森の踏切番日記

ただのグダグダな日記です/2018年4月からはマイクラ日記をつけています/スマホでのんびりしたサバイバル生活をしています/面倒くさいことは基本しません

『城塞』下巻再読・大坂城炎上

『城塞』再読(17)

司馬遼太郎『城塞』の再読もようやく最終回になりました。


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岡山口の戦い

◾岡山口の総帥は、大野主馬であった。兵力は二万余。対する将軍秀忠率いる東軍の兵力は六万、先鋒の加賀前田軍だけでも一万五千の兵力であった。

▶主馬は、旧真田丸の南方に本営を置いた。東軍における主馬の評価は低く、東軍はなめてかかったが、大野主馬軍の守りは固く、上手く戦った。

▶乱戦となる内に東軍の形勢は次第に悪化し始めた。主馬は軽兵を率いて秀忠の本営に斬り込んだ。本営は大混乱に陥ったが、主馬は秀忠を討ち取ることは出来なかった。

▶善戦した大野主馬軍ではあったが、いかんせん多勢に無勢、東軍は立ち直った。主馬軍は悪戦苦闘して四回にわたって敵を押し戻したが、残存兵力がわずかになり、午後三時頃、城に向かって退却した。

 


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大坂夏の陣図屏風右隻(大阪城天守閣蔵)
 


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大坂夏の陣図屏風左隻


 

大坂城炎上

◾前線にいた大野修理は血まみれになって荷車で城内に運び込まれた。修理は失神していた。これは、主馬の家来に襲われたときの傷口が破れたもので戦傷ではなかった。

▶秀頼は淀殿、千姫と共に本丸の千畳敷にいた。真田大助もその場に控えていた。城外の敗報を聞くと秀頼は、「出陣する」と、言ったが、速水守久は、「すでに遅うございます」と、諫めた。

秀頼は生涯そうであったが、自分の思案で自分の行動を決定したことがなかった。

秀頼は、守久の言葉を聞き入れた。

▶その時、城内が騒然となった。御台所頭大隅与五左衛(大角与左衛門)が寝返りをうち、台所に火をつけたのだ。台所は本丸にある。

▶守久の先導で、秀頼、淀殿など、男女三十人は、北の山里曲輪に避難した。山里曲輪は、秀吉が茶をたしなむために自然の山水をつくりあげた一廓で、樹木が多いため安全なのだ。

大野修理も同行したが、途中で一時消え、千姫を城からおとしている。

 


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※二の丸城門で防戦していた堀田正高は、もはやこれまでと、腹を切った。

※城へ戻ってきた渡辺糺は、二人の児と共に本丸に入り、切腹した。母の正栄尼もその場でのどを突いた。

※城へ戻ってきた大野主馬は、本丸の炎上を見て死に処を失い、敵兵の中に紛れて逃走した。以後、行方は分からない(諸説あり)。

※秀頼の七手組組頭の一人伊東長次は遅まきながら寝返り、味方に向かって乱射している。長次はのちに高野山に謹慎したが、家康に許され本領を回復している。

※大坂方は、二万人以上の死者を出したという。

 

◾家康は、茶臼山にのぼって大坂城本丸の炎上を見守った。

 


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大坂城炎上絵図(1663年)
 

 

明石全登

◾家康を襲撃する遊撃隊を率いる明石全登は、船場に待機していたが、作戦は破綻し、秀頼の出馬もなくなり、戦機を失った。

▶やむなく全登は、突撃部隊としてキリシタン騎兵三百を率いて進撃した。ともかく家康の本営を突くべく南下し、藤堂隊を蹴散らし、水野勝成隊を潰走させたが、押し寄せてくる東軍の波にのまれて味方の大半を失った。

▶全登は、もはやこれまでと城東に向かって馬頭をめぐらし、血路を開いて戦場から脱出した。これは、宗旨が自殺を禁じているためであり、また、全登にとってこの戦いは、あくまで切支丹解放戦であって、秀頼への忠誠心ではなかったので、無用に討死にするのは本意ではなかったのだ。

▶その後、大坂を脱出した全登は九州へ落ちている。同じキリシタン武将に匿われていたが、幕府のキリシタン禁制が強まると消息を絶っている。南蛮へ渡ったという話もある。

 


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長宗我部盛親

長宗我部盛親は、前日の八尾の戦いのあと大坂城に戻ってから、土佐以来の旧臣を集めて、

「汝ら早く何処へも落ちよ、この城にて功を立てんこと今は叶い難し、自らも落ちぬべし、我に志あらば重ねて義兵をあげんを待って来たるべし、もし、我生捕られたりとも、何卒謀を巡し命全くせん」

と、言ったと伝えられる。

▶五月七日、盛親は京橋口の守備を担っていたが、大坂城落城後、京街道を北へと潜行する。

▶十一日、八幡近くの橋本の芦原に潜んでいるところを発見され捕らえられる。

▶二十一日、洛中引き廻しの上六条河原で斬首された。処刑の直前までかつての一国の主らしく堂々としていたという。 

 


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千姫

 

 

千姫

大野修理は、彼の家老米村権右衛門を千姫に付けて、その随行の侍女たち(刑部卿局、小督、松坂など)と共に大坂城から落とした。

▶修理の期待は、「秀頼・淀殿の御いのちと交換してもらいたい」ということである。

▶脱出は決死行であった。城内は広く複雑で、天守閣は大火災につつまれ、兵は駆け回り、銃弾は飛び交っていた。

千姫をふとん巻きにし、綱をつけ櫓の窓からそろそろと吊りおろし、つき従う侍女たちのほうは女の身ながら石垣に手足を掛け、命がけで降りた

というようなこともあったという。

▶米村権右衛門は、本多正信を頼り、秀頼・淀殿の助命を嘆願するが、

助命などする意志は家康になかった。

▶秀忠は、千姫の無事を喜んだが、

「女の身ながら、なぜ秀頼とともに相果てぬか」

と言ったらしい。

 

※米村権右衛門には、徳川方に大坂城中の金銀のありかについて尋問されたが「知らないものは拷問されても答えようがない」と堂々と答えたため、家康が「剛の者だ」と赦免したという逸話がある。のちに赤穂浅野家に仕え、治長の娘を匿い養育したという。

 

※『城塞』では、徳川方は秀頼と淀殿の居場所がつきとめられず、米村権右衛門も知らぬ存ぜぬで押し通すので、片桐且元に居場所を尋ねている。城内に顔見知りの多い片桐且元は、情報を集めていて秀頼・淀殿たちが山里曲輪の糒蔵に隠れていることを知っていた。

 

 
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豊臣秀頼

 

 

五月八日

◾一夜明けて、夜通し燃えつづけた天守閣も焼け落ち、あちこちで白煙が上がっていた。灰が累積し、何千もの人馬の焼け焦げた死体が散乱していた。東軍のうち五万人ばかりがが城内に入った。そのうち、井伊直孝らが本丸に入り、山里曲輪のほうを警戒した。

▶焼け残った山里曲輪の糒蔵で秀頼と淀殿と修理らわずかな近臣は身を寄せ合っていた。この期に及んでも修理は、秀頼・淀殿の助命に望みを託していたが吉報は届かない。

▶正午ごろ、山里曲輪に向けて徳川方の一斉射撃が始まった。射ち込んだのは、井伊勢と安藤重信勢であった。これは、覚悟を促すための射撃であった。やがて、蔵の中から火が吹き始めた。

火は、蔵の中における、自尽が終了したという証拠であった。

火は軒を舐めて屋根へのび、内部はしきりに爆発する音が聞こえた。

秀頼、淀殿とともに、大野治長毛利勝永速水守久真田大助らが自害して果てた。

最後に残った者が、煙硝をばらまいて火をつけ、死骸をことごとく灰にしてしまおうとしたに相違なかった。

 

豊臣氏はここに滅亡した。ときに秀頼は23歳、淀殿は49歳をこえていたという。

 

 

落城

 この日、家康は午後三時すぎまでたしかに茶臼山の本営にいた。

 が、その後、掻き消えるようにしてかれは、大坂の地から居なくなった。

 

◾大坂落城後の落人狩りは全国にわたって行われ、極めて厳しいものであった。秀頼の実子である八歳の国松は伏見で捕らえられ、京の六条河原で処刑された。秀頼には、もう一人七歳の女児がいたが、千姫が養女にして助命された。その後鎌倉の東慶寺に入り尼となった。千姫は、本多忠刻に再嫁した。

 

◾家康は落城の翌日、大坂城中の金銀を調べさせ没収したという。家康は豊臣家の痕跡を消し尽くすことに労力を費やした。大坂城の再建においても、旧大坂城の痕跡を完全に埋めた上に、さらに大規模な城を造り上げた。

 

 

信繁妻子のその後

真田信繁は、父昌幸の遺志をついで、最期まで強者に屈せぬ戦国武士の意地を貫き通した。その生き方が当時の人々を魅了したのであろう夏の陣のすぐあと、

花のようなる秀頼さまを

鬼のようなる真田が背負い

退きも退いたり鹿児島へ

という童歌が京で流行ったという。

 

丸島和洋の『真田四代と信繁』によると、大坂落城の混乱の中、信繁妻子は紀伊に向けて落ちのびようとしていたという。信繁の三女阿梅は一行からはぐれて伊達家家老片倉重長に捕らえられたというのが事実であったようだ。信繁正室竹林院は子女とともに浅野長晟に捕らえられたが、特に処罰を受けたわけではなかろうという。信繁次男大八は、阿梅の縁で片倉家を頼ったという。他にも信繁の遺児で片倉家を頼った者がいたという。

 

 

 

 

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『城塞』下巻再読・真田幸村の最期

『城塞』再読(16)

🐱司馬遼太郎『城塞』下巻を再読しております。いよいよ運命の日がやってまいりました。

 


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目指すは家康の首! ただ一つ!

 

 

慶長20年(1615)5月7日

真田幸村の主力は茶臼山の南谷に布陣している。真田軍には大谷刑部吉継の長男吉治もいた。毛利勝永軍は四天王寺の塀の南側にある庚申堂のあたりに布陣している。岡山方面軍として、大野主馬の軍団が味原池のあたりに布陣している。また、幸村の案で、速水守久らが遊軍として四天王寺付近の藪の中に伏せている。さらに、幸村の案で全軍の遊軍部隊として明石全登率いるキリシタン軽騎兵部隊三百騎が船場に布陣した。

▶幸村の計略というのは、敵を四天王寺台地の狭隘部に引きつけている間に明石隊が敵の背後に回り、手薄になるはずの家康本陣を襲い家康を討ち取るというものであった。

この人物は、ぎりぎりまで計算力を働かせ、みずからの運を最後まで見すてることがなく、その執拗さは異常であった。

もっとも幸村は、秀頼の死は免れないと思っていた。家康を道連れにして刺し違えることによって、自らと豊臣家の武を完結させようという執念であった。

▶幸村は、秀頼の床几所を四天王寺西門の石鳥居の前に決めていた。秀頼も出陣するつもりでいた。大野修理は秀頼直属軍を率いている。修理は自分が主将のつもりでいる。

▶そこに家康側から和議が持ち掛けられる。使者は常光院と後藤庄三郎である。これは、大坂方の気勢をそぎ、心をくじけさせるための家康の策謀であった。

▶これを知った幸村は

古今の悪人とは駿府翁のことかな。

と息子の大助にもらしたという。幸村は大助に秀頼の出馬を説得するために城に戻るように命じる。大助は敵を前にして戦場を去ることを拒んだが、幸村は聞き入れず大助を城の方へ下げた。

▶これには、幸村が真田本家を通じて家康に内応するのではないかという疑惑が城内の一部にあり、人質のつもりで大助を城へやったという見方もある。

 


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◾大坂方五万に対する徳川方は三十万である。岡山口へは、先鋒・前田利常以下、黒田長政加藤嘉明藤堂高虎井伊直孝ら。天王寺口へは、先鋒・本多忠朝以下、真田信吉・信政、浅野長重、秋田実季ら。住吉へ向かう大和口へは、先鋒・水野勝成以下、松平忠明、松平忠政、伊達政宗松平忠輝である。さらに、守口方面軍として、京極忠高、京極高知らがいる。

▶家康は、主決戦場たる天王寺口の総指揮をとることに決め、岡山口を秀忠に任せる。秀忠はそれが不満だったが、家康は、この期に及んでも不安だったのだ。

(そのほうのような馬鹿になにができるか)

司馬遼太郎の秀忠に対する評価は、

もし庶民のあいだにうまれていれば質屋の帳付けか、寺子屋の師匠しかつとまらぬという男

である。この陣中本多正信は老齢(78歳)のため駕籠に乗っていた。

▶冬の陣で二万の大軍を率いて真田丸を攻め、幸村のために散々な目にあわされた松平忠直は、夏の陣において、前日の八尾・若江の戦いに参加するはずだったにもかかわらず、酒を飲んで戦闘に参加しなかったことで家康に激怒され、この日は持ち場を与えられなかったが、名誉挽回のために抜け駆けをして夜明け前に茶臼山の前に布陣した。

 


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月岡芳年:一魁随筆・真田左衛門尉幸村

(銃を持っている)

 

 

正午頃、開戦

◾東軍先鋒本多忠朝隊の銃隊が、毛利隊本営に徐々に接近してくる。

▶敵からの圧迫感に堪えきれなくなった渡辺糺は、鉄砲隊に射撃を命じてしまう。幸村も勝永も慌てて制止したが、城将である渡辺は牢人に反感を持っていたため言うことを聞かない。これにより、早くも幸村の作戦は破綻してしまう。

わが策は、ついにやぶれた。

▶幸村と勝永はやむなく戦闘方針を接戦に切りかえた。

考えてみれば大坂入城以来、何度となく軍議がおこなわれたが、幸村の策が容れられたことはまれであった。そなたでは無理である、と亡父の昌幸が息をひきとるにあたって幸村にいったことばを、いまさらのように脳裏によみがえらせていた。

冬の陣での活躍ぶりをもってしても、

幸村の命令が威厳をもって全軍にゆきとどくというぐあいには、とうていゆかなかったのである。

▶勝永は軍勢を二手に分け、本多忠朝隊を挟撃、忠朝を討ち取り忠朝隊を壊滅させ、さらに小笠原秀政隊を破り、秀政に重傷を負わせ(夕方に絶命)、その子忠脩を討ち取った。毛利隊は五千にすぎなかった。東軍先鋒軍は二万近い大軍であったが、その七割方が潰乱した。毛利隊はその後も徳川譜代衆を潰走させ家康本陣に迫る善戦を見せている。

 

士卒もこの戦いの性質がどういうものであるかを知っている。もはや功名の場というものではなく、万死の中で、かろうじて一勝を見出そうという戦闘であった。

目指すは家康の首、ただ一つ。

それ以外に、この絶望的な戦闘のむこうに光明を見出す方法はない。

 

▶幸村も三千五百の兵を率いて茶臼山を降りる。相手の越前衆(忠直軍)は汚名をそそごうと凄まじい勢いで突進してくる。真田隊の突撃はそれ以上に苛烈であった。激しい白兵戦の末、敵の右翼を突破する。

▶毛利隊の善戦を見た幸村は、混乱する敵の間隙を縫って家康の本陣を襲うことを決心する。ここで、幸村は自分の影武者を二人用意している。(七人いたという話もある)

▶幸村は手勢五十騎程を率いて家康の本営に向かって突進する。このとき、敗色濃厚の東軍の中に「紀州の浅野勢が寝返った」という虚報が駆け巡り、東軍は恐慌状態に陥る。

▶その中を疾風の如く斬り込んで行く幸村率いる五十騎は、徳川頼宣率いる駿府衆を蹴散らし、ついには家康本陣に迫り、旗本衆を切り崩した。混乱した旗本衆は、家康を置き去りにして逃亡、金扇などの馬印や旗印が田の中に投げ捨てられる有様であった。

▶幸村の突撃は二度にわたっておこなわれた。家康は最初の真田勢襲来のときに逃げている。家康は侍臣数名と共に騎馬でもって逃れた。玉造方面(あるいは八尾方面)を目指したが、途中「二度まで自殺を口走った」という。二度目に幸村が家康本営を襲ったときは本営は空であったが、凄まじい襲撃だったという。

 


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歌川芳虎:大坂平野合戦真田幸村地雷火をもって関東の大軍を破る(部分:1870)

 

 

※家康の逃げた方向については諸説あるが、三里逃げたという。平野・久宝寺辺りに逃げたと考えるのが妥当か。

三方ヶ原の合戦以来くずれたことがなかった金扇の馬印が、ここでくずれたことになる。

※大坂の町の巷説

真田幸村が神出鬼没しよってな、その度に家康の狸はな、幸村の槍先に追い立てられよってな、必死のパッチで逃げよったんやて」

※大坂・堺辺りの都市伝説

「ホンマはな、家康はな、この時死によってん。次の年に死んだ奴な、あれは替え玉やねん」

 

茶臼山を捨てた幸村はその軍団をときには散らして敵を挟撃し、ときにはまとめて敵の中央を突破し、さらには二度にわたって家康本営を急襲したりしたが、午後二時ごろにはその軍勢のほとんどが死傷して従う者がわずかになった。

 


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歌川芳虎:大坂平野合戦真田幸村地雷火をもって関東の大軍を破る(1892)

 

 

安居天神

◾大坂方は奮闘したが、多勢に無勢で次第に劣勢となった。幸村は勝永に城へ退くように伝令を送り、自身は殿戦(しんがり)を買って出る。

幸村はもはやこの場で死ぬつもりであったのであろう。

▶このとき、周囲には既に東軍が押し寄せていたが、勝永は退却するにあたって用意しておいた地雷火を爆発させる。この地雷火は幸村が考案し、勝永に操作法を教えたものである。埋めておいた火薬箱の導火線に点火させると、地雷火は大爆発して土砂を天に吹き上げ東軍を怯ませた。その隙に勝永は城へと退却した。

▶幸村は四天王寺西門付近でその音を聞くと、一心寺門前の坂を東へ下った。わずかに下ると右手に小さな森がある。安居天神である。

▶幸村はその境内に入って、崩れるように座り込んだ。既に満身創痍の上に疲労困憊の極みに達していたと思われる。

そこへ越前の士西尾久作(のちに仁左衛門と改名)が入ってきて、名乗りをあげた。幸村は顔をあげず、応答もしなかった。西尾はらくらくと槍をつけた。

▶西尾が話に尾鰭をつけて手柄話をすると、

家康はにわかに機嫌を悪くし、

「うそであろう」

と、一喝した。

 


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安居天神の真田幸村公之像と戦死跡之碑

著作者:Yanajin33(WikimediaCommons)

 

 

※『細川家記』(細川忠興の書状)

真田左衛門佐合戦場において討死、古今これなき大手柄、首は越前宰相殿鉄砲頭取り申し候、さりながら手負ひ草臥れ伏して居られ候を取り候に付、手柄にも成らず候

 

※『薩藩旧記雑録』

五月七日に御所様の御陣へ真田左衛門しかかり候て御陣衆を追い散らし討捕申候、御陣衆三里ほどずつ逃げ候衆は皆々生き残られ候、三度目に真田も討死にて候、真田日本一の兵(ひのもといちのつわもの)古(いにしえ)よりの物語りにもこれなき由、惣別これのみ申事に候

 

※『真田君伝記』によると、首実検をした真田信尹はよくわからないと言い張って、信繁の首と認めようとしなかったという。首実検のあと、東軍の諸将が信繁の武功にあやかろうと髪を抜き取って懐中におさめたという。

 

※信繁の家臣もほとんどが討死したという。堀田作兵衛興重も討死した。高梨内記は大助に従っていた可能性がある。

 

 


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出典:Wikipedia(Jmho)
 

 

 

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12月16日放送

NHK歴史秘話ヒストリア

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◾夏の陣の天王寺・岡山の戦い
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左・茶臼山、右・岡山


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丸馬出


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※信繁の戦略


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敵を引き付けて、徳川本営を孤立させる。


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横から騎馬隊が出撃し、徳川本営を急襲。


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真田丸発掘調査団長・千田嘉博氏


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◾冬の陣の真田丸余話
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冬の陣の真田丸で使われた火縄銃と同型の銃


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📄関連日記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『真田丸』第49回「前夜」の感想 その2(道明寺の戦い)

NHK大河ドラマ真田丸

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第49回「前夜」その2(道明寺の戦い)

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大坂城の厨

ロウニンジャー作戦会議
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幸村「家康の本軍は奈良大和路を通って生駒山南の隘路を抜け河内へ入る」

 🐱本来なら、ここに4月30日の軍議が入るところなのだが、樫井の戦いの前に軍議の場面を持っていったのは、このためだったのか。何故わざわざ厨で作戦会議をするかなあ。無理矢理な展開やなあ。

😽ここで元々の後藤案を使うつもりだったのか。しかも、真田案にしてしまっているし。無理矢理な展開やなあ。


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幸村「まずは、ここで食い止める。道明寺」

又兵衛「俺が行こう」

幸村「明石殿、後藤殿をお助け願いたい」

ミサスキー「承知」

幸村「後詰として、私と毛利殿」

又兵衛「出来るだけゆっくり来てくれ。それまでには片づけておくからよ」

😽そんな事言うかよ。

 

🐱道明寺は、東高野街道と大和路の交点にあたるので徳川軍集結地になる。大和路を進む敵が道明寺に着く前にたたくのが、この作戦の本来の目的のはずなのにな。ちょっと違うと思う。

😾元々の後藤案は、生駒山南の隘路で敵の大軍が細長くなったところなら、小勢でも大軍に当たれるのではないかという発想なのだ。道明寺では遅すぎるのだ。

 

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幸村「長宗我部殿には、この八尾・若江を抑え、東高野街道から来る秀忠の軍を食い止めて頂く」

😽食い止めるのではなくて、家康の首を狙うための行軍の筈なのだがなあ。そもそも、小勢で大軍を食い止めるという発想は無いだろうし。ちょっと違うと思う。

 

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長さん「あい分かった」

幸村「木村殿は、それを支える」

😾木村クンは、ただただ家康の首だけを狙っていたと思いたいな。この描き方は、ちょっと違うと思う。


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幸村「それでは、おのおの抜かりなく」

一同「おう!」

😾この幸村はホントにヘボだなあ。ダメダメじゃないか。ちょっとした違いで、全く作戦の意味が変わってしまうのだな。

 

 

◾二条城
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正純「道明寺というのは?」

家康「後藤又兵衛がそこへ入った。わしが大和路を進むと踏んだようだ。」


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家康「ならば、わしは秀忠。おぬしと共に、こちらを使おう」

🐱最初から、東高野街道を使うつもりだったくせに。ちょっと違うと思う。

 

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正信「後藤又兵衛が気になりますなあ」

正信「今のうちに潰してしまいましょう」

正信「・・・」

正信「調略」

🐱さすが体のどこを押しても悪知恵が出てくる男、本多正信

 

 

◾平野・後藤又兵衛の陣
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又兵衛「徳川が俺を召し抱えるだと」

楊西堂「播磨三十五万石」

 

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又兵衛「ハハハハハ!」

又兵衛「ふざけるな」

😽ここは、丁重にお断りするところだけどね。 

 

 

◾二条城
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正信「ご苦労じゃったそれでよい」

 

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正信「調略に乗ったと噂を流せ」

😽関係ない振りをする家康。


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正純「かしこまりました」

😽あんたは、そのうち政敵に潰されるよ。

 

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正信「又兵衛は、その噂を消す事で必死になる」

😽善人アピールをする家康。


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正信「はい、これにて又兵衛の命運は尽き申した」

🐱本多家の未来の運命も知らないで、己の調略に酔いしれる正信。

🐱満足そうにうなずく家康。ワルよのう。 

 

 

徳川義直の陣

※信尹、信之

信尹「案ずるな。ただの人改めだ」

信之「あっ」


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長泰「何でここに…」

😽結局、兵糧は届けられなかったのだね。無理矢理な展開だったものな。


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室賀「間道を歩いていた怪しい者とはお前達か?」

 


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黙れ こわっぱ~

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室賀「すいません」


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信之「参りましょう」

😽どうでしょう。

 

 

大坂城

※幸村、作兵衛、信尹、信之。

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※信尹は、家康が幸村に信濃四十万石を与えると言っていることを幸村に伝える。


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信尹「兄上が終生望んでいた信濃の国主になれるのだぞ」

😽いや、そんな事信用できる訳がないでしょ。

 

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信之「徳川に刃向かいたいなら刃向かえばよい。しかし、死んではならぬ!」

幸村「捕まれと申されますか?」

信之「そうじゃ」

信之「今度もまた、俺は必ずお前を助けてみせる。死に物狂いで江戸と駿府と京を駆け回り赦免を勝ち取ってみせる!」

幸村「そしてまた十四年」

🙀いや、赦される訳がないでしょ。

 

信之「決して、お前を死なせはせん!」

信之「それがわしの使命だからだ。あの時わしはお前と父上に誓った。またいつか晴れて酒を酌み交わそうと」

信之「父上はもうおられぬが、わしはまだ、その約束を果たすつもりでいる」

 

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幸村「では今ここで酒を」

※信之、立ち上がる。

信之「作兵衛、帰る。叔父上」

幸村「兄上と酒を酌み交わしとうございます」

※背を向ける信之。

幸村「兄上」

信之「これは、今生の別れではない」

😽いや、今生の別れでしょ。

 

※立ち去る信之。


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信尹「生きたいように生きればよい」

 

😽結局、信之は別れを告げにきたと解釈すればいいのかな。弟の気持ちは分かるが、死なせたくはない。せめて、もう一度顔を合わせて、自分を納得させたいということだろうか。

🐱信尹の最後の一言が心に染みたな。

 

 

◾二条城

※家康、上杉景勝


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家康「長い付き合いだのう、上杉殿」

景勝「左様ですな」

家康「北条の隠居も、真田安房守も死んでしもうた。あとは我らだけ、生き残ったな」

😽藤堂高虎もいるけどね。上杉景勝と同じ弘治元年(1556)生まれだけどね。それでも家康とは一回り以上違うものなあ。健康オタク家康が長生きなだけだよな。

 

家康「今のわしがあるのは太閤殿下のおかげじゃ。しかし、わしは豊臣を滅ぼす。秀頼公があそこにおっては徳川のためにはならんのじゃ。それゆえの戦と思うてくれ」

😽善人アピールをする家康。

 

景勝「何ゆえそれがしにお話しになる?」

家康「おぬしには分かってほしかったのじゃ」

😽家康「視聴者に分かってほしいからじゃ」

 

景勝「お心うちにやましさがあるからでは?」

家康「何を申す」

😽冬の陣まではやましさがあったかもな。

 

景勝「この戦に大義が無いことが気になるからではござらぬか?」

家康「この話はやめよう」

😽この段階の家康は、もはや大義などを気にしてはいないだろうな。

 

景勝「先の戦で真田源次郎の姿を見ました。あの男は、わしがそうありたいと思っていた人生を生きておる」

😽義に生きるということかね?

 

家康「親子二代で楯突きおって」

家康「まだわしを苦しめおる」

景勝「( ̄ー+ ̄)フッ」

景勝、家康の盃に酒を注ぐ。

家康「真田めが」

😽( ̄ー+ ̄)フッ。真田の本当の恐ろしさを知るのは、これからよ。

 

 

◾五月五日深夜

※徳川軍は二手に分かれて河内平野を目指した。


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◾平野・又兵衛の陣

※又兵衛、勝永、幸村。

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幸村「よからぬ噂を耳にした」

又兵衛「俺が寝返る訳ねえだろ」

勝永「本気にしている奴らもいる」

又兵衛「誰だ?」

勝永「大蔵卿のババアとか」

又兵衛「ハハハハハ!」


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😽幸村「俺なんか、信濃四十万石だもんね」

😽勝永「俺は誘われても事務所から独立しないぞ」


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幸村「悪い噂をたてられたからといって、捨て鉢にならぬこと。手柄を焦る事もない」

又兵衛「分かってる」

幸村「戦は心が乱れた方が負けだ」

🐱又兵衛は、潔白を証明するために無謀な行動をしたという説があるにはあるな。

🐱又兵衛の方が年上だし、実戦経験も豊富だけどな。


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勝永「何で俺には声がかからないんだ!」

😽そりゃ、メリー喜多川が怖いからでしょ。

 

 

木村重成が又兵衛の陣にやって来る。

木村クン「後藤様にはいろいろ学ばせていただきました」

又兵衛「何だそりゃ」

木村クン「お会いできて光栄でした」

又兵衛「二度とそういう事言うな」

木村クン「す、すいません」


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😽又兵衛「そういうのを死亡フラグって言うんだよ」

 
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又兵衛「お前、いい匂いするな」


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木村クン「万一首を取られた時に恥ずかしくないように、夕べから兜に香を焚きしめておりました」

😽このエピソードのために、わざわざ又兵衛の陣まで来た木村クン。結局、木村クンの美人妻を見ることが出来なかったな。木村クンも又兵衛も、すでに死を覚悟しているのだ。

 

 

◾五月六日、道明寺の戦い

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又兵衛「行くぞ」

ミサスキー「左衛門佐殿を待たねば」

又兵衛「待ってられるか」


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又兵衛「うりゃ~!どけどけ!」 


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又兵衛「うわっ!」


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又兵衛「そんなもんか?そんなもんか~!」


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又兵衛「うら~!」


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後藤又兵衛戦死

 

 


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😾あっけなあああああい!

😾こんなお粗末な道明寺の戦いは見たくなあああああい!

😾後藤又兵衛の良さが全然描かれてなあああああい!

 

😾そりゃ、秀頼も呆然とするよね。

😾合戦の場面は、何も描いていないに等しい説明的な映像に過ぎない。又兵衛が暴走して死んだだけである。脇役にも気を配ってもらいたいものである。簡略化するにしても描き方があるのではないだろうか。せめて、従来のイメージを崩して欲しくはなかった。

😽そんなもんか?

 

 

 

📄この記事の前

 

📄この記事の続き

 

 

📄関連日記

 

 

 

『真田丸』第49回「前夜」の感想 その1(夏の陣開戦)

NHK大河ドラマ真田丸

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第49回「前夜」その1(夏の陣開戦)

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🐱和平派は治長が中心だが、本来は淀殿の戦を望まないという意向を受けてのことであり、和睦が守られるというのは首脳部だけの甘い考えだったのではないかと思われる。

🐱主戦派の方には、このままで済む筈がないという悲観論が根底にあると思われる。戦国時代を生きた人間の感覚からすれば、戦うという選択は、ごく自然なことだったのではないかと思われる。

🐱幸村は何かうまい打開策がないか模索していたのではないだろうか。いずれにしても、濠が無くなった大坂城では悲観的にならざるを得ないだろう。

 

 

◾江戸真田屋敷

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信之「これより大坂へ行ってまいる」

稲「そのようなお体で、殿が行かれてどうなされます?」

信之「源次郎を説き伏せてくる。あれは死ぬ気だ。すぐに支度を整えてくれ」

こう「かしこまりました」

 

稲(書状を見ながら)「死ぬなどとは、どこにも書いておられませぬ」

信之「わしには分かるのだ。大御所様の首を取るつもりだ」

こう「行かせてあげて下さい。旦那様に悔いなき生き方をして頂くのが私たちの務め」

稲「分かっておる!」

こう「ご無礼致しました」

 

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稲「道中は真田の者である事は、お隠し下さいますよう」

信之「承知した」

稲「そして……、必ず……」

稲「生きて帰って下さいませ」

信之「分かった」


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😽どうせまた原付バイクで行くんだろうな。

 

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松「源次郎に食べさせてやりたいの」

信之「いささか多すぎるかと」

🙀村松殿は信繁の身を案じていたというからなあ。

 

信之「たまに姉上が、ばば様に重なる時があります」  

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松「あい?」

信之「( ̄ー+ ̄)フッ、何でもありません」

 


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こう「道中ご無事で」

😽銭六文は、三途の川の渡し賃がもとになっているのだから縁起が悪くないかい?

 
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こう「コホッ、コホッ」

信之「大丈夫か? 大丈夫か?」

😽この咳き込みはアドリブではないかという意見に賛成だな。

 

 

江戸城

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秀忠「父上もようご決心なされたな」

正信「左様でございますな」

 

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秀忠「牢人たちは出て行くどころか日に日に増えておると聞く。今が攻め時だ」

正信「実は、殿……」

😽正信「私も紅白に出たいのですが」

 

※江登場

江「殿、今度こそ豊臣の者達に一泡吹かせてやって下さい」

秀忠「敵もあの城ではどうする事もできまい」

江「千が危ない目にあう事はありませんね。お約束下さいませ」

秀忠「そうならぬよう祈っておれ」

 

😽秀忠は、千姫が死んでも仕方が無いと思っていたりして。

 

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江「勝てます。きっと勝てる」

秀忠「分かっておる」

 

🐱姉に対する対抗意識があるのでしょうか。冬の陣では、一時は江戸にまで徳川方苦戦の報が伝わったというから、江も心配なのだろうか。

🐱『真田丸』では、冬の陣は大坂方が勝ったかのように描かれているが、負けなかっただけで、しかも、外交戦では負けているのだ。世間は判官びいきなので、真田丸の善戦が過大に宣伝された節がある。

🐱それにしても、正信は何を言おうとしていたのか。家康の真意だろうか。丸島和洋氏は、豊臣家の滅亡は家康の既定路線では無かったのではないかという説なのだが、『真田丸』は、そういう方向で描かれているようだ。

🐱従って、秀忠が主戦派として描かれることになり、二代目同士の戦いという図式となるのだろう。

 

 

 

大坂城・評定

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※幸村は、秀頼が出陣し、伏見を本陣として徳川勢を迎え討つ案を進言。

🐱4月30日の軍議を前倒ししたようですな。この幸村案は、かなり無謀な案で、せめて最後に秀頼を京に上らせて、「後代の名聞」にしたいという絶望的な気持ちの表れだったという。どうせ負けるならば、華々しく戦って散りたいということなので、生きるための作戦ではないだろう。

 

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幸村「あわよくば、一気に家康の首を取る」

😽あわよくばじゃ駄目でしょう。一撃必殺あるのみでしょう。


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主馬「よ~し!」

😽主馬は、セリフを言うたびに緊張しているな。修理は、包帯が似合うなあ。


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大蔵卿局「秀頼公はどうされるのです?」

幸村「伏見城にてご采配を」

大蔵卿局「ありえぬ!」

幸村「右大臣秀頼公が出陣される事で全軍の士気は大いに高まります」

大蔵卿局「危のうございます」

秀頼「それで我が軍勢が喜ぶなら伏見まで行っても構わぬ」

大蔵卿局「総大将は、みだりに動かぬものです」

治長「お局様はどうせよと仰せか?」

大蔵卿局「あくまでも敵を迎え討つのは大坂城


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😽幸村「うるせえなぁ、このババア。ド素人のクセにお前が出しゃばるから、惣濠全部埋められたんだろうが。こんな城で戦えるか、ボケ!」

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大蔵卿局「それを何とか勝ちに持っていくのがそなたのつとめではないか!」

😽すごい返し。幸村撃沈。

 

又兵衛「…じゃあ、そろそろ俺たちの策を聞いてもらえるかな」

😽又兵衛「やっとババアのターンが終わったか」


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※又兵衛・勝永が天王寺を固めて迎え討つ案を進言。

🐱先週幸村が、茶臼山と岡山の間に空堀を作って防衛線とする考えを出していなかったっけ。

😾又兵衛・勝永案は、決戦を一戦場に限定するという考え方だが、これも生きるための作戦ではないだろう。

🐱『城塞』では、幸村がこれに賛成して又兵衛が反対している。又兵衛が出した案は、大和から河内へ抜ける狭隘地で敵が細長くなったところを攻撃すれば、小勢でも大軍を相手に何とか戦えるというものだった。それと同時に、河内から来る敵を長さんと木村クンが横から突くという事だった。この作戦なら合理性があって納得できる。幸村は、この作戦の優秀なことを認めて、真っ先に賛成している。幸村は、さらに、家康陣を夜襲する案を出している。

 

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又兵衛「敵は城に一歩も近づけないっていう寸法だ」

😽んな訳ないだろ!

主馬「よ~し!」

😽主馬には意見はないのな。

大蔵卿局「秀頼公は」

勝永「城で高見のご見物を」

大蔵卿「すばらしい!」

😽懲りない奴は死ぬまで懲りないな。

😽長さん「駄目だこりゃ」

 

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治長「殿!」


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秀頼うなずく。

治長「では直ちに支度にかかってくれ!」

一同「おう!」 

 


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又兵衛「お前さ、前にも似たような策立ててたよな?」

幸村「そうだったかな」

勝永「真田の知恵も底をついたか」

幸村「面目ない」

 

😾ここの会話は少し納得出来ない。似たような策であっても、意味合いが全く異なると思うのだが。この期に及んでは、どちらにしても勝敗はすでに決まってしまっているのだ。あとは、後世に名を残すような戦いをするだけなのだ。牢人諸将の気持ちは、そういうことでは一致していたと思うのだが。大蔵卿局には、それが分からない、ということだと思うのだがな。

😾元々の後藤案を何故素直に使わないかな。あとで、真田案として出てくるが、意味合いが全く変わってしまっているし。

 

 
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大蔵卿局「全ては豊臣家の御為」

🙀ここでフォローを入れるのか?


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幸村「存じております」

😿幸村「この城も見納めだなあ」


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大蔵卿局「茶々様と秀頼公をお守りするのが私の役目。言葉がきついのは性分です」

幸村「つまり我らは同じ方を向いているという事」

大蔵卿局「ただし…」

 

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大蔵卿局「牢人は大っ嫌いじゃ」

🙀幸村撃沈。

 

🐱このドラマでは、本来、淀殿の役割であるべきところを大蔵卿局が担っている訳だが、やはり意味合いが変わってしまった感じがする。大蔵卿局は、牢人たちは単なる金目当てだと思っていて信用していないというのが根底にあって、感情的に嫌いというだけではないのだろうけれど。

 

 

◾慶長20年4月22日、京・二条城

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本多正純「伊達、上杉、前田、黒田ら、諸大名こぞってこちらへ向かっております。総勢三十万」

秀忠「今度こそ大坂城を落としましょう」

秀忠「落とせるか? 佐渡守」

本多正信「・・・」

正純「父上…、父上!」

家康「これこれ、そっとしておけ」

 

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秀忠「全軍がそろうたら、すぐに総攻めを」

😽正信「わしも一緒に踊ってみたいのじゃが。どうやって言い出そうかのう」


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家康「まあ、そう焦るな」

家康「正純、最後にもう一度大坂城の秀頼に文を送れ。今すぐ牢人を追放し城を出れば兵を引くと」


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秀忠「父上、無駄でございます。秀頼がいれば牢人は今後も増え続けます。もはや秀頼を亡き者にせぬ限りこの戦、終わりません。豊臣の血はこの戦で断ち切るのです」

 

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秀忠「父上は甘すぎる!」

家康「恐ろしい男に育ったのう」

😽家康「そんな事より、紅白はドタキャンできんぞ」

 

 

大坂城

※秀頼、治長、幸村。

※家康からの書状を読む秀頼。

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秀頼「徳川とは、これにて手切れと致す」

秀頼「よいな、左衛門佐」


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幸村「御意のままに」

 

 

◾二条城
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家康「豊臣の家も、天下一の名城とうたわれた大坂城も、これをもって終わりだの」

 

🐱家康にとって豊臣家滅亡が既定路線では無かった、という丸島和洋氏の説には、やはり乗れない。それで冬の陣前からの家康の動向を説明できるだろうか。 権力者というものがそれ程甘いとは思われない。そもそも、そういう甘さを持った人間が天下を取った上でそれを維持する基盤を作り上げられるとは思われない。

🐱丸島和洋氏は、牢人の問題を重要視しているようだが、豊臣家を牢人ホイホイにして、一網打尽にした方が徳川政権の安定には都合がよいのではないだろうか。家康は、豊臣家に難癖をつけて、戦わざるを得ないように仕向けたようにしか思われないのだが。

🐱巨悪というものは、あるいは、権力者というものは、往々にして善人の仮面を被っているものではないだろうか。

🐱将軍の地位を確立させるためにも家康が、秀忠を強い将軍としてアピールする演出をしたという司馬遼太郎の描き方には、それなりの説得力があった。つまり、凡庸で律儀な将軍秀忠は、家康にうまく乗せられたということである。家康の真意を理解していたのは、正信だけだったのであろう。

🐱家康が書状を出すというのは、少し変だから、豊臣方から使者を呼びつけて最後通告を突きつけたと解釈すべきだろうな。豊臣方からすれば、牢人を追放しても徳川方は攻めてくるだろうと思っているのだ。冬の陣後のやり方をみて信用しろという方が無理である。応じられる訳がない。

 

 

◾真田信吉の陣(山城・河内国境近く)

※お忍びの信之、無事到着。

😽ちっ! 無事着いたか。

※信吉、信政、小山田茂誠たち。

 

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🙀いただき物で、ハスカップのアイスクリームというものを食べたのですが、なまらうまかったデス。


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😽信之「ハスカップは道内で広く栽培されているのじゃ。不老長寿の秘薬と言われておる」


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😽信政「それでは父上もハスカップの実を食べて長生きして下さいませ」


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😽信吉「父上、とまチョップのいうのは何者でございますか?」

 

 

信之「源次郎と話がしたい。会う手だてはないか?」

茂誠「実は信尹様がこちらに向かっておられるのです」

信之「叔父上が?」

茂誠「大御所様の命によりもう一度源次郎殿に会いに行くそうで」

🙀ここに持ってきたかあ。納得。

 

 

◾4月29日、樫井の戦い

有働「大野治房勢と徳川方の浅野勢が衝突。大坂夏の陣がここに始まった」


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塙ちゃん「わしは大名になる。なってみせる」

🙀この期に及んで、大名を期待したかなあ。塙ちゃんは、そういうキャラじゃ無いと思う。せめて後世に名を残したい、という当時の牢人たちの心情を理解したいものである。


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主馬「かかれ~!」


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😾塙ちゃん秒殺かよおおおおお!


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😿塙ちゃんの見せ場全部省略されたあ。

🙀ナレ死じゃないだけましか。

 

 

 

大坂城

※塙ちゃんの遺体が運び込まれる。

※呆然とするロウニンジャー

※祈りを捧げるミサスキー。

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塙団右衛門討死

😿ミサスキーうるさいぞ。


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幸村「お上様」


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茶々「いずれは皆もこの男の横に並ぶのですか?」

きり「いい加減にして下さい」


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きり「お上様にうろうろされると士気が下がります!」


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🙀『城塞』では、大蔵卿局が痴呆症状態になるのだが、ここも逆になっているのだな。

🐱幸村は、自失状態の茶々を見て何を思っているのだろうか。幸村の茶々に対する気持ちがよく分からん。

 

 

 

 

 

📄この記事の続き

 

 

 

📄関連日記

 

 

 

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🙀楽しませてくれてありがとう、塙ちゃん。

(出典:塙ちゃんのツイッター

 

 

📄この記事の前 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平泉でブラタモリ

ブラタモリ』#56平泉

~黄金の都・平泉はなぜ栄えた~

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砂鉄女の野望

「転職しようかな~🎵」


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😽前回の「知床」は見なかったから久し振り。


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🙀平泉はよく知らないから楽しみ。


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😺懐かしー。サンコンネタ。


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お焼香を食べちゃった。

「このたびは、ごちそうさまでした」


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🐱今回のテーマ


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近江「❓」


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😽近江アナは確実にわかっとらんな。


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🙀三人の名前が出ただけでもすごいです。


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奥州藤原三代

 

◾平泉は世界からも黄金の都と注目を集めていた。 


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マルコ・ポーロ(1254-1324)

 

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東方見聞録


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「ここはどこだ?」

😽間違えて平泉に来てしまった夏目漱石
 


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タモリ「踏み幅が丁度いい」

 

 

中尊寺金色堂覆堂
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※出典:中尊寺 - Wikipedia


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国宝・金色堂


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😽金を見ると人は何故か顔がニヤける。


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😽極楽戦隊ゴールデンジャー 


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🐱紫檀です。


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これが極楽の香りですねー。

 

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 近江「くんくん」


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😽一発芸「鼻血」


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象牙などの高級品が使われていた。

近江「象牙はどこから?」

 

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近江「そーぞーを超えてました」

 


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ゴールデンジャー「やかましい連中だな」

 
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😽結構高いなあ。

 

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🙀坂上田村麻呂はマイナーかなあ。


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平泉は大和朝廷蝦夷の境界だった。 


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😽言っちゃった。 


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トイレ跡「板を渡したのでしょう」


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籌木(ちゅうぎ)😸変換出来た!


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レア画像・タモリのコマネチ


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😽排便について持論を展開する森田氏。


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手で肛門を表現する森田氏。


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近江「すごい盛り上がりましたね」


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北は、ここから北海道まで。


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南はヨーロッパまで続いていた。


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😽今夜は最高。

 

北上川を挟んで東西で地質が異なる。

 

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続いては、北上山地で化石探し。


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腕足類

 

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速攻で化石をゲットする近江アナ。

😽早過ぎ!


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化石が見つからない人⤵


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🐱化石といえばアンモナイト

😽三葉虫も捨てがたいけどね。


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近江説・アンモナイト縄文時代

 

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😽縄文時代はひどいな。

 

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三億五千万年程繁栄していた人類の大先輩。

 

 

アンモナイト

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Discoscaphites iris(wilson44691)


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※出典:Peace & Love


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※出典:Simon Stålenhag Art Gallery

 

 

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🐱続いては、猊鼻渓(げいびけい)へ。 


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🐱砂金ハンター


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🐱金沢での哀しい思い出。


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近江「あれ~」

😽結局、砂金はゲット出来ず。

😽だよねー。


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砂鉄川で砂鉄取り。

😽ウニみたいて。

 

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😽ホントに嬉しそう。


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😽アゴの絆創膏は、どうしたの?


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🙀吾輩も小学生の頃は砂鉄取りしてたけど。


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🙀分からんなー。


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タモリ「変わってるね」


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😺ここは行ってみたいなあ。

 

猊鼻渓
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※出典:猊鼻渓 - Wikipedia


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🐱猊は、獅子のことだそうです。

 


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🐱続いては、毛越寺


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🐱「もうつうじ」なんだ。


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🐱タモさんは、浄土庭園がお気に入り。

 

 

毛越寺・浄土式庭園
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※出典:毛越寺 - Wikipedia


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たくさんの湧き水がある。

地にが湧くから平泉

 

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😽言っちゃった。


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😽正直、地質ネタが続き過ぎ。


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🐱確かに、ちょっと飽きてきた。 


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😽「・・・・・・」 


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🐱素朴な疑問。

 
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タモリ「三才頃からかな」


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😽ぐにゃり。 


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😽なんか、美味しそう。


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😽ガトーショコラ食べたくなってきた。


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😽ダンシング近江。

 

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🐱宇治の平等院を真似たんだね。

 

無量光院跡
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※出典:無量光院跡 - Wikipedia

(試験的に水が張られた無量光院跡/2016年6月撮影)


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🐱大人のエロス。 

 

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おまけ・砂金探しに再挑戦。


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タモリ「動いちゃうな。哀しき雲母」

タモリ「川の砂をザルに取って、ジャバジャバ」

タモリ「🎵動いた~ら~雲母」

 

😸来週は目黒のサンマ。🐥

 

 

 

📄関連日記

 

 


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NHK BSプレミアム漱石悶々』より

😽胃が痛い人。

😸前の記事は「京における夏目漱石」 

 

 

 

 

 

 

『城塞』下巻再読・道明寺の戦い

『城塞』再読(15)

🐱司馬遼太郎の『城塞』下巻を再読しております。今回は、ついに夏の陣開戦です。

 


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◼元和元年(1615)4月30日、大坂城軍議

※すでに惣濠を失った大坂城では、要塞戦の強味を発揮することができない。「人々の口は重かった」(長宗我部盛親談)という。

「敵はかならず大和口からくる」

と、又兵衛は言った。

「この山越えの敵を打つ」

というのが、又兵衛の策であった。

これにより、軍議は決定する。

「家康の本営を襲い、家康ひとりを刺すべし」

というのが、唯一の目的であった。

「みずからの最後を飾らん」

 

※この日、家康はまだ二条城にいたが、徳川方主力の大和方面軍は大和盆地に集結している。先鋒大将の水野勝成法隆寺村まで進んでいる。伊達政宗は木津にとまった。河内も大和も人馬であふれ、大混雑であった。

 


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🔘5月5日、家康・秀忠、出陣

◽家康軍は兵一万五千。家康は馬ではなく乗物を用いた。家康は全軍に対し、「三日分の腰兵糧」を指示している。

家康はせいぜい三日でおわるものとみていた。

▶一方、伏見城を出発した秀忠軍は兵一万。秀忠は騎馬であった。

この日、道路が混雑したため行軍は遅々として進まず、家康・秀忠が、河内の星田に入ったときは深夜であった。

▶そこに斥候が戻って来て、後藤又兵衛が兵数千を率いて道明寺方面に向かったことを報告する。

▶家康は、「わが味方に参じるならば、播磨一国五十万石をあておこなう」という使いを出させる。

 

 

後藤又兵衛はこの日の午後、大坂城を発して、平野郷(大阪市住吉区)に宿営していた。そこへ又兵衛の知人楊西堂(相国寺の僧)が家康の使いとして訪れる。又兵衛は、

「なによりもの死にみやげ」

と言って、丁重に辞退する。

▶家康の狙いは、「後藤又兵衛が寝返りをうつ」という流言をまき散らすことにあった。

※司馬は、こうした家康の調略は秀吉の真似であるとしている。ただ、家康の場合は、「模倣者が当然もつ一種の薄汚さ」をもつという。

天下人たる者が当然心をくばるべき人格的演出という点になると、かれは深刻な失敗者であったといえるかもしれない。

 

※この日、又兵衛のもとを、勝永・幸村が訪れて合議し、訣別の盃を交わしたという話もある。

 

 
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大坂城落城大戦図 歌川芳虎(1868)

 

 

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大坂の陣名将列伝』より

 

 

🔘5月6日、道明寺の戦い

◽この日未明、又兵衛は二千八百の兵を率いて藤井寺まで進出する。ところが、合流するはずの勝永・幸村ら後続部隊がやって来ない。この日の朝は、濃霧で視界がきかず行軍が遅れていたのだ。

▶徳川方はすでに国分村まで進出している。この時点で、狭隘地で敵を迎え撃つ作戦は破綻した。徳川方は先鋒大将水野勝成四千、本多忠政五千、松平忠明四千、伊達政宗一万、松平忠輝一万一千余である。

▶又兵衛は単独で戦うことを決意、石川を越え、小松山を奪る。緒戦は後藤隊が圧倒するが、敵はなにぶん大軍であるため湧くように兵が出てくる。

▶午近くまで持ちこたえたが、もはや支えきれないと見た又兵衛は、

「死を欲せぬ者があるだろう」

と、兵達に退却を促したが誰一人去る者はいなかった。 

「それではわしについてくるか」

又兵衛は、自ら平地戦をやるべく小松山を駆け下った。

後藤又兵衛戦死。享年56歳。

 


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◽およそ八時間に及ぶ激闘の末、後藤隊は潰乱し、将を失い退却する兵達を大軍が襲いかかる。

▶そこへようやく「橙武者」薄田兼相以下三千六百が道明寺付近に到着するが、大軍に呑み込まれてしまう。

薄田兼相、あっけなく戦死。

 


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大坂の陣名将列伝』より

 

 

◽崩れに崩れた大坂方が藤井寺村まで敗走したとき、三番目の後続部隊である毛利勝永隊三千と合流する。真田幸村隊はまだ到着しない。

▶毛利隊にとって絶望的な状況になったとき、真田隊三千がほとんど全軍駆け足で到着する。

▶幸村は、徳川方最大の集団である伊達隊一万を蹴散らそうとして誉田村後方の野中村の丘の上に陣取る。戦闘が始まったのは正午過ぎであった。

▶伊達隊には、騎馬兵が馬上銃を放ちつつ突撃するという政宗考案の兵種があり、真田隊は一時これがためにほとんど潰乱寸前になるが、幸村はうまく立て直し逆襲する。

▶伊達隊先鋒はたちまち崩れるが、無傷の政宗本隊が押してくる。幸村は、政宗の本営をめがけて猛烈な突撃を敢行する。このため伊達隊は崩れ、はるか後方の誉田の村落まで逃げて行った。

▶毛利隊もよく敵を防ぎ、真田隊とともに激闘六時間の末、日が暮れ始めて大坂に向かって後退した。これに対して徳川軍は追撃しなかった。このとき幸村は、

「東軍百万を呼応するといえども、ついに一個半個の男子もおらぬのか」

と嘲笑したという。

🐱これが、大河ドラマ真田丸』の「徳川兵に真の武士は一人もおらんのか~!」のもとになった言葉だな。

 


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大坂の陣名将列伝』より

 

 

🔘同日、八尾・若江の戦い

長宗我部盛親は、この日未明、五千三百の兵を率いて大坂城を発し、久宝寺村に達する。道明寺に向かいつつあった藤堂高虎隊五千は、濃霧のため敵の存在に気がつくのが遅れ、予定を変更して戦わざるを得なくなった。

▶盛親がやった戦闘は「野外戦における模範的な戦闘」だったという。藤堂隊はほとんど粉砕されて、高虎が馬に乗って逃げ出す程であった。藤堂隊では八尾を動かなかった渡辺了隊だけが無傷だった。

▶そこへ、協同部隊である木村重成隊壊滅の報が入る。孤軍となった盛親隊はやむなく退却。大坂城に戻った。

 

 


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大坂の陣名将列伝』より

 

 

木村重成は、この日未明、五千の兵を率いて若江に向かった。

重成は若江村付近で井伊直孝の隊と激しく戦い、一進一退をくりかえしていたが、後続部隊をもたないために士卒の疲労がかさなり、敗勢というより疲労による自潰といったかたちでくずれはじめ、重成も早暁からの戦闘で疲労してみずから戦闘を投げだし、自殺的な討死をとげた。

木村重成戦死。享年23歳(異説あり)。

 


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◾その夜、伊達家の先鋒大将片倉小十郎重綱のもとに幸村の使者が訪れる。三女阿梅の保護の依頼であった。片倉が政宗に報告すると、政宗は即座に許可した。

▶その夜更け、阿梅と近臣穴山小助の娘は、片倉のもとに届けられ保護される。阿梅はのちに片倉の室となり、幸村の血は奥州に遺った。

 

 

◾「右大臣家の御馬出し」

ということを、幸村は明日の決戦の眼目としていた。大野修理も、異存は無かった。

▶一方、家康は、秀頼の出馬をおそれた。そこで、念には念を入れ、大野修理の弟の治純に偽の誓詞を持たせ、修理への使いを出させる。

▶修理は、まんまと引っかかり、御馬出しはやめることにする。

▶という逸話を『城塞』では採用している。

 

 

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📄関連日記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『真田丸』第48回「引鉄」の感想

大河ドラマ真田丸』視聴

 第48回「引鉄(ひきがね)」

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有働「真田信繁の本当の戦いがここから始まる」

😽真田信繁の本当の戦いは、大蔵卿局を黙らせることから始めて欲しい。

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◾家康本陣。夜襲を仕掛ける又兵衛、勝永、長さん達牢人衆。

😽ただ暴れたいだけの人達です。

 

大坂城。幸村。又兵衛ら戻る。

😽家康の本陣まで忍び込めたのなら、いっその事、家康の首を狙うという発想は無かったのだろうか。

 

 

 

◾信繁、有楽、佐助。

😽有楽に作戦を告げる幸村。

 

➡家康 
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😺十二月二十五日。日付がちゃんと合ってる。

 
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🐱裏をかく家康。

 

➡幸村、有楽。

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😽裏の裏をかく幸村。

 

 

 

◾きり、佐助。

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佐助「ひとつだけお願いがあります」

 


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佐助「もし無事に帰って来たら」

 


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佐助「夫婦(めおと)になってもらえませんか」

😻あ、間違えた💖

 


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😽かぶせた! 秒殺! 消えた!

 


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ごめんなさ~い💔

 

 

 

 

◾家康、秀忠。

家康「この戦、決して負けるわけにはいかんのじゃ」

😽牢人云々は、単なる口実に過ぎないのだけどね。

 

 

大坂城。秀頼、有楽、大野修理治長、大蔵卿局、幸村。

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大蔵卿局「戦は終わったのじゃ」

🐱家康を信じ切っておりますな。

 

 

 

◾有楽VS幸村
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有楽「豊臣と徳川の架け橋になるのはわししかおらん」

😽架け橋にはなっとらんなあ。


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幸村「信長公は泣いておられます」

😽出来の悪い弟の為に泣くような人ではないだろう。

 

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😽結局、この人は、どちらにもよい顔をしたかっただけだろうなあ。

😽実際には、みんな、有楽が内通している事は、うすうす勘づいていたけれど、遠慮して誰も言わなかったのだが。

😽有楽は、さっさと城を出たかっただろうから、渡りに船だろうな。

😽徳川の内通者は他にもいるから、有楽一人を追い出しても仕方が無いしなあ。最後に大仕事をやらかす人が、まだ城内に残っているものなあ。

 

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😽逃げ足はや!

 

 

 

◾家康VS佐助

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😼必殺仕事人を思い出すなあ。

 


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😼佐助、殺ったか!? 歴史が変わるのか!?

 

 

 

◾幸村、作兵衛、腰痛内記、へこむ佐助。

腰痛内記「家康め、影武者など使いおって」

 

 


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😽元祖徳川家の高笑い。もしかして、いろんな時代劇のオマージュを入れてんのかな?

 

 


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佐助「面目ない」

幸村「次は逃すな」

😽失敗した部下を責めずに前向きな言葉をかける上司。意識高い系ですなあ。

 

 

 


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😽佐助「面目な~い🎵」

 

 

 

 

◾幸村、木村重成、修理。

幸村「私は、勝つためにここに来たのです。」


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修理「この先面倒はすべて私が引き受ける」

😽修理には、何度も期待を裏切られているからなあ。大丈夫かなあ。

 

 

◾茶々、大蔵卿局、修理。
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茶々「修理、頼みましたよ」

😽一応、修理は頼りにされてるのな。

 

 

 

◾牢人衆、家族を呼び寄せつかの間の安息。
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➡勝永➡長さん➡ミサスキー➡塙ちゃん

😽塙ちゃんて、彼女いてたんや。

 

➡又兵衛、木村重成

😽重成「又兵衛さんは、お一人様ですか?」

😽又兵衛「いいんだよ、俺にはカブトムシがいるから」

 

➡大野家
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又兵衛「気持ち悪い親子だなあ」

😽確かに、強烈な家族だなあ。本当は、さらに弟の道犬斎もいるからなあ。事実上、豊臣家にとどめを刺す親子だもんなあ。

 

大角与左衛門

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😽ダイ・ハード

 

 

 

◾茶々、秀頼、千姫、幸村。

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😺千姫、久しぶり。

🐱秀頼は大坂城を出て、四国に国替えを勝手に決めてしまっているけれども、そんなの通用するわけが無い。戦に勝てばというが、 家康を殺るしかないものな。右大臣様は呑気だなあ。
 

 

 

◾幸村、長さん。

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幸村「私は、まだあきらめておりません」

長さん「では、確かなところで淡路島」

😽長さん、何リアルに考えているかな。

 

 

 

千姫、幸村。
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千姫「江戸へ帰りたいのじゃ」

幸村「うかがわなかったことに致します」

😽幸村「お前は人質なんだよ、自分の立場が分かってんのかよ」

🙀本来なら、幸村に訴えても仕方ないのだが。ついつい忘れてしまいがちになるが、このドラマでは、本来治長が担っている役割の一部を幸村が担っているから、ややこしいなあ。淀殿・秀頼助命嘆願の切り札なのに手放す訳がないのだがなあ。

🙀それにしても他の女優陣が強烈なだけに初々しいなあ。

 

 

 

◾幸村と大助、真田信吉・信政に会いに行く。矢沢三十郎、小山田茂誠
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 🙀ちょっと疲れてきた。今回は内容が濃いなあ。

 

 

◾作兵衛、腰痛内記、きり、春。
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🙀まさか、九度山の雁金踊りが腰痛の原因だったとは。

 

 

◾大助、信吉、信政。

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信吉「相撲を取っておりました」

😽三十郎「わ、わたしが相手だ」


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◾きりVS春
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😽どういう戦いなのだ?

 

 

 

◾作兵衛。幸村と大助、戻る。

😽あの中庭は、千利休の茶室跡だったのか。


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🙀畑から箱を発掘。何故、耕した所から出てくるかな。実は作兵衛が埋めていたりして。畑作りが、ずっとネタ振りだったとはね。

 


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😽千利休のお宝発掘。

 


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「なんでこんなものが」

😽それは視聴者のセリフだよ。

 

 

 


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😽箱の中から武蔵丸。いろいろ間違ってる。

 

 

 

 

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😽箱の中から戦艦武蔵。これがあれば、徳川に勝てるぞ。

 

 

 

 

◾幸村、勝永。

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😽いすぱにあの馬上筒とはね。

😽ゴルゴ勝永スナイパー。様になるなあ。

 

 

 

◾秀頼、幸村、修理、大蔵卿、重成。

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😽今日の治長は強気だなあ。

 


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😽大蔵卿局を黙らせたのは、結局、茶々だったな。

😿大蔵卿局「私は、お上様の為に悪役をお引き受けしましたのに」

 

 


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😽秀頼から貰ったお金で武器を購入する牢人衆。金だけ貰って逃げた牢人も少なからずいたけどね。

 

 

 

◾修理VS主馬


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😽なんか強引に、兄弟が対立する構図に持ち込んだな。微妙に辻褄が合ってるけど。

🐱丸島和洋氏によると、実際、大野主馬が勝手に蔵を開けて、自分の配下の牢人たちに扶持を与えたということがあったようだ。

 

 

 

大野修理襲われる


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😽まさか主馬自ら修理を襲うとは思わなかったな。しかもマウントポジションで滅多打ち。そして何故か、とどめを刺さずに逃げる。ただの兄弟喧嘩やん。

 

 


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😽結局、今回の修理の強気は、こうなる結果のネタ振りだったのか。なんか、話が小さくなってしまったな 。

 

 

 

◾主馬VS又兵衛、勝永VS塙ちゃん

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😽おお、遂に主馬VS又兵衛が見られるのか。

勝永「何故本気で止めない」

又兵衛「みんな戦がしてえんだよ」

😽一番したいのは、あんたじゃないの。

 

 

 

 ◾家康

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家康「牢人どもは、わしが成敗してくれる!」


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家康「わしの敵、奴らを滅ぼす!」

😽あんたの目的は秀頼ただ一人だろうが。

😽目的をすり替える事によって、大義のない戦をして豊臣家を滅ぼそうとしている己のやましさを誤魔化そうとしているのだな。

 

 

 

◾江戸真田屋敷。

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信之「文には書いておらぬが、わしには分かる」

信之「恐らくは、大御所様と刺し違えるつもりだろう」

信之「止められるのは、わししかおらん」

信之「大坂へ参る」

😽どうでしょう。

🐱丸島和洋氏によると、現存する信繁の書状から組み合わせて、文面を創作したということだ。

 

 

 

◾幸村

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😽真田紐だ。

 

 

 

 

 

◾Eテレ・美の壺「真田ひも」

草刈正雄「戦国時代に生まれたかったなあ」

😽あなたの前前前世は、戦国武将です。表裏比興者と呼ばれておりました。

 

 

 

 

 

🙀今回は、内容が豊富で疲れた。突っ込みどころ満載で、色々楽しまさせてもらった。次回は、「前夜」か。いよいよ、クライマックス。果たして、どうなるのか。

 

 

 

 

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NHKスペシャル「戦艦武蔵の最期」

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幸村「戦が起こる時は誰にも止めることができぬ」