森の踏切番日記

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春の川を隔てて男女哉 漱石

3月の読書録03ーーーーーーー

 千駄木漱石

 森まゆみ

 ちくま文庫(2016/06/10:2012)

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😾本書は、千駄木時代の夏目漱石について書かれたエッセイだか何だかよくわからない本である。著者は千駄木の地域史として描こうという意図で書いたようだが、それが上手くいっているとも思われない。

 

🐱明治36年(1903)1月、英国留学より帰朝した漱石は、3月3日、本郷区千駄木町57の斉藤阿具の持ち家に転居し、明治39年(1906)12月27日、本郷区西片町10ろノ7号に転居するまでのおよそ3年10ヶ月を千駄木で暮らした。

🐱漱石は、東京帝国大学第一高等学校の教壇に立ち、前半は神経衰弱が悪化し一時は妻子と別居するまでになるが、明治38年には『吾輩は猫である』『倫敦塔』『カーライル博物館』『幻影の盾』『琴のそら音』『一夜』などを、明治39年には『吾輩は猫である』の続編、『趣味の遺伝』『坊つちゃん』『草枕』『二百十日』を発表し、徐々に精神状態が落ち着いていく。

🐱この間世間では、明治37年(1904)2月に日露戦争が勃発、明治38年(1905)9月5日には講和条約反対国民大会が日比谷で行われ、焼き討ち事件に発展している。

🐱夏目家では、三女栄子と四女愛子が誕生したり、『吾輩は猫である』のモデルとなった猫が迷い込んだり、多くの門下生が出入りするようになり木曜会が始まったり、泥棒に入られたりしている。

🐱つまり、夏目漱石の人生においても、日本史においても、興味深い時期だと云えよう。

 

😾本書について云えば、前半の漱石の精神状態が最悪だった時期については、予断と偏見で書かれていて客観性も公平性も欠けた文章で論理的でもなく読んでいて不愉快だった。この時期の漱石については、夏目鏡子の『漱石の思い出』に拠っているのだが、著者が女性であるためか鏡子夫人に肩入れしすぎである。夏目漱石鏡子夫妻については、どっちもどっちの夫婦だと思っているので、どちらかに肩入れした文章は受け付けない。

😾漱石の暴力については、「病気」(鬱病の発作と云われている)に因るものであり、漱石自身にも自分をコントロール出来なかったものと考えられる。「病気」でないときは、本当にやさしいお父さまだったという長女・筆子の証言もある。また、男権社会だった明治の時代性も考慮しなければならない。漱石だけが家庭で威張っていたわけではない。

😾後半については、漱石の書簡や『猫』などの作品に拠るところが多いのだが、読みが浅くて勉強不足で視野が狭くて読んでいて退屈した。本書で面白い部分は、漱石の文章を引用した部分だけであり、著者の文章は邪魔である。これでは、素人のブログとほとんど変わらないではないかと思った。当時の千駄木の情景については、さすがに詳しかったが、それだけのことである。まったく、つまらない本を読んでしまった。この著者の本を初めて読んだのだが、二度と読むことは無いだろう。🐥

 

 

 

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