1月2日に放送された『ブラタモリ❌鶴瓶の家族に乾杯 初夢スペシャル』は、「 “一富士二鷹三茄子” ルーツは三保にあり」ということでした。
今回は、それに因んだ画像を適当に貼ってお茶をにごしたいと思います。
三保の松原です。恒例のパネル登場。
曇ってて肝心の富士山が見えなかった。
ブラタモリらしいオープニング。
こちらが、三保の松原からの富士山です。
右に見えるのが愛鷹山(あしたかやま)です。
これで一富士二鷹。
三保に茄子があれば、一富士二鷹三茄子が完成。
上の画像は、番組で紹介された喜多川歌麿の『初夢見立て 一富士二鷹三茄子』です。三保の松原に、一富士二鷹三茄子がそろっています。
番組ではまず、徳川家康の好物(富士山・鷹・初物の茄子)説が紹介されました。鷹は鷹狩のことです。家康の鷹狩好きは、庶民の間にも知れわたっているくらい有名でした。
それから、家康が挙げた駿河国で高いものの順(富士山・愛鷹山・初物の茄子)説が紹介されました。番組では、こちらの説を推していました。
二鷹は、愛鷹山が先で、鷹が後付けっぽい感じがします。愛鷹山は、もともとは足高山と書かれていました。足高山がいつ愛鷹山になったのかは、はっきりしません。
東照宮御影(部分)
この『東照宮御影』は、徳川家康を神格化した画像ですが、背景に白鷹が描かれています。家康といえば鷹なので、愛鷹山が鷹に変わった可能性が高いのではないかという推測が成り立ちます。
番組では、久能山東照宮の鷹の透かし彫りを紹介していました。こちらです。
番組では出てきませんでしたが、喜多川歌麿には、他にも「一富士二鷹三茄子」を題材にした浮世絵があります。こちらです。
一富士二鷹三茄子については他に、駿河国の名物説もあります。家康とは無関係に駿河国の名物を挙げたという説です。これには続きがあって、「一富士二鷹三茄子四扇五煙草六座頭」となります。これは、富士と扇が末広がり、鷹とタバコの煙が上昇、茄子と座頭が毛がない(→怪我ない)という対応関係になっているとか。
他にも諸説あるようです。
番組では、上の広重の浮世絵のように富士山の手前に三保と海がセットになっていることが大切だと強調していました。なぜでしょう?
それは、有度山中腹辺りから見た風景を浄土信仰の浄土庭園に見立てたからだということです。
上の『富士参詣曼荼羅図』の下に見える島が三保の松原です。これは、浄土庭園につきものの池の中島を表しているということです。
三保の松原は、平安時代までは島だったのですが、この絵が描かれた室町時代には半島になっていました。それでも、この絵では島として描かれています。島でないと浄土庭園にならないからです。
『ブラタモリ #56平泉』より(平泉でブラタモリ - 森の踏切番日記)
こちらが浄土庭園。阿弥陀堂の前に池を配置し中島を設けます。中島は蓬莱神仙島を表しています。中島から向こう側が彼岸、つまり、極楽浄土を表しています。
『富士参詣曼荼羅図』では、富士山を阿弥陀堂、海を池、三保の松原を中島に見立てています。
富士山自体にも蓬莱山の異名があります。
有度山中腹辺り。後ろに見える半島が三保の松原。富士山が…
日本平からの富士山です。
そんなわけで、富士山と海と三保の松原はセットじゃないと意味がないわけです。
だから三保の松原は、ユネスコの世界文化遺産「富士山 - 信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産に登録されている、という話でした。
有度山周辺の地形図
上の画面中央右の独立山が有度山です。「うどさん」とも「うどやま」とも呼ばれています。標高307m。山頂の平坦地が日本平です。南域に久能山があります。標高216m。その山腹に久能山東照宮があります。東の半島が三保の松原になります。
ちょうどいいフリー画像が見つかりました。
画面中央やや下右の独立山が有度山です。手前に静岡の市街が広がっていて安倍川が流れています。有度山の後方が清水区で三保半島がカーブを描いています。
有度山は、更新世に安倍川から海に流出した土砂が堆積した砂礫層と海成の泥層がドーム状に隆起して形成されました。つまり、プレート運動で撓(たわ)んだということです。
10万年かかって300m隆起したということですから、100万年後には3000m級の山になる?
有度山の海側は高さ200mの断崖絶壁が5kmにわたって続いています。これは海食によって削り取られたもので、海食崖といいます。この削り取られた土砂が沿岸流によって流されて、三保半島をつくったのでした。
そして、この三保に堆積した黒い砂こそ茄子の栽培に適していたのでした。
ここで茄子とつながった🍆!
上の画像が三保半島で栽培されている折戸(おりど)なす🍆です。三保半島の付け根辺りが折戸地区です。この折戸なす🍆こそが三茄子の茄子だったのです。
三保の黒い砂は太陽熱で温もりやすいので促成栽培に適しています。なので他の地域よりも早く収穫できるというメリットがありました。これを初物好きの江戸っ子が見逃すはずがないというわけです。
そして、初茄子の値は高い。
「まづ一に高きは富士の山なり、その次は足高山なり、其次は初茄子なり」
と、家康が言ったとか。(『甲子夜話』)
家康は毎年初物の折戸なす🍆を500個献上させていたそうな。
初物の折戸なす🍆は5個で1両もしたそうな。1両は諸説ありますが、番組では10万円としていました。つまり、1個2万円!
この折戸なす🍆は、明治になって栽培が途絶えたのですが、2005年に復活しました。
JAしみずでは、一箱11~12玉入を3000円で販売しています。旬は6月~9月です。
それでは試食してみましょう。
フルーティ!
焼いても…
猫舌か~い!
ということでした🍆
🗻おまけ
江戸時代の人々は富士山の火口に向かって賽銭を投げお参りしていました。
火口の周りにある8つの峰をそれぞれ仏に見立てていました。
そして、大日如来が火口に現れると信じていたということです。
大日如来の正体はブロッケン現象でした。ブロッケン現象は、背後からの太陽光で目の前の霧に自分の影が映る珍しい現象です。
これが、江戸時代の御来迎だったということです。そんなわけで、江戸時代の人々は太陽に背を向けて火口を拝んでいたわけです。
「#21富士山頂」編でした。なつかし。
🗻関連日記➡南海トラフ地震で富士山が噴火? 『日本列島100万年史』を読む(3)中部 - 森の踏切番日記
それでは最後に
一富士
二鷹
サンディエ~ゴ!
失礼しました
三茄子!
折戸なす🍆🍆🍆
(引用元:ふじのくに文化資源データベース)
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴのラ・ホーヤはアザラシの名所だそう🍆
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