『ブラタモリ』#85高知(3/3)
~高知の町はなぜ龍馬を生んだ?
近江「龍馬の休日♥」
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橋本先生の主張。
記念すべき場所。
証明された。
へえ~
地質学の夜明けぜよ。
龍馬が作ったわけじゃない。
だったんだ。
安政元年(1854)11月5日の安政南海地震(南海トラフによるプレート境界地震)のときは、津波の被害にあったようだ。
ビニールハウスでねって、ちゃうちゃう。
土佐藩の施設。船を作っていた。
そういった人たちが多く住んでいた。
のかな?
船は見てたに違いない。
タモリ少年の場合。
中城家。非公開。
山内家の御船方衆だったそうな。
慶応3年(1867)9月23日、海路で土佐に上陸
ライフル銃千挺を持ち込んでいた。
才谷梅太郎という変名を使って、中城家に潜伏した。才谷は坂本家の本家筋の屋号。
10月1日には、土佐を出港している。
タモリ「世界地図ですね」
1835年。天保6年は、龍馬が生まれた年だわ。
龍馬の実母・幸は、龍馬が10歳の時に死去。龍馬は、後妻・伊与によって養育された。
川島家は、その伊与の里にあたる。
少年時代の龍馬は、姉・乙女と一緒に度々川島家に遊びに行っていたという。
中城家は、川島家と親交があったことから、龍馬は潜伏先に選んだようだ。
欧羅巴。
欧羅巴おじさん。
これは、納得した。
安政元年(1854)に土佐に帰国した中濱万次郎(ジョン万次郎)を尋問した河田小龍は、尋問した内容を詳しく記録した人として知られていますが、
龍馬の姉・乙女の旦那のツレだったそうで、龍馬は、河田小龍から詳しく話を聞いて、
国際情勢を学び影響を受けたという話もあります。
分かるぅ~。
たまに、タモリさんが親戚のおじさんみたいに感じるときあるもんなあ。
今年は、明治150年。
地球の歴史と比べたらねえ。
ついさっきって。
おとといぐらいって。
今回の近江ちゃんは、両親の地元のせいか、いつもよりリラックスしていたなあ。
カツオのたたき食いてえ。
この場所は気に入った。行ってみたい。
まあ、八割方無理矢理やったけどな。
最後は納得しました。
次回から立山シリーズ。
これは楽しみ。日本にも氷河があるんですよお。
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※明治維新当時の京都の地図で近江屋を探そう。