森の踏切番日記

ただのグダグダな日記です/2018年4月からはマイクラ日記をつけています/スマホでのんびりしたサバイバル生活をしています/面倒くさいことは基本しません

行けど萩行けど薄の原広し 漱石

九月の読書録02ーーーーーーー

 二百十日・野分

 夏目漱石新潮文庫

 1609-02★★★

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🐱夏目漱石明治39年(1906年)9月、「新小説」に「草枕」を発表後、10月、「中央公論」に「二百十日」を、翌明治40年(1907年)1月、「ホトトギス」に「野分」を発表している。どちらも中編小説である。この後、一高と帝大を辞職し朝日新聞社員になり、6月から「虞美人草」の連載を始めることになる。

 


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🐱「二百十日」は、まあまあ面白かったが、あまり出来の良い小説とは云えないだろう。熊本時代の明治32年(1899年)9月初めに、同僚の山川信次郎と阿蘇登山を試みたときの見聞が素材になっていると云われている。碌さんと圭さんの会話は軽妙で滑稽だが、その場限りで進展は見られない。漱石自身が腹の中にたまっていたものを吐き出す為に必要だった小説なのかも知れない。それにしても徒歩で阿蘇登山とは、しかも、火山灰が降るし、天候は大荒れだし、無茶をするなあ。

二人の頭の上では二百十一日の阿蘇が轟々と百年の不平を限りなき碧空に吐き出している。

🐱この作品については高浜虚子に宛てた手紙が有名で、それによると、「圭さんは呑気にして頑固なるもの。碌さんは陽気にしてどうでも構わないもの」であるらしい。そして、「僕思うに圭さんは現代に必要な人間である。今の青年は皆圭さんを見習うがよろしい。然らずんば碌さんほど悟るがよろしい。今の青年はドッチでもない。カラ駄目だ。生意気なばかりだ。」と書いている。圭さんは坊っちゃん山嵐に近い人物という感じがしないでもない。碌さんは余裕派の非人情派で草枕的な感じがしないでもない。

 


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🐱「野分」は読みにくい小説だった。一度にたくさん読む気になれなくて、読み終わるまでに日数が掛かってしまった。会話の部分は面白くて(漱石作品はどれも会話が面白い)、読みやすいのだが、地の文は読みにくいし、つまらない。「虞美人草」とはまた違った読みにくさがあった(「虞美人草」は嫌いではない)。完成度があまり高くない。

🐱高柳周作と中野輝一は学生時代からの友人関係だが、高柳はボッチの貧乏学士で中野は金持ちの高等遊民である。全くやり切れない。白井道也は元中学校教師で理想家の文学者だが、当然のごとく貧乏である。高柳は教師時代の教え子なのだが、白井自身は覚えていない。小宮豊隆によると、高柳は「拘泥派」で白井は「志士派」であるということらしい。人生に対する覚悟の違いと云えよう。貧乏だから不幸なのではない。

道也先生から見た天地は人の為にする天地である。高柳君から見た天地は己の為にする天地である。

🐱この作品は、やはり、白井道也の演説「現代の青年に告ぐ」に尽きるだろう。当時の日露戦争後の拝金主義で軽薄浮薄な日本の現状に対する漱石の憤りが如実に現れている。この小説も漱石自身の腹の中にたまっていたものを吐き出す為に必要な小説だったのかも知れない。野分の情景描写は、あまり効果的ではなかったと思う。



「一人坊っちは崇高なものです」



二百十日・野分 (新潮文庫)

二百十日・野分 (新潮文庫)

 

 

 

🐱「二百十日」にも「野分」にも社会批判の色合いが濃く出ていて、それが漱石作品の中で異彩を放っている。漱石の権門富貴に対する反発は根深いものがあり、これは単なる反骨精神ではなく、権力を持つ者や金力を持つ者にはそれだけの義務と責任が社会に対してあるにもかかわらず、彼らがその義務と責任を果たそうとしないところにあるようだ。大正3年(1914年)11月25日、学習院での講演「私の個人主義」で次のように述べている。

第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事。つまりこの三ヶ条に帰着するのです。

 これをほかの言葉で言い直すと、いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。