森の踏切番日記

ただのグダグダな日記です/2018年4月からはマイクラ日記をつけています/スマホでのんびりしたサバイバル生活をしています/面倒くさいことは基本しません

「源氏びと」の聖地巡り

5月の読書録04ーーーーーーー

 明解源氏物語五十四帖 あらすじとその舞台

 池田弥三郎 伊藤好英

 淡交社(2008/05/12)

 1705-04★★★

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🐱この4月から毎週月曜日に、市内に住んだはる作家のいしいしんじはんが、朝刊に源氏物語の現代京ことば訳いう連載を始めはってん。今週で8回目なんやけど、ようやっと「帚木」の源氏の君が空蟬を口説く所までいかはったんや。これ、長い連載になりそうやわあ。

🐱いしいはんは、大阪生まれやしい、ネイティブの京都人ちゃうしい、現代的な言葉遣いやしい、京ことばいうよりも京都弁いう感じやなあ。なんか大阪からお嫁さんに来はった近所のおばちゃんに源氏物語聞かせてもろてるいう感じやわあ。

🐱どんな感じか、最初のトコをチョロンと引用させてもらうとこんなんや。

どの帝様の、ころやったやろか。

女御やら、更衣やら…ようさんいたはるなかに、最高位のご身分でもあらしまへんのに、とくべつなご寵愛をうけはった、更衣はんがいてはってねえ。

🐱それからな、第1面では「京都ぎらい」の井上章一センセが「現代洛中洛外もよう」いうコラムを始めはったんやけど、これも井上センセらしい、ひねた文章で京都のことをくさしてはってな、ホンマようやらはるわあ。あ、そうそ。京都で新聞言うたら京都新聞のことやから。

 


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土佐光起「紫式部

 

 

源氏物語については、部分的には読んだことはあるけれども、原典はもちろんのこと現代語訳も通して読んだことはない。あらすじ本は読んだことがあるが、おおむね高校の参考書程度の知識しか無いといってもよい。昔の恋愛小説にはあまり興味を持てないのだ。それでも、今回の源氏物語現代京都弁訳の連載を機会に少し源氏物語を復習してみようと思い本書を読んでみた。

 

淡交社は茶道関係に強い京都の出版社で、本書は元々は1976年にカラー古典シリーズの一環として『カラー源氏物語』というタイトルで出版されたものらしい。それを2008年の源氏物語千年紀にカラー写真を除いて復刊したということだ。

 

池田弥三郎(1914~1982)は、折口信夫に師事した国文学者、民俗学者。東京生まれで東京育ち(生家は銀座の天麩羅屋らしい)の著者が旅行者の立場で源氏物語縁の聖地を各帖ごとに巡る随筆が本書の中心となっている。元本には各帖ごとに写真が付いていたのが本書では除かれたことになる。40年前の京都の風景も今となっては貴重だと思うので残念なことである。コストの問題か権利の問題でもあったのかも知れない。

 

◽著者は「源氏物語の中に、その精神生活を探るよすがを留めている人々」のことを「源氏びと」と呼んでいる。これは、登場人物だけをいうわけでもなくモデルとなる実在人物だけをいうわけでもないという。源氏物語を生み出した王朝社会に生きた人々を、その「内生活の抽象」として源氏物語の中に見いだすということのようである。ちょっと難しい。

 

◽本書で紹介されている聖地も、源氏物語の舞台だから訪れるのではなく、「源氏びと」の内生活の記念の場所だから訪れるのだという。そして、著者はその場所を「名どころ」と呼び単なる「名所」と区別している。これは将に今言うところの「聖地」である。著者は「源氏旅行」と呼んでいるが、これも今言うところの「聖地巡礼」に他ならない。従って、本書は源氏物語オタクの聖地巡礼の書と言ってもよいと思う。

 

◽著者が訪れた聖地は、平安京内裏、賀茂川、夕顔の墓(架空の人物なのに墓がある)、鞍馬寺、北野、高尾、賀茂社野宮神社、廬山寺、須磨、明石、住吉、紙屋川、逢坂の関、清涼寺、大堰川左岸、冬の嵐山、桃園(西陣)、二条城周辺、長谷寺、六条、今出川通、瀬田、大原、大原野、石山寺仁和寺、男山、小幡、岩戸落葉神社、冷泉院、小野、鳥辺野、大覚寺平安神宮宇治橋宇治川、小幡山、巨椋池、勧修寺、山科川平等院宇治神社、橋寺、三室戸寺、横川、比叡山など。京都・宇治を中心に畿内各所にわたる。五年近くかかったというからかなりの労作である。

 

◽「橋姫」の帖では、宇治橋が取り上げられている。「橋姫伝説」といえば嫉妬深い女神のことなのだが、「源氏びと」の間では宇治の橋姫はすでに美化されていて民間伝承とは離れていたという解説を読んで、自分の勘違いに気がついた。民間伝承の「橋姫伝説」は源氏物語には反映されていないようだ。

 

◽「早蕨」の帖では、小幡山を取り上げている。宇治十帖の舞台を想像する場合、今は干拓されて無くなってしまった巨椋池がどの程度の大きさだったかを考えなければならない。著者は小幡山を今の小幡辺りでは無くて、もっと西寄りだったのではないかと推測している。つまり、京から宇治へ向かうには、「深草を通り過ぎて、大亀谷から、斜めに、低い峠を越えて、六地蔵に出た」と推測し、この道が越える山路こそ「小幡山」であったと主張している。源氏びとは、小幡山を畏怖していたという。

 

◽あらすじの方は、池田弥三郎の教え子である伊藤好英が担当している。各帖ごとのあらすじが簡潔にまとめられている。やはり、あらすじを読んだだけでは源氏物語の良さは分からないなと反省した。

 

◽本書には付録として、主要人物系図、源氏物語略年譜、主要人物一覧、用語解説、参考地図、平安京図、平安京内裏図が付いていて、これらは大変分かりやすく便利である。

 

いしいしんじ訳の連載では、毎回原文の一部も掲載されているのだが、音読してみて美しい文だなと思う。本来なら原典を読むべきなのだろうが、折口信夫が語っているように、源氏物語の不幸は長すぎることにある。源氏物語に取り組むにはそれなりの覚悟を求められるような気がして二の足を踏むのである。

 

◽本書はそれなりに面白く読んだが、あらすじを知る目的としては少し物足りなかったので、次はもっと詳しい阿刀田高の『源氏物語を知っていますか』を読んでみようと思う。