『ブラタモリ』#93彦根(1/3)
~なぜ家康は“彦根がイイ”と思った?
近江「離合知っとうと?」
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琵琶湖です。
なぜか荒れてる。
彦根といえば彦根城。他には、琵琶湖とか、多景島とか、琵琶湖とか、鳥人間コンテストとか、琵琶湖とか、埋木舎とか、琵琶湖とか、龍潭寺とか、琵琶湖とか、玄宮園とか、琵琶湖とか、佐和山城址とか、琵琶湖とか、琵琶湖とか、琵琶湖とか…
後ろの建物は彦根ビューホテルかな。
うわさをすれば?
ひこにゃん師匠登場!
(=゜ω゜)ノ
こんにちは
タモリさん、からみにくそう。
なんだろうね
クルリ
なるほど
ひこにゃん師匠ケツカッチンです。
多忙なんだ。
トコトコ
バランスとってる? 頭でかいし。
左へ曲がると鳥人間コンテストの会場だな。
入れかわった。
彦根の城や町の発掘調査する人
イイ場所
井伊家だけに…
苦笑い
1600年(慶長5)関ヶ原の戦い後、その軍功により18万石に加増され近江国佐和山を与えられた井伊直政が佐和山城に入城。
1602年(慶長7)直政死去。直継が家督を継ぐ。
1603年(慶長8)彦根城築城開始。他の大名が築城を手伝う天下普請(御手伝普請)という異例の築城だった。(この頃は大坂対策で彦根を重視していたのだと思う)
1606年(慶長11)直継、彦根城に入城。
1615年(元和1)大坂冬の陣後、幕命により直継は安中藩3万石に移され直勝と改名(小野氏など井伊谷時代からの旧臣は直勝についていったという)、異母弟の直孝が家督を継ぎ第二代彦根藩主となる。翌年から彦根藩単独で御殿などの増築工事が始まる。
※彦根城 - Wikipediaを参考にしました。
彦根城「御城内御絵図」1814年(文化11)
佐和山。山頂に佐和山城の本丸があった。
佐和山城図
石田さんです。
三成に過ぎたるものが二つあり
島の左近に佐和山の城
佐和山城は元々は佐々木氏の砦だった。その後、六角氏、浅井氏と支配が移り、1571年(元亀2)に丹羽長秀が入城。本能寺の変後、堀秀政、堀尾吉晴と城主が変わり、1591年(天正19)に石田三成が城主となり城を整備した。(三成が佐和山城主になった年は説が分かれている)
※佐和山城 - Wikipediaを参考にしました。
彦根は絶対に押さえておきたい場所。
彦根城。別名金亀(こんき)城。
彦根城は彦根山(別名金亀山)に築城された。彦根市のホームページによると、彦根の名の由来は、ここに天照大神の御子である活津彦根命が祀られていたことによるという。
草彅「でもどうして家康は彦根をイイと思ったんでしょう?」
彦根城の入り口に来ました。
草彅「まずはその鉄壁の仕掛けを見ていきましょう!」
内堀です。
どの角度からも敵を監視できる丸い形
草彅「石垣の上にある広場は」
ここで離合出た!
近江「離合って… どちらの方ですか?」
タモリ「ご出身どちらですか?」
二人して詰め寄る。
この前から気になってたんだよね、離合。
というのも、先日、たまたまこちらのブログを見たからです。
近江アナは福岡や熊本で勤務していたから知ってたんだね。
「離合」の本来の意味は「離れたり合わさったりすること」。離合集散とか。
でも、何となく分かるなあ。うまい表現だなあと思います。
野党に言いたいね。離合注意!
更に?
近江「走って登るとなるとキツそうですね」
よろいを着けてるわけですから
更なる魔の手
興奮ポイント来ました。
谷のようになっている。
大切な場所
そこに橋の上から櫓の中から塀の穴から
狙い撃ち
というわけなんです
タモリ「切り通したんでしょうね」
廊下橋と天秤櫓です。
もともとつながっていた山の斜面を切り崩してわざわざ谷をつくったそうな。
そして、ここにも恐ろしい仕掛けが…
というふうに言われています。
消耗 集中 串刺し
全滅
反対側から見た天秤櫓と廊下橋
正面から見た天秤櫓(重要文化財)
分かります分かります
太鼓門櫓(重要文化財)
鉄壁の防御を突破してきました。
お疲れさま~
草彅「実は怖~い罠が仕掛けられているんですよ」
草彅「それは隠されています」
行きましょう。
急な階段を上がってきました。この階段も防御のためにわざと急な狭い階段になっています。上から敵を蹴落とすわけね。
狭間(さま)
塞いである。
優しい顔してるけどな
ホンマは怖いねんで。
なぜ家康は、こうまでして彦根を守りたかったのでしょうか?
🐱次の記事へと続く
井伊直政公像
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(日曜日に「#ブラタモリ」と「#ひこにゃん」で、めったにつぶやかないTwitterにつぶやいた)
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