1月の読書録06ーーーーーーー
幕末史
新潮文庫(2012/11/01:2008)
★★★☆
────────────────────
今年のNHK大河ドラマは最初から見る気にならないのであります。でありますから、視聴していないのでありますが、今年の読書テーマは久し振りに「幕末」にしようと思い立ったのであります。そこでまず、軽く復習するために本書を読んだのであります。
「あとがき」によりますと、本書は慶應丸の内シティキャンパスの特別講座として2008年に講義した内容をまとめたものだということであります。そのため、講義調の文体で読みやすく、歴史の流れを大きくつかむにはちょうど良い内容になっているのであります。
タイトルは『幕末史』でありますが、取り上げられている時代は、ペリー来航の1853年(嘉永6)から大久保利通が暗殺された1878年(明治11)までの四半世紀であります。この25年間が著者の歴史観では「幕末」ということになるのであります。
はじめの章 「御瓦解」と「御一新」
昭和5年に東京向島で生まれた著者は、父親が新潟県長岡市出身ということもありまして、「御一新」ではなくて「御瓦解」であるという歴史の見方もあると主張しているのであります。
勝者の歴史は常に美しく飾り立てられるものであります。しかしながら、歴史には表があれば、裏もあるのであります。声高に語られる歴史もあれば、ひっそり語られる歴史もあるのであります。歴史観は常に相対的なものでしかないのであります。正しい歴史観とか絶対的な歴史観などというものは存在しないのであります。私は歴史観というものは全てフィクションに過ぎないと考えているのであります。
第一章 幕末のいちばん長い日
◾嘉永6年(1853)
6月、米国ペリー艦隊、浦賀来航、開国を要求/第12代将軍徳川家慶没(61)
7月、幕府、開国の可否を諸大名に諮問/露国プチャーチン、長崎来航、開国を要求
10月、徳川家定、第13代将軍に就任
1月、ペリー再来
3月、日米和親条約
8月、日英和親条約
12月、日露和親条約
第二章 攘夷派・開国派・一橋派・紀伊派
◾安政2年(1855)
10月、安政の大地震/阿部正弘に替わり堀田正睦が筆頭老中に就任/幕府、長崎海軍伝習所を開く
12月、日蘭和親条約
◾安政3年(1856)
7月、ハリス、下田に着任
◾安政4年(1857)
6月、阿部正弘没(39)
10月、ハリス、将軍家定に謁見
◾安政5年(1858)
1月、堀田正睦、上洛。条約勅許を奏請
3月、孝明天皇、条約勅許を拒否
6月、日米修好通商条約調印/徳川慶福(家茂)を将軍継嗣と定む
7月、徳川斉昭・松平慶永(春嶽)ら謹慎/将軍家定没(35)/薩摩藩主島津斉彬没(50)/蘭・露・英と修好通商条約調印
8月、水戸藩「戊午の密勅」問題
9月、日仏修好通商条約調印/安政の大獄始まる(翌年10月まで)
10月、徳川家茂、第14代将軍に就任
◾安政6年(1859)
6月、長崎・箱館・神奈川開港
9月、梅田雲浜獄死(45)
10月、橋本左内(26)・頼三樹三郎(35)・吉田松陰(30)ら死刑
1月、咸臨丸、アメリカへ出航
8月、徳川斉昭没(61)
12月、攘夷派薩摩藩浪士による米国公使館通訳官ヒュースケン暗殺事件
(尊王攘夷運動の過激化)
第三章 和宮降嫁と公武合体論
5月、長州藩士長井雅楽、開国と公武合体を唱えた「航海遠略策」を朝廷に提出
10月、皇女和宮、東下
◾文久2年(1862)
2月、皇女和宮と将軍家定の婚礼の儀
4月、薩摩藩主の父島津久光、率兵上洛。幕府改革案を朝廷に提出/寺田屋事件。島津久光、藩内の尊王攘夷派を粛清
6月、大原重徳と島津久光、東下
第四章 テロに震撼する京の町
7月、一橋慶喜が将軍後見職、松平慶永が政事総裁職に就任/京で攘夷運動盛んになる(→主導権が薩摩から長州へ移る)
8月、生麦事件
11月、幕府、攘夷勅旨の遵守を決定
12月、高杉晋作ら、英公使館を焼き打ち。
◾文久3年(1863)
3月、将軍家茂、上洛
4月、幕府、5月10日を攘夷期限と上奏
5月、長州藩、下関を通過中の外国船を砲撃
第五章 すさまじき権力闘争
6月、米・仏艦隊、長州藩の砲台を報復攻撃
7月、薩英戦争(11月、和議)
8月、八月十八日の政変。薩摩、会津藩が攘夷派の長州勢を京から追放。七卿の都落ち
12月、一橋慶喜・松平容保・松平慶永・山内容堂・伊達宗城、朝議参与となる (島津久光は翌年1月から)
3月、参与会議、瓦解
7月、蛤御門の変(禁門の変)/幕府、西国諸藩に長州藩征伐を命令(第一次長州征伐)
11月、長州藩、征長軍に謝罪降伏
第六章 皇国の御為に砕身尽力
12月、高杉晋作、下関で反乱
◾元治2年/慶応元年(1865)※4月7日改元
3月、長州藩、武備恭順を藩論と決定
4月、幕府、長州再征を令す
9月、英米仏蘭四国公使、条約勅許・兵庫開港要求/再征長勅許下る
10月、条約勅許下る
◾慶応2年(1866)
1月、薩長連合成る/寺田屋騒動(伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件)
第七章 将軍死す、天皇も死す
6月、第二次長州征伐はじまる
7月、将軍家茂没(21)
9月、幕長休戦協定
※この年、一揆・打ち毀し激発
◾慶応3年(1867)
5月、兵庫開港勅許下る
8月、名古屋地方に「ええじゃないか」発生、各地に波及する
9月、薩長芸三藩、倒幕挙兵を密約
第八章 徳川慶喜、ついに朝敵となる
10月、前土佐藩主山内容堂、大政奉還を幕府に建白/薩長両藩に倒幕の密勅/将軍慶喜、大政奉還を上奏(翌日勅許)
11月、近江屋事件。坂本龍馬(33)・中岡慎太郎(30)暗殺される
12月、王政復古の大号令/小御所会議
第九章 勝海舟と西郷隆盛
2月、徳川慶喜、上野寛永寺に謹慎/堺事件・英公使パークス襲撃事件
第十章 戊辰戦争の戦死者たち
3月、神仏分離令/五箇条の御誓文・億兆安撫国威宣揚の宸翰/勝海舟、英公使パークスと会談
閏4月、政体書公布
7月、江戸を東京と改称
10月、江戸城を皇居と定む
※この年、勝海舟46歳、岩倉具視44歳、西郷隆盛42歳、大久保利通39歳、広沢真臣36歳、木戸孝允36歳、江藤新平35歳、井上馨34歳、三条実美32歳、板垣退助32歳、後藤象二郎31歳、山県有朋31歳、大隈重信31歳、伊藤博文28歳/徳川慶喜32歳
第十一章 新政府の海図なしの船出
◾明治2年(1869)
3月、明治天皇、東遷
6月、諸藩の版籍奉還を許す
7月、官制改革
8月、蝦夷地を北海道と改称
※この年、農民一揆多発
◾明治3年(1870)
1月、大教宣布の詔(神道の国教化)
10月、工部省設置。兵制統一(海軍は英式、陸軍は仏式)
※この年、廃仏運動広がる
◾明治4年(1871)
1月、寺社領没収/参議広沢真臣暗殺される(39)
2月、西郷隆盛、中央政界復帰/薩長土の藩兵を徴集して御親兵を設置
7月、廃藩置県
第十二章 国民皆兵と不平士族
11月、岩倉使節団、欧米へ出発(木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、田中光顕他46名+津田梅子他留学生42名)
◾明治5年(1872)
2月、兵部省を廃止、陸海軍両省設置
3月、御親兵を廃止、近衛兵を置く
8月、学制頒布
9月、新橋・横浜間で鉄道開業
12月、太陽暦採用(12月3日が6年1月1日)
◾明治6年(1873)
1月、徴兵令公布
6月、征韓論起こる
7月、地租改正条例布告
8月、閣議、西郷隆盛の朝鮮派遣を決定
9月、岩倉使節団帰国
10月、朝鮮遣使を無期延期。征韓論破れ、参議西郷隆盛・副島種臣・後藤象二郎・板垣退助・江藤新平ら下野(明治6年10月政変)
※この年、徴兵制反対一揆多発
第十三章 西郷どん、城山に死す
◾明治7年(1874)
◾明治8年(1875)
2月、大阪会議(板垣退助・大久保利通・木戸孝允・伊藤博文・井上馨ら大阪で会合、三権分立などの政治改革で意見一致す)
5月、千島・樺太交換条約締結
9月、江華島事件
◾明治9年(1876)
2月、日朝修好条規締結
3月、廃刀令
12月、地租改正反対一揆激化
◾明治10年(1877)
1月、地租軽減の詔
3月、西郷軍、田原坂に破れる
5月、木戸孝允没(45)
9月、西郷隆盛(51)、桐野利秋(40)ら城山で自刃、西南戦争終結
むすびの章 だれもいなくなった後
◾明治11年(1878)
5月、大久保利通暗殺される(49)
ここから大日本帝国は、67年後の敗戦へと突き進むわけでありますが、それはまた別の話であります。