『ブラタモリ』#92岐阜(3/3)
~岐阜は信長が夢見た“平和の都”!?
近江(ホヘって💧)
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何のためでしょう?
天井が高い
張り子の犬が気になる
近江アナ大喜び
なんか美人さん
草彅「和紙にニスを塗り透明感を出した水うちわ」
タモリさんも挑戦
続いて近江アナも。何かやってくれそうな…
ん?
あれ?
10月3日(火)だったんだ。
やっぱり、やってくれました。
練習だったんだ
本番?
こちらが出来上がり。
何でしょう?
これはね有名だしね。
おいおい
ということで…
川原町から南へ3km
円徳寺
古い秩序を打破して新しい秩序を作る意味合いもあったと思う。
円徳寺に残っている立て札
1569年(永禄12)に岐阜城下の加納で楽市令を施行。
楽市令は信長が最初ではなく、今川氏や六角氏の先行例がある。
当時は別の場所にあったらしい
草彅「この場所にあったと言われています」
緑の道がキーポイント
突き当たったので迂回します。
突き当たりの向こうに回り込みました。
かつての円徳寺をしのぶ唯一の痕跡
その近くの十字路に制札があったようだ。
マックスバリュ岐阜元町店
もう少し南へ下ると江戸時代の岐阜城廃城後の加納城の跡の加納公園があります。
セブンイレブン岐阜金園2丁目店前からお送りしました。
城下の整備と経済政策はこの時期の戦国大名の領国経営の基本だったのだろうなあ。
経済を制するものが天下を制することをよく理解していたのが織田信長だったと思います。そして、天下を取るための方法論として無駄な戦は避け、利用できるものは将軍でも天皇でも利用し、外交交渉と武力行使を使い分けていたということだと思います。
織田信長チャート会入会決定?
鵜飼い?
次回は

ひこにゃんとブラタモリ?

🐱彦根でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記
おまけ
