『ブラタモリ』#89洞爺湖(2/3)
~なぜ “世界の洞爺湖” になった?
癒やされない!
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タモリ「赤くなった、ほら!」
近江「あっ、赤くなった」
NHK放送文化研究所によると、新聞・放送では、「癒す」ではなくて「癒やす」と書くことに決めているそうです。
「癒(ユ)」には、「いえる」と「いやす」の二通りの訓読みがありますが、「いえる」を「癒る」とすると、「傷もいえ、~」は、「傷も癒、~」となってしまいます。これは現代日本人には気持ちが悪いから、ということのようです。なので、「癒える」と送ることに決めたそうです。そうなると、「いやす」も「癒やす」と送ることなります。知らんかった。
「むかう」が「向う」ではなくて「向かう」なのと似ています。
100℃以上!
効能「やけど」て。
草彅「この土地ならではの秘密がありました」
なるわけです。
草彅「湖からしみこんだ豊富な地下水がありました」
なるほど。
意外な事実とは?
タモリ「噴火口ですか、これ☝?」
横山「1910年にたくさんの水蒸気爆発を起こした」
わけです。
でも、そのおかげで…
♨️温泉街ができた。
草彅「幸運にも温泉が湧いた所にあったのは」
草彅「活発な火山活動が絶妙なコラボを生みました」
噴火が起きた年です。
1910年の噴火の次の噴火は…
1944年の噴火。
行きましょう!
草彅「一大ポイントです」
感激の御対面。
近江「おそろしいですね」
近江「それで火山が」
横山「約2年間です」
タモリ「こういう平たい麦畑だった」
近江「麦畑で…」
タモリ「ところが、ある日ですね…」
横山「こうしますか」
近江「ちょっと比べて頂いて…」
近江「徐々に数mmずつ浮いてくるんですか?」
タモリ「ボコボコボコだろうね」
ポコの次はボコ
近江家ボコボコに改名してほしい。
1945年9月20日全活動停止。
森田一義氏は、1945年8月22日生まれ。
幼なじみ?
火山としては非常に若い。
しかし、この誕生の衝撃で…
世界的な存在にのし上がった。
近江「すごい急成長したんですね」
シンちゃんの気持ちを代弁するカズちゃん。
タモリ「熱いんでしょうね、あそこらは」
それでは、昭和新山を登ってみましょう。
といっても私有地ですからね。
持ち主さんの許可がいります。
昭和新山の持ち主の三松さん。
俺んち、火山持ってるから。
関係者以外立ち入り禁止
おじゃましま~す。
三松「72年の間に緑が回復しました」
抜けました。
タモリ「すごい」
横山「水蒸気… 噴気が上がってますけども」
噴気はガスや蒸気のこと。水蒸気だけじゃないようです。
近江ちゃん、ばててない?
タモリ「麦畑が盛り上がったんですね」
タモリ「麦畑だったんだよ」
近江「信じられない」
草彅「そして、ゴツゴツと盛り上がった異様な姿です」
近江さんお答え下さい。
近江「赤ですね」
近江「違いますか?」
タモリ「冷えれば…」
近江「冷えればもう赤くなくなる」
実物を手に取って観察してみよう。
近江さん、レンガはどうやってつくります?
タモリ「レンガはね…」
ここにもいたか、マルナゲドン。
タモリ「マグマで熱変成を受けて焼かれた」
一体どうして出来たんでしょう?
次の記事へと続く
🌋有珠山は、約5万年前の中島の活動に引き続いて、約2万前頃から活動を始めた。
8000年前~7000年前に山体崩壊が発生。以後活動休止。
1663年(寛文3)の寛文大噴火以降活動を再開。特に、1822年(文政5)の噴火はものすごく、多くの死傷者を出した。江戸時代には4回の噴火の記録が残っている。
その次の噴火が、1910年(明治43)の噴火になる。このときできた「明治新山」は「四十三(よそみ)山」と呼ばれている。