森の踏切番日記

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千年という時間の長さと短さを想う~『千年後の百人一首』の感想

2月の読書録01ーーーーーーー

 千年後の百人一首

 清川あさみ最果タヒ

 リトルモア(2017/12/01)

 ★★★★

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千年後の百人一首

 

この本は、見開きページの右側に百人一首の歌が一首と清川あさみさんの作品が配され、左側に最果タヒさんの詩という形式の現代語訳が配された、百人一首の新しい解釈の本です。巻末には簡単な作品解説も付いています。

 

最果さんは以前から注目している人で、この本も出た当初から気になってはいたんですけど、買おうかどうか迷っているうちに年が明けてしまって、まあいいかと思ったんですけど、先日、書店でこの本を見かけたので、一編だけ読んでみようと思って、任意のページを開いて読んでみたところ、鳥肌が立ってきて、これはヤバいと思って、買って帰って、暖房の効いた部屋でゾワゾワしながらじっくりと読みました。

 

妹が清川あさみさんの作品のファンだというので、どんなん?と訊いてみたら、スパンコール!という答えが返ってきました。いや、それだけじゃないでしょ… 

 

最果さんが新聞に発表したエッセーによると、「言葉だけでなくその衝動もなぞりたかった」そうで、 百人一首の作者たちが「歌にしよう」と思ったその瞬間の感覚が自分にも降りてくるのを「待つ」必要があったとのことです。そうやって作られた百編の詩は、よくある味気ない現代語訳とは違って、情念がこめられていて、鳥肌が立つような感覚におそわれたのでした。百人一首の中には好きな歌もありますし、共感できる歌もたくさんありますが、こんなにゾワゾワしたのは初めてのことです。

 

千年という時間は、人の一生と比べれば長いですが、人類の歴史から見れば短いものです。千年程度で人間の本質的な部分が大きく変わるとは思いません。書き言葉のすごいところは、解読できれば時空を一瞬にして超えてしまうところです。だから、千年前の都の人たちとも共感することができる。けれども、全ての言葉が遺されるわけではありません。むしろ、遺された言葉は過去に生まれた数多の言葉のうちのごくわずかに過ぎません。また、発せられずに飲み込まれた言葉も無数にあるはずです。特に、和歌の三十一文字は選び抜かれた言葉たちです。最果さんの詩を読みながら、その三十一文字の背後にある消えていった言葉たちや生まれなかった言葉たちのことを想いました。

 

また、人というのは生きた時代や地域に縛られるものでもあります。平安時代の都に生きた人たちには彼ら独自の価値観もあったことでしょう。それは私たちには理解し得ないことです。また、言葉は必ずしも正確に思いを伝えることが出来るとは限りません。言葉には常にそういうもどかしさがあります。歌の解釈にしても、時代に応じて変容していくものですし、人によって感じ方は微妙に異なるものでしょう。この本で百人一首を鑑賞するという行為は、百人一首を清川さんと最果さんというミキサーを通して、百人一首のリミックス・バージョンを鑑賞するという感じでした。ですから、百人一首を直接鑑賞するのとはまた違った心の響き方をしたのだと思います。

 

 

 

8.喜撰法師
わが庵は都の辰巳しかぞ住む
世をうぢ山と人はいふなり

この歌の最果さんの詩は、「うじうじ」とか「シカしか」とか遊んだ言葉の使い方が楽しくて、隠遁生活者のひねくれた感じが面白い自由な詩です。『方丈記』をちょっと思い出したりしました。喜撰法師の時代には宇治茶はなかったけれど、宇治茶といえば「上喜撰」ということで、やはり宇治茶を連想してしまいます。

13「筑波嶺の」の清川さんの作品は、暗いエロスが感じられて妖しくて好きです。

 

 

19.伊勢
難波潟短かき蘆のふしの間も
逢はでこの世を過ぐしてよとや

百人一首は恋の歌が多いですが、これを現代詩にすると情念がストレートに伝わってきて、恐ろしさに身が震えてきます。この歌の最果さんの詩は詰問調でコワいです。こんなオンナにからまれたら厄介やなあと思わず引いてしまいます。

清川さんの作品の色合いも好きです。糸で施された細かい縦線に滲みあがる赤が情念の激しさを感じさせます。細かい縦糸が施された作品は全部で21作品あり(うち1作品は横糸)、全体の5分の1以上にもなります。この手の込んだ手法は私の好みで、どれも印象深いです。

38「忘らるる」の右近の歌もコワいです。こんなメールをもらったら背筋がひんやりすること請け合いです。

18「住の江の」や、20「わびぬれば」など男性の恋歌の詩は直接的で激しい愛情表現になっています。44「逢ふことの」も本歌よりも強い感情表現になっています。歌に込められた心の叫びが歌という封印を突き破って溢れ出てきたかのようです。

最果さんの詩は、句読点やカギ括弧なども文字の一つ、詩の一部なんだということを強く意識させます。句読点はリズムを生み出します。百人一首には独特のリズムがありますが、和歌を現代詩に射影するとき、そのリズムを変換させるファンクションがあるんだなと思いました。言葉の繰り返しも各所に見られて印象的です。例えば、18の「波が打ち寄せる、打ち寄せる、」とか、「波の音、音、音。」とか。19では、「わかってしまう、わかってしまった。」と変化させています。こういう繰り返しもリズムを感じます。

 

 

23.大江千里
月見れば千々に物こそ悲しけれ
我身ひとつの秋にはあらねど

この歌は、白楽天の「燕子楼中霜月夜、秋来只一人為長」を和歌に翻案したものだと云われていますが、それを更に現代詩に翻案したところが伝言ゲームみたいで面白いです。最果さんの詩は飛躍した解釈だけれども、時空を超えて繋がっているように感じられます。この詩は各行末が句点で終わっていて、行間の寂寞を感じさせます。百人一首の中で季節を詠んだ歌32首のうち半分は秋を詠んだ歌です。秋はさみしい季節だからさみしい歌なのか、さみしい歌が詠まれたからさみしい季節になったのか。月が詠まれた歌は11首ありますが、そのうち秋の歌は3首あります。「月がぼくを見つけてしまった」という逆説的な表現にやられました。

ブルーを基調とした清川さんの作品は荒涼とした冷たさを感じさせます。この作品の鹿は『もののけ姫』を連想させます。鹿が出てくる歌は3首しかないのですが、清川さんの作品には5作品で鹿が登場します。その中では、83「世の中よ」の切り絵風の鹿の作品が好きです。この作品も細かい縦糸が施されていて青緑系統の色合いが深山の幽玄さを思わせます。

 

 

31.坂上是則
朝ぼらけ有明の月と見るまでに
吉野の里にふれる白雪

この歌は、月が詠まれていますが月は出ていません。是則は蹴鞠名人で、蹴鞠の会で連続206回蹴って、帝から褒美をもらったという逸話があります。最果さんの詩は現代的で、是則は早起きしたサッカー選手かという感じです。月と雪の間に桜が入って二段構えになっているところが新しいです。「しろ、しろ、しろと、」いう雪の描写は、薄雪を感じさせます。「ほうほう」というオノマトペも面白いです。自分が関西人のせいか、擬音語・擬態語には割と敏感で結構印象に残ります。最果さんの100編の詩のうち少なくとも27編の詩で擬音語・擬態語が使われています。最果さんも関西人やからかなあ。

37「白露に」の「る、る、る、る、る、」というのは、オノマトペではないですが、虫の音を連想させて面白いです。

40「しのぶれど」の最果さんの詩は、確実に恋に浮かれていて微笑ましさを感じます。この歌の清川さんの作品はベニシジミだろうか。恋のフェロモンがヒラヒラ舞っている感じです。

 

 

45.謙徳公
あはれともいふべき人は思ほえで
身のいたづらになりぬべきかな

この歌の清川さんの作品は細かく施された縦糸が、雨のようでもあり、ノイズのようでもあり、ワインレッドのシルエットは血のように見えて、これは植物なのか水面なのか痛々しさを感じます。これは、19の伊勢の歌の作品と対応しているように思います。

最果さんの詩は、前半は人生の孤独に打ちひしがれています。孤独な人生の救いとなる人がいない。後半は報われない恋に焦がれて弱っていく男の心の有様が、沖に流されていく無人の船に仮託されていて、そこが新しいと思いました。46「由良の門を」と対応するようにも思います。46の詩はエロスを感じます。

50「君がため惜しからざりし」の詩は、光と闇、生と死の二項対立。夜明けの真新しい光の静謐を感じました。この詩の「道は花は草は石は」のように畳みかけるような言葉の羅列も随所に見られますが、やはりリズムを感じます。この詩集は音読したくなります。耳でも味わいたい。朗読CDとか出してほしい。清川さんの作品は、スパンコール! 女性のシルエットのみだれ髪は川の流れのようにも見えます。エロスとタナトスが感じられて、最果さんの詩と見事に呼応しています。

 

 

55.大納言公任
滝の音は絶えて久しくなりぬれど
名こそ流れてなほ聞こえけれ

百人一首には百首の歌それぞれが持つ意味だけでなく、百人一首全体から生み出されるものもあるように思われます。同じ言葉が歌と歌を結びつけ、そこから何か別の効果が生まれるようなところがあると思います。最果さんの詩にも、それぞれの詩が相互作用することによって創発される何かがあるように思われてきます。この詩は「透明」つながりで、9「花の色は」の詩と相互作用しています。55の歌から小野小町の霊が浮かび上がってくるかのような気がします。

52「明けぬれば」の時の流れを恨む気持ち、53「嘆きつつの破れていく心の底と夜空の果てのない暗さ、54「忘れじの」の「深い緑の時間の重さ」、そして、「永遠」という言葉は、55の「永遠の底」と相互作用しています。この流れは、ゾワゾワしてきます。

「透明」は、愛とか心とか形のないものを思わせますが、「透明」をニュートリノダークマター、「永遠の底」をブラックホール、「滝」を恒星や銀河系と曲解すると、この詩は宇宙論になります。そうすると、9の詩は年老いた科学者の述懐に思えてきます。

 

 

56.和泉式部
あらざらむこの世のほかの思ひ出に
今ひとたびの逢ふこともがな

この詩はね、ホントすごいです。和泉式部の魂が乗り移ったかのよう。死を受け入れた諦念とそれでも消え残る恋する想い。振り絞るように発せられた最後の一行…

58「有馬山」の本歌は不誠実な男に対して強い調子で反発していますが、最果さんの詩は静かな憤りが感じられて、かえってコワいです。なんか、ごめんなさい…

59「やすらはで」の詩には「夜の底」という言葉が出てきます。「夜の底」といえば川端康成ですが、ここでの使われ方は新鮮な感じがしました。清川さんの細かく縦糸が施された作品もルナティックな感じで良いです。

 

 

66.前大僧正行尊
もろともにあはれと思へ山桜
花よりほかに知る人もなし

どこかの国で「孤独担当大臣」を新設したというニュースがあったが、孤独の何が悪いのだ。大切なのは内面の豊かさではないか。個人の内面の豊かさを摩耗させるような政策が悪いのだ。あの山桜を見るがいい。お前達には私の花を数えることが出来ないのか。みたいな。

「君は自分だけが一人坊っちだと思うかも知れないが、僕も一人坊っちですよ。一人坊っちは崇高なものです」

『野分』夏目漱石

 

 

68.三条院
心にもあらでうき世にながらへば
恋しかるべき夜半の月かな

三条院の不運な生涯とこの歌が詠まれた背景を思うと同情を禁じ得ません。最果さんの詩も涙を誘います。当時の院は、病気がちで失明同然だったといいます。病んだ身には太陽の光は強すぎたのでしょう。

 秋にまたあはむあはじも知らぬ身は

 こよひばかりの月をだに見む

という歌も院は詠んでいます。

清川さんの作品は、この歌を詠んだ翌年に崩御された院の運命を暗示させますが、宇宙的な感じが気に入っています。

 

 

80.待賢門院堀河
長からむ心もしらず黒髪の
みだれて今朝は物をこそ思へ

最果さんの詩も清川さんの作品もエロスを感じさせます。両者が呼応しあって乱れに乱れた感じです。渦巻いている愛の嵐…

 黒髪のみだれもしらずうちふせば

 まづかきやりし人ぞ恋しき

  和泉式部

 くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪

 かつおもひみだれおもひみだるる

  与謝野晶子

と、いろいろ連想します。黒髪の乱れに託された女心の連続性を感じさせます。

82「思ひわび」の詩は、演歌調というかニューミュージック調というか叙情的で、道因法師がリサイタルで切々と歌い上げている情景を想像して、ちょっと笑ってしまった。

84「ながらへば」の詩も歌の本意がよく反映されていて、生きることは辛いことばかりだけれど、昔の辛かったことが今では懐かしく思われるように、今の辛さもいつかは懐かしく思える日が来るだろうと、人生の艱難辛苦にじっと耐え忍ぶ中間管理職のオジサンの姿が浮かび上がってきます。清川さんの作品は、細かく施された青紫系統の縦糸のスリット越しに背景が垣間見られ、私にはひっくり返ってもがいている昆虫が見えます。

 

 

89.式子内親王
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば
忍ぶることの弱りもぞする

この清川さんのゴシック風の作品は好きです。花柄が施されたチュールレース越しに骸骨が二人抱き合っていて、背景にはモノクロの花が咲き乱れています。下の方に麻の葉模様の刺繍が雲形の中に施されていて仏教的なものも感じさせます。これは、現世では叶わない恋をモチーフとしているのでしょう。

最果さんの詩も、禁じられた恋に身もだえする内親王の激情が切々と語られ、鬼気迫ってくるものがあります。百人一首の中では和泉式部の歌と双璧をなす命を賭けた恋歌でしょう。

清川さんのチュールレースを使った作品は少なくとも15作品あります。7「天の原」の木や、71「夕されば」の秋風など透け感が効果的に使われていて印象的です。

21「今来むと」では、細かく施された縦糸の手法とチュールレースが使われていますが、何を表しているのかよくわからない不思議な作品。人魂が舞っているようにも見えますが、この構図を太陽と地球と見て、月はバラバラになって地球の周りを回っていて、まだ固まっていない。だから、月はまだ出てこられない。というふうに解しました。最果さんの詩は、ブツブツとひとりごとを言っている感じでおかしみがあります。

87「村雨の」では、秋の夕暮れの背景と花や葉をあしらったチュールレースと細かく施された縦糸が重なって幽玄としていながら、なんかゴージャスだなと思いました。最果さんの詩は地球の自転と大気の循環まで想起させる壮大なイメージを感じました。

 

 

92.二条院讃岐
わが袖は潮干に見えぬ沖の石の
人こそしらねかわく間もなし

最果さんの詩は、届かぬ想いに心が深く深く沈んでいったその海は涙の海だというすさまじさ、光も届かない深海まで沈み込んでしまうという救いのなさ、本歌よりも重篤な感じがします。清川さんの作品も呼応するかのように打ちひしがれた女の子がチュールレースの海底で膝を抱えてうなだれています。スパンコールの水泡がキラキラと浮かび上がっているのは、彼女のため息だろうか。

 99「人もをし」は、分かるような分からないような最果さんらしい詩と、「TOKYOモンスター」風の清川さんらしい作品で、ラス前に二人とも得意技を出してきたかという感じです。

100「百敷や」の清川さんの作品は、細かく施された縦糸のスリットから色とりどりの蝶々が舞う姿が垣間見られる幻想的な作品。この蝶々たちは百首の歌を表しているようにも思われます。最果さんの詩は、「百敷」という言葉の意味から広げられた壮大な時の流れのイメージが、過去の栄華を忍んでも忍びきれないほど衰えた王朝に対する悲嘆を強調しているように思います。百人一首は、藤原定家が過ぎ去った平安王朝の栄華への挽歌として編んだという見方もありますが、沈黙する石が、百首の歌の背後にある、消えていった言葉たちや生まれなかった言葉たちの墓標のようにも思われてきます。

 

 

 

 

千年後の百人一首

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最後に、この本の最果タヒさんの詩に出てきた擬音語・擬態語をできる限り採集して並べてみました。意味はありません。やってみたかっただけです。

 

 

 

 

 

ぽたぽた   ぴたりぴたり、

 しやん、しやん、しやん、

   さあさあ   ふわふわ

ぽたりぽたり

       うじうじ

    ぴたぴた

ゴツゴツ

      ことり

 ひょろひょろ

         しんしん

ほうほう   さらさら

   ぱらぱら

        そよそよ

 さくりさくり

     ぽつぽつ

  じんじん

じりじり

    ほう、   ふらふら

じりじり

      はず、はず、

 ほろほろ

   こぽこぽ

         カタン

     つらつら

するする

       ぱらぱら

 はらはら