『ブラタモリ』#89洞爺湖(3/3)
~なぜ “世界の洞爺湖” になった?
同級生、また会おう!
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昭和新山の溶岩を見てみよう。
たぶん「デイサイト」(火山岩の一種)
近江ちゃんの溶岩のイメージ。
タモリ「出てすぐ固まる?」
小麦粉にイカスミと水をくわえて粘りが出るようによく練ります。
できましたら、ビニール袋に入れて穴の開いた紙皿の下に備えつけます。
紙皿には、きな粉をたっぷり敷きつめましょう。
できましたら、ビニール袋を下からムニュッと押します。
グラグラ
ボコボコボコ
横山「最終段階でこういう事が…」
タモリ「流れません」
表面に付着した麦畑の土(きな粉)が焼ける。
粘り気の強い溶岩が出てきて、ほとんど流れないまま出てきた所で固まったのが昭和新山。
1943年(昭和18)12月28日、壮瞥町周辺で最初の有感地震。
1945年(昭和20)9月20日、全活動停止。
その活動のすべてを記録した人がいた。
それがこのグラフ(ダイヤグラム)。
最初の有感地震以降、地震や隆起などの異変が続いた。およそ半年後、最初の大噴火が起こる。
1944年(昭和19)6月23日、第1次大噴火。第1火口形成。10月30日までに17次にわたる大噴火で、第7火口まで形成される。この間の大噴火では火山灰や火山弾の噴出があった。また、亜硫酸ガスの噴出で山林が荒廃した。
第17次大噴火で降灰はおさまり、12月から溶岩ドームの推上が始まる。翌年9月20日の活動停止までに、溶岩ドームの主塔の高さは175mに達した。
1948年、オスロで開かれた万国火山会議で紹介された。
わが家の押し入れには祖母や伯父が遺した昭和の本がしまってあるのですが、その中に新田次郎の短編集『昭和新山』があります。
以前、読んだことがあるのですが、表題作「昭和新山」の主人公・美松五郎のモデルになったのがこの人、
三松正夫さん。
こちらがその三松正夫さん(1888-1977)。
1910年の噴火も経験しています。
1977年の有珠山の噴火も見届けています。
生涯で三度の噴火を経験したことになります。
娘婿さん(80歳らしい)。新田次郎の小説では、孫娘のお婿さん・紫郎として登場しています。
小説では、孫娘の母はお産の時に死亡し、父は戦死しています。これが事実に基づいているならば、孫娘を養子にして育てたということでしょう。
1910年の有珠山噴火の時、火山学者の案内をして以来、多くの火山学者と知り合い、自身も火山に興味を持ったという。
草彅「しかし、正夫さんは工夫して器具をつくり」
草彅「世界を驚かすあのグラフを作りあげました」
戦時中は、昭和新山の噴火はいっさい公表されなかった。
1946年(昭和21年)のことです。
新田次郎の小説では、硫黄に目をつけた鉱山師に山を荒らされるのを防ぐためだとしています。これは、三松正夫さんの著書に基づいているようです。
三松正夫さんは、昭和新山に愛着を感じていたのでしょう。
三朗さんに託された。
照れ隠し?
1951年(昭和26)天然記念物指定
1957年(昭和32)特別天然記念物指定
三松「(正夫さんは)損得のない人で」
三松正夫さんが作製した「昭和新山隆起圖」は、1948年、オスロで開かれた万国火山会議で専門家から世界で唯一の火山誕生の記録として高く評価され「ミマツダイヤグラム」と名付けられた。このことが日本でも報道されて、昭和新山の名はようやく世間に広く知られるようになったという。
草彅「火山とともに生きる姿勢が」
新田次郎の小説によると、昭和新山が観光の対象となったのは、昭和30年代から。昭和35年以降の観光ブームで観光客が急増したという。当然、観光業者から山を高値で買い取りたいという申し出もあったが、美松五郎(三松正夫がモデル)は全て断っている。三朗さんの言う「損得のない人」というのは、その事を指しているのでしょう。
草彅「一連の活動で、2人が亡くなり、1人が行方不明に。多くの家屋も被害を受けました」
草彅「それでもこの地域の人々は火山と向き合い、共に生きる道を探そうとします」
噴火の予兆を捉えて、噴火が始まる前に全住民完全避難。
草彅「これまでに積み上げた経験や記録が」
すばらしい。
草彅「もうひとつの意外な理由が分かります」
タモリ「これは道路ですか?」
道路、池、道路。
後ろの方は、下り坂。
なんと。
隆起しちゃった。
草彅「その当時のままに広がっています」
ほお~。
噴火の痕跡をあえて残している場所
西山山麓火口散策路
段になってます。
プチ断層崖
近江「はあ~」
火山の噴火でこの場所が隆起、地表部分が割れて広がった。
水などに浸食されずにすんだ。
草彅「散策路として整備されました」
タモリ「残すっていうのがえらいですね」
そうですね。
近江ちゃんのポイントは、そこ?
🔍西山山麓火口散策路Google マップ
タモリさん大満足。
♬記憶と想い出を~
を参考にしました。
昭和新山と三松正夫像
像の下の台に「麦圃生山」とある
📄関連日記
新田次郎の短編小説「昭和新山」のあらすじ - 森の踏切番日記
次回は

