『ブラタモリ』#93彦根(2/3)
~なぜ家康は“彦根がイイ”と思った?
家康が彦根イイねと言ったから
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なぜ家康は彦根を重視したのか?
🐱彦根でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記の続き
天守の最上階に上がってきました。
天守から見た東側の景色です。
タモリ「山が迫ってるんだね」
続いて、西側の景色を見ると琵琶湖がすぐそこに。
西側に琵琶湖があるという位置関係
草彅「彦根を通らざるを得ないため人の行き来や物流を一手に押さえられる」
とってもイイ場所
とってもイイ場所
北側?
普通の風景
イイくない?
というわけで城の北側へ。
彦根の歴史に詳しい「もりよしかず」先生。
草彅「実は、地形を見れば分かるんです」
明治26年頃の地図
かつて、琵琶湖周辺には40数ヶ所もの内湖があったという。太平洋戦争中から戦後にかけてほとんどの内湖が干拓されて農地となった。
かつて琵琶湖周辺にあった内湖
※出典:大中湖 - Wikipedia
かつて彦根城の北側には琵琶湖とつながる大きな湖があった。
※出典:近江国 彦根藩 - 全国史跡巡りと地形地図 城・陣屋跡・一の宮・国分寺跡
🔘松原内湖は、戦争中の食糧難解消のため、昭和19年5月から干拓工事が始まり昭和20年7月に完成したという。入江内湖も昭和19年から干拓が始まり昭和25年に完成したという。
内湖周辺はおそらくヨシ原だったと思う。
防御にはこの上なくイイ場所。
しかも、船を使って物資が運べる。昔は琵琶湖の水運は戦略的にも経済的にも重要な位置を占めていた。
彦根藩の繁栄に欠かせないもの
一体なんでしょう?
ということで、かつてここで船で輸送していた蔵を持っていた家の子孫のお宅にお邪魔しま~す。
花本家の憲明さんとお姉さん。
出てきたのは古文書の山。研究者には宝の山なんだろうなあ。
花本さんのご先祖は庄屋様。
代々伝わる古文書は250~260件
燃しちゃった
すごく残念そう。
どれどれ (..)
読めねえ。古文書はまず平仮名から読めるようになろうと言うけれども。
タモリさんすごい。
それは大量の年貢米でした
戦国時代、米の収穫量全国2位
花本さんのご先祖は庄屋のかたわら船で年貢米を運ぶ仕事をしていたのだが…
ご先祖様「庄屋の役儀御赦免下しよかれ候ようにお願い申し上げ奉り候」
草彅「それは水運と防御を兼ね備えた」
驚くべき仕掛けが隠されている?
超真っ直ぐ。
人為的。
川を埋め立てて作った跡
城の南側。
特別な目的?
地図を見ると家屋が密集している。
家康はここにどんな町を作ろうとしたのか?
栄町あたりでしょうか。
当時のまま
江戸時代の建物
足軽の屋敷?
草彅「住まわせるためのものだったんです。しかもそこには…」
普通足軽の家と言うとね。
足軽長屋ですね。普通はね。
特別待遇
こちらのお宅も。
売りに出てた。
売物件ではない別のお宅を拝見。
おじゃましま~す。
タモリ「上級武士の家ぐらいありますね」
平均すると、だいたい50坪くらいだとか。
江戸時代に天皇に何かがあったときというのはどんなときだろう?
というのは名目で、西国の外様大名に睨みをきかせるのが本来の役割だったのだろうな。
琵琶湖を船で行った場合は
だから足軽を優遇したと。
足軽が何をしていたのか?
気になりますね。
🐱次の記事へと続く
いつ見ても暴れん坊将軍が出てきそうな気がする。