『ブラタモリ』#90ものづくり名古屋(2/3)
~名古屋が生んだ“ものづくり日本”とは?
ものづくり名古屋でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記 の続き
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タモリ「ここから見れば台地の高さが分かる」
どういう事?
ということで、タモリさんが見つけたのは…
ずっと行くと空堀に通じている。
高低差が無いから…
このカーブはすごいなあ。
二の丸に名古屋大学がある!
1976年(昭和51)頃の名古屋城周辺。既に線路が無い。明和高校の左上の三角点付近に旧「どいした」駅があったが、さっきの緑地帯付近に移動している。
見るからに鉄ちゃんな人出てきた。
昭和50年頃の様子
瀬戸市まで(東へ約20キロほど)。
瀬戸電
瀬戸電一筋の山田司さん。
山田「貨物を運ぶのが大きな目的」
タモリ「木材からもう離れましょう」
近江「引きずられちゃってます」
今は瀬戸物とかあまり言わないかも。
草彅「ここから陶磁器を運ぶことが」
草彅「台地を上らずに名古屋の中心部まで鉄道を引くのに」
木村「日本の産業に生まれ変わっている」
明治時代の写真
木村「明治37年に名古屋に工場をつくって、日本初の高級な洋食器をつくった森村組という会社の食器」
ノリタケ出ました。
1904年(明治37)森村市左衛門によって日本陶器合名会社として創業された。
創業地が則武(現名古屋市中村区則武)だったからノリタケ。分かりやすい。(現在の本社は西区則武新町にある)
草彅「明治以降、瀬戸から運ばれてくる白い陶磁器に絵付けをする工場が名古屋に次々と出来ました」
草彅「かつて陶磁器を運んでいた電車が、どのように外堀の中を走っていたのか体感してみましょう!」
本日2度目のヘルメット着用。
山田「電車が走っております」
メイエキ
問題のカーブが見えてきました。
瀬戸電は、1905年(明治38)瀬戸自動鉄道として開業。翌年、瀬戸電気鉄道と社名を変更した。
1911年(明治44)堀川駅まで延伸され、「お濠電車」として親しまれた。
1935年(昭和10)ご多分に漏れず、日中戦争の影響による電鉄会社の合併で名古屋鉄道が誕生。
1939年(昭和14)瀬戸電も名鉄に合併され、名鉄瀬戸線となる。
1976年(昭和51年2月15日)お濠区間が廃止される。戦後はどちらかというとお荷物区間になってしまったようだ。
1978年(昭和53)栄町乗り入れを果たす。
ということは、上の地図はその間の貴重な地図ということになるか。
(名鉄瀬戸線 - Wikipediaを参考にしました)
積み荷は壊れ物だし。
タモリ「チィー」
近江「大変ですね、鉄道は」
至芸ですな。
タモリ「折れていくわけですか」
からくり人形の時よりリアクションが大きい近江アナ。
からくり人形の時より食いついてる近江アナ。
ギリギリ
おお~、リアル!
Attack on Tamori
草彅「かつて瀬戸電の終点があった場所です」
草彅「ここに終点があったんです」
山田「ここまで線路が来ていた」
「ほりかわ」駅
草彅「駅舎の奥の石垣が今も同じ姿で残っています」
草彅「実は、ここが終点になった理由が駅のすぐ近くにちゃんとあるんです」
ということで、向かった先は…
堀川です。
渡ってないわけです。
タモリ「ここで積み込むんだ」
草彅「駅で降ろされた陶磁器は堀川で船に載せられ世界中に運ばれました」
ノリタケの位置から考えると、堀川駅の西側に絵付けの工場がたくさんあったのだろうな。
草彅「水運に乗せる目的もあったんです」
名古屋の陶磁器産業が
よ~く分かりました。
木村「産業が発展するにともない大きな問題が出てきた」
次の記事へと続く
🍤関連日記
(名古屋城と地形の関係など)