森の踏切番日記

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カズオ・イシグロの『日の名残り』を読んでみた

11月の読書録01ーーーーーーー

 日の名残り

 カズオ・イシグロ

 土屋政雄

 ハヤカワ文庫(2001/05/31:1989)

 ★★★★

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ずっと気になってはいるのだけれども、なかなかきっかけがなくて読まずにいる作家が何人もいて、その中の一人がカズオ・イシグロでした。

カズオ・イシグロは世界的に評価の高い作家ですし、映画化やドラマ化の度に話題になりましたし、これまでに読む機会は何度かあったわけですが、何か自分の中でもう一押しが足りなくて読んでみようという所までにはいたらなかったのです。

それが、今回のノーベル文学賞受賞の発表を受けて、これで読まなければたぶんもう読むことはないだろうと思って、ようやく読んでみようという気になりました。それで、まず、映画化もされて内容もだいたい分かっている『日の名残り』から読むことにしました。

今は『わたしを離さないで』を読み終えて、『わたしたちが孤児だったころ』を読み始めたところですが、一番興味があるのは『充たされざる者』です。ただ、これは長い小説なのでゆっくりと読むつもりです。

カズオ・イシグロノーベル文学賞受賞理由は「感情に強く訴える小説を通して世界と結びついているという我々の幻想の下に隠された闇を明るみに出した」ということですが、その辺りも心に留めて読んでいます。

この小説については〈The Remains of the Day - Wikipedia〉にていねいな解説があります。以下、そこで取り上げられているテーマに沿って、感想をダラダラと書き留めておこうと思います。

 

 

 

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

 

 

 

Dignity

英国人が最も大切にしている言葉の一つが “dignity” であると、何で読んだのかは忘れてしまいましたが、以前何かで読んだことがあります。この小説を読み始めてすぐに思い出したのがその事でした。この小説のキーワードの一つが “dignity” です。本書では「品格」と訳されています。

主人公=語り手である執事(butler)のスティーブンスが「偉大な執事」(a great butler)の条件として最重要視しているのがこの “dignity” です。彼の語る執事の実態や理想の執事についての言及を読んでいると、それは最早執事だけについて語っているようには思われず、英国人としての “dignity” を語っているように思われてなりませんでした。そして、現代の英国人とって “dignity” は既に過去のものになったのではないかという指摘にも感じられました。

スティーブンスは旅の途中で、執事の「品格」について語り、自分は「偉大な執事」になり得たか自問し、自分に言い聞かせるように肯定的に自答します。こういうときの人間は、だいたいにおいて自信を失っている場合が多いように見受けられます。

日本人の場合は、あるとすれば「品格」というよりは「職分」でしょうか。日本人は「職分を全うする」ことを理想とするところがあるように思います。“dignity” と「職分」とは少し違うように思います。

 

Banter

“banter” には「(悪意のない)冗談、冷やかし、からかい」という意味があります。本書ではおもに「冗談」と訳されています。英国では普通に使われているようです。

主人公は新しい主人である米国人のファラディ氏のために「冗談」を言う練習をするのですが、練習をするという時点で、その冗談は面白くなさそうです。「品格」をアイデンティティとしてきた主人公の生真面目な性格とは真逆な感じがします。

主人公は、最後に「冗談」は「人間の暖かさの鍵」(the key to human warmth)なのだということに思い至ります。それは、気のきいた冗談を言えない自分自身に人間としての暖かみが欠けていたことを認めることでもあります。

この小説は「超イギリス小説」なのだそうですが、敢えて日本的に考えると、経営不振に陥った日本企業が外資系企業に買収されて、米国から社長を迎えたのだけれど、生え抜きの専務は生真面目な仕事人間でジョークが分からないみたいなシチュエーションを想像して喜劇的な感じがします。

 

Social constraints

当時の英国社会のルールでは、この小説のエピソードにあるように、召使いが結婚して子供を望むならば、職を辞さなければならなかったようです。それが、ここでいう「社会的制約」(social constraints)のようです。

結婚は、スティーブンスが理想とする「偉大な執事」とは両立しません。それが、スティーブンスの頭の中から結婚という選択肢を追い出す結果になってしまいました。

これも日本的に考えると、仕事をとるか家庭をとるかみたいなことを連想してしまいます。日本人から見ると、スティーブンスは昭和的な仕事人間とどうしても重なってしまいます。

 

Loyalty and politics

これについては、「六日目──夜」のウェイマスで出会った元執事の老人にスティーブンスが語る言葉に集約されています。

「〈前略〉私は選ばずに、信じたのです。私は卿の賢明な判断を信じました。卿にお仕えした何十年という間、私は自分が価値あることをしていると信じていただけなのです。自分の意思で過ちをおかしたとさえ言えません。そんな私のどこに品格などがございましょうか?」

 スティーブンスが仕えたダーリントン卿は、第二次世界大戦前に英国紳士の立場から対独逸宥和政策のために尽力し、ナチス政権に利用されたあげく、戦後は名誉が回復されることなく失意のうちに自殺してしまいます。ダーリントン卿は紳士としての徳は高かったのですが、時代の変化を読みとる能力がありませんでした。

スティーブンスの考える執事の品格とは、崇敬するに足る立派な主人を選んでその主人に忠義(loyalty)を尽くすことでした。執事が主人の政策(politics)の是非を考えるという発想がありませんでした。結局、スティーブンスはダーリントン卿の品格に心酔し信じたところで思考停止してしまったのです。ダーリントン卿がイギリス社会から否定されたことは、スティーブンスにとっては自分自身の執事のキャリアを否定されたことに他なりません。

しかし、これは仕方の無いことだと思います。誰もが正確に時代の変化を読み取れるわけではないですし、ダーリントン卿は間違えたけれども愚かだったとは思いません。大きな時代の流れの中では、どんな人でも翻弄されてしまうものだと思います。我知らず間違った方向に流されてしまうこともあると思います。

そうした中では、たとえ有能であろうと一介の執事では、いずれにしてもどうしようもないことだったと思います。スティーブンスは自分が選ばなかったことを恥じていますが、彼が主人の考えに反対して説得できるとは思えませんし、彼の性格ではドライに主人を見捨てることも出来ないでしょう。それが彼の執事としての限界でしょう。信じるということは、判断を放棄することに他なりません。

これも日本的に考えると、会社に忠義を尽くす昭和的な仕事人間を連想させます。こちらは会社のためなら法を犯すことも厭わない感じがします。判断停止や思考停止は感覚を麻痺させます。

 

Love and relationship

この小説で主人公が語るおもな人物は、現在の主人であるファラディ氏、元主人であるダーリントン卿、父親のスティーブンス・シニア、元ハウスキーパーのミス・ケントン(現ミセス・ベン)の四人です。

このうち、ファラディ氏は「冗談」に関する悩みとして、ダーリントン卿は「忠義」の末の執事人生の否定として、父親は「品格」の体現者として語られています。

ミス・ケントンについては、現在のダーリントン・ホールの人手不足を解消する最適な人材として語られます。そして、過去の回想の中では「優秀なプロとしての関係」(excellent professional relationship)が強調されています。バトラーは男性使用人を、ハウスキーパーは女性使用人を、それぞれ統括する立場にあるので両者の良好な協力関係は舘の運営を円滑に進めるためにも欠かせません。

スティーブンスの回想を読んでいると、最初は二人が対立しているかのような印象を持ちますが、次第にミス・ケントンはスティーブンスを慕っていることが感じられてきます。しかし、スティーブンスはそれを拒絶しているかのようです。

スティーブンスは、執事の「品格」を追求するあまり、私生活が全く無くなってしまっています。彼は四六時中全的に執事であり続けようとしています。彼は自分の感情が個人的なことで揺さぶられることを恐れているかのような印象を受けます。そうした生活が彼の心を摩耗させたのは無理もないことだと思います。

スティーブンスは、ミセス・ベンとなったミス・ケントンからの手紙から彼女の結婚生活が上手くいっていないこととダーリントン・ホールに戻りたがっていることを読み取ります。そこで、ミス・ケントンに直接会ってそれを確かめるために旅に出るわけですが、途中でそれは単なる希望的観測に過ぎないのでは無いかと気がつきます。現在のスティーブンスは長年の執事人生で、かなり心が弱っているという印象を受けます。心が弱ると希望的観測で物事を考えがちになるものです。

思えば、スティーブンスは孤独な人です。父親の死については語られましたが、家庭的な言及はありません。執事仲間との交際も語られましたが、親友がいるようには思われません。そして、恋愛についても、間違いなく彼もまたミス・ケントンに特別な想いを寄せていたにもかかわらず、自らそれを封印してしまいました。彼から執事をとったら何も残らないようです。

これも日本的に考えると、仕事をとったら何も残らない定年間近の会社人間を連想させます。

 

Memory and perspective

イシグロ作品について語られるとき「信頼できない語り手」(unreliable narrator)という言葉がよく使われるようです。そして、この小説はその代表的な作品とみなされているようです。ノーベル文学賞の受賞理由もこの辺りのことを指しているのでしょう。

人間の記憶は常に正確であるとは限りませんし、時間が経つと曖昧になり変質していくものです。また、自らの過去を他者に語るとき、都合の悪いことを誤魔化したり、思い出を美化したりしてしまいがちです。

人が脳によって認識する世界は人によってそれぞれ異なります。人はそれぞれ脳の中にある異なる世界観の中に住んでいるといってよいでしょう。近い世界観の人もいれば遠くかけ離れた世界観の人もいます。同じ世界に生きているというのは幻想に過ぎません。

スティーブンスは過去を回想しますが、それはスティーブンスの記憶を彼の主観で語ったものであって、正確なものでも客観的なものでもありません。読者は、最初のうちは彼のキャラクターが分かりませんから、彼の言葉を信用するしかないのですが、彼のキャラクターが分かってくるにつれて、その言葉を真に受けてはならないことに気づかされます。そして、彼が誤魔化そうとしたことこそがこの小説のテーマだということが分かってきます。

この小説の場合は、スティーブンスの執事としての「品格」が、彼に本音を語ることをためらわせているのだと理解することができます。ダーリントン卿に関する言及もそうですし、ミス・ケントンに対する想いもそうです。それに、彼自身の「老いによる衰え」があります。

父親に関する回想は「品格」の体現者として尊敬すべき父親像とともに、晩年に衰えて満足のいくサービスができなくなり、最期は仕事中に倒れて亡くなってしまうエピソードが語られます。そこに自身の老いによる衰えが重ね合わされていることは明らかなのですが、彼はそれを認めようとはしません。

彼の潜在意識は、これらのことを既に認めてしまっているのですが、彼の自意識が抵抗しているように見受けられます。彼は過去に逃げ込みたがっています。彼の心はもう疲れ切ってしまっているからです。彼のミス・ケントンに会うための旅は最後の抵抗だったのでしょうか。潜在意識では答は分かっていたのではないでしょうか。

ミス・ケントンに会ってからウェイマスでの語りまでに丸二日間の空白があります。彼のショックの大きさがうかがわれます。ぼう然として何も考えられなかったことを表しているのかも知れません。全ては遅すぎたのです。最初から分かっていたことです。

  

 


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The Remains of the Day (First edition)

 

 

 

Perhaps, then, there is something to his advice that I should cease looking back so much, that I should adopt a more positive outlook and try to make the best of what remains of my day

 

ウェイマスの桟橋で出会った元執事の老人から「夕方が一番いい時間なんだ」(The evening's the best part of the day)とアドバイスされたスティーブンスは、老人と別れた後、桟橋のあかりが点灯するのを待ちながら彼のアドバイスについて検討します。

老人のアドバイスは、後ろばかり向いていないで前を向いて残された時間を最大限楽しめというものです。多くのことや大切なことを無駄にしてしまう人生もあるでしょうが、どんな人生でも自分で否定してしまってはそこまでです。少なくとも彼は彼の人生を彼なりに全力を尽くしてきました。それは恥ずべきことではありません。彼はそのことを確認します。

そして、残された時間を最大限楽しむことに関しては、新しい執事の任務としてジョークの練習に取り組むことに決意を新たにします。執事を取れば何も残らない彼に引退の選択肢はありません。彼もまた彼の父親と同様に死ぬまで執事であり続けるのでしょう。彼にとって今回の旅は現実を受け入れて前に進むために必要なものだったようです。最後まで、より良い執事であることを目指そうとするスティーブンスには “dignity” があるように感じられました。

 

 

この小説を読んで、大きな感動を呼ぶという感じではなかったのですが、じんわりとした共感を覚えました。正統派の小説らしい小説を読んだという印象ですが、今の私にとって必要な小説という感じではありませんでした。つまり、読んで良かったとは思いましたが、今まで読まなかったことを後悔するほどではなかったということです。一度読んだだけでは、読み間違いや読み落としがありそうな構成なので、何年か経ったらもう一度読んでみようかと思いました。

 

 

 

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)