ブラタモリ #95宝塚(2/3)
~なぜ宝塚は“娯楽の殿堂”になった?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「小浜(こはま)」という住宅街
毫摂寺(ごうしょうじ)
浄土真宗のお寺さん。
※秀吉の養子・秀次は寺の娘の亀姫を見初めて側室(小浜の局)にしたそうな。秀次が失脚・切腹したときに、妻子や他の側室とともに亀姫も三条河原で処刑され、毫摂寺も焼き打ちにあったそうな。(毫摂寺 (宝塚市) - Wikipediaより)
「じないまち(じないちょう)」
寺内町は自治特権を主張し獲得したところが単なる商業地だった門前町とは異なる。
そこですよね。
江戸時代になると、小浜はまったく性格の違う町になるんですと?
駄賃定札(だちんさだめふだ)
江戸時代の高札を再現したものです。
今の交通料金
小浜は江戸時代に宿場町として復活。
小浜は有馬温泉へ通じる有馬街道と京伏見街道と西宮街道の合流地点に位置する交通の要衝だった。
特に有馬温泉だろうなあ。
この通りは毎日旅人でにぎわっていた。
近江「ハロウィーンのときとか」
タモリ「盆正月とかね」
2人ともどういう光景を想像しているのだ?
強引なw
さらに旅人を惹きつけるモノ?
タモリ「旅人行き来する」
正解でした。
春風秋月恒好
春の風と秋の月はいつでも心を楽しませてくれる
辛口の非常に飲み心地のいいお酒だったそうな。
灘の酒に圧倒されて消えたようです。
家の奥におじゃましま~す
昔酒造りに使っていた井戸の水を試飲することに。
尾道仕込みの華麗なバケツさばきで井戸の水をくみ上げる森田氏。けっこう深い井戸でした。
タモリ「癖のないキレイな水ですね」
遠回り過ぎね?
強引じゃね?
宿場町は目的地じゃなくて中継点だし、芝居小屋や名物の酒はどこにでもあるしなあ。
ここまでは単に「宝塚市の歴史」なのでは?
ここから、ここから。
探りましょう。
💡
・・・
武庫川の河口辺りを古くは武庫泊と云ったそうな。難波津から見ると、大阪湾の向こう側にあるので「むこ」という地名になったそうな。
なぜこちらへ移ったのでしょうか?
これは関西人には常識問題。
正解!
S字の宝来橋の南詰。ホテル若水の敷地になるのかな。
タモリ「なんかこれ碑が建ってますね」
タモリ「宝塚温泉。ここですか」
武庫川の板の橋をばぬらすなり
かじかの声も月の光も
という歌碑が通りの向かい側にあります。
1887年、武庫川右岸に宝塚温泉が開業。
左下に写っているのが現存する碑。
1897年、阪鶴鉄道開通(池田-宝塚間)。
※阪鶴鉄道は、大阪・舞鶴間を結ぶことを目的とした鉄道会社。社長は坂本龍馬と面識があったという元宇和島藩士土居通夫。1907年に国有化され、国鉄福知山線となる。その直後に、阪鶴鉄道の幹部によって箕面有馬電気軌道が設立される。
1910年3月10日、箕面有馬電気軌道開通(梅田駅-宝塚駅間)。同時に、石橋駅-箕面駅間も開業している。
箕面有馬電気軌道は名前の通り、有馬温泉まで結ぶことを目的としていたが、いろいろあって延伸を断念し、宝塚の開発に全力投球するようになった。というのは、よく知られた話です。
草彅「関西有数の行楽地となりました」
草彅「宝塚に新しい娯楽を生み出す事になるんです」
ピンボケた💦
和服丸生洗・洗張り・しみ抜き・クリーニングの「紀乃國屋」
温泉街と言えば温泉芸者でしょう。
当たり前過ぎへん?
有馬温泉に昔から芸者いてるのやから生まれたも何もないやろ。当然手本にするわな。
いやいや、おっちゃん、NHKの番組でアポなしはないやろ。
それより閉店の張り紙が気になるわ!
なんか、民放の関西ローカルの平日の午前中の番組みたいになってきた。
閉店
永らくのお取引まことにありがとうございます。
七五歳の節目をもつて廃業する事になりました。
ここに改めてお世話になりました事御礼申し上げ挨拶とします。
紙がまだ新しいから最近のことやろね。
ということは、48年程前? 1969年頃?
国宝さん認定。
ああ、またピンボケた💦
おっちゃん、ちょっとくい気味に言うた。
そういう段取りなんやろね。
なんせ、リハーサルの写真を本番の写真や言うテレビ局やからねw
タモリ「家族に乾杯みたいになってきたね」
浅秀さん待ち
♨️次の記事へと続く