9月の読書録02ーーーーーーー
日本列島100万年史 大地に刻まれた壮大な物語 (ブルーバックス)
- 作者: 山崎晴雄,久保純子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/01/18
- メディア: 新書
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🐱「ブラタモリ」ファンの必読書? 『日本列島100万年史』を読む(1)日本列島の成り立ち - 森の踏切番日記の続き
第2章 北海道
◾北海道は、氷期にはユーラシア大陸とサハリン経由でつながっていたが、津軽海峡は、完全に陸化はしなかったようだ。そのため、津軽海峡を境にして動物の分布が大きく異なる。また、植物の分布も異なる。
約2万年前の氷河期最後(更新世後期)の日本列島。白い部分は植物が生息していない地域。
1.大雪山と氷河期
◾大雪山では、寒冷地に特有な地形が紹介されている。「凍上現象」「構造土」「周氷河現象」「永久凍土」「周氷河性波状地」などの言葉が出てくる。
カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)大雪山国立公園
出典:環境省_大雪山国立公園
柱状節理
出典:環境省_大雪山国立公園
高山植物(イワウメ)
出典:環境省_大雪山国立公園
ニペソツ山のエゾナキウサギ
※日本列島では北海道にしかいない。「氷河時代の生き残り」と呼ばれている。氷期に高緯度地方からやって来て、氷期が終わると、涼しい高山に避難したまま取り残されてしまったといわれている。
2.石狩平野と泥炭地
◾北海道最大の川である石狩川は、大雪山系に発し、層雲峡から上川盆地を下り、神居古潭を過ぎて石狩平野に出る。河川改修される以前の石狩川は、勾配のゆるい石狩平野を延々と蛇行を繰り返しながら流れていた。その結果、石狩川の下流は三日月湖が数多く残っている。
➡石狩川の後背湿地にあたる篠津原野付近における泥炭層の厚さは最大5㍍以上といわれている。泥炭は湿地で植物が枯れた後に分解されずに繊維の状態で堆積したもので、スポンジのように軟らかく水を含んでいる。
➡泥炭地は農地に適さないので、排水路の整備と客土で大規模な土地改良が行われた結果、現在のような水田地帯に姿を変えた。
➡また、河口付近は土砂が堆積し、砂丘と浜堤の列が形成され、内陸側は排水が悪く湿地帯になっていた。
🐱これを読んでブラタモリの札幌編を思い出した。札幌市は扇状地の上につくられたとか、泥炭地とか、やっていたように記憶している。
◾興味深かったのは、約4万年前に起きたという支笏火山の大噴火である。現在の支笏湖は、この大噴火でできたカルデラなのである。また、千歳空港付近の台地状の地形は、このときの降下軽石と火砕流が堆積したものだという。この火砕流台地が広がる前は、石狩低地帯が、太平洋側の苫小牧まで続いていて、石狩川の河口も太平洋側にあったという。それが、支笏火山の火砕流でせき止められて、日本海側の石狩湾に河口を移したのだそうだ。
第3章 東北
1.三内丸山遺跡と縄文海進
◾青森市西部にある三内丸山遺跡は、縄文時代前期から中期にかけての、今から約5900年前~4100年前に継続した大規模集落の遺跡である。
◾ここで興味深いのは、青森平野の地下に十和田火山の噴火による二つの火砕流の堆積物があることである。古い方が約3万6000年前の噴火による「十和田大不動火砕流」で、新しい方が約1万5000年前の大噴火による「十和田八戸火砕流」である。
🐱これを読んで、先日放送されたブラタモリの十和田湖・奥入瀬編を思い出した。十和田湖は、日本唯一の二重カルデラ湖という話をしていた。46億円のうちの1,000円という話をしていたのは、この話題のときだった。
NHK「ブラタモリ #81十和田湖・奥入瀬」2017年9月2日放送
◾十和田湖の外側の大きなカルデラ湖は5万5000年前から1万5000年前の噴火活動によってできたカルデラで、中湖はおよそ6200年前の噴火で外側の水が流れ込んでできたという。AD915年にも大噴火を起こした。
奥入瀬渓流の柱状節理
◾十和田八戸火砕流が発生した1万5000年前は最終氷期の時代で、海面は今より100㍍ほど低いところにあった。このため、青森平野は今よりも沖合まで陸地が広がっていた。そこに火砕流が流れてきて森を埋めてしまったという。
➡氷期が終了し、温暖な気候に変わると海面が上昇し、約8000年前~7000年前には現在の海岸線よりも内陸まで海が入っていた。三内丸山遺跡に縄文集落が形成され始めたときは、そのような状態だったと考えられている。集落は台地上にあり、現在の青森市街の場所は、大部分が海となっていた。その後、徐々に陸化が進み、集落は少しずつ海から離れていったという。
◾縄文海進は、7000年前~6000年前がピークで、平均気温は現在よりも2~3℃ほど高く、海面の高さも現在よりも3~5㍍ぐらい高かったといわれている。房総半島の先端部にサンゴ礁があったことが分かっている。
※地形学者・東木龍七 (1892-1943) による1926年時点の関東平野の地図に縄文海進時代の海進領域(斜線部)を重ねた地図。海水準の変化を裏づける研究としては世界に先駆けたものだったという。
◾太平洋プレートは、日本海溝に対してほぼ直交して(東から)沈み込んでいる。それにより、上側のプレート(東北日本)は東から強く圧縮され、南北方向にシワが寄る。このシワを東西方向の断面で見ると、東側の盛り上がった部分が北上山地などの山地で外弧隆起帯、くぼんだ部分が中央低地、さらに西側の盛り上がり部分が奥羽山脈で火山フロントと内弧リッジと考えることができる。
◽東側の北上山地や阿武隈山地は、中生代(2億5000万年前~6500万年前)の古い堆積岩や花崗岩からなる。
◽西側の奥羽山脈や出羽丘陵は、新第三紀の中でも中新世(2300万年前~530万年前)の火成岩や堆積岩を土台として、その上に第四紀(260万年前以降)にできた火山が南北に延びて、火山フロントを形成している。
東側の古い地層から金が産出した。
◾2万年前の最終氷期最盛期には、海水面が現在よりも120㍍ほど下にあった。河川によって土地が削られ、沿岸部には急な谷ができた。その後、氷期が終わる1万5000年前から徐々に海水面が上がり、谷に海が入り込んできて徐々にリアス海岸となった。現在のような姿になったのは、7000年前の縄文海進のピーク頃と考えられている。つまり、リアス海岸は沈降海岸ではないということである。
➡将来、このまま海水面が変化しなければ、リアス海岸は、やがて砂州が形成されて埋め立てられてしまうと考えられるという。
第4章 関東
1.関東平野はなぜ広いのか
◾関東平野の面積は、およそ1万7000k㎡にもなり、日本の国土の約4.5%を占める。平野部だけでみると、関東平野は日本の平野部の約18%を占めている。また、関東平野には日本の総人口のおよそ3分の1にあたる人が住んでいる。
➡日本の平野は、基本的には低地と台地と丘陵で構成されている。関東平野は、中央部が沈降し周辺部が隆起する「関東造盆地運動」という地殻変動を受けている。そこに利根川や荒川、多摩川などの大きな河川が流入し、関東山地や東北日本の山地から供給された岩屑が、この沈む低地に堆積して関東平野ができている。
◾一般に大きな河川の河口部や内陸にある盆地に平地や低地はできる。まず、くぼみのある容れ物のような地形ができて、そこを土砂が堆積して埋めていくことで平坦地が形成される。
➡その容れ物のような地形を作っているのが活断層。活断層が上下にずれることで、断層を挟んで地盤に大きな落差ができ、土砂の容れ物ができる。河口部であれば平野ができ、内陸の山地に囲まれたところでは盆地ができる。
🐱これは、ブラタモリでよく登場するタモリさんの大好物の「ヘリ」や断層崖のことですな。
別府の場合はプレートの運動で引っ張られた裂け目にできた。
京都盆地は東西の断層の間が沈み込み、両端は隆起した。
👉京都・清水寺でブラタモリ(2) ~音羽の瀧の? - 森の踏切番日記
濃尾平野は養老断層のある西側の方が低くなっている。
🔘これに対して関東平野には、平野の縁をはっきり区切るような大きな断層が存在しない。では、関東平野はどのようにしてできたか。
◾海溝で海洋プレートが大陸プレートの下に潜り込むとき、海底や海溝に溜まっている堆積物が上のプレートに取り残され、付加体を形成する。
➡プレートの沈み込みにともなって付加体はどんどん成長し、溜まると盛り上がっていく。これを外縁隆起帯または前弧リッジと呼ぶ。
➡やがてその部分が、(日本の場合は)日本列島の一部になっていく。(この部分が高い山や陸地を作っている)
➡前弧リッジの内側には沈降した前弧海盆ができる。これは、沈み込むプレートが下に向かって行くため、上のプレートは引っ張り込まれて少し凹むことによる。
➡この海盆が陸地に現れたのが関東平野だったのだ。前弧リッジにあたるのが三浦半島や房総半島なのである。
この図の前弧海盆(前弧堆積盆)は海中にある。
出典:日本列島の地質と構造|地質を学ぶ、地球を知る|産総研地質調査総合センター / Geological Survey of Japan, AIST
🔘何故、前弧海盆が陸上に現れたかというと、それには伊豆バー(前の記事を参照)が影響している。
◾伊豆バーが過去数百万年のあいだ本州に衝突し続けたために、フィリピン海プレートの北端部と本州との間のプレート境界は北に押し曲げられ、陸にずっと近いところに移動してしまった。
➡そのため、本来海の中にあるべき前弧海盆が内陸側にでき、山地から川で運ばれた土砂がこれを埋めて広い関東平野ができたというわけである。
➡関東平野の地下には、関東山地と同じ中・古生代(5億5000万年前~6500万年前)に形成された基盤岩を覆って、新生代第三紀以降の堆積物が最大で3000㍍以上の厚さで堆積している。260万年前から始まった第四紀の最も古い地層は、地下1000㍍ほどの深さにある。
🔘関東平野の概形は、数十万年前からあまり変化していない。関東平野の中心は沈降しているが、次々に新しい土砂が堆積して沈降した分を埋めてしまうので、平野の高さ自体は変わらない。
◾12万年前の最終間氷期と呼ばれる温暖期には、海が関東平野内部に広く侵入。
➡7万年前以降、氷期になって海水準が低くなるにつれて陸地が広がっていった。
➡最終氷期最盛期の2万年前には海面高度が現在よりも120㍍ほど低下、東京湾は全て陸地となり、今の利根川にあたる古東京川が、深さ50㍍ほどの大きな谷を作った。当時は浦賀水道あたりに海岸線があったと考えられる。
➡氷期が終わり、地球が温暖化すると、内陸に海が再び侵入。7000年前の縄文海進のピークには海が埼玉県北部付近まで侵入した。
◾関東平野の開発が始まったのは、徳川家康が関東に移封されてから。当時の利根川は荒川と合流して東京湾に注いでいた。それを家康から家光まで三代かけて利根川を銚子に流すように付け替えた。現在の江戸川は、当時の利根川の名残である。
2.武蔵野台地と東京低地
◽武蔵野台地では、関東ローム層からわかる台地の歴史を取り上げている。
◾武蔵野台地の武蔵野段丘、国分寺崖線、立川段丘、府中崖線、多摩川低地という何段もの段丘地形は、約12万年前から2万年前にかけて地球が次第に寒冷化していく中で、海や川の作用と火山活動の変化により形作られた。
➡そこを神田川や渋谷川、目黒川などが削ることで谷を作ったが、淀橋台(六本木周辺の高台)の方が古く、地層も削られやすかったために、よりでこぼこの激しい地形となった。
◾武蔵野台地の東に広がる東京低地の地下は沖積層という地質学的に最も新しい地層からできていて、武蔵野台地とは地質がかなり異なる。
➡沖積層は厚いところで60㍍以上あり、上部は、地下水を多く含む緩い砂の層が分布し、その下には非常に軟弱な泥層が分布する。泥層は、縄文海進時代に海底で堆積してできたものである。
➡東京低地は全般に地層が軟弱で、1923年の関東大震災ときには大きな被害となった。
3.天下の険、箱根火山
◾ハワイのような、プレート境界とは異なる場所に火山島としてできるタイプの火山の寿命は数百万年近くとされるのに対して、日本のように、プレートの沈み込んでいる場所にできるタイプの火山の多くは、数十万年程度の寿命と考えられている。
🔘火山の一生
①サラサラ(低粘性)で高温の玄武岩質マグマを噴出し、富士山のような成層火山(複数回の噴火が積み重なってできた円錐状の火山)を形成。
②安山岩質や流紋岩質などのドロドロ(高粘性)のマグマの噴出により、火砕流を発生させる爆発的な噴火を起こし、カルデラを形成。
③カルデラの中に小さな火山(中央火口丘)群ができるようになる。
④活動を終える。
箱根火山はカルデラ火山。
しかも「複合カルデラ」
🔘箱根火山は、約65万年前に活動を始めた老齢の火山で、カルデラ形成と火砕流の噴出が繰り返された複雑な歴史を持っている。
◾箱根火山は、元々は峰をいくつも持つ火山の集合であったと考えられる。
➡約25万年前(中期更新世中頃)には、サラサラの玄武岩質マグマから爆発性の高い安山岩質ないしは流紋岩質マグマに変わった。
➡箱根火山に最初にカルデラが形成されたのもこの時期である。この時期のカルデラを「古期カルデラ」、その縁部分を「古期外輪山」と呼んでいる。
➡その後、23万年前~12万年前には、古期カルデラ内にある鷹巣山と浅間山の噴火活動によって溶岩が流れ出し、古期カルデラは埋められた。
➡古期カルデラ内に芦ノ湖と同じような湖があったが、後に埋まって消失した。この湖を「先芦ノ湖」と呼んでいる。
※関東ローム層の下の方の層には約13万年前~10万年前の箱根火山起源の軽石や火山灰の層がある。
➡6万年前、古期カルデラの中で、軽石を噴出する大規模で激しい噴火(プリニアン噴火)が起こり、最後のカルデラが形成された。これを「新期カルデラ」と呼んでいる。
➡この時の噴出した軽石を含む大規模な火砕流は、箱根火山の裾野に堆積し丘陵や台地を作った。また、カルデラ壁を乗り越えて周囲に流出し、約40km離れた、達磨山の船原峠や富士宮まで到達した。(横浜まで流れついたという報告もあるそうだ)
➡新期カルデラ形成後、カルデラ内部で中央火口丘(神山、駒ヶ岳、台ヶ岳など)の活動が始まった。駒ヶ岳、台ヶ岳などは溶岩ドームで、二子山は2つのピークを持つ。これらが数回、小規模なプリニアン噴火をして軽石を噴出したことが分かっている。
➡カルデラ内の低い部分には水が溜まり、新たに「古芦ノ湖」が形成された。少なくとも3万年前にはすでに存在していたことが分かっている。
➡3000年前、溶岩ドームが多くを占める中央火口丘の中で唯一の成層火山である神山が噴火により大崩壊した。
➡崩壊した岩屑は西側に流れ込み、カルデラの底を埋め、古芦ノ湖を南北に分断した。北側の湖が干上がって湿地になったのが仙石原である。南側の湖は逆に拡大して陸地になっていたところも再び湖になった(せき止め湖)。
➡神山が崩壊した跡が大涌谷で、その南には尖ったピークを持つ現在の神山がある。これは、火山体の斜面が崩壊してなくなり、マグマが通る火道だけが残ったもので、これを「溶岩岩栓」と呼ぶが、非常に特殊な地形である。
箱根火山の成り立ち
◾箱根の東、酒匂川が流れる足柄平野は、相模湾の中にあるプレート沈み込み境界である相模トラフの陸上延長部が、酒匂川が丹沢山地や富士山から運んできた土砂で埋められた、世界に類をみない特異な平野なのだそうだ。
◾約2900年前、富士山の東側斜面で大きな山体崩壊が生じた。このとき発生した泥流の堆積物を「御殿場泥流」という。この泥流は御殿場付近で二手に分かれて、ひとつは東に流れて足柄平野に下り、もうひとつは南に流れて三島扇状地に達した。
➡この崩壊の総量は大まかな見積もりであるが3立方キロメートルと推定される。(1888年の磐梯山崩壊の体積が1.2立方キロメートル)
➡崩壊は山頂を含む大規模なものだったが、その後の山頂噴火で急速に埋められて修復したと考えられている。
(他にも、足柄平野の特徴について詳しく解説されている)
📄この記事の続き
🗻南海トラフ地震で富士山が噴火? 『日本列島100万年史』を読む(3)中部 - 森の踏切番日記