森の踏切番日記

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鏡子夫人のラブレター

漱石鏡子夫妻まとめ(3)

🐱土曜ドラマ夏目漱石の妻]に合わせて漱石鏡子夫妻についてまとめております。前回に引き続き、夏目金之助のロンドン時代の手紙を中心に紹介します。

 

 

夏目金之助の鏡子への手紙2

明治34年(1901)1月26日、鏡子は次女恒子を出産するが、ロンドンの金之助にはなかなか情報が届かず、金之助は心配する。鏡子夫人は筆不精であったようだ。メールに放置プレイをするタイプであるな。吾輩もだ。

漱石の日記によると、1月24日に鏡子から手紙が届いている。これが出産前最後の手紙で、1月25日付の日記に「妻へ返書を出す。小児出産後命名を依托し来るなり」とある。

 

2月20日付の手紙から、その一部を。

段々日が立つと国の事を色々思う。おれのような不人情なものでもしきりに御前が恋しい。これだけは奇特と云って褒めて貰わねばならぬ。

日本の人は地獄(娼婦のこと)に金を使う人が中々ある。惜しい事だ。おれは謹直方正だ。安心するが善い。

これが3月8日付の手紙になると、

その後国から便があるかと思っても一向ない。

御前は産をしたのか、子供は男か女か、両方共丈夫なのかどうもさっぱり分からん。遠国にいるとなかなか心配なものだ。自分で書けなければ中根の御父さんか誰かに書いてもらうが好い。

おれはあいかわらず忙しいから長い手紙を出したくても出す暇がない。諸方へは御前からよろしく言ってくれ。

おれは丈夫だ。よほど肥えたようだ。しかし早く日本に帰りたい。後はその内書いてやる。

言葉使いが乱暴になっている。前回紹介した手紙は候文だったのに。忙しいということもあるだろうが、金之助はイライラしているように思われる。

3月18日付の日記に「中根の父より消息あり、恒子出産の報を聞く」とある。3月8日付の手紙はまだ日本に届いていないので、行き違いになったようだ。現代の単身赴任のパパよりも心配が大きかっただろうと想像する。

 

鏡子夫人のラブレター

2月20日付の漱石の手紙には鏡子夫人の返書が残っている。これは4月13日付で出されており、漱石の元に届いたのは5月23日であったらしい。産後で大変だったこともあるだろうが、ようやく返事を書く気になったようだ。その手紙を『漱石先生ぞな、もし』(半藤一利:文春文庫)から引用しよう。当時鏡子夫人は23歳であった。

あなたが帰り度なつたの淋しいの女房の恋しいなぞとは今迄にないめつらしい事と驚いて居ります しかし私もあなたの事を恋しいと思ひつつけている事はまけないつもりです 御わかれした初の内は夜も目がさめるとねられぬ位かんかへ出してこまりました

あなたは余程おかしな方ねへ 地獄はかはない謹直方正たなんぞとわざわざの御ひろう あなたのことですものそんな事は無と安心しています 又あつても何とも思ふ者ですか たた丈夫でいて下さればそれか何より安心です 然し私の事をおわすれになつてはいやですよ

どんな事かあつてもあなたにおめにかからない内は死なない事ときめていますから御安心遊ばせ 此節は廿五円のくらしになれて一向平気な者に御座候 それ故いつもおとよさんたちに御姉さんけちんぼうねへといはれ居候

此手紙は御覧遊はしたら破いて下さい

残ってます。この手紙はかなり長い手紙で巻物になっているそうだが、漱石は破りもせずに日本まで持ち帰っているのである。

漱石の日記によると5月23日には鏡子からの手紙は二通あったようだ。29日にも鏡子からの手紙が届いて返事を書いたことが記されている。

漱石が友人に宛てた手紙には、

第一無精極まる僕が妻の処へだけは一月に一返位便りをするから奇特だろう。あんな御多角顔でも帰ったら大事にしてやろうと思うよ。

とある。よく言うよ。

5月20日付の漱石の日記より。

夜、池田と話す。理想美人のdescriptionあり。両人とも頗る精しき説明をなして両人現在の妻とこの理想美人を比較するに殆ど比較すべかざるほど遠かれり。大笑なり。

 池田は化学者池田菊苗(1864-1936)のことで、この時期二ヶ月ほど二人は同じ下宿に住んでおり、漱石は大きな影響を受けている。池田菊苗は、うまみ成分L-グルタミン酸ナトリウム(味の素)の発見者。池田本人は「具留多味酸」と表記している。

 

ロンドン時代の金之助の収入は文部省からの給費だけといってよく、それで家族の生活費と自身の生活費と書籍代を賄わなければならなかった。

従って、鏡子の手紙にある通り家族は切り詰めた暮らしをしなければならなかったのだ。金之助自身も生活費の大半を書籍代に充てるため、薄暗い安い下宿で食費を切り詰める為にビスケットをかじりながら、研究のための読書(殆どが古書)に明け暮れていたのだった。

金之助は文部省の申報書に「学資軽少にして修学に便ならず」と記している。

池田菊苗と同宿していた頃はまだよかったのだが、この後、不自由な暮らし、留学費の不足、孤独感などのため、神経衰弱が深まっていくのだった。それでも金之助は、この後も家族を気遣う手紙を鏡子に出しているが、長くなるので、今日は、ここまでにしよう。🐥

 

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漱石最後の下宿先 81 The Chase

 

 

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