『ブラタモリ』#74倉敷(1)
~なぜ美しい町並が倉敷に?
今回は、近江ちゃんが屏風の虎を退治します。(嘘)
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いかにも倉敷。
タモリ「ビール飲みたいね」
近江「もう、お休みですか」
いろんな時代の建物が残っている。
町の中心部に古い建物が500以上。
順番が廻って来るまでに戦争が終わった。
運が良かった?
京都市も被害は少なかったけれども、東山馬町や太秦安井が空襲の被害を受けています。倉敷も軍事施設や工場を標的とした小規模空襲の可能性はあったはず。
ちなみに、最も空襲が少なかった県は石川県だそうな。
言い当てちゃいました。
案内人、辞書持参。
別名「汐入川」
上流から水が流れているのではなくて、海の水が入り込んでいる運河。
倉敷の多くの豪商が富を増やした本業以外の“やり方”とは?
暗渠をたどって今も残る豪商の家へ向かう。
橋の跡。
森田酒場?
タモリ「おじの所だ」
草彅くん、どうしちゃったの?
森田森田。
正しくは、森田酒造場だそうな。
隙を見て、川の上にコンクリートの蓋をして家を建てたとか。
大正時代の建物だとか。
お宝登場。
いかにも岸派。
タモリさんも屏風好きだそうな。
タモリさん、屏風から虎を追い出してください!
森田家が酒造業を始めたのは明治42年から。
岡山はイグサの産地として有名だった。
でも、畳表の商売だけで豪商になったわけではない。
畳表を扱う商人なのに大量の米を持っていた。どうして、森田家は大量の米を入手できたか?
倉敷の商人の多くは、地主を兼ねていた。
では、どうして倉敷では商家が地主になることができたのか?
干拓事業ね。
大坂の鴻池新田みたいなものか。あれは、大和川のつけ替え工事で出来た低湿地だったけど。
タモリさん、なんか見えた。
山本太郎案内人、ガッカリ。
近江いじり、来た!
そのまんまやないか~い!
天領だったので、お侍が少ない。
商人の力を借りないと干拓事業が出来なかった。
その辺も大坂と似てるな。
よ~く分かりました。
🐯次の記事へと続く
後半は、近江ちゃんが本領を発揮します。
🐯この記事の前
🔘尾道でブラタモリ(1) - 森の踏切番日記
🔘尾道でブラタモリ(2) - 森の踏切番日記
虎と云えば、岸駒(がんく 1749~1839)
よく分からないけど、岸駒本人の作品ならすごくね?
虎図 岸駒 石川県立美術館蔵
(美技 | 北陸物語より)
猛虎図 岸駒 本間美術館蔵
(虎描きの名手 円山応挙と岸駒 | 公益財団法人 本間美術館 [山形県 酒田市]より)