森の踏切番日記

読書録など気ままな日記をグダグダやってます

三島由紀夫の『肉体の学校』は分かりやすい恋愛小説です

1月の読書録02ーーーーーーー

 肉体の学校

 三島由紀夫

 集英社(1964/02/15)

 ★★★★

────────────────────

 

肉体の学校 (ちくま文庫)

 

 

この小説は1963年(昭和38)に雑誌『マドモアゼル』に連載され、翌年に集英社から単行本が刊行されたのですが、家の押し入れにあった本です(上の画像はちくま文庫版の表紙)。おそらく叔父がタイトルから何かを期待して購入したのではないかと推測しています。ずいぶん前に読んだのですが、先日『命売ります』を読んで、この作品のことを思い出して再読してみました。『命売ります』が話題になったとき、あまり驚かなかったのは、この小説を読んでいて三島の通俗的な小説の面白さを知っていたということもあります。

雑誌『マドモアゼル』は、1960年代に小学館から発行されていた月刊誌です。芸能ゴシップやグラビア、ファッション、インテリア、手芸などの記事があったということで、女性向き総合誌だったようです。三島の他にも有吉佐和子吉行淳之介などの作家が小説を連載していたようです。今の雑誌でいうと『CanCam』にあたるのでしょうか。あるいは、『女性セブン』の月刊誌版といえるかもしれません。『女性セブン』は、『マドモアゼル』よりも少し遅れて1963年の創刊です。

この若い女性をターゲットにしたと思われる雑誌に『肉体の学校』という刺激的なタイトルはインパクトがあります。どうしてもラディゲの『肉体の悪魔』を連想します。田村泰次郎の『肉体の門』も連想されますが、映画の公開がこの小説の単行本刊行と同じ1964年です。この小説も岸田今日子主演で映画化されて翌年公開されています。肉体ブームでしょうか。それはともかく、『命売ります』といい、『肉体の学校』といい、タイトルでまず読者をつかむところがさすがだと思います。

 

 

この小説の主人公の浅野妙子は、元華族で洋裁店を経営する自立した39歳のバツイチ女性です。家柄が良くて裕福で美人で、しかも自由に大人の恋愛を楽しんでいるというのですから読者に対して挑戦的です。

妙子には、同じような境遇の女友達が二人います。川本鈴子はレストランを経営していて、松井信子は映画やファッションの評論家をしています。彼女たちは、「敗戦と民主主義」が生み出した新しい女性たちです。この三人は長いつきあいで、月1で女子会を開いてはオトコの話で盛り上がったりします。鈴子は体の線が崩れはじめたのを気にしていて、信子はやせぎすなのに対して、妙子は美容体操によって見事な均整を保っています。

そんなパーフェクト・ウーマンで何不自由なく暮らしている妙子ですが、今までのオトコ遊びでは物足りなく感じているのですから貪欲です。妙子は、1月の女子会で鈴子の案内で行ったゲイバー「ヒアシンス」のバーテン・佐藤千吉に一目惚れします。ゲイバーの名前が「ヒアシンス」とは、いかにもありそうで笑いました。

 

 

詳しいあらすじは〈肉体の学校 - Wikipedia〉でも参照していただくとして、ここから妙子と千吉の男と女の駆け引きが繰り広げられます。妙子は一目惚れしたとはいえ遊びの恋のつもりです。年上ですしプライドが高いですし当然主導権を握ろうとします。千吉は野心と打算でしか女を見ないタイプの男のようで、こちらも主導権を握ろうとします。意地の張り合いともいえます。男の方は虚勢を張っているだけのような気がします。恋愛の初期はこの主導権争いが見ものです。妙子はもともと面喰いで、千吉の顔も体つきも一目で気に入ったのですが、セックスもかなり良かったようで、すっかり気に入ってしまいます。

 

 

構図としては、上流階級のセレブな女性と貧乏学生で社会の底辺近くであがいている暗い目をした野性的な若い男という二項対立の関係ですから分かりやすいです。お嬢様が不良に惚れてしまうというよくあるパターンのバリエーションです。今までの男にはなかったタイプだわというやつです。二人は水と油のようなものですから、本来ならば、どんなにかき混ぜても混ざりようがありません。そこに恋愛という化学反応を起こさせるのがこの小説の面白さでしょう。妙子は恋をしてないと孤独に耐えられないタチなのですが、恋が始まると孤独がうれし楽しくなります。お金もあって、美しくて、しかも男がいる♪、という満ち足りた心境にひたるわけです。

 

 

男にしろ、女にしろ、肉体上の男らしさ女らしさとは、肉体そのものの性のかがやき、存在全体のかがやきから生まれる筈のものである。それは部分的な機能上の、見栄坊な男らしさとは何の関係もない。そこにいるだけで、そこにただ存在しているだけで、男の塊りであるような男は、どんなことをしたって男なのである。

 

 

そのうち、妙子は千吉を独占したくなります。そのために千吉にゲイバーをやめさせて、まともな大学生に戻します。そして、自分の甥ということにして、イヴ・サンローランの慈善ファッションショーに連れて行き、将来の就職のために千吉を繊維会社の社長夫人に紹介します。

この小説では、大使館主催のパーティーとか、高級レストランとか、このファッションショーなどセレブな場面がふんだんに出てきて『マドモアゼル』の読者にため息をつかさせようという意図が見えます。また、ゲイバーやパチンコ店のような当時の一般女性には近づきがたい真逆の空間を見せて驚かせようという意図も見えます。この二種類の空間が妙子と千吉の二項対立を象徴しています。

妙子がオートクチュールのデザイナーということもあって、ファッションに関する言及も多くて、三島のファッション観が垣間見られて興味深いです。イヴ・サンローランは、実際にこの時期に東京でファッションショーをしたのかは不明ですが、1962年にディオールから独立して自身のレーベルを立ち上げたところでした。また、その直前にアルジェリア独立戦争に徴兵されて、軍隊でいじめられた結果、精神病院に入院するということがあって、精神が不安定になっていたのですが、そういうサンローランの不安定な精神状態がよく表現されているところが目をひきます。ファッションショーにおけるモデルのウォーキングの描写などもリアルで、実際に三島が見たことを描写したという感じです。

 

 

みんな大嘘なのだが、お金は大嘘からしか儲からない。誰も真実などにお金を払おうとはしないのだ。

 

 

この小説は、1月号から連載が始まったのですが、1月に出会った二人は、2月に初デートをして、3月の2回目のデートでセックスをします。4月にファッションショーの件があって、5月には同棲を始めます。妙子は自分一人の生活を頑なに守り、今まで誰とも同棲をしたことがありませんでした。千吉は例外なのです。妙子は、「それはやさしさの必然的な結果なのだ」と考えますが、つまりは、惚れたっていうことでしょう。危険な兆候です。

ここで、千吉は「俺の自由は決して縛らないこと」という条件を出します。彼は21歳にしてはなかなかのジゴロで、時には野卑な言動をしたり冷たくあしらったり、時にはやさしくしたり母性本能をくすぐったりして妙子の心を揺さぶります。これが計算された技巧というよりも若い気まぐれという感じなので、妙子も振り回されるわけです。彼は暴れ馬という感じで、誰にも飼い慣らされたくないという雰囲気を持っていて、妙子もそこに彼の魅力を感じているのか、あるいは、意地を張っているのか、彼の要求をのみます。

ところが同棲を始めると、やはりいろいろ問題が出てきます。「謎は近づくにつれて深まるものだった」とは、言い得て妙です。恋愛において、謎があるというのは重要な要素だと思います。それにしても、恋愛をすると大人の女性でも乙女になってしまうものでしょうか。妙子も遊びの恋じゃなくて、すっかり本気の恋愛モードです。恋をすると人は思考が鈍り、視野が狭くなりがちです。恋は人を愚かにするものです。こうなると、もういけません。ある日、とうとう朝帰りした千吉を待ちくたびれた妙子は、彼に抱きついて泣きじゃくってしまいます。

 

 

ここで、イベント発生です。6月は熱海へ一泊旅行します。当時の感覚では熱海といえば新婚旅行という感じでしょう。しかし、そこはセレブな妙子さんですから運転手付きのハイヤーで行って、高級旅館の離れに宿泊します。この辺りから妙子の独り相撲という感じになっていきます。千吉から別れ話を持ち出されると思い込んだ妙子は、心中することを想像します。コワいですね。それでかえってセックスで燃え上がったりします。コワいですね。この情事の描写がクライマックスになっていて三島の筆も乗っています。

 

 

こんなに二人が、何も心なんか要らないほど、純粋に身体だけで愛し合ったことはなったような気がした。よかれあしかれ、それは二人が協同して到達した一つの境地だった。

 

 

頂点に登りつめたら後は下るだけです。ここで妙子は、とんでもない提案をします。互いに浮気を公認しあって、大人の恋愛を続けていこうというのです。妙子はこれで千吉の別れ話を封じたつもりでいます。あるいは、本気の恋愛の重さに耐えられなくなったのかもしれません。

ここから、妙子の迷走が始まります。鈴子に頼んで浮気相手をいろいろ紹介してもらいますが、無理に浮気している感じなので盛り上がりません。それでも、その中の一人の政治家とついに浮気してしまいます。そして、そのことを千吉にベッドで報告したりします。千吉が平静を装いながらも心臓がバクついているのを確認して安心したりします。二人ともそれぞれの思惑で別れる気はないのですが、男女関係は時折抽象的な様相を呈しますから不思議なものです。

 

 

夏が終わって、二人は互いに浮気相手を紹介し合うことになります。妙子の浮気相手の政治家はなかなか面白い男性です。千吉は待ち合わせの時刻に遅れてくる場面が多いですが、彼の本質をよく表していると思います。千吉が連れてきた女性がサンローランのファッションショーの時に知り合った繊維会社社長夫人の娘・聰子だったので妙子は愕然とします。千吉はこの繊維会社社長家に取り入って、婿養子になってセレブの仲間入りをしようという作戦だったのです。二人の仲を全く疑わなかった妙子も迂闊ですが、千吉も人生の勝負に出たという感じです。聰子も千吉に利用されているにすぎないということは妙子の慰めになるでしょうか。

 

 

客の合間に窓外を見ると、秋の明るい日ざしがせまい中庭にこぼれていた。そこにちゃんと日ざしがある。何が起ころうと、世間や人間や自然はそこにちゃんとあると思った。

 

 

結局、水と油はどんなにかき混ぜても、やっぱり混じりようがないということでしょう。妙子は、最初は千吉の打算的な性格を知った上で付き合い始めたのですが、途中から、初めて本気の恋愛をしてしまったことが間違いのもとで、幻想を見てしまったのですね。恋が終われば、冷静に男を見る目を取り戻します。『ヒアシンス』のゲイボーイの照子からもらった秘密兵器で千吉を土下座させると、靄が晴れるようにあらゆる謎も魅力も死んでしまいます。最早、千吉はありふれたつまらない若者の一人に過ぎません。妙子は本来の気高さを取り戻します。この恋が終わって妙子さんは、ますますきれいになって若返りましたとさ。

 

 

私の読書は広く浅くをモットーとしていて、どんなジャンルの本でも読むのですが、恋愛小説はあまり読みません。男女関係の駆け引きは正直面倒くさいです。その点、この小説はあっさりしていて分かりやすい展開の恋愛小説なので読みやすかったです。人間関係の複雑さの基本は三角関係にあると思うのですが、この小説の場合は単なる二項対立だからでしょう。ドロドロ系が好きな人には物足りないかも知れません。

この小説のタイトルは『肉体の学校』ですが、実際には『恋愛の学校』という感じがします。肉体関係重視の大人の恋愛なので『肉体の学校』なのでしょう。ポイントは妙子が初めて本気の恋愛をしたことにあるでしょう。そして、三島は恋愛とは幻想であると云っています。しかしそれは、実際に本気の恋愛をしてみなければ真に分かり得ないことです。とすれば、三島の読者へのメッセージは、「一度本気の恋愛をしてご覧なさい」ということでしょう。

ここで思い出されるのは、1951年(昭和26)に刊行された『夏子の冒険』です。主人公の夏子は情熱的な目を持った青年に一目惚れしますが、最後は幻滅して振ってしまいます。彼女の場合も相手の男性に幻想を見ていたことになります。けれども、彼女の場合は本気の恋愛というものではありませんでしたし、肉体関係もありませんでしたし、恋愛経験が彼女に何の変化も与えませんでした。夏子さんと妙子さんはキャラは全然違いますが、『肉体の学校』は、その後の『夏子の冒険』という位置にあると思いました。

 

 

 

 

 

肉体の学校 (ちくま文庫)

肉体の学校 (ちくま文庫)

 

 

 

 

 

📄関連日記

三島由紀夫のラブコメ小説を読む~『夏子の冒険』(1) - 森の踏切番日記

三島由紀夫の小説『命売ります』を読んで考えたこと - 森の踏切番日記

 

 

 

 

 

宝塚でブラタモリ(3/3)

ブラタモリ #95宝塚(3/3)

~なぜ宝塚は“娯楽の殿堂”になった?


f:id:morifumikirikita319:20180114155403j:image

宝塚でブラタモリ(2/3) - 森の踏切番日記の続き

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


f:id:morifumikirikita319:20180114155451j:image

おっちゃん「浅秀さーん!」


f:id:morifumikirikita319:20180114155515j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180114155539j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180114155602j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180114155632j:image

近江ちゃんがアナウンサーらしいことしてるw

 

f:id:morifumikirikita319:20180114155658j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114155731j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114155749j:image

ここでちょっと記念撮影


f:id:morifumikirikita319:20180114155804j:image

55年ぶり。ということは、紀乃國屋さんとタメ?


f:id:morifumikirikita319:20180114155821j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114155833j:image

国宝さん認定。


f:id:morifumikirikita319:20180114155845j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114155856j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114155909j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114155925j:image

有馬温泉の方が格式が高かったのかな?


f:id:morifumikirikita319:20180114155941j:image

有馬温泉が関西の奥座敷やから、宝塚温泉は中座敷くらいやったんやろか?


f:id:morifumikirikita319:20180114155950j:image

遠からず近からず。


f:id:morifumikirikita319:20180114181049j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114181109j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114181121j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180114181136j:image

別路線やからねぇ。


f:id:morifumikirikita319:20180114181152j:image

やっと本題に入りそう。

 


f:id:morifumikirikita319:20180114181204j:image

何度も出てくるS字の宝来橋。


f:id:morifumikirikita319:20180114181216j:image

草彅「娯楽の殿堂宝塚大劇場が生まれたのか探りましょう」


f:id:morifumikirikita319:20180114181227j:image

研究しています


f:id:morifumikirikita319:20180114185903j:image

ジャケットの色が阪急マルーン(栗色)


f:id:morifumikirikita319:20180114185916j:image

兵庫県ではポニテが流行ってるのだろうか。


f:id:morifumikirikita319:20180114185935j:image

近江「確かにそうですね」


f:id:morifumikirikita319:20180114185951j:image

やっと真打ち登場。


f:id:morifumikirikita319:20180114190007j:image

その男こそ歌劇団の生みの親小林一三(いちぞう)

1907年(明治40)箕面有馬電気軌道の専務に就任。(実質的には経営者)

1910年(明治43)箕面有馬電気軌道、梅田駅-宝塚駅間と石橋駅箕面駅間を開業。同年、箕面に動物園を開園。


f:id:morifumikirikita319:20180114190023j:image

小林一三「乗客は電車が創造する」


f:id:morifumikirikita319:20180114190045j:image

電車に乗客を呼び込むための沿線開発に取りかかるわけです。


f:id:morifumikirikita319:20180114190058j:image

その後、会社名を阪神急行電鉄と改め、神戸本線を敷設し、阪神電気鉄道とのし烈な阪急阪神戦争を繰り広げることになります。

1927年(昭和2)小林一三阪神急行電鉄の社長に就任。


f:id:morifumikirikita319:20180114190117j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114190128j:image

そこに小林一三は目をつけた。


f:id:morifumikirikita319:20180114190154j:image

ある娯楽施設をつくりました


f:id:morifumikirikita319:20180114190220j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180114194819j:image

再び、宝塚大劇場のゲートをくぐり抜けます。


f:id:morifumikirikita319:20180114194832j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114194847j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114194929j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114194941j:image

1911年(明治44)5月1日、宝塚新温泉開業


f:id:morifumikirikita319:20180114194957j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114194859j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114195032j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114195043j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114195744j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114195757j:image

中でも一番の売りは、日本初の室内プール。


f:id:morifumikirikita319:20180114195809j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114195822j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114195838j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114195852j:image

仙海「水が冷たくて5分と泳げない」

暖房設備がなかった。しかも、男女共泳禁止。


f:id:morifumikirikita319:20180114195908j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114195923j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114195946j:image

このボケは好き。


f:id:morifumikirikita319:20180114200820j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114200842j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114200857j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114200912j:image

仙海「ここをね、舞台に模様替えしたんですよ」


f:id:morifumikirikita319:20180114200925j:image

1913年(大正2)宝塚唱歌隊が結成される。最初は16名の少女が集められたとか。同年、宝塚少女歌劇養成会と改称される。

1919年(大正8)に宝塚少女歌劇団となる。

1940年(昭和15)宝塚歌劇団と改称される。


f:id:morifumikirikita319:20180114200944j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114200957j:image

1914年(大正3)4月1日~5月31日、第1回公演『ドンブラコ』


f:id:morifumikirikita319:20180114201008j:image

お給料は割とよかったらしい。


f:id:morifumikirikita319:20180114201025j:image

1923年(大正12)このプールを改造したパラダイス劇場は火災で焼失。


f:id:morifumikirikita319:20180114205214j:image

1924年(大正13)初代宝塚大劇場開場。

ということになります。


f:id:morifumikirikita319:20180114205229j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114205243j:image

 


f:id:morifumikirikita319:20180114205258j:image

ヅカファンの前を通り過ぎるタモリさん。


f:id:morifumikirikita319:20180114205315j:image

近江ちゃん笑いすぎ。

 


f:id:morifumikirikita319:20180114205337j:image

「花のみち」へやって来ました。


f:id:morifumikirikita319:20180114205356j:image

地形と深く関わっているとな。


f:id:morifumikirikita319:20180114205412j:image

「女のみち」じゃなくてね。


f:id:morifumikirikita319:20180114205425j:image

小林一三胸像。ゲートの前にあります。


f:id:morifumikirikita319:20180114205439j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114205452j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114205510j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114205524j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114210417j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114210433j:image

宝塚駅とは反対方向へ向かったね。


f:id:morifumikirikita319:20180114210445j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114210501j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114210513j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114210531j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114210544j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114210609j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114210622j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114210633j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114211934j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114210658j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114210709j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114210718j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114211921j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114212001j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114212018j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114212033j:image

宝塚市の歴史」としては、うまくまとめている


f:id:morifumikirikita319:20180114212048j:image

というか、自家撞着的な印象が強いです。


f:id:morifumikirikita319:20180114212102j:image

宝塚が “娯楽の殿堂” になったのは、やっぱり小林一三の存在が一番大きいでしょう。



f:id:morifumikirikita319:20180114213115j:image

今回は、ちょっと強引過ぎたかなと思います。


f:id:morifumikirikita319:20180114212134j:image

 タモリジェンヌ?

 

 

おまけ

f:id:morifumikirikita319:20180115190102j:image

家にあったガイドブックより1992年頃の宝塚の地図

宝塚新温泉パラダイスが発展して宝塚ファミリーランドになりました。日帰りレジャーの多様化とか、USJとか、阪神淡路大震災とか、少子化とかいろいろあって、2003年8月31日営業終了。

ホワイトタイガーいたなあ。なつかし。

 


f:id:morifumikirikita319:20180115190645j:image

出典:宝塚ファミリーランド - Wikipedia(by TRJN)
 

 

 

次回は

f:id:morifumikirikita319:20180114213213j:image

田園調布でブラタモリ


f:id:morifumikirikita319:20180114213232j:image

小林一三 - Wikipediaによると、小林一三は田園調布の開発にも関わっていたそうな。

 


f:id:morifumikirikita319:20180120124724j:image

(アニメ『有頂天家族2』より)

そして、2月3日は「#97 有馬温泉

やっぱり、有馬温泉もやるんだ。

熱海、別府に続いてあのセンセが登場!?

 

 

f:id:morifumikirikita319:20180114213248j:image

にゃ?




 

 

 

宝塚でブラタモリ(2/3)

ブラタモリ #95宝塚(2/3)

~なぜ宝塚は“娯楽の殿堂”になった?


f:id:morifumikirikita319:20180114160027j:image

 宝塚でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記の続き

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

f:id:morifumikirikita319:20180114090734j:image

「小浜(こはま)」という住宅街


f:id:morifumikirikita319:20180114090811j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180114090827j:image

毫摂寺(ごうしょうじ)


f:id:morifumikirikita319:20180114090849j:image

浄土真宗のお寺さん。

豊臣秀吉が立ち寄ったのは、有馬温泉湯治の際。千利休も同行。

※秀吉の養子・秀次は寺の娘の亀姫を見初めて側室(小浜の局)にしたそうな。秀次が失脚・切腹したときに、妻子や他の側室とともに亀姫も三条河原で処刑され、毫摂寺も焼き打ちにあったそうな。(毫摂寺 (宝塚市) - Wikipediaより)


f:id:morifumikirikita319:20180114090909j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114090925j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114090952j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114091014j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114091034j:image

「じないまち(じないちょう)」

最大の寺内町は大坂の石山本願寺

寺内町は自治特権を主張し獲得したところが単なる商業地だった門前町とは異なる。

 

f:id:morifumikirikita319:20180114091053j:image

そこですよね。


f:id:morifumikirikita319:20180114091120j:image

江戸時代になると、小浜はまったく性格の違う町になるんですと?


f:id:morifumikirikita319:20180114091144j:image

駄賃定札(だちんさだめふだ)


f:id:morifumikirikita319:20180114091158j:image

江戸時代の高札を再現したものです。

 

f:id:morifumikirikita319:20180114091216j:image

今の交通料金

 

f:id:morifumikirikita319:20180114091229j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180114093011j:image

小浜は江戸時代に宿場町として復活。

 

f:id:morifumikirikita319:20180114093025j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114093036j:image

小浜は有馬温泉へ通じる有馬街道と京伏見街道と西宮街道の合流地点に位置する交通の要衝だった。


f:id:morifumikirikita319:20180114093052j:image

特に有馬温泉だろうなあ。


f:id:morifumikirikita319:20180114093105j:image

この通りは毎日旅人でにぎわっていた。


f:id:morifumikirikita319:20180114093116j:image

近江「ハロウィーンのときとか」

タモリ「盆正月とかね」

 

f:id:morifumikirikita319:20180114093127j:image

2人ともどういう光景を想像しているのだ?


f:id:morifumikirikita319:20180114093141j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114093157j:image

強引なw


f:id:morifumikirikita319:20180114093211j:image

さらに旅人を惹きつけるモノ?


f:id:morifumikirikita319:20180114094508j:image

タモリ「旅人行き来する」


f:id:morifumikirikita319:20180114094523j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114094536j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114094559j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114094612j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114094628j:image

正解でした。


f:id:morifumikirikita319:20180114094645j:image

春風秋月恒好

春の風と秋の月はいつでも心を楽しませてくれる

 

f:id:morifumikirikita319:20180114094659j:image

辛口の非常に飲み心地のいいお酒だったそうな。


f:id:morifumikirikita319:20180114094712j:image

灘の酒に圧倒されて消えたようです。

 

f:id:morifumikirikita319:20180114094726j:image

家の奥におじゃましま~す


f:id:morifumikirikita319:20180114134835j:image

昔酒造りに使っていた井戸の水を試飲することに。


f:id:morifumikirikita319:20180114112001j:image

尾道仕込みの華麗なバケツさばきで井戸の水をくみ上げる森田氏。けっこう深い井戸でした。


f:id:morifumikirikita319:20180114094741j:image

タモリ「癖のないキレイな水ですね」


f:id:morifumikirikita319:20180114094752j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114094806j:image

遠回り過ぎね?

 

f:id:morifumikirikita319:20180114112027j:image

強引じゃね?

 

f:id:morifumikirikita319:20180114112059j:image

宿場町は目的地じゃなくて中継点だし、芝居小屋や名物の酒はどこにでもあるしなあ。


f:id:morifumikirikita319:20180114112112j:image

ここまでは単に「宝塚市の歴史」なのでは?

 


f:id:morifumikirikita319:20180114112127j:image

ここから、ここから。

 

f:id:morifumikirikita319:20180114120929j:image

探りましょう。


f:id:morifumikirikita319:20180114120951j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114121014j:image

💡


f:id:morifumikirikita319:20180114121030j:image

・・・


f:id:morifumikirikita319:20180114121101j:image

武庫川の河口辺りを古くは武庫泊と云ったそうな。難波津から見ると、大阪湾の向こう側にあるので「むこ」という地名になったそうな。

 

f:id:morifumikirikita319:20180114121117j:image

なぜこちらへ移ったのでしょうか?


f:id:morifumikirikita319:20180114121131j:image

これは関西人には常識問題。

 

f:id:morifumikirikita319:20180114121145j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114121157j:image

正解!


f:id:morifumikirikita319:20180114121206j:image

S字の宝来橋の南詰。ホテル若水の敷地になるのかな。

 

f:id:morifumikirikita319:20180114134918j:image

タモリ「なんかこれ碑が建ってますね」


f:id:morifumikirikita319:20180115152411j:image

タモリ「宝塚温泉。ここですか」


f:id:morifumikirikita319:20180114134930j:image

武庫川の板の橋をばぬらすなり

かじかの声も月の光も

与謝野晶子

という歌碑が通りの向かい側にあります。


f:id:morifumikirikita319:20180114131310j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114131329j:image

1884年武庫川の河原で源泉が発見される。

 

f:id:morifumikirikita319:20180114131342j:image

 1887年、武庫川右岸に宝塚温泉が開業。


f:id:morifumikirikita319:20180114131351j:image

左下に写っているのが現存する碑。


f:id:morifumikirikita319:20180114131419j:image

1897年、阪鶴鉄道開通(池田-宝塚間)。

阪鶴鉄道は、大阪・舞鶴間を結ぶことを目的とした鉄道会社。社長は坂本龍馬と面識があったという元宇和島藩士土居通夫。1907年に国有化され、国鉄福知山線となる。その直後に、阪鶴鉄道の幹部によって箕面有馬電気軌道が設立される。


f:id:morifumikirikita319:20180114131429j:image

1910年3月10日、箕面有馬電気軌道開通(梅田駅-宝塚駅間)。同時に、石橋駅箕面駅間も開業している。


f:id:morifumikirikita319:20180114135000j:image

箕面有馬電気軌道は名前の通り、有馬温泉まで結ぶことを目的としていたが、いろいろあって延伸を断念し、宝塚の開発に全力投球するようになった。というのは、よく知られた話です。


f:id:morifumikirikita319:20180114135012j:image

草彅「関西有数の行楽地となりました」

 

f:id:morifumikirikita319:20180114135040j:image

草彅「宝塚に新しい娯楽を生み出す事になるんです」


f:id:morifumikirikita319:20180114135102j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114135112j:image

ピンボケた💦

和服丸生洗・洗張り・しみ抜き・クリーニングの「紀乃國屋」


f:id:morifumikirikita319:20180114135126j:image

温泉街と言えば温泉芸者でしょう。


f:id:morifumikirikita319:20180114142246j:image

当たり前過ぎへん?


f:id:morifumikirikita319:20180114142305j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114142315j:image

有馬温泉に昔から芸者いてるのやから生まれたも何もないやろ。当然手本にするわな。

 

f:id:morifumikirikita319:20180114142327j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114142337j:image

いやいや、おっちゃん、NHKの番組でアポなしはないやろ。


f:id:morifumikirikita319:20180114142348j:image

それより閉店の張り紙が気になるわ!


f:id:morifumikirikita319:20180114142408j:image

なんか、民放の関西ローカルの平日の午前中の番組みたいになってきた。

 

f:id:morifumikirikita319:20180114143254j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114143310j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114143323j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114143406j:image

閉店

永らくのお取引まことにありがとうございます。

七五歳の節目をもつて廃業する事になりました。

ここに改めてお世話になりました事御礼申し上げ挨拶とします。


f:id:morifumikirikita319:20180114143422j:image

紙がまだ新しいから最近のことやろね。


f:id:morifumikirikita319:20180114143433j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114143443j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114143456j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114143507j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114143516j:image

ということは、48年程前? 1969年頃?


f:id:morifumikirikita319:20180114144821j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114144838j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114144854j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114144915j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114144928j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114144943j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180114145011j:image

国宝さん認定。


f:id:morifumikirikita319:20180114145024j:image

ああ、またピンボケた💦


f:id:morifumikirikita319:20180114150123j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114150140j:image

 


f:id:morifumikirikita319:20180114150154j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114150210j:image

おっちゃん、ちょっとくい気味に言うた。


f:id:morifumikirikita319:20180114150228j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180114150243j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114150256j:image

そういう段取りなんやろね。


f:id:morifumikirikita319:20180114150317j:image

なんせ、リハーサルの写真を本番の写真や言うテレビ局やからねw

 

f:id:morifumikirikita319:20180114150352j:image

タモリ「家族に乾杯みたいになってきたね」


f:id:morifumikirikita319:20180114150558j:image

浅秀さん待ち

 


f:id:morifumikirikita319:20180114160120j:image

♨️次の記事へと続く

 

 

 

 

 

宝塚でブラタモリ(1/3)

ブラタモリ #95宝塚(1/3)

~なぜ宝塚は“娯楽の殿堂”になった?

 

f:id:morifumikirikita319:20180113210544j:image

タモリさんがスカートはいてタモリジェンヌ!?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


f:id:morifumikirikita319:20180113210631j:image

久し振りのレギュラー放送。


f:id:morifumikirikita319:20180113210648j:image

兵庫県です。女子駅伝優勝おめでとうございます。


f:id:morifumikirikita319:20180113210708j:image

宝塚大劇場が見えてきました。 


f:id:morifumikirikita319:20180113210727j:image

宝塚といえば…


f:id:morifumikirikita319:20180113210745j:image

なんといっても宝塚歌劇団


f:id:morifumikirikita319:20180113210759j:image

縁のない世界だ。


f:id:morifumikirikita319:20180113210814j:image

タモリさんは、東京の劇場で見ました。


f:id:morifumikirikita319:20180115082430j:image

近江「ちょっと意外でした」

近江ちゃん笑いすぎ。


f:id:morifumikirikita319:20180113210830j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113210846j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113210900j:image

今回の旅のお題


f:id:morifumikirikita319:20180113210924j:image

今回の案内人さん


f:id:morifumikirikita319:20180113210944j:image

直線距離やと、三宮の方が梅田よりもちょっとだけ近いけど、阪急電車で行くことを考えたら、梅田からの方が早いやろか。


f:id:morifumikirikita319:20180113212804j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113212832j:image

でもその前に…


f:id:morifumikirikita319:20180113212855j:image

娯楽の殿堂である宝塚大劇場のすごさを体験しましょう


f:id:morifumikirikita319:20180113212912j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180113212931j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180113212943j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113213002j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113215818j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180113213026j:image

ホール(夢の世界)の入口までに、だんだん気分が盛り上がる仕掛けが組んである。


f:id:morifumikirikita319:20180113213036j:image

草彅「始まりましたブラタモリ!」


f:id:morifumikirikita319:20180113213715j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113213747j:image

草彅「大阪や神戸への通勤に便利な人気の住宅地」


f:id:morifumikirikita319:20180113232918j:image

草彅「町のシンボル宝塚大劇場には」


f:id:morifumikirikita319:20180113213826j:image

で~も…


f:id:morifumikirikita319:20180113213858j:image

草彅「タモリさんがブラブラ歩いて解き明かします」


f:id:morifumikirikita319:20180113213847j:image

ちゃんと阪急電車が映りこんでたな。

 

f:id:morifumikirikita319:20180113215747j:image

 🔍宝塚大劇場Google マップ


f:id:morifumikirikita319:20180113213929j:image

劇場のロビーです。


f:id:morifumikirikita319:20180113213944j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113215506j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113215520j:image

星組トップスターの紅ゆずるさんと星組トップ娘役の綺咲愛里さん


f:id:morifumikirikita319:20180113215543j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113215600j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113235308j:image

紅ゆずる

8月17日生、大阪市出身、身長173cm、2002年入団。愛称は、さゆみ、さゆちゃん、ゆずるん、べに子。

綺咲愛里

10月30日生、川西市出身、身長163cm、2010年入団。愛称は、あーちゃん。

(公式プロフィールより)

 

f:id:morifumikirikita319:20180113215635j:image

べに子さんとあーちゃんとお呼びしていいのだろうか?


f:id:morifumikirikita319:20180113215645j:image

やっぱり、二人とも背が高い。


f:id:morifumikirikita319:20180113215705j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113215728j:image

タモリ🆚ミュージカル


f:id:morifumikirikita319:20180113225055j:image

近江ちゃん笑いすぎ。


f:id:morifumikirikita319:20180113231134j:image

🎵なぜ死ぬ前にハモれるのか?


f:id:morifumikirikita319:20180113225143j:image

🎵なぜそんなに1曲歌うのか?


f:id:morifumikirikita319:20180113231200j:image

🎵なぜ羽根を背負うのか?


f:id:morifumikirikita319:20180113225200j:image

タモリ「そうそう」

f:id:morifumikirikita319:20180113225225j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113225236j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113225247j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113225300j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113231413j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180113231447j:image

タカラジェンヌはオフの時も気が抜けない。


f:id:morifumikirikita319:20180113231500j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113231520j:image

娘役は基本スカート。


f:id:morifumikirikita319:20180113231610j:image

男役はスカートをはかない。


f:id:morifumikirikita319:20180113231550j:image

タモリさんはスカートはきたい!?


f:id:morifumikirikita319:20180113231535j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180115101527j:image

見せてもらいましょう!


f:id:morifumikirikita319:20180113231654j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113231706j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113231723j:image

ここで、お別れ


f:id:morifumikirikita319:20180113231752j:image

客席に入りました。


f:id:morifumikirikita319:20180113231805j:image

客席数2550席

現在の劇場になってから25年

観客動員延べ2500万人以上

※現在の宝塚大劇場は1992年完成、1993年1月1日開館

 

f:id:morifumikirikita319:20180115101844j:image

座席はもちろん千鳥配置。

座席料金(税込み)は以下の通り。

SS席(194席 )12000円

S席(1408席)8300円

A席(475席)5500円

B席(473席)3500円

※新人公演の場合は別に料金が安く設定されています。

 

f:id:morifumikirikita319:20180113232728j:image

1924年宝塚大劇場(初代)開場。三階建て。

f:id:morifumikirikita319:20180113232743j:image

1927年(昭和2)日本で最初のレビュー『モン・パリ~吾がパリよ!~』が上演され、大ヒットを記録。

f:id:morifumikirikita319:20180114170149j:image

観客の心をつかみました。

 


f:id:morifumikirikita319:20180115110305j:image

1930年月組公演:レビュウ『パリ・ゼット』

宝塚歌劇団 - Wikipediaより)

※この作品で「すみれの花咲く頃」、「おゝ宝塚」が登場した。

 

f:id:morifumikirikita319:20180115110459j:image

戦前の旧宝塚大劇場

宝塚大劇場 - Wikipediaより)

※1935年(昭和10)火災に見舞われ、改築されている。


f:id:morifumikirikita319:20180113232758j:image

ベルサイユのばら

言わずと知れた宝塚歌劇団史上最大のヒット作

 

f:id:morifumikirikita319:20180113232816j:image

初演は1974年(昭和49)8月29日、宝塚大劇場での月組公演。オスカル役が榛名由梨マリー・アントワネット役が初風諄、フェルゼン役が大滝子

翌年、花組が公演。オスカル役は安奈淳アンドレ役に榛名由梨。(上の画像は安奈淳?)

大好評を受けて、引き続いて雪組が公演。オスカル役は汀夏子アンドレ役に麻実れい

2006年1月には通算上演回数1500回を突破。

2014年6月には通算観客動員数500万人を記録。

ベルサイユのばら (宝塚歌劇) - Wikipedia他を参考にしました)

 

f:id:morifumikirikita319:20180113232834j:image

ここは、まさに…


f:id:morifumikirikita319:20180113232848j:image

娯楽の殿堂

 


f:id:morifumikirikita319:20180113235413j:image

あんまり不思議に思わへんけどなあ。

阪急やからなあ。


f:id:morifumikirikita319:20180113235432j:image

目的はそれちゃうの? 

電車にお客をぎょうさん乗せるための戦略ちゃうの?

郊外にお客を呼びこめる娯楽施設や観光施設を設けたり、沿線の住宅地を開発するんが、基本戦略やったんちゃうの?

 

f:id:morifumikirikita319:20180113235455j:image

なんか強引な気もするけどw

 


f:id:morifumikirikita319:20180113235522j:image

ということで、タモリさんがやって来たのは川の向こう岸。


f:id:morifumikirikita319:20180113235547j:image

まずは高い建物に上がって宝塚の地形を見てみましょう。ホテル若水かな。


f:id:morifumikirikita319:20180113235600j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180113235622j:image

S字の宝来橋


f:id:morifumikirikita319:20180113235637j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113235649j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113235701j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113235716j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113235729j:image

長尾山地


f:id:morifumikirikita319:20180113235746j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113235812j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113235801j:image


f:id:morifumikirikita319:20180113235832j:image

扇状地です


f:id:morifumikirikita319:20180114001107j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114001126j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114001145j:image

地図で確認

 

f:id:morifumikirikita319:20180114001209j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114001231j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114001309j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114001325j:image

ブラタモリに長く出演していると、明治時代が最近のことに思えてくるようね。たったの150年前。


f:id:morifumikirikita319:20180114001348j:image

130年ほど前のこと


f:id:morifumikirikita319:20180114001419j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114001442j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114001501j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114001514j:image


f:id:morifumikirikita319:20180114001530j:image

ということで… 


f:id:morifumikirikita319:20180114170213j:image

🎵次の記事へと続く

 

 

 

📄ブラタモリ前の記事

🔘一富士二鷹三茄子のルーツは三保にあり? - 森の踏切番日記

🔘こんぴらさんでブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記

🔘吉祥寺でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記

 

 

 

 

三島由紀夫の小説『命売ります』を読んで考えたこと

1月の読書録01ーーーーーーー

 命売ります

 三島由紀夫

 ちくま文庫(1998/02/24:1968)

 ★★★★

────────────────────

 

命売ります (ちくま文庫)

 

私は、世間が左を向けば右を向きたくなり、右を向けば左を向きたくなるというひねくれた性格をしていて、ベストセラーや話題作などは、それだけで読む気にならない。ただ、私の場合、ひねくれ方が中途半端(私の母親はもっとひねくれている)なので、時々、後でこっそり読んだりする。だったら最初から素直に読めよ、と思うのだが、たまに素直に話題作を読んでみたりすると、ものすごくつまらなかったりするので、嫌になるのだ。

そんなわけで、この小説も話題になった頃は、何となく読む気にならず、書店でザッと立ち読みしただけだった。たぶん、文庫本に付いていたオビの文句が気に入らなくて買わなかったのだと思う。ところが昨年、『美しい星』を読んで以来、俄然三島由紀夫に興味を持ってしまい、今更のこのこと本書を読むことになった次第であります。素直に読んでおけばよかった。

 

この小説『命売ります』は、1966年(昭和41)10月に創刊された雑誌「週刊プレイボーイ」に、1968年(昭和43)5月21日号から10月8日号まで、全21回にわたって連載され、同年12月25日に集英社から単行本が刊行された。

この1968年は「泥沼化したベトナム戦争」という国際情勢を受けて、1月に米原子力空母エンタープライズ佐世保入港反対運動が巻き起こり(当時、佐世保の高校生だった村上龍が刺激を受けた)、6月には九州大学に米軍機が墜落、米軍基地撤去運動が高まり、10月21日の国際反戦デーでは新左翼学生の反戦デモが暴徒化、新宿騒乱事件が勃発した。また、日大紛争では警官が死亡し、東大紛争が激化するという激動の1年だった。

三島由紀夫自身は、前年に自衛隊体験入隊をした後、「祖国防衛隊」構想を進め、この年の10月に「楯の会」と名称を変えている。『命売ります』連載終了後には『豊饒の海』第三巻「暁の寺」の連載が始まる。また、川端康成ノーベル文学賞受賞は、三島にとっても大きな出来事だったと思われる。

 

1960年代後半の「若者」というと、学生運動というイメージが強い。一方では、ヒッピー文化のイメージもある。しかしながら、それらは両極端であって、大半の若者は「ノンポリ」だったのではないだろうか。ノンポリにもサヨクのシンパやヒッピーかぶれもいただろうが、ほとんどは、今よりも政治意識は高かったとは思うが、いつの時代も大して変わらない平凡な若者だったと思われる。村上龍の小説『69 sixty nine』の最後にある「どうして、醜いものとか汚いものとか、わざわざ見なくてはいけないの?」という言葉が彼らを象徴しているように思う。

また、ノンポリにも消極的ノンポリと積極的ノンポリがあって、消極的ノンポリというのは、普通の大半のノンポリのことだが、ごく少数のノンポリはポリシーとしてノンポリを貫く積極的ノンポリだったと思われる。村上春樹の初期の小説の主人公はこの積極的ノンポリに属するのではないかと思う。私が最もシンパシーを感じるのは、ニヒリズムでもアナキズムでもない、この積極的ノンポリである。

 

当時のインテリ大学生は「朝日ジャーナル」を読んでいて、アート系の学生は「ガロ」というイメージがある中で、1960年代には新進の週刊誌だった「週刊プレイボーイ」や「平凡パンチ」の読者層は、大半の「健康で文化的な」ノンポリ男子だったと思われる。そうした雑誌に小説を連載するにあたって三島由紀夫は、当時の三島の傾向とは路線が異なると思うのだが、雑誌のコンセプトや読者層の傾向に適した小説を用意している。この小説を三島自身は「サイケデリック冒険小説」と呼んでいるが、いかにも「週プレ」的な若者向きの小説である。時代は違うが、かつて「週プレ」読者だった私はこの小説を楽しく読んだ。

 

この小説は、起承転結がはっきりしていて分かりやすい構成である。冒頭、生の倦怠に取り憑かれて神経衰弱になった主人公・山田羽仁男は、睡眠薬を飲んで自殺を図るが失敗に終わる。投げやりになった彼は、「命売ります」という新聞広告を出す。

私は昔、「死んだ気になれば何でもできる」と説教されたことがあるが、死んだこともないのに死んだ気になどなれるものか。その点、主人公は一度死にぞこなっているので、何でもできるわけだ。

詳しいあらすじは、〈命売ります - Wikipedia〉でも参照していただくとして、第一の依頼と第二の依頼のエピソードが語られる第18節までが起承転結の「起」にあたる。Wikipedia に載っているあらすじでは、第二の依頼で主人公が飲んだ自殺したくなる薬の効き目はなかったように書いてあるが、私は効いているように解した。

ここまではハードボイルド調のストーリー展開である。第一の依頼の後の拘束衣を着させられた鼠の縫いぐるみ相手のひとり芝居は演劇的だが、少しわざとらしい感じがしなくもない。主人公はニヒリズムに陶酔しているように思われる。

そもそも、宇宙に意味などないのだから世界に意味があるわけがない。人生に意味はないし、従って、死にも意味はない。生にも死にも意味がないのだから、わざわざ死に急ぐ必要もない。どうせ、人はいずれ死ぬ。世界に意味がないから死んでもかまわないという主人公の考え方は、若さゆえの傲慢に過ぎないのではないかと思う。

 

第三の依頼者の少年の母親は吸血鬼である。ここから怪奇小説じみてくる。主人公は吸血夫人の愛人になり、日に日に衰弱していくのだが、乱歩のような淫靡さは感じられないし、ゴシック風でもない。あっけらかんとした感じである。これは、主人公が成り行きに任せてしまって、気楽にしているからだろう。彼は平凡な人生に退屈してしまって、命を引き換えにしてもよいから、刺激が欲しかっただけではないかという気もする。要するに、彼は無責任なのである。

ここでは、知らない人間からの古い価値観に基づく説教が書かれた手紙が面白かった。これは、この手紙に続いて紹介されるラリった手紙のカモフラージュにもなっていて、基本的な技巧なのだろうが巧いなと思った。

 

第四の依頼のエピソードはスパイ小説風というか推理小説風である。随筆「法律と文学」で「推理小説に何ら興味を抱かない」と言明している三島が推理小説風の謎解きをしているところが面白かった。この小説は三島らしくないことをいろいろわざとやっているように思う。ハードボイルドの文体に興味があったのだろうか。

このエピソードの第33節までが、起承転結の「承」にあたる。ここにきて、主人公は饒舌になり、ふてぶてしくなっている。鴻毛より軽いのは彼の命ではなくて、彼の精神の方ではないかと思う。にんじん嫌いの話などは調子に乗っているとしか言いようがない。

この第28節で出てくる「命を鴻毛の軽きに比することのできる人間」という表現は興味深い。これは、「死は或いは泰山より重く或いは鴻毛より軽し」という言葉からきているのだが、1882年(明治15)に明治天皇が陸海軍軍人に下賜した勅諭(軍人勅諭)の中に、これをもじって「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」という文言があるのである。鴻は「おおとり(大型の水鳥)」のことである。もともとの意味は、忠義のための死は重いが無駄死にはするなということなのだが、軍人勅諭の方は、忠義のためなら命など軽いものだという意味しかないよう思われ、この言い換えは巧妙である。このあと『葉隠入門』を読んでみようと思うのだが、「武士道といふは死ぬことと見付たり」に通ずるものがあるように思う。この文言も犬死にはするなという意味であると、私は解釈しているのだが。

私にとって、「この世で一番大事なもの」は私自身の「自由」であって、己の自由で死ぬのはかまわないが、何かのために死ぬのは御免である。現憲法下で生まれて良かったとつくづく思う。このままヌクヌクと生きたいものである。誰も余計なことをするなよな。

 

第34節からが、起承転結の「転」になる。たまたま入った不動産屋で、偶然にもラリった手紙の差出人である玲子と知り合い、彼女の家の離れに住むことになるのだが、ここから様相が一変する。

第35節の、

何かひどく大きなものが置き忘れられているような午後、明るい空地みたいな春の午後だった。

という表現が印象的である。その数行後の、

人生が無意味だ、というのはたやすいが、無意味を生きるにはずいぶん強力なエネルギーがいるものだ、と羽仁男はあらためて感心した。

という辺りから、主人公の心境に変化が起こり、ここまでのイケイケ状態から守勢に回ることになる。精神の高揚は長く続くものではない。そういう風に感じるということは、エネルギーが切れかかっているのである。

ここから話はホラーというかサスペンスじみてくる。次から次へと趣向を凝らして読者を飽きさせないところがすごい。生物は生存本能を持っているから自死するためには、強い意志力で本能をねじ伏せるか、何らかの方法で本能を麻痺させる必要がある。ここまでの主人公は「命を売る」ことによって頭の中をフリーズさせていたに過ぎない。何のかんのと理屈をつけても他人に拳銃の引き金を引いてもらうのと変わりない。

玲子という女性はイカレた女で、意味のないところに意味を見出して死のうとしている。頭の中がフリーズしていない状態の主人公は、巻き込まれて死ぬことを拒否するが、人間というのは自分よりもイカレた人間に出くわすと正気に戻るものである。結局、主人公も己の自由で死ぬのはかまわないが、何かのために死ぬのは御免なのであり、これこそノンポリ的な考え方なのである。彼が玲子の元を逃げ出したのは、彼女が夢として語る「ゴキブリの生活」を避けるためではなく、単に玲子のイカレ具合についていけなくなっただけに過ぎない。

隙をみて玲子から逃れた主人公だが、何者かに付け狙われていることに気がつく。ここに至って、彼はようやく自身が「死の恐怖」にとらわれていることを認め、東京から逃げ出すことにする。人がそれほどにも生きたいと思い、また、死に恐怖を覚えるのは、生命体には生存本能が予めプログラムされているのだから、自然なことなのである。主人公は、その当たり前のことを失念している。

 

個体は、個体としては自らの生存本能に従うが、生存の確率を上げるために個体が集合してシステムを形成すると、システムとしての生存本能が芽ばえるようだ。システムはシステムとして持続できればよいのだから、個々の個体の持続は重要ではない。従って、システムの保存のためには、個体の生存本能よりもシステムの生存本能が優先される。個体の独立性が強ければ、そこに軋轢が生じる。独立性の強い個体数が閾値を超えれば、システムは崩壊する。システムから見れば、個体の独立性が弱い方が都合がよいのである。個体の方も、独立性が強くなりすぎてシステムから離脱すれば、生存の可能性が低下する。逆に、個体の独立性が弱くなりすぎると単一化が進み、システムが硬化して機能しなくなる。持続的な複雑適応系のシステムは、個体の独立性との関係においてカオス的遍歴をするよう思われる(テキトー)。また、閉鎖的なシステムは、いずれエントロピーが増大しきってしまうので、上手く行くわけがない。

 

主人公は、社会からの疎外感を今更のように覚えるが、「ゴキブリの生活」というシステムからのがれることは、そういうことなのである。第50節からが、起承転結の「結」になる。主人公は拉致されるのだが、そのとたんに死の恐怖が遠のく。「やはり人間にとって一番こわいのは不確定な事柄」だというのは、もっともだと思った。恐怖心は想像力が増幅させるものである。

主人公を拉致した首謀者は、第一の依頼のエピソードで登場した秘密組織のボスだったのだが、このボスは、「命売ります」という広告は罠で、主人公はおとり捜査官だと思い込んでいたのであった。結局、第一の依頼も第二の依頼もこのボスが仕組んだことで、主人公は泳がされていたに過ぎなかったことが明らかになる。この小説は、所々で三島のユーモアが感じられるのだが、ここにきて、話はマンガ的になる。

主人公は、偽の時限爆弾ではったりをかまして、秘密組織のアジトからなんとか逃げ出し交番に駆け込む。半泣きで保護を訴えるのだが、住所不定の不審者でしかない彼の荒唐無稽な話は信用してもらえない。刑事からは命を売る奴はただの人間の屑だと突き放され、追い出される。これで彼もようやく絶望することができるのではないか。

 

この小説は、日常生活に倦んでしまった凡庸な人間がアナーキーな遍歴の末に最後はすべてを失い真の絶望を味わうというパンクな話だった。人間は、たとえ何らかの組織に属さなくとも人間社会というシステムからは逃れることはできないわけで、そこを拒絶してしまえば自滅するしかないのは自明のことである。結局のところ、「命売ります」という主人公は、単に愚かなだけだったということになる。凡庸な人間が「ゴキブリの生活」を全うすることの難しさと有り難みをもっと知るべきであろう。失って初めて分かる平凡な日常の有り難み。この小説を読んで、現憲法下に生まれて良かったという思いを新たにした。

解説の種村季弘は、このような小説にこそ、「こっそり本音を漏らしていたのではなかろうか」と考察している。そこまで深い小説かどうかは知らないが、小説の面白さを知り尽くした三島由紀夫の極上のエンタメ小説であることは間違いない。

星新一のこの名言を思い出した。

 命短し襷に長し

 

 

 

 

 

命売ります (ちくま文庫)

命売ります (ちくま文庫)

 

 

 

 

 

 

 

一富士二鷹三茄子のルーツは三保にあり?


f:id:morifumikirikita319:20180106210050j:image

 

1月2日に放送された『ブラタモリ鶴瓶の家族に乾杯  初夢スペシャル』は、「 “一富士二鷹三茄子” ルーツは三保にあり」ということでした。

今回は、それに因んだ画像を適当に貼ってお茶をにごしたいと思います。

 


f:id:morifumikirikita319:20180106145723j:image

 

三保の松原です。恒例のパネル登場。

曇ってて肝心の富士山が見えなかった。

ブラタモリらしいオープニング。

 


f:id:morifumikirikita319:20180106190334j:image

 

こちらが、三保の松原からの富士山です。

右に見えるのが愛鷹山(あしたかやま)です。

これで一富士二鷹。

三保に茄子があれば、一富士二鷹三茄子が完成。

 


f:id:morifumikirikita319:20180106190048j:image

喜多川歌麿『初夢見立て 一富士二鷹三茄子

 

上の画像は、番組で紹介された喜多川歌麿の『初夢見立て 一富士二鷹三茄子』です。三保の松原に、一富士二鷹三茄子がそろっています。

番組ではまず、徳川家康の好物(富士山・鷹・初物の茄子)説が紹介されました。鷹は鷹狩のことです。家康の鷹狩好きは、庶民の間にも知れわたっているくらい有名でした。

それから、家康が挙げた駿河国で高いものの順(富士山・愛鷹山・初物の茄子)説が紹介されました。番組では、こちらの説を推していました。

二鷹は、愛鷹山が先で、鷹が後付けっぽい感じがします。愛鷹山は、もともとは足高山と書かれていました。足高山がいつ愛鷹山になったのかは、はっきりしません。

 


f:id:morifumikirikita319:20180108121010j:image

東照宮御影(部分)

 

この『東照宮御影』は、徳川家康を神格化した画像ですが、背景に白鷹が描かれています。家康といえば鷹なので、愛鷹山が鷹に変わった可能性が高いのではないかという推測が成り立ちます。

番組では、久能山東照宮の鷹の透かし彫りを紹介していました。こちらです。

 


f:id:morifumikirikita319:20180106203012j:image

 

 

 

番組では出てきませんでしたが、喜多川歌麿には、他にも「一富士二鷹三茄子」を題材にした浮世絵があります。こちらです。

 


f:id:morifumikirikita319:20180106193607j:image

喜多川歌麿『初夢見立て 一富士二鷹三茄子

 

一富士二鷹三茄子については他に、駿河国の名物説もあります。家康とは無関係に駿河国の名物を挙げたという説です。これには続きがあって、「一富士二鷹三茄子四扇五煙草六座頭」となります。これは、富士と扇が末広がり、鷹とタバコの煙が上昇、茄子と座頭が毛がない(→怪我ない)という対応関係になっているとか。

他にも諸説あるようです。

 

 


f:id:morifumikirikita319:20180106195804j:image

歌川広重『富士三十六景 駿河三保之松原』

 

番組では、上の広重の浮世絵のように富士山の手前に三保と海がセットになっていることが大切だと強調していました。なぜでしょう?

 

 


f:id:morifumikirikita319:20180106185603j:image

元信印『富士参詣曼荼羅図』富士山本宮浅間大社

 

それは、有度山中腹辺りから見た風景を浄土信仰の浄土庭園に見立てたからだということです。

上の『富士参詣曼荼羅図』の下に見える島が三保の松原です。これは、浄土庭園につきものの池の中島を表しているということです。

三保の松原は、平安時代までは島だったのですが、この絵が描かれた室町時代には半島になっていました。それでも、この絵では島として描かれています。島でないと浄土庭園にならないからです。

 


f:id:morifumikirikita319:20180107080635j:image

ブラタモリ #56平泉』より(平泉でブラタモリ - 森の踏切番日記

 

こちらが浄土庭園。阿弥陀堂の前に池を配置し中島を設けます。中島は蓬莱神仙島を表しています。中島から向こう側が彼岸、つまり、極楽浄土を表しています。

『富士参詣曼荼羅図』では、富士山を阿弥陀堂、海を池、三保の松原を中島に見立てています。

富士山自体にも蓬莱山の異名があります。

 


f:id:morifumikirikita319:20180106210028j:image

有度山中腹辺り。後ろに見える半島が三保の松原。富士山が…

 

 
f:id:morifumikirikita319:20180107090924j:image

日本平からの富士山です。

 

 

そんなわけで、富士山と海と三保の松原はセットじゃないと意味がないわけです。

だから三保の松原は、ユネスコ世界文化遺産「富士山 - 信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産に登録されている、という話でした。

 

 


f:id:morifumikirikita319:20180106195046j:image

有度山周辺の地形図

 

上の画面中央右の独立山が有度山です。「うどさん」とも「うどやま」とも呼ばれています。標高307m。山頂の平坦地が日本平です。南域に久能山があります。標高216m。その山腹に久能山東照宮があります。東の半島が三保の松原になります。

 


f:id:morifumikirikita319:20180108080650j:image

ちょうどいいフリー画像が見つかりました。

 

画面中央やや下右の独立山が有度山です。手前に静岡の市街が広がっていて安倍川が流れています。有度山の後方が清水区で三保半島がカーブを描いています。

有度山は、更新世に安倍川から海に流出した土砂が堆積した砂礫層と海成の泥層がドーム状に隆起して形成されました。つまり、プレート運動で撓(たわ)んだということです。

10万年かかって300m隆起したということですから、100万年後には3000m級の山になる?

有度山の海側は高さ200mの断崖絶壁が5kmにわたって続いています。これは海食によって削り取られたもので、海食崖といいます。この削り取られた土砂が沿岸流によって流されて、三保半島をつくったのでした。

そして、この三保に堆積した黒い砂こそ茄子の栽培に適していたのでした。

ここで茄子とつながった🍆!

 

 


f:id:morifumikirikita319:20180106230811j:image

 

上の画像が三保半島で栽培されている折戸(おりど)なす🍆です。三保半島の付け根辺りが折戸地区です。この折戸なす🍆こそが三茄子の茄子だったのです。

三保の黒い砂は太陽熱で温もりやすいので促成栽培に適しています。なので他の地域よりも早く収穫できるというメリットがありました。これを初物好きの江戸っ子が見逃すはずがないというわけです。

そして、初茄子の値は高い。

「まづ一に高きは富士の山なり、その次は足高山なり、其次は初茄子なり」

と、家康が言ったとか。(『甲子夜話』)

家康は毎年初物の折戸なす🍆を500個献上させていたそうな。

 


f:id:morifumikirikita319:20180106232521j:image

 

初物の折戸なす🍆は5個で1両もしたそうな。1両は諸説ありますが、番組では10万円としていました。つまり、1個2万円!

この折戸なす🍆は、明治になって栽培が途絶えたのですが、2005年に復活しました。

JAしみずでは、一箱11~12玉入を3000円で販売しています。旬は6月~9月です。

それでは試食してみましょう。

 

 


f:id:morifumikirikita319:20180106235248j:image

フルーティ!

 


f:id:morifumikirikita319:20180106235442j:image

焼いても…

 


f:id:morifumikirikita319:20180106235500j:image

 猫舌か~い!

 


f:id:morifumikirikita319:20180107001827j:image

ということでした🍆

 

 

 

🗻おまけ

f:id:morifumikirikita319:20180107003348j:image

江戸時代の人々は富士山の火口に向かって賽銭を投げお参りしていました。


f:id:morifumikirikita319:20180107003400j:image

火口の周りにある8つの峰をそれぞれ仏に見立てていました。


f:id:morifumikirikita319:20180107003412j:image

そして、大日如来が火口に現れると信じていたということです。


f:id:morifumikirikita319:20180107003422j:image

大日如来の正体はブロッケン現象でした。ブロッケン現象は、背後からの太陽光で目の前の霧に自分の影が映る珍しい現象です。


f:id:morifumikirikita319:20180107003435j:image

これが、江戸時代の御来迎だったということです。そんなわけで、江戸時代の人々は太陽に背を向けて火口を拝んでいたわけです。

 

f:id:morifumikirikita319:20180107003456j:image

「#21富士山頂」編でした。なつかし。

 

f:id:morifumikirikita319:20180107003513j:image

 🗻関連日記➡南海トラフ地震で富士山が噴火? 『日本列島100万年史』を読む(3)中部 - 森の踏切番日記

 

 

 

 

それでは最後に

 

f:id:morifumikirikita319:20180107010110j:image

一富士

 

 

f:id:morifumikirikita319:20180107010120j:image

二鷹

 

 


f:id:morifumikirikita319:20180107010130j:image

サンディエ~ゴ!

失礼しました

 

 

 

f:id:morifumikirikita319:20180107010146j:image

三茄子!

折戸なす🍆🍆🍆

(引用元:ふじのくに文化資源データベース

 


f:id:morifumikirikita319:20180107024235j:image

アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴのラ・ホーヤはアザラシの名所だそう🍆

 

 

 

📄ブラタモリ関連日記

🔘吉祥寺でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記

🔘こんぴらさんでブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記

 

 

📄ブラタモリ次の記事

f:id:morifumikirikita319:20180117104847j:image

🎵宝塚でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記

 

 

 

 

 

こんぴらさんでブラタモリ(3/3)

ブラタモリ』#60こんぴらさん(3/3)

~人はなぜ“こんぴらさん”を目指す?


f:id:morifumikirikita319:20180104014045j:image

🐘こんぴらさんでブラタモリ(2/3) - 森の踏切番日記の続き

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


f:id:morifumikirikita319:20180103234534j:image

はいはい。


f:id:morifumikirikita319:20180103234558j:image

なるほどね。


f:id:morifumikirikita319:20180103234619j:image

芸能文化史


f:id:morifumikirikita319:20180103234657j:image

神田「実は、この小屋」


f:id:morifumikirikita319:20180103234647j:image

それまでは仮小屋が年3回ほどの興行のたびに建てられていたそうな。

門前町の琴平は天領だったそうで、取締りが比較的寛大だったようで、芝居や相撲などの興行が盛んに行われたそうな。

 

f:id:morifumikirikita319:20180103234708j:image

神田「建てられたんです」


f:id:morifumikirikita319:20180104000350j:image

タモリ「おお、立派ですね」


f:id:morifumikirikita319:20180104000408j:image

監視する役人がいました。


f:id:morifumikirikita319:20180104000423j:image

江戸時代の富籤は、寺社の普請のために行われたもので、寺社にのみ許可されたが、非合法の「陰富」が流行したりして、天保の改革のときに禁止された。


f:id:morifumikirikita319:20180104000442j:image

こうなるわけですね。


f:id:morifumikirikita319:20180104000458j:image

出雲は、年2回だった。

月2回は多すぎ。取締りがアマアマだったのか?


f:id:morifumikirikita319:20180104000514j:image

こちらも大人気でした。


f:id:morifumikirikita319:20180104000527j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104000556j:image

江戸時代には、ここに何人入っていたか?


f:id:morifumikirikita319:20180104000542j:image

ということで…


f:id:morifumikirikita319:20180104000609j:image

タモリ「またデカいのが…」


f:id:morifumikirikita319:20180104000619j:image

タモリ「これ厳しいですよ!」


f:id:morifumikirikita319:20180104001501j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180104001516j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104001528j:image

ということで、奈落に潜入!

 

f:id:morifumikirikita319:20180104001541j:image

明治以降は、芝居小屋や映画館として使われていたが、映画産業斜陽化のために廃館。廃屋状態だったが、再評価され、1970年(昭和45)に国の重要文化財に指定される。


f:id:morifumikirikita319:20180104001553j:image

1972年(昭和47)から移転復元工事が始まり、1976年(昭和51)に現在の位置に竣工。

二代目中村吉右衛門さんや五代目中村勘九郎さんの熱望により、1985年(昭和60)に第一回「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が公演される。以後年に1回、春の定期公演が行われることになった。


f:id:morifumikirikita319:20180104001607j:image

2003年(平成15)平成の大修復工事


f:id:morifumikirikita319:20180104001618j:image

すっぽん。「切穴」ともいうそうな。


f:id:morifumikirikita319:20180104001631j:image

他にも、廻り舞台や宙吊りのための「かけすじ」などの舞台装置があります。

旧金毘羅大芝居 - Wikipediaを参考にしました)


f:id:morifumikirikita319:20180104001643j:image

ということで…


f:id:morifumikirikita319:20180104001655j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180104002220j:image

近江(ドキドキ)


f:id:morifumikirikita319:20180104002238j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180104014138j:image

ズンズンズンズンズンズンズンズン

 

f:id:morifumikirikita319:20180104002258j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180104002312j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104002326j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104002343j:image

「こんぴら座の怪人」(名探偵コナン

 

f:id:morifumikirikita319:20180104002353j:image

森田屋すっぽん初体験でした。

 


f:id:morifumikirikita319:20180106000846j:image

平成30年の第三十四回「四国こんぴら歌舞伎大芝居」は、こちらです。

 


f:id:morifumikirikita319:20180104003801j:image

江戸時代のラスベガス


f:id:morifumikirikita319:20180104003817j:image

畑の中に忽然と浮かび上がる不夜城を想像する森田氏。


f:id:morifumikirikita319:20180104003837j:image

よ~く分かりました。

 

f:id:morifumikirikita319:20180104003856j:image

金丸座は移転前は、現在の位置より参道や金倉川に近い、上の画像の「街」の辺りにありました。現在は琴平町歴史民俗資料館がある場所だということです。

 


f:id:morifumikirikita319:20180104003913j:image

タモリ「ここに何かあるんですか?」


f:id:morifumikirikita319:20180104003933j:image

 

f:id:morifumikirikita319:20180104003953j:image

マニアさん発見。


f:id:morifumikirikita319:20180104004007j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104004025j:image

その痕跡を探しましょう!


f:id:morifumikirikita319:20180104004044j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104004058j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104004121j:image

タモリさん、何か発見。


f:id:morifumikirikita319:20180104004140j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104004154j:image

タモリ「えー!? 何線があったんですか?」


f:id:morifumikirikita319:20180104004216j:image

参拝客が多かったとな?


f:id:morifumikirikita319:20180104004241j:image

f:id:morifumikirikita319:20180104004254j:image

f:id:morifumikirikita319:20180104004306j:image

タモリ「何電鉄っていったんですか?」


f:id:morifumikirikita319:20180104004318j:image

琴平急行電鉄。

 

f:id:morifumikirikita319:20180104005755j:image

マニアさん曰く「幻の電車」と呼ばれているとか。ご多分に漏れず戦争中に休止。レールとかを供出させられたのね。

 

f:id:morifumikirikita319:20180104005812j:image

更に痕跡を探しましょう!


f:id:morifumikirikita319:20180104005827j:image

ここを通って…


f:id:morifumikirikita319:20180104005912j:image

橋脚の土台のコンクリート発見。


f:id:morifumikirikita319:20180104005926j:image

できるだけ近づきたい。


f:id:morifumikirikita319:20180104005940j:image

行ってみましょう。


f:id:morifumikirikita319:20180104005953j:image

タモリ廃線跡ですね」


f:id:morifumikirikita319:20180104010013j:image

鉄道の痕跡をたどって、いよいよ琴平駅があった場所に到着。


f:id:morifumikirikita319:20180104010025j:image

今は琴平郵便局です。


f:id:morifumikirikita319:20180104010039j:image

当時の写真


f:id:morifumikirikita319:20180104010051j:image

琴平郵便局の屋上から歩いてきた道を確認。


f:id:morifumikirikita319:20180104010102j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104010113j:image

タモリン大満足。


f:id:morifumikirikita319:20180104012302j:image

タモリ「ん?」


f:id:morifumikirikita319:20180104012318j:image

タモリ「これも何か駅っぽいですよね」


f:id:morifumikirikita319:20180104012336j:image

近江「4つも駅があったんですか」

 

f:id:morifumikirikita319:20180104012402j:image

タモリ「すごいね」


f:id:morifumikirikita319:20180104012416j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104012441j:image

タモリ「駅の跡そのまんまの形してますね」


f:id:morifumikirikita319:20180104012459j:image

近江「へ~4つも」


f:id:morifumikirikita319:20180104012515j:image

琴平参宮電鉄。通称「琴参」。

琴参琴平駅は、国鉄土讃線阿波池田方面へ延長されて移転する前の国鉄琴平駅の旧駅跡を使って建てられたのだそうな。

 


f:id:morifumikirikita319:20180106093006j:image

出典:File:KSER, KEER, TKER and JNR.svg - Wikimedia Commons(by ButuCC)

琴参は、坂出・丸亀・多度津と琴平を結んでいた。丸亀・善通寺間の丸亀線と善通寺・琴平間の琴平線は軌道線で、多度津善通寺間の多度津線と坂出・丸亀間の坂出線は鉄道線だった。


f:id:morifumikirikita319:20180104012538j:image

1963年、軌道線・鉄道線全線を廃止、以後バスのみの営業となる。

2009年、経営悪化のため新旧分離方式(企業分割&事業譲渡)でバス事業を琴参バスに譲渡。

2013年、会社解散。

琴平参宮電鉄 - Wikipediaを参考にしました)

昭和恐慌、過当競争、太平洋戦争、モータリゼーション、港の地位低下、バブル崩壊による不動産事業の失敗という地方交通産業史の典型を見る思いがした。

 


f:id:morifumikirikita319:20180104012559j:image

タモリ「琴参に乗ってるんだ!」


f:id:morifumikirikita319:20180104012639j:image

タモリ「死ぬような思いした」


f:id:morifumikirikita319:20180104012704j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104012717j:image

タモリ「ないない、もうキツくてキツくて」


f:id:morifumikirikita319:20180104012732j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104012819j:image

タモリさんにとって今回最大の収穫でした。


f:id:morifumikirikita319:20180104012837j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104012850j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104012951j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104012906j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104012923j:image

タモリンはっきりしてスッキリ🎵

 

 

おまけ

f:id:morifumikirikita319:20180104014332j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104014352j:image

琴陵「また登ってこられる方もいらっしゃいまして」

 

f:id:morifumikirikita319:20180104014514j:image

タモリ「帰るとき下に着いて思い出すと」

 

f:id:morifumikirikita319:20180104014541j:image


f:id:morifumikirikita319:20180104014555j:image

 チャンチャン

 

 

📄ブラタモリ関連日記

f:id:morifumikirikita319:20180104014619j:image

🔘箱根でブラタモリ - 森の踏切番日記

🔘京都・祇園でブラタモリ(1) ~祇園町南側どす - 森の踏切番日記

🔘さぬきうどんでブラタモリ - 森の踏切番日記

🔘水戸でブラタモリ - 森の踏切番日記

 


f:id:morifumikirikita319:20180107014503j:image

次の記事は結局まとめた『一富士二鷹三茄子のルーツは三保にあり?』簡略版です。