『ブラタモリ』#60こんぴらさん(3/3)
~人はなぜ“こんぴらさん”を目指す?
🐘こんぴらさんでブラタモリ(2/3) - 森の踏切番日記の続き
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
はいはい。
なるほどね。
芸能文化史
神田「実は、この小屋」
それまでは仮小屋が年3回ほどの興行のたびに建てられていたそうな。
門前町の琴平は天領だったそうで、取締りが比較的寛大だったようで、芝居や相撲などの興行が盛んに行われたそうな。
神田「建てられたんです」
タモリ「おお、立派ですね」
監視する役人がいました。
江戸時代の富籤は、寺社の普請のために行われたもので、寺社にのみ許可されたが、非合法の「陰富」が流行したりして、天保の改革のときに禁止された。
こうなるわけですね。
出雲は、年2回だった。
月2回は多すぎ。取締りがアマアマだったのか?
こちらも大人気でした。
江戸時代には、ここに何人入っていたか?
ということで…
タモリ「またデカいのが…」
タモリ「これ厳しいですよ!」
ということで、奈落に潜入!
明治以降は、芝居小屋や映画館として使われていたが、映画産業斜陽化のために廃館。廃屋状態だったが、再評価され、1970年(昭和45)に国の重要文化財に指定される。
1972年(昭和47)から移転復元工事が始まり、1976年(昭和51)に現在の位置に竣工。
二代目中村吉右衛門さんや五代目中村勘九郎さんの熱望により、1985年(昭和60)に第一回「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が公演される。以後年に1回、春の定期公演が行われることになった。
2003年(平成15)平成の大修復工事
すっぽん。「切穴」ともいうそうな。
他にも、廻り舞台や宙吊りのための「かけすじ」などの舞台装置があります。
(旧金毘羅大芝居 - Wikipediaを参考にしました)
ということで…
近江(ドキドキ)
ズンズンズンズンズンズンズンズン
「こんぴら座の怪人」(名探偵コナン)
森田屋すっぽん初体験でした。
平成30年の第三十四回「四国こんぴら歌舞伎大芝居」は、こちらです。
江戸時代のラスベガス
畑の中に忽然と浮かび上がる不夜城を想像する森田氏。
よ~く分かりました。
金丸座は移転前は、現在の位置より参道や金倉川に近い、上の画像の「街」の辺りにありました。現在は琴平町歴史民俗資料館がある場所だということです。
タモリ「ここに何かあるんですか?」
マニアさん発見。
その痕跡を探しましょう!
タモリさん、何か発見。
タモリ「えー!? 何線があったんですか?」
参拝客が多かったとな?
タモリ「何電鉄っていったんですか?」
琴平急行電鉄。
マニアさん曰く「幻の電車」と呼ばれているとか。ご多分に漏れず戦争中に休止。レールとかを供出させられたのね。
更に痕跡を探しましょう!
ここを通って…
橋脚の土台のコンクリート発見。
できるだけ近づきたい。
行ってみましょう。
鉄道の痕跡をたどって、いよいよ琴平駅があった場所に到着。
今は琴平郵便局です。
当時の写真
琴平郵便局の屋上から歩いてきた道を確認。
タモリン大満足。
タモリ「ん?」
タモリ「これも何か駅っぽいですよね」
近江「4つも駅があったんですか」
タモリ「すごいね」
タモリ「駅の跡そのまんまの形してますね」
近江「へ~4つも」
琴平参宮電鉄。通称「琴参」。
琴参琴平駅は、国鉄土讃線が阿波池田方面へ延長されて移転する前の国鉄琴平駅の旧駅跡を使って建てられたのだそうな。
出典:File:KSER, KEER, TKER and JNR.svg - Wikimedia Commons(by ButuCC)
琴参は、坂出・丸亀・多度津と琴平を結んでいた。丸亀・善通寺間の丸亀線と善通寺・琴平間の琴平線は軌道線で、多度津・善通寺間の多度津線と坂出・丸亀間の坂出線は鉄道線だった。
1963年、軌道線・鉄道線全線を廃止、以後バスのみの営業となる。
2009年、経営悪化のため新旧分離方式(企業分割&事業譲渡)でバス事業を琴参バスに譲渡。
2013年、会社解散。
(琴平参宮電鉄 - Wikipediaを参考にしました)
昭和恐慌、過当競争、太平洋戦争、モータリゼーション、港の地位低下、バブル崩壊による不動産事業の失敗という地方交通産業史の典型を見る思いがした。
タモリ「琴参に乗ってるんだ!」
タモリ「死ぬような思いした」
タモリ「ないない、もうキツくてキツくて」
タモリさんにとって今回最大の収穫でした。
タモリンはっきりしてスッキリ🎵
おまけ
琴陵「また登ってこられる方もいらっしゃいまして」
タモリ「帰るとき下に着いて思い出すと」
チャンチャン
📄ブラタモリ関連日記
🔘京都・祇園でブラタモリ(1) ~祇園町南側どす - 森の踏切番日記
次の記事は結局まとめた『一富士二鷹三茄子のルーツは三保にあり?』簡略版です。