森の踏切番日記

読書録など気ままな日記をグダグダやってます

なつかしの『アスラクライン』

8月の読書録09~22ーーーーー

 アスラクライン 全14巻

 三雲岳斗

 電撃文庫(2005/07/25~2010/02/10)

 ★★★☆

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7月に『デート・ア・ライブ』を第1巻から第12巻まで読んだので、8月は『デート・ア・ライブ アンコール』の方を読もうと思っていたのだけれども、とあるきっかけで、『アスラクライン』が懐かしくなったので、『アスラクライン』を読み返してみることにした。

 

著者の三雲岳斗は、1970年大分県生まれ。上智大学国語学部英語学科卒。98年に『コールド・ゲヘナ』で第5回電撃ゲーム小説大賞銀賞を受賞し、デビュー。99年に『M.G.H.楽園の鏡像』で、第1回日本SF新人賞を受賞。2000年には『アース・リバース』で第5回スニーカー大賞特別賞を受賞した。『アスラクライン』は、電撃文庫での五番目のシリーズということになる。SF、ミステリ、歴史伝奇など、多岐にわたる作品を発表している。

 

『聖遺の天使』(2003) 、『旧宮殿にて』(2005) の二作品は、若き日のレオナルド・ダ・ヴィンチを探偵役にしたミステリの秀作で、ダ・ヴィンチの「白貂を抱く貴婦人」のモデルと云われるチェチーリア・ガッレラーニも登場する私のお気に入りの作品である。特に、『旧宮殿にて』収録の「二つの鍵」は佳作である。

また、『少女ノイズ』(2007) は、孤独な天才毒舌美少女が探偵役で、何故か犯罪現場に執着する癖を持つ大学生がワトスン役をつとめる青春ライトミステリ恋愛小説である。こちらも私のお気に入りの作品である。

近年は、ラノベに絞って活動している印象を受けるが、できれば、もっと一般の方でも活躍してほしい作家である。

 

 


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レオナルド・ダ・ヴィンチ「白貂を抱く貴婦人」(1490年頃)

※チェチーリア・ガッレラーニがモデルと云われている。抱いているのは、白貂ではなくて、実はフェレット

 

 

 

アスラクライン」シリーズが始まった2005年は、2003年から始まった谷川流の「涼宮ハルヒ」シリーズの爆発的な人気によって、ラノベというジャンルが一般にも注目され始めた時期にあたる。

アニメ化された2009年は、アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の2回目の放送(1回目は2006年)と時期が重なる。アニメの方は、原作を簡略化したストーリーになっていて、結末も違っていたと記憶している。原作ほどには評価していない。

 

今、突然、アニメ『神魂合体ゴーダンナー!!』を思い出してしまった。あのアニメは良きアニメであった。なにしろ、ハリウッドがパクったくらいだもんな。マジンガーZから綿々と受け継がれてきた正統派ロボットアニメである。調べてみたら、2003年から2004年にかけての放送だった。なつかしいなあ。話が横道にそれてしまった。

 

 

 

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今回、久しぶりに読み返してみて改めて感じたのは、やはり文章がうまいということ。それに、内容の密度が高い。7月に読んだ『デート・ア・ライブ』の場合は、一冊平均二時間で、土日を使って第1巻から第12巻まで一気に読めたが、『アスラクライン』の場合は、読むのに一冊平均三時間かかった。小説としての完成度が高く、じっくり読みたくなる作品である。

 

第1巻のあとがきによると、企画書の段階では内容はスチームパンクになる予定だったそうだ。全然スチームじゃないし。ハイスクールパンクてなんやねん。歯車はスチームパンク設定の名残のようだ。途中で設定が二転三転したそうだが、どういう風に変わっていったのか、私気になります。三雲岳斗スチームパンクも読んでみたいなあ。

 

このシリーズの面白いところは、超弦理論、Dブレーン、一般相対性理論重力レンズなどといった科学理論や科学用語が頻繁に出てくるところである。実は、これらの科学理論や科学用語は作品世界の設定とはあまり関係が無い。どちらかというと、これらの言葉の持つイメージから想像力をふくらませてファンタジーにまで飛躍させたという感じがする。

エヴェレットの多世界解釈とか、ブラックホールのように重力が大きい場所では時間が止まるとか、重力が大きい場所の周囲では空間が歪むので光の進路が曲げられるとか、科学的に正しい知識を作品に利用している部分もあるのだが、大部分は空想科学である。その空想の飛躍のしかたが面白いのである。これぞSFの醍醐味。「シュヴァルツシルトの闇!」好きだなあ。

 

 


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この作品では、宇宙は多元宇宙になっている。ところが、「デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)」が現れて全ての宇宙を滅ぼしてしまうという壮大な世界が設定されている。この「神」は、機械仕掛けの巨大な腕で、おそらくスチームパンク設定の名残だろう。これも「機械仕掛けの神」という言葉からイメージを飛躍させている。(デウス・エクス・マキナは、もともとは演劇用語)

この無数の宇宙の中から、破滅を回避するために二巡目の世界を作り出すことに成功した宇宙があった。その宇宙が作品舞台となる。これは、登場人物の中に、あらゆる世界、あらゆる時間に存在する自己と、感覚と思考の一部を共有する能力を持つ女性(律都)がいることによって保証されている。

ここでの二巡目の世界は、一巡目の世界を過去に戻ってやり直すことを意味している。第12巻における律都の説明には多少の混乱があるが、それは大きな問題ではない。彼女の説明では、この二巡目の世界も様々な可能性に分岐されていることになるのだが、どういうわけか、彼女はこの物語世界の未来だけは知らない。これは、この物語世界の未来が確定していないと考えることもできる。

ここで問題となるのは、二巡目の世界は一巡目の世界を「上書き」するものなのか、新たに分岐した世界なのか、ということである。この作品は多世界解釈を採用しているので、作品の一貫性を考えるならば、二巡目の世界は新たに分岐した世界でなければならない。従って、一巡目の世界は上書きされない。

この物語の結果、一巡目の世界は破滅を免れたかというと、普通に考えると、そういう訳にはいかない。なぜならば、一巡目の世界の破滅は確定してしまっているからである。他の無数の宇宙についても同様である。それは律都の能力が保証している。そうでなければ、二巡目の世界は生まれない。

「機械仕掛けの神」は、どこかの宇宙が重力を制御する技術を手に入れると、自動的に全ての宇宙に出現し全ての宇宙を破壊するという設定になっているのだが、作中の人物は、それが多元宇宙を超えた存在であると考えているようだ。つまり、全ての宇宙に同一の「機械仕掛けの神」が出現するということである。「神」というのは、そういうものだということなのだろう。

そうすると、どこかの宇宙が「機械仕掛けの神」を破壊できれば、多元宇宙の全ての宇宙から「機械仕掛けの神」が消えることになる。この場合、二巡目の世界において、主人公が「機械仕掛けの神」を破壊した時点で、全ての宇宙で、「機械仕掛けの神」が破壊された宇宙、つまり、滅亡を免れた宇宙がそれぞれ分岐して生まれたと考えるしかない。

「機械仕掛けの神」は、重力を制御する技術を手に入れるまで進化した知的生命体に対する、真の「神」が与えた試練と解釈することもできると思う。

二巡目の世界には、「一巡目の世界の遺跡」と呼ばれる一巡目の世界の施設の廃墟が存在する。これは、二巡目の世界が一巡目の世界を上書きしたものだと解釈すればSF的には説明がつくが、二巡目の世界が分岐した世界であると解釈した場合には、一巡目の世界が二巡目の世界に干渉した結果だとでも考えるしかない。

二巡目の世界には、他にも矛盾する点があるのだが、作中の人物は二巡目の世界は一巡目の世界を上書きしたものだと解釈しているようである。作品世界の一貫性から考えると、この作品では上書き解釈はするべきではない、と私は考える。

 

このシリーズの設定は時空が複雑に絡みあっているので、矛盾が出てくるのは仕方のないことだと思う。だからといって、この作品の価値が損なわれるとは思わない。私は、こういうことをグダグダ考えるのが昔から好きなのだが、細かいことを言い出すとキリが無いので、程々にしておいて、あまり気にしないことにしている。屁理屈は、つけようと思えば、いくらでもつけられるものだし。

 

 


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作中、「点火装置(イグナイター)」と呼ばれるプラグインが登場する。これは、二巡目の世界の遺跡で発掘されて、一巡目の世界に持ち込まれた装置である。そして、一巡目の世界に持ち込まれたから、二巡目の世界の遺跡で発掘された、と説明されている。この卑猥な形をした装置は、結局使われることはなかったが、作った人間が誰もいないことになる。

そもそも、物語の核となる「機巧魔神(アスラ・マキーナ)」自体、二巡目の世界の技術を二巡目の世界の人間が一巡目の世界に持ち込んだ結果、一巡目の世界で製作されて一巡目の世界の人間によって二巡目の世界に持ち込まれたのである。つまり、「機巧魔神」の発明者は存在しないのである。こういう「遊び」は、このシリーズの魅力の一つだと思う。

 

 


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「残留思念」という懐かしいSF用語が出てきたり、超弦重力炉の内部へ下るトンネルの入り口に、ダンテの『神曲』の地獄の門に書かれている「この門をくぐる者、一切の希望を捨てよ」という言葉が書かれていたりする。こういう細かい部分も面白いと思う。

 

第4巻のあとがきによると、二つの流れの「交差」と「反転」が、シリーズを読み解くキーワードだという。「日常と非日常の交差、反転こそがこの作品の主要なテーマ」なのである。第9巻で、主人公が丸々1巻女装させられるのも、「交差」と「反転」の一環だろうか。

一巡目の世界と二巡目の世界も交差、反転していると云えよう。このシリーズの中では、主人公が一巡目の世界に飛ばされた、第11巻と第12巻が特に気に入っている。これは、第10巻までに語られた二巡目の世界の出来事があってこそなのだが、二つの世界の違いがもたらす登場人物たちの運命の違いが描かれていて効果的だった。一人だけ5年前に飛ばされたアニアの成長した姿は感動的ですらあった。

 

「日常と非日常の交差、反転」というテーマは、ラノベの主要なテーマの一つになっている。例えば、『デート・ア・ライブ』などもこのタイプの話である。

 

 


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主人公(智春)と二人の少女(操緒、奏)との関係も興味深い。この作品の設定上、この三人は三角関係にならざるを得ないのである。智春と操緒は幼馴染みだが、恋愛関係を超えた特別な関係を思わせる。奏は、智春と出会った時から秘めた恋心を抱いているのだが、智春はなかなか気づかない。智春自身も奏に恋愛感情を持っているのだが、自分の気持ちになかなか気づかない。ラノベの主人公は鈍感でなければならないのだ。最終的には二人は文字通り結ばれるのだが、操緒の感情にそれほど嫉妬があるようには思われない。近しい関係過ぎて恋愛関係には発展しないパターンか。

一巡目の世界の智春(自称直貴)と操緒(自称環緒)の場合は、少し異なる。これは、一巡目の世界では、智春と奏の関係が希薄で恋愛関係にまで至らなかったことによる。智春は操緒を一種の不治の病(非在化)から救うとともに世界を破滅から救うために二巡目の世界へ向かったのだが、失敗に終わり死んでしまう。智春を追いかけて二巡目の世界までやって来てしまった操緒の智春に対する気持ちは二巡目の操緒よりも恋愛感情が強いように思われる。一巡目の操緒は、最後には一巡目の智春の悲願(超弦重力炉の破壊)を達成させるために、自らの命を投げ出す。一巡目の二人の関係は、美しいけれども、少し哀しい。

一巡目と二巡目の操緒に共通しているのは、智春のためなら自己犠牲も厭わない強い気持ちである。これは母性に近いかもしれない。彼女は文字通り智春の守護霊的な存在なのである。

 

 


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このシリーズの本編は、第13巻で完結する。第13巻のあとがきによると、最初に書き始めたときに、物語の最後の場面が完成していたという。作者の頭の中にはループするイメージがあったようだ。どうりで作中でもうずまきがグルグルするわけである。

第14巻では、ユルい短編を挟みながら後日談が語られる。「機械仕掛けの神」を破壊した智春と操緒は時空の狭間をさまよっているようである。奏は、智春と結ばれたけれども、帰りを待つ立場になる。彼女は二人の帰還を確信しているのか、あまり心配していないようである。このシリーズは、奏が智春の義理の妹に智春と操緒の物語を語り始める所で終わる。『アスラクライン』は、幼なじみの少年と少女の物語を少年の恋人が語る物語だったのである。

 

子供の頃、物語を読み終わって本を閉じるとき、このまま物語が終わって登場人物たちと別れてしまうのが、さみしい気持ちになったものである。この少年と少女の物語は、その頃の気持ちを思い出させてくれるそんな物語である。

 

 


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