がモデル)は、生物学を専攻する大学の助手だった。翌年の夏、東京に新居を持った孫娘夫婦は壮瞥で一夏を過ごすことにした。紫郎は五郎の資料整理を手伝ううちに、すっかり昭和新山に魅せられてしまう。その夏の終わり頃、五郎は紫郎を誘って昭和新山に登った。学生時代山岳部にいた紫郎は五郎を助けながら頂上をめざした。

「ありがとう、おかげでどうやら登ることができた。昭和新山は24歳になった。だがこれ以上この足で登って見てやるわけにはいかないだろう。此処に来るのもこれが最後かもしれない」

と、頂上に立った五郎が言う。紫郎は、その言葉を聞いて決心する。

「ぼくが、あとをつづけましょう」

 


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三松正夫さんについて語る現在の三朗さん

NHKブラタモリ』より)

 

 

この小説は、1969年に発表された。昭和新山が24歳の年である。つまり、発表された時点では、「現在」までが描かれたことになる。新田次郎がこの小説を書こうとした動機、この小説の主題は、最後の紫郎の決意にあるのではないかと思った。

昭和新山の記録に関しては、細かい部分で事実と異なる部分があるが、おおむね事実に基づいていると思われる。三松正夫の著書を参考にしたと思われる箇所もある。人間関係についてはどこまで事実に基づいているか分からないが、一面の真実を描いているように思われる。

昭和新山は、太平洋戦争で戦局が悪化した時に活動を始め、日本国の敗色が濃厚になるにつれて、活動が活発化し、最後は不気味な溶岩ドームを発達させ、敗戦とともに活動を終結させた。偶然とはいえ、まことに象徴的に思われる。そして、ついた名前が昭和新山である。戦後は日本の復興とともに緑が回復していく。これもまた、象徴的に思われる。きっと、多くの人が、そのように感じたことだろうと想像する。

昭和新山 - Wikipediaを参考にしました)

 

 

昭和新山はほんとうにすばらしい山だ。男子が一生を賭けても、惜しくない山だ」

 


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昭和新山

 

 

短編集『昭和新山』には、この他に、初めての南極観測越冬隊のために開発された保温洗滌式人体模型第一号(要するにダッチワイフ)にまつわる笑うに笑えない、でも笑ってしまう「氷葬」、日本にいた白熊を追いかける男を描いた「まぼろしの白熊」、ちょっとした油断から山で遭難する女性三人を通して山の恐さを描いた「雪呼び地蔵」、沖縄のかなしいさんにまつわる哀しい話を描いた「月下美人」、観光開発業者が開発することになった浜辺にある不法建築物に住む少女を描いた感傷的な「日向灘」が収録されている。バラエティに富んだ内容の6編だが、いずれも読み応えのある佳作である。

 

 

 

昭和新山 (文春文庫)

昭和新山 (文春文庫)

 

 

 

 

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