森の踏切番日記

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三島由紀夫の『肉体の学校』は分かりやすい恋愛小説です

1月の読書録02ーーーーーーー

 肉体の学校

 三島由紀夫

 集英社(1964/02/15)

 ★★★★

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肉体の学校 (ちくま文庫)

 

 

この小説は1963年(昭和38)に雑誌『マドモアゼル』に連載され、翌年に集英社から単行本が刊行されたのですが、家の押し入れにあった本です(上の画像はちくま文庫版の表紙)。おそらく叔父がタイトルから何かを期待して購入したのではないかと推測しています。ずいぶん前に読んだのですが、先日『命売ります』を読んで、この作品のことを思い出して再読してみました。『命売ります』が話題になったとき、あまり驚かなかったのは、この小説を読んでいて三島の通俗的な小説の面白さを知っていたということもあります。

雑誌『マドモアゼル』は、1960年代に小学館から発行されていた月刊誌です。芸能ゴシップやグラビア、ファッション、インテリア、手芸などの記事があったということで、女性向き総合誌だったようです。三島の他にも有吉佐和子吉行淳之介などの作家が小説を連載していたようです。今の雑誌でいうと『CanCam』にあたるのでしょうか。あるいは、『女性セブン』の月刊誌版といえるかもしれません。『女性セブン』は、『マドモアゼル』よりも少し遅れて1963年の創刊です。

この若い女性をターゲットにしたと思われる雑誌に『肉体の学校』という刺激的なタイトルはインパクトがあります。どうしてもラディゲの『肉体の悪魔』を連想します。田村泰次郎の『肉体の門』も連想されますが、映画の公開がこの小説の単行本刊行と同じ1964年です。この小説も岸田今日子主演で映画化されて翌年公開されています。肉体ブームでしょうか。それはともかく、『命売ります』といい、『肉体の学校』といい、タイトルでまず読者をつかむところがさすがだと思います。

 

 

この小説の主人公の浅野妙子は、元華族で洋裁店を経営する自立した39歳のバツイチ女性です。家柄が良くて裕福で美人で、しかも自由に大人の恋愛を楽しんでいるというのですから読者に対して挑戦的です。

妙子には、同じような境遇の女友達が二人います。川本鈴子はレストランを経営していて、松井信子は映画やファッションの評論家をしています。彼女たちは、「敗戦と民主主義」が生み出した新しい女性たちです。この三人は長いつきあいで、月1で女子会を開いてはオトコの話で盛り上がったりします。鈴子は体の線が崩れはじめたのを気にしていて、信子はやせぎすなのに対して、妙子は美容体操によって見事な均整を保っています。

そんなパーフェクト・ウーマンで何不自由なく暮らしている妙子ですが、今までのオトコ遊びでは物足りなく感じているのですから貪欲です。妙子は、1月の女子会で鈴子の案内で行ったゲイバー「ヒアシンス」のバーテン・佐藤千吉に一目惚れします。ゲイバーの名前が「ヒアシンス」とは、いかにもありそうで笑いました。

 

 

詳しいあらすじは〈肉体の学校 - Wikipedia〉でも参照していただくとして、ここから妙子と千吉の男と女の駆け引きが繰り広げられます。妙子は一目惚れしたとはいえ遊びの恋のつもりです。年上ですしプライドが高いですし当然主導権を握ろうとします。千吉は野心と打算でしか女を見ないタイプの男のようで、こちらも主導権を握ろうとします。意地の張り合いともいえます。男の方は虚勢を張っているだけのような気がします。恋愛の初期はこの主導権争いが見ものです。妙子はもともと面喰いで、千吉の顔も体つきも一目で気に入ったのですが、セックスもかなり良かったようで、すっかり気に入ってしまいます。

 

 

構図としては、上流階級のセレブな女性と貧乏学生で社会の底辺近くであがいている暗い目をした野性的な若い男という二項対立の関係ですから分かりやすいです。お嬢様が不良に惚れてしまうというよくあるパターンのバリエーションです。今までの男にはなかったタイプだわというやつです。二人は水と油のようなものですから、本来ならば、どんなにかき混ぜても混ざりようがありません。そこに恋愛という化学反応を起こさせるのがこの小説の面白さでしょう。妙子は恋をしてないと孤独に耐えられないタチなのですが、恋が始まると孤独がうれし楽しくなります。お金もあって、美しくて、しかも男がいる♪、という満ち足りた心境にひたるわけです。

 

 

男にしろ、女にしろ、肉体上の男らしさ女らしさとは、肉体そのものの性のかがやき、存在全体のかがやきから生まれる筈のものである。それは部分的な機能上の、見栄坊な男らしさとは何の関係もない。そこにいるだけで、そこにただ存在しているだけで、男の塊りであるような男は、どんなことをしたって男なのである。

 

 

そのうち、妙子は千吉を独占したくなります。そのために千吉にゲイバーをやめさせて、まともな大学生に戻します。そして、自分の甥ということにして、イヴ・サンローランの慈善ファッションショーに連れて行き、将来の就職のために千吉を繊維会社の社長夫人に紹介します。

この小説では、大使館主催のパーティーとか、高級レストランとか、このファッションショーなどセレブな場面がふんだんに出てきて『マドモアゼル』の読者にため息をつかさせようという意図が見えます。また、ゲイバーやパチンコ店のような当時の一般女性には近づきがたい真逆の空間を見せて驚かせようという意図も見えます。この二種類の空間が妙子と千吉の二項対立を象徴しています。

妙子がオートクチュールのデザイナーということもあって、ファッションに関する言及も多くて、三島のファッション観が垣間見られて興味深いです。イヴ・サンローランは、実際にこの時期に東京でファッションショーをしたのかは不明ですが、1962年にディオールから独立して自身のレーベルを立ち上げたところでした。また、その直前にアルジェリア独立戦争に徴兵されて、軍隊でいじめられた結果、精神病院に入院するということがあって、精神が不安定になっていたのですが、そういうサンローランの不安定な精神状態がよく表現されているところが目をひきます。ファッションショーにおけるモデルのウォーキングの描写などもリアルで、実際に三島が見たことを描写したという感じです。

 

 

みんな大嘘なのだが、お金は大嘘からしか儲からない。誰も真実などにお金を払おうとはしないのだ。

 

 

この小説は、1月号から連載が始まったのですが、1月に出会った二人は、2月に初デートをして、3月の2回目のデートでセックスをします。4月にファッションショーの件があって、5月には同棲を始めます。妙子は自分一人の生活を頑なに守り、今まで誰とも同棲をしたことがありませんでした。千吉は例外なのです。妙子は、「それはやさしさの必然的な結果なのだ」と考えますが、つまりは、惚れたっていうことでしょう。危険な兆候です。

ここで、千吉は「俺の自由は決して縛らないこと」という条件を出します。彼は21歳にしてはなかなかのジゴロで、時には野卑な言動をしたり冷たくあしらったり、時にはやさしくしたり母性本能をくすぐったりして妙子の心を揺さぶります。これが計算された技巧というよりも若い気まぐれという感じなので、妙子も振り回されるわけです。彼は暴れ馬という感じで、誰にも飼い慣らされたくないという雰囲気を持っていて、妙子もそこに彼の魅力を感じているのか、あるいは、意地を張っているのか、彼の要求をのみます。

ところが同棲を始めると、やはりいろいろ問題が出てきます。「謎は近づくにつれて深まるものだった」とは、言い得て妙です。恋愛において、謎があるというのは重要な要素だと思います。それにしても、恋愛をすると大人の女性でも乙女になってしまうものでしょうか。妙子も遊びの恋じゃなくて、すっかり本気の恋愛モードです。恋をすると人は思考が鈍り、視野が狭くなりがちです。恋は人を愚かにするものです。こうなると、もういけません。ある日、とうとう朝帰りした千吉を待ちくたびれた妙子は、彼に抱きついて泣きじゃくってしまいます。

 

 

ここで、イベント発生です。6月は熱海へ一泊旅行します。当時の感覚では熱海といえば新婚旅行という感じでしょう。しかし、そこはセレブな妙子さんですから運転手付きのハイヤーで行って、高級旅館の離れに宿泊します。この辺りから妙子の独り相撲という感じになっていきます。千吉から別れ話を持ち出されると思い込んだ妙子は、心中することを想像します。コワいですね。それでかえってセックスで燃え上がったりします。コワいですね。この情事の描写がクライマックスになっていて三島の筆も乗っています。

 

 

こんなに二人が、何も心なんか要らないほど、純粋に身体だけで愛し合ったことはなったような気がした。よかれあしかれ、それは二人が協同して到達した一つの境地だった。

 

 

頂点に登りつめたら後は下るだけです。ここで妙子は、とんでもない提案をします。互いに浮気を公認しあって、大人の恋愛を続けていこうというのです。妙子はこれで千吉の別れ話を封じたつもりでいます。あるいは、本気の恋愛の重さに耐えられなくなったのかもしれません。

ここから、妙子の迷走が始まります。鈴子に頼んで浮気相手をいろいろ紹介してもらいますが、無理に浮気している感じなので盛り上がりません。それでも、その中の一人の政治家とついに浮気してしまいます。そして、そのことを千吉にベッドで報告したりします。千吉が平静を装いながらも心臓がバクついているのを確認して安心したりします。二人ともそれぞれの思惑で別れる気はないのですが、男女関係は時折抽象的な様相を呈しますから不思議なものです。

 

 

夏が終わって、二人は互いに浮気相手を紹介し合うことになります。妙子の浮気相手の政治家はなかなか面白い男性です。千吉は待ち合わせの時刻に遅れてくる場面が多いですが、彼の本質をよく表していると思います。千吉が連れてきた女性がサンローランのファッションショーの時に知り合った繊維会社社長夫人の娘・聰子だったので妙子は愕然とします。千吉はこの繊維会社社長家に取り入って、婿養子になってセレブの仲間入りをしようという作戦だったのです。二人の仲を全く疑わなかった妙子も迂闊ですが、千吉も人生の勝負に出たという感じです。聰子も千吉に利用されているにすぎないということは妙子の慰めになるでしょうか。

 

 

客の合間に窓外を見ると、秋の明るい日ざしがせまい中庭にこぼれていた。そこにちゃんと日ざしがある。何が起ころうと、世間や人間や自然はそこにちゃんとあると思った。

 

 

結局、水と油はどんなにかき混ぜても、やっぱり混じりようがないということでしょう。妙子は、最初は千吉の打算的な性格を知った上で付き合い始めたのですが、途中から、初めて本気の恋愛をしてしまったことが間違いのもとで、幻想を見てしまったのですね。恋が終われば、冷静に男を見る目を取り戻します。『ヒアシンス』のゲイボーイの照子からもらった秘密兵器で千吉を土下座させると、靄が晴れるようにあらゆる謎も魅力も死んでしまいます。最早、千吉はありふれたつまらない若者の一人に過ぎません。妙子は本来の気高さを取り戻します。この恋が終わって妙子さんは、ますますきれいになって若返りましたとさ。

 

 

私の読書は広く浅くをモットーとしていて、どんなジャンルの本でも読むのですが、恋愛小説はあまり読みません。男女関係の駆け引きは正直面倒くさいです。その点、この小説はあっさりしていて分かりやすい展開の恋愛小説なので読みやすかったです。人間関係の複雑さの基本は三角関係にあると思うのですが、この小説の場合は単なる二項対立だからでしょう。ドロドロ系が好きな人には物足りないかも知れません。

この小説のタイトルは『肉体の学校』ですが、実際には『恋愛の学校』という感じがします。肉体関係重視の大人の恋愛なので『肉体の学校』なのでしょう。ポイントは妙子が初めて本気の恋愛をしたことにあるでしょう。そして、三島は恋愛とは幻想であると云っています。しかしそれは、実際に本気の恋愛をしてみなければ真に分かり得ないことです。とすれば、三島の読者へのメッセージは、「一度本気の恋愛をしてご覧なさい」ということでしょう。

ここで思い出されるのは、1951年(昭和26)に刊行された『夏子の冒険』です。主人公の夏子は情熱的な目を持った青年に一目惚れしますが、最後は幻滅して振ってしまいます。彼女の場合も相手の男性に幻想を見ていたことになります。けれども、彼女の場合は本気の恋愛というものではありませんでしたし、肉体関係もありませんでしたし、恋愛経験が彼女に何の変化も与えませんでした。夏子さんと妙子さんはキャラは全然違いますが、『肉体の学校』は、その後の『夏子の冒険』という位置にあると思いました。

 

 

 

 

 

肉体の学校 (ちくま文庫)

肉体の学校 (ちくま文庫)

 

 

 

 

 

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