ブラタモリ #95宝塚(3/3)
~なぜ宝塚は“娯楽の殿堂”になった?
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おっちゃん「浅秀さーん!」
近江ちゃんがアナウンサーらしいことしてるw
ここでちょっと記念撮影
55年ぶり。ということは、紀乃國屋さんとタメ?
国宝さん認定。
有馬温泉の方が格式が高かったのかな?
有馬温泉が関西の奥座敷やから、宝塚温泉は中座敷くらいやったんやろか?
遠からず近からず。
別路線やからねぇ。
やっと本題に入りそう。
何度も出てくるS字の宝来橋。
草彅「娯楽の殿堂宝塚大劇場が生まれたのか探りましょう」
研究しています
ジャケットの色が阪急マルーン(栗色)
近江「確かにそうですね」
やっと真打ち登場。
1907年(明治40)箕面有馬電気軌道の専務に就任。(実質的には経営者)
1910年(明治43)箕面有馬電気軌道、梅田駅-宝塚駅間と石橋駅-箕面駅間を開業。同年、箕面に動物園を開園。
小林一三「乗客は電車が創造する」
電車に乗客を呼び込むための沿線開発に取りかかるわけです。
その後、会社名を阪神急行電鉄と改め、神戸本線を敷設し、阪神電気鉄道とのし烈な阪急阪神戦争を繰り広げることになります。
そこに小林一三は目をつけた。
ある娯楽施設をつくりました
再び、宝塚大劇場のゲートをくぐり抜けます。
1911年(明治44)5月1日、宝塚新温泉開業
中でも一番の売りは、日本初の室内プール。
仙海「水が冷たくて5分と泳げない」
暖房設備がなかった。しかも、男女共泳禁止。
このボケは好き。
仙海「ここをね、舞台に模様替えしたんですよ」
1913年(大正2)宝塚唱歌隊が結成される。最初は16名の少女が集められたとか。同年、宝塚少女歌劇養成会と改称される。
1919年(大正8)に宝塚少女歌劇団となる。
1940年(昭和15)宝塚歌劇団と改称される。
1914年(大正3)4月1日~5月31日、第1回公演『ドンブラコ』
お給料は割とよかったらしい。
1923年(大正12)このプールを改造したパラダイス劇場は火災で焼失。
ということになります。
ヅカファンの前を通り過ぎるタモリさん。
近江ちゃん笑いすぎ。
「花のみち」へやって来ました。
地形と深く関わっているとな。
「女のみち」じゃなくてね。
小林一三胸像。ゲートの前にあります。
宝塚駅とは反対方向へ向かったね。
「宝塚市の歴史」としては、うまくまとめている
というか、自家撞着的な印象が強いです。
宝塚が “娯楽の殿堂” になったのは、やっぱり小林一三の存在が一番大きいでしょう。
今回は、ちょっと強引過ぎたかなと思います。
タモリジェンヌ?
おまけ
家にあったガイドブックより1992年頃の宝塚の地図
宝塚新温泉パラダイスが発展して宝塚ファミリーランドになりました。日帰りレジャーの多様化とか、USJとか、阪神淡路大震災とか、少子化とかいろいろあって、2003年8月31日営業終了。
ホワイトタイガーいたなあ。なつかし。
出典:宝塚ファミリーランド - Wikipedia(by TRJN)
次回は
田園調布でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記
小林一三は田園調布の開発にも関わっていたそうな。
📄関連日記
♨有馬温泉でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記
にゃ?