森の踏切番日記

ただのグダグダな日記です/2018年4月からはマイクラ日記をつけています/スマホでのんびりしたサバイバル生活をしています/面倒くさいことは基本しません

猫はどこへ行った?


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日曜日は、散歩がてらに最寄りのショッピングセンターの書店をのぞいてみることにしている。

 

本は、なるべく地元の本屋さんで買いたいものだ。以前、同じ場所で同級生が本屋をしていたのだが、何年か前に潰れてしまった。

 

今日は『星か獣になる季節』(最果タヒ)を買うつもりだったのだけれど、見当たらなかった。残念。明日、大きい書店に行ってみよう。

 

他に何かないかなと見て回って見たところ、古生代に絶滅した生物に関する本があった。

 

ちょうど、『勝手にふるえてろ』(綿矢りさ)の感想を書き始めたところなので、パラパラと中身を覗いてみた。

 

図版も豊富で興味深いけれど、めあてのアンモナイトの図版があまり多くない。それにしても、仲良くできそうにもないグロテスクな連中ばかりだ。Gの先祖発見。大量絶滅にも生き残ったしぶとい奴だ。

 

太古の生物の図版や化石は、ピンタレスト Pinterest でアホほど出てくるので、割とよく見る。集めてみようかとも思うのだけれど、キリが無いし面倒くさいので、まだボードは作っていない。

 

今回は買うのはやめにして、結局今日は何も買わずに書店を出た。最近、この書店も品ぞろえが売れ線狙いばかりになりつつある。あまり良くない傾向だ。

 

散歩ルートには何ヶ所か楽しみにしている場所があって、その中の一つにネコポイントがある。

 

いつ通りがかってもその家には、窓の桟の幅の狭いところに胴体を横向きにして乗って、顔だけ窓の方へ向けてじっと外を眺めている猫がいるのだ。

 

いつ見ても同じポーズでじっとしているので、最初の頃は置物かと思っていたのだけれど、ある日動いたのでびっくりしたものだ。

 

私はいつの間にか散歩の帰り道にこの猫を見るのが楽しみになっていて、あ、今日もいるなあと、猫の視線を感じながらその家の前を通り過ぎるのだった。

 

ところが、今日、その家の前を通りがかると、猫が見当たらなかった。代わりに、「猫を捜しています」という写真付きの貼り紙が貼ってあった。

 

えーーーーーーーーーーー!?

 

そんな冒険をするような猫には見えなかったけどなあ。どうしたんだろ?

 

他家の猫のことながら、私、気がかりです。

 

 

 

 

 

窓外へ

恋を求めて

迷い猫

 

 

 

 

千年という時間の長さと短さを想う~『千年後の百人一首』の感想

2月の読書録01ーーーーーーー

 千年後の百人一首

 清川あさみ最果タヒ

 リトルモア(2017/12/01)

 ★★★★

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千年後の百人一首

 

この本は、見開きページの右側に百人一首の歌が一首と清川あさみさんの作品が配され、左側に最果タヒさんの詩という形式の現代語訳が配された、百人一首の新しい解釈の本です。巻末には簡単な作品解説も付いています。

 

最果さんは以前から注目している人で、この本も出た当初から気になってはいたんですけど、買おうかどうか迷っているうちに年が明けてしまって、まあいいかと思ったんですけど、先日、書店でこの本を見かけたので、一編だけ読んでみようと思って、任意のページを開いて読んでみたところ、鳥肌が立ってきて、これはヤバいと思って、買って帰って、暖房の効いた部屋でゾワゾワしながらじっくりと読みました。

 

妹が清川あさみさんの作品のファンだというので、どんなん?と訊いてみたら、スパンコール!という答えが返ってきました。いや、それだけじゃないでしょ… 

 

最果さんが新聞に発表したエッセーによると、「言葉だけでなくその衝動もなぞりたかった」そうで、 百人一首の作者たちが「歌にしよう」と思ったその瞬間の感覚が自分にも降りてくるのを「待つ」必要があったとのことです。そうやって作られた百編の詩は、よくある味気ない現代語訳とは違って、情念がこめられていて、鳥肌が立つような感覚におそわれたのでした。百人一首の中には好きな歌もありますし、共感できる歌もたくさんありますが、こんなにゾワゾワしたのは初めてのことです。

 

千年という時間は、人の一生と比べれば長いですが、人類の歴史から見れば短いものです。千年程度で人間の本質的な部分が大きく変わるとは思いません。書き言葉のすごいところは、解読できれば時空を一瞬にして超えてしまうところです。だから、千年前の都の人たちとも共感することができる。けれども、全ての言葉が遺されるわけではありません。むしろ、遺された言葉は過去に生まれた数多の言葉のうちのごくわずかに過ぎません。また、発せられずに飲み込まれた言葉も無数にあるはずです。特に、和歌の三十一文字は選び抜かれた言葉たちです。最果さんの詩を読みながら、その三十一文字の背後にある消えていった言葉たちや生まれなかった言葉たちのことを想いました。

 

また、人というのは生きた時代や地域に縛られるものでもあります。平安時代の都に生きた人たちには彼ら独自の価値観もあったことでしょう。それは私たちには理解し得ないことです。また、言葉は必ずしも正確に思いを伝えることが出来るとは限りません。言葉には常にそういうもどかしさがあります。歌の解釈にしても、時代に応じて変容していくものですし、人によって感じ方は微妙に異なるものでしょう。この本で百人一首を鑑賞するという行為は、百人一首を清川さんと最果さんというミキサーを通して、百人一首のリミックス・バージョンを鑑賞するという感じでした。ですから、百人一首を直接鑑賞するのとはまた違った心の響き方をしたのだと思います。

 

 

 

8.喜撰法師
わが庵は都の辰巳しかぞ住む
世をうぢ山と人はいふなり

この歌の最果さんの詩は、「うじうじ」とか「シカしか」とか遊んだ言葉の使い方が楽しくて、隠遁生活者のひねくれた感じが面白い自由な詩です。『方丈記』をちょっと思い出したりしました。喜撰法師の時代には宇治茶はなかったけれど、宇治茶といえば「上喜撰」ということで、やはり宇治茶を連想してしまいます。

13「筑波嶺の」の清川さんの作品は、暗いエロスが感じられて妖しくて好きです。

 

 

19.伊勢
難波潟短かき蘆のふしの間も
逢はでこの世を過ぐしてよとや

百人一首は恋の歌が多いですが、これを現代詩にすると情念がストレートに伝わってきて、恐ろしさに身が震えてきます。この歌の最果さんの詩は詰問調でコワいです。こんなオンナにからまれたら厄介やなあと思わず引いてしまいます。

清川さんの作品の色合いも好きです。糸で施された細かい縦線に滲みあがる赤が情念の激しさを感じさせます。細かい縦糸が施された作品は全部で21作品あり(うち1作品は横糸)、全体の5分の1以上にもなります。この手の込んだ手法は私の好みで、どれも印象深いです。

38「忘らるる」の右近の歌もコワいです。こんなメールをもらったら背筋がひんやりすること請け合いです。

18「住の江の」や、20「わびぬれば」など男性の恋歌の詩は直接的で激しい愛情表現になっています。44「逢ふことの」も本歌よりも強い感情表現になっています。歌に込められた心の叫びが歌という封印を突き破って溢れ出てきたかのようです。

最果さんの詩は、句読点やカギ括弧なども文字の一つ、詩の一部なんだということを強く意識させます。句読点はリズムを生み出します。百人一首には独特のリズムがありますが、和歌を現代詩に射影するとき、そのリズムを変換させるファンクションがあるんだなと思いました。言葉の繰り返しも各所に見られて印象的です。例えば、18の「波が打ち寄せる、打ち寄せる、」とか、「波の音、音、音。」とか。19では、「わかってしまう、わかってしまった。」と変化させています。こういう繰り返しもリズムを感じます。

 

 

23.大江千里
月見れば千々に物こそ悲しけれ
我身ひとつの秋にはあらねど

この歌は、白楽天の「燕子楼中霜月夜、秋来只一人為長」を和歌に翻案したものだと云われていますが、それを更に現代詩に翻案したところが伝言ゲームみたいで面白いです。最果さんの詩は飛躍した解釈だけれども、時空を超えて繋がっているように感じられます。この詩は各行末が句点で終わっていて、行間の寂寞を感じさせます。百人一首の中で季節を詠んだ歌32首のうち半分は秋を詠んだ歌です。秋はさみしい季節だからさみしい歌なのか、さみしい歌が詠まれたからさみしい季節になったのか。月が詠まれた歌は11首ありますが、そのうち秋の歌は3首あります。「月がぼくを見つけてしまった」という逆説的な表現にやられました。

ブルーを基調とした清川さんの作品は荒涼とした冷たさを感じさせます。この作品の鹿は『もののけ姫』を連想させます。鹿が出てくる歌は3首しかないのですが、清川さんの作品には5作品で鹿が登場します。その中では、83「世の中よ」の切り絵風の鹿の作品が好きです。この作品も細かい縦糸が施されていて青緑系統の色合いが深山の幽玄さを思わせます。

 

 

31.坂上是則
朝ぼらけ有明の月と見るまでに
吉野の里にふれる白雪

この歌は、月が詠まれていますが月は出ていません。是則は蹴鞠名人で、蹴鞠の会で連続206回蹴って、帝から褒美をもらったという逸話があります。最果さんの詩は現代的で、是則は早起きしたサッカー選手かという感じです。月と雪の間に桜が入って二段構えになっているところが新しいです。「しろ、しろ、しろと、」いう雪の描写は、薄雪を感じさせます。「ほうほう」というオノマトペも面白いです。自分が関西人のせいか、擬音語・擬態語には割と敏感で結構印象に残ります。最果さんの100編の詩のうち少なくとも27編の詩で擬音語・擬態語が使われています。最果さんも関西人やからかなあ。

37「白露に」の「る、る、る、る、る、」というのは、オノマトペではないですが、虫の音を連想させて面白いです。

40「しのぶれど」の最果さんの詩は、確実に恋に浮かれていて微笑ましさを感じます。この歌の清川さんの作品はベニシジミだろうか。恋のフェロモンがヒラヒラ舞っている感じです。

 

 

45.謙徳公
あはれともいふべき人は思ほえで
身のいたづらになりぬべきかな

この歌の清川さんの作品は細かく施された縦糸が、雨のようでもあり、ノイズのようでもあり、ワインレッドのシルエットは血のように見えて、これは植物なのか水面なのか痛々しさを感じます。これは、19の伊勢の歌の作品と対応しているように思います。

最果さんの詩は、前半は人生の孤独に打ちひしがれています。孤独な人生の救いとなる人がいない。後半は報われない恋に焦がれて弱っていく男の心の有様が、沖に流されていく無人の船に仮託されていて、そこが新しいと思いました。46「由良の門を」と対応するようにも思います。46の詩はエロスを感じます。

50「君がため惜しからざりし」の詩は、光と闇、生と死の二項対立。夜明けの真新しい光の静謐を感じました。この詩の「道は花は草は石は」のように畳みかけるような言葉の羅列も随所に見られますが、やはりリズムを感じます。この詩集は音読したくなります。耳でも味わいたい。朗読CDとか出してほしい。清川さんの作品は、スパンコール! 女性のシルエットのみだれ髪は川の流れのようにも見えます。エロスとタナトスが感じられて、最果さんの詩と見事に呼応しています。

 

 

55.大納言公任
滝の音は絶えて久しくなりぬれど
名こそ流れてなほ聞こえけれ

百人一首には百首の歌それぞれが持つ意味だけでなく、百人一首全体から生み出されるものもあるように思われます。同じ言葉が歌と歌を結びつけ、そこから何か別の効果が生まれるようなところがあると思います。最果さんの詩にも、それぞれの詩が相互作用することによって創発される何かがあるように思われてきます。この詩は「透明」つながりで、9「花の色は」の詩と相互作用しています。55の歌から小野小町の霊が浮かび上がってくるかのような気がします。

52「明けぬれば」の時の流れを恨む気持ち、53「嘆きつつの破れていく心の底と夜空の果てのない暗さ、54「忘れじの」の「深い緑の時間の重さ」、そして、「永遠」という言葉は、55の「永遠の底」と相互作用しています。この流れは、ゾワゾワしてきます。

「透明」は、愛とか心とか形のないものを思わせますが、「透明」をニュートリノダークマター、「永遠の底」をブラックホール、「滝」を恒星や銀河系と曲解すると、この詩は宇宙論になります。そうすると、9の詩は年老いた科学者の述懐に思えてきます。

 

 

56.和泉式部
あらざらむこの世のほかの思ひ出に
今ひとたびの逢ふこともがな

この詩はね、ホントすごいです。和泉式部の魂が乗り移ったかのよう。死を受け入れた諦念とそれでも消え残る恋する想い。振り絞るように発せられた最後の一行…

58「有馬山」の本歌は不誠実な男に対して強い調子で反発していますが、最果さんの詩は静かな憤りが感じられて、かえってコワいです。なんか、ごめんなさい…

59「やすらはで」の詩には「夜の底」という言葉が出てきます。「夜の底」といえば川端康成ですが、ここでの使われ方は新鮮な感じがしました。清川さんの細かく縦糸が施された作品もルナティックな感じで良いです。

 

 

66.前大僧正行尊
もろともにあはれと思へ山桜
花よりほかに知る人もなし

どこかの国で「孤独担当大臣」を新設したというニュースがあったが、孤独の何が悪いのだ。大切なのは内面の豊かさではないか。個人の内面の豊かさを摩耗させるような政策が悪いのだ。あの山桜を見るがいい。お前達には私の花を数えることが出来ないのか。みたいな。

「君は自分だけが一人坊っちだと思うかも知れないが、僕も一人坊っちですよ。一人坊っちは崇高なものです」

『野分』夏目漱石

 

 

68.三条院
心にもあらでうき世にながらへば
恋しかるべき夜半の月かな

三条院の不運な生涯とこの歌が詠まれた背景を思うと同情を禁じ得ません。最果さんの詩も涙を誘います。当時の院は、病気がちで失明同然だったといいます。病んだ身には太陽の光は強すぎたのでしょう。

 秋にまたあはむあはじも知らぬ身は

 こよひばかりの月をだに見む

という歌も院は詠んでいます。

清川さんの作品は、この歌を詠んだ翌年に崩御された院の運命を暗示させますが、宇宙的な感じが気に入っています。

 

 

80.待賢門院堀河
長からむ心もしらず黒髪の
みだれて今朝は物をこそ思へ

最果さんの詩も清川さんの作品もエロスを感じさせます。両者が呼応しあって乱れに乱れた感じです。渦巻いている愛の嵐…

 黒髪のみだれもしらずうちふせば

 まづかきやりし人ぞ恋しき

  和泉式部

 くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪

 かつおもひみだれおもひみだるる

  与謝野晶子

と、いろいろ連想します。黒髪の乱れに託された女心の連続性を感じさせます。

82「思ひわび」の詩は、演歌調というかニューミュージック調というか叙情的で、道因法師がリサイタルで切々と歌い上げている情景を想像して、ちょっと笑ってしまった。

84「ながらへば」の詩も歌の本意がよく反映されていて、生きることは辛いことばかりだけれど、昔の辛かったことが今では懐かしく思われるように、今の辛さもいつかは懐かしく思える日が来るだろうと、人生の艱難辛苦にじっと耐え忍ぶ中間管理職のオジサンの姿が浮かび上がってきます。清川さんの作品は、細かく施された青紫系統の縦糸のスリット越しに背景が垣間見られ、私にはひっくり返ってもがいている昆虫が見えます。

 

 

89.式子内親王
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば
忍ぶることの弱りもぞする

この清川さんのゴシック風の作品は好きです。花柄が施されたチュールレース越しに骸骨が二人抱き合っていて、背景にはモノクロの花が咲き乱れています。下の方に麻の葉模様の刺繍が雲形の中に施されていて仏教的なものも感じさせます。これは、現世では叶わない恋をモチーフとしているのでしょう。

最果さんの詩も、禁じられた恋に身もだえする内親王の激情が切々と語られ、鬼気迫ってくるものがあります。百人一首の中では和泉式部の歌と双璧をなす命を賭けた恋歌でしょう。

清川さんのチュールレースを使った作品は少なくとも15作品あります。7「天の原」の木や、71「夕されば」の秋風など透け感が効果的に使われていて印象的です。

21「今来むと」では、細かく施された縦糸の手法とチュールレースが使われていますが、何を表しているのかよくわからない不思議な作品。人魂が舞っているようにも見えますが、この構図を太陽と地球と見て、月はバラバラになって地球の周りを回っていて、まだ固まっていない。だから、月はまだ出てこられない。というふうに解しました。最果さんの詩は、ブツブツとひとりごとを言っている感じでおかしみがあります。

87「村雨の」では、秋の夕暮れの背景と花や葉をあしらったチュールレースと細かく施された縦糸が重なって幽玄としていながら、なんかゴージャスだなと思いました。最果さんの詩は地球の自転と大気の循環まで想起させる壮大なイメージを感じました。

 

 

92.二条院讃岐
わが袖は潮干に見えぬ沖の石の
人こそしらねかわく間もなし

最果さんの詩は、届かぬ想いに心が深く深く沈んでいったその海は涙の海だというすさまじさ、光も届かない深海まで沈み込んでしまうという救いのなさ、本歌よりも重篤な感じがします。清川さんの作品も呼応するかのように打ちひしがれた女の子がチュールレースの海底で膝を抱えてうなだれています。スパンコールの水泡がキラキラと浮かび上がっているのは、彼女のため息だろうか。

 99「人もをし」は、分かるような分からないような最果さんらしい詩と、「TOKYOモンスター」風の清川さんらしい作品で、ラス前に二人とも得意技を出してきたかという感じです。

100「百敷や」の清川さんの作品は、細かく施された縦糸のスリットから色とりどりの蝶々が舞う姿が垣間見られる幻想的な作品。この蝶々たちは百首の歌を表しているようにも思われます。最果さんの詩は、「百敷」という言葉の意味から広げられた壮大な時の流れのイメージが、過去の栄華を忍んでも忍びきれないほど衰えた王朝に対する悲嘆を強調しているように思います。百人一首は、藤原定家が過ぎ去った平安王朝の栄華への挽歌として編んだという見方もありますが、沈黙する石が、百首の歌の背後にある、消えていった言葉たちや生まれなかった言葉たちの墓標のようにも思われてきます。

 

 

 

 

千年後の百人一首

千年後の百人一首

 

 

 

 

📄関連日記

最果タヒの『星か獣になる季節』を読んだ感想~俺は星にも獣にもなりたくなかった - 森の踏切番日記

 

 

 

 

 

最後に、この本の最果タヒさんの詩に出てきた擬音語・擬態語をできる限り採集して並べてみました。意味はありません。やってみたかっただけです。

 

 

 

 

 

ぽたぽた   ぴたりぴたり、

 しやん、しやん、しやん、

   さあさあ   ふわふわ

ぽたりぽたり

       うじうじ

    ぴたぴた

ゴツゴツ

      ことり

 ひょろひょろ

         しんしん

ほうほう   さらさら

   ぱらぱら

        そよそよ

 さくりさくり

     ぽつぽつ

  じんじん

じりじり

    ほう、   ふらふら

じりじり

      はず、はず、

 ほろほろ

   こぽこぽ

         カタン

     つらつら

するする

       ぱらぱら

 はらはら

 

 

 

 

 

土星の空に消えた探査機カッシーニが遺した土星の真の姿とは!?~(2)地球外生命を探れ!

ETV『サイエンスZERO』2018/02/11放送

あなたの知らない土星の真実

偉大な写真家 探査機カッシーニ


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(2)地球外生命を探れ!

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土星の空に消えた探査機カッシーニが遺した土星の真の姿とは!?~(1)リングの秘密を探れ! - 森の踏切番日記の続き


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衛星の数は何個ぐらいでしょう?


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現在65個


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結構多いですよね。

 

 


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第1衛星から順に、ミマス(Mimas)、エンケラドス(Enceladus)、テティス(Tethys)、ディオネ(Dione)、レア(Rhea)、タイタン(Titan)、ヒペリオン(Hyperion)、イアペトス(Iapetus)、フェーベPhoebe)、ヤヌス(Janus)、エピメテウス、ヘレネ、テレスト、カリプソ、アトラス、プロメテウス、パンドラ、パン…と続きます。

 


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土星の第18衛星UFO型のパン (Pan) 

 

 


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カッシーニは、いくつかの衛星を徹底的に探査して、地球外生命の可能性を見出しました。

 


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第2衛星エンケラドス(Cassini Legacy: 1997-2017

 

 

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1789年にウィリアム・ハーシェルによって発見された。名前はギリシア神話ギガンテス(巨人族)の一人エンケラドスにちなむ。土星の衛星としては6番目に大きい。直径は平均500kmほどで、熱源を持つ。

 


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衛星の下側に何かを噴いている。

 


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一体なぜ水素があるのか?

 

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水素が発生するのは、エンケラドスの氷の下に広がる海の底で、岩石と熱水が反応しているからだと考えられています。

 

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これは、エンケラドスの海底に熱水噴出孔があることを示しています。

 

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水素をエネルギー源とする細菌が存在します。原始的な生命を育む揺りかごのような場所です。


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原始的な生命が存在できる条件が整っているのです。


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じゃないですか!

 


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地球外生命がいるとすれば、惑星の表面に液体の水が存在できる範囲。つまり…


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これが普通の考え方だったんですけど

 

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それは、惑星の周りに衛星が回っているときにですね


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ハビタブルゾーンみたいなものがあって


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そういう海があるところっていうのは、原始的な生命が存在しても


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第6衛星タイタン

 


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1655年にクリスティアーン・ホイヘンスによって発見された。直径は約5150km。土星最大の衛星で水星(直径4880km)よりも大きい。

 


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地球と月とタイタンの大きさの比較 

タイタンは厚い大気(窒素97%)で覆われているので輪郭がぼやけている。上の青みがかったタイタンの画像は遠赤外線で撮影したもの。

 


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タイタンの大気のもやの層

 


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Huygens probe


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オランダの数学者・物理学者・天文学者ホイヘンス(1629-1695)の名前に由来する。発見者だものな。

 

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2004年12月24日、小型探査機ホイヘンス投下

2005年01月14日、ホイヘンス上空に到達


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降下中のホイヘンスが写したタイタンの地表

 


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いや、地中海には見えんだろ。

 

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最後に貴重な写真を届けてくれました。

 


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これがその1枚。

 


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丸みを帯びた可能性を示しています。

 

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地表の気温はマイナス180℃。気圧は1.5気圧。丸い物体の直径は約15cm。


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カッシーニが観測したタイタンの地表

 


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マイナス180℃の地表でも凍らないメタンの湖。

 

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メタン(CH4)の融点はマイナス182.5℃、沸点はマイナス161.6℃。(1気圧)

 


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タイタンの地形図(上の湖は左上の湖)

 

 


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メタンの雲が出来ていることも明らかにしました。

 

 

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南極の極循環

 


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なんか臭いが…


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お~


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う~む


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アスファルトの成分は、アスファルテンとかレジンとか油分とか。構造は複雑なので省略。とにかく、炭化水素類です。

 

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タイタンを詳しく探査すると


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う~む

 


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循環することが重要なのか。

 


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ドラゴンフライ計画


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ドローン的な


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ですけど


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クラスターがなくなろうとしていた。

 

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最初から決まっていたのだろうな。


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これはとても大きい。


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どこかでやってるオリンピックよりもね。


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どこかでやってるオリンピックよりもね。


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土星は興味深い。 

 

 

おまけ

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土星デス・スターこと第1衛星ミマス

 


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第三衛星テティス

 


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第7衛星ヒペリオン

 


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第11衛星エピメテウス(Epimetheus)

 


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Saturn XXXV Daphnis(ダフニス)

A環のキーラーの空隙の中に軌道を持つ

 

 


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木星土星天王星海王星の衛星の大きさの比較。最下段は比較のための水星と月と冥王星。(medium and large moons of the jovian planets | science / astronomy | Pinterest | Solar system

 


 

 

 

土星の空に消えた探査機カッシーニが遺した土星の真の姿とは!?~(1)リングの秘密を探れ!

ETV『サイエンスZERO』2018/02/11放送

あなたの知らない土星の真実

偉大な写真家 探査機カッシーニ

 

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(1)リングの秘密を探れ!

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地球から12億km以上も離れたこの土星に誰よりも近づいた探査機がいます。

※地球から土星までは 1.18光時。光の速さで約1時間11分かかる距離。

 

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Cassini-Huygens (NASAESA)


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13年にわたって巨大ガス惑星の素顔を撮影してきました。

 

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地球外生命はいるのかなど


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その役割を終えました。


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カッシーニが新たにひもといた土星の秘密とは何か? その最新情報です。

 

 


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モアレ

 

 


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カッシーニ追悼番組?


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1997年10月15日打ち上げ

2004年06月30日軌道投入

2017年09月15日運用終了


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惜しい方を亡くしました。


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ありし日のカッシーニさんです。


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高さ6.8m、幅約4m。重さ5.8t。


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ちなみに名前の由来となったジョヴァンニ・カッシーニ(1625-1712)は、イタリア出身のフランスの天文学者で、パリ天文台初代台長。土星の4つの惑星や土星の輪に隙間があることなどを発見しました。


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国立天文台の小久保英一郎教授

 

 

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この写真は有名だよなあ。真後ろに太陽がいます。

 


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上の写真じゃなくて、下のね。

 


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土星の環の中でもっとも明るいB環(リング)

 

 

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太陽光が環に対して真横から射すときに撮った写真。

 

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すご~い


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面白~い

 


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カッシーニは数多くの写真を届けてくれました。

 


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あるある

 

 


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30万kmにも及ぶ巨大な嵐です。

 


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ガス惑星である土星表面に高温の渦が発生し、気温の急激な上昇も見られました。土星の嵐は20年から30年に一度しか発生しないため貴重な記録となりました。

 

 

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オーロラが太陽の活動に反応してダイナミックに動く様子を初めて間近で記録しました。

 


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土星から見た地球(July 19, 2013)

 


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地球とその下に月

 

 


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最後のミッション「グランド・フィナーレ」では研究者の悲願でもあった土星本体とリングの間を通すことになりました。

 

 

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ダイブは全部で22回。

最後は土星の大気に突入させます。

 


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事前の予測では本体とリングの間は、その周囲と同様に氷などのチリが高速で飛び交う極めて危険な場所とされていました。

 

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時速12万kmで移動する機体がチリと衝突するときに発するノイズを分析。


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そのまんま

 

 

 

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カッシーニ行きます!

 

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気のせいかエアロスミスの曲が聞こえてくる!


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Don't wanna close my eyes


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Don't wanna fall asleep


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'Cause I'd miss you, baby


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And I don't wanna miss a thing…

 

 


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中でも注目されているのは…


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これまで土星のリングは太陽系が出来た直後、45億年前に本体と共に誕生したと考えられてきました。


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しかし、イタリアの研究チームは、リングの年齢が土星本体よりもずっと若い可能性があると指摘します。


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重力によって速度が変化し、そこからリングの重さを推定できます。

 

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イタリアの研究チームが特に注目したのは


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Bリングの重さを計算すると


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想定よりも軽い


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太陽系外から飛来する物質も取り込み

 

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しかし、カッシーニの計測した重さから年齢を導くと…

 

 

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せいぜい1億から2億年だというのです。

(左上に写っているのは衛星テティス

 

 

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2億年より前の土星の想像図

恐竜「土星デカすぎね?」

 

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カッシーニが残した観測結果は太陽系の定説を覆すものでした。

 

 

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驚きですね!


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土星じゃな~い!


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どうして新しいって分かるの?


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どんどん汚れていっている。


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つまり、あまり汚れていないんです。


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大人になると汚れてしまうという考え方。


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太陽系の進化を考えるときに影響がある。

 

 

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カッシーニの気分て…

 

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意外と薄いんですね。


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環の直径が10万kmあるのに対して、厚みはなんと数10m以下!

 


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プロペラ?


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実際に見つかっている。

 


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プロペラ構造(Cassini Legacy: 1997-2017

 


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面白~い!

 


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次の記事へと続きます

後半は「地球外生命を探れ!」

 

 

 

 

そして、だれもいなくなった~半藤一利の『幕末史』を読む

1月の読書録06ーーーーーーー

 幕末史

 半藤一利

 新潮文庫(2012/11/01:2008)

 ★★★☆

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幕末史 (新潮文庫)

 

今年のNHK大河ドラマは最初から見る気にならないのであります。でありますから、視聴していないのでありますが、今年の読書テーマは久し振りに「幕末」にしようと思い立ったのであります。そこでまず、軽く復習するために本書を読んだのであります。

「あとがき」によりますと、本書は慶應丸の内シティキャンパスの特別講座として2008年に講義した内容をまとめたものだということであります。そのため、講義調の文体で読みやすく、歴史の流れを大きくつかむにはちょうど良い内容になっているのであります。

タイトルは『幕末史』でありますが、取り上げられている時代は、ペリー来航の1853年(嘉永6)から大久保利通が暗殺された1878年(明治11)までの四半世紀であります。この25年間が著者の歴史観では「幕末」ということになるのであります。

 

 

 

はじめの章 「御瓦解」と「御一新」

昭和5年に東京向島で生まれた著者は、父親が新潟県長岡市出身ということもありまして、「御一新」ではなくて「御瓦解」であるという歴史の見方もあると主張しているのであります。

勝者の歴史は常に美しく飾り立てられるものであります。しかしながら、歴史には表があれば、裏もあるのであります。声高に語られる歴史もあれば、ひっそり語られる歴史もあるのであります。歴史観は常に相対的なものでしかないのであります。正しい歴史観とか絶対的な歴史観などというものは存在しないのであります。私は歴史観というものは全てフィクションに過ぎないと考えているのであります。

 

 

 

第一章 幕末のいちばん長い日

嘉永6年(1853)

6月、米国ペリー艦隊、浦賀来航、開国を要求/第12代将軍徳川家慶没(61)

7月、幕府、開国の可否を諸大名に諮問/露国プチャーチン、長崎来航、開国を要求

10月、徳川家定、第13代将軍に就任

嘉永7年/安政元年(1854)※11月27日改元

1月、ペリー再来

3月、日米和親条約

8月、日英和親条約

12月、日露和親条約

 

第二章 攘夷派・開国派・一橋派・紀伊

安政2年(1855)

10月、安政の大地震阿部正弘に替わり堀田正睦が筆頭老中に就任/幕府、長崎海軍伝習所を開く

12月、日蘭和親条約 

安政3年(1856)

7月、ハリス、下田に着任

安政4年(1857)

6月、阿部正弘没(39)

10月、ハリス、将軍家定に謁見

安政5年(1858)

1月、堀田正睦、上洛。条約勅許を奏請

3月、孝明天皇、条約勅許を拒否

4月、井伊直弼大老に就任

6月、日米修好通商条約調印/徳川慶福(家茂)を将軍継嗣と定む

7月、徳川斉昭松平慶永(春嶽)ら謹慎/将軍家定没(35)/薩摩藩島津斉彬没(50)/蘭・露・英と修好通商条約調印

8月、水戸藩「戊午の密勅」問題

9月、日仏修好通商条約調印/安政の大獄始まる(翌年10月まで)

10月、徳川家茂、第14代将軍に就任

安政6年(1859)

6月、長崎・箱館・神奈川開港

9月、梅田雲浜獄死(45)

10月、橋本左内(26)・頼三樹三郎(35)・吉田松陰(30)ら死刑

安政7年/万延元年(1860)※3月18日改元

1月、咸臨丸、アメリカへ出航

3月、桜田門外の変井伊直弼殺害(46)

8月、徳川斉昭没(61)

12月、攘夷派薩摩藩浪士による米国公使館通訳官ヒュースケン暗殺事件

尊王攘夷運動の過激化)

 

第三章 和宮降嫁と公武合体

◾万延2年/文久元年(1861)※2月19日改元

5月、長州藩長井雅楽、開国と公武合体を唱えた「航海遠略策」を朝廷に提出

10月、皇女和宮、東下

文久2年(1862)

1月、坂下門外の変(老中安藤信正暗殺未遂事件)

長州藩公武合体から尊王攘夷に藩論転換

2月、皇女和宮と将軍家定の婚礼の儀

4月、薩摩藩主の父島津久光、率兵上洛。幕府改革案を朝廷に提出/寺田屋事件島津久光、藩内の尊王攘夷派を粛清

6月、大原重徳と島津久光、東下

 

第四章 テロに震撼する京の町

7月、一橋慶喜将軍後見職松平慶永政事総裁職に就任/京で攘夷運動盛んになる(→主導権が薩摩から長州へ移る)

8月、生麦事件

閏8月、会津藩松平容保京都守護職に就任(12月、上洛)

11月、幕府、攘夷勅旨の遵守を決定

12月、高杉晋作ら、英公使館を焼き打ち。

文久3年(1863)

2月、長井雅楽、攘夷派に責められ切腹(45)

3月、将軍家茂、上洛

4月、幕府、5月10日を攘夷期限と上奏

5月、長州藩、下関を通過中の外国船を砲撃

 

第五章 すさまじき権力闘争

6月、米・仏艦隊、長州藩の砲台を報復攻撃

7月、薩英戦争(11月、和議)

8月、八月十八日の政変。薩摩、会津藩が攘夷派の長州勢を京から追放。七卿の都落ち

12月、一橋慶喜松平容保松平慶永山内容堂伊達宗城、朝議参与となる (島津久光は翌年1月から)

文久4年/元治元年(1864)※2月20日改元

3月、参与会議、瓦解

→一会桑政権(一橋慶喜松平容保松平定敬

6月、新選組池田屋を襲撃

7月、蛤御門の変禁門の変)/幕府、西国諸藩に長州藩征伐を命令(第一次長州征伐)

8月、長州藩、英仏米蘭四国連合艦隊に下関を砲撃され降伏

9月、勝海舟、大坂で西郷隆盛と会談

11月、長州藩、征長軍に謝罪降伏

 

第六章 皇国の御為に砕身尽力

12月、高杉晋作、下関で反乱

◾元治2年/慶応元年(1865)※4月7日改元

2月、高杉晋作ら「正義」派、長州藩の実権掌握

3月、長州藩、武備恭順を藩論と決定

4月、幕府、長州再征を令す

閏5月、坂本龍馬、長崎で亀山社中を結成 

9月、英米仏蘭四国公使、条約勅許・兵庫開港要求/再征長勅許下る

10月、条約勅許下る

◾慶応2年(1866)

1月、薩長連合成る/寺田屋騒動(伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件)

 

第七章 将軍死す、天皇も死す

6月、第二次長州征伐はじまる

7月、将軍家茂没(21)

9月、幕長休戦協定

12月、徳川慶喜、第15代将軍に就任/孝明天皇崩御(36)

※この年、一揆・打ち毀し激発

◾慶応3年(1867)

1月、睦仁親王践祚皇位につく

4月、高杉晋作没(29)/海援隊誕生

5月、兵庫開港勅許下る

6月、坂本龍馬後藤象二郎に「船中八策」を示す

8月、名古屋地方に「ええじゃないか」発生、各地に波及する

9月、薩長芸三藩、倒幕挙兵を密約

 

第八章 徳川慶喜、ついに朝敵となる

10月、前土佐藩山内容堂大政奉還を幕府に建白/薩長両藩に倒幕の密勅/将軍慶喜大政奉還を上奏(翌日勅許)

11月、近江屋事件坂本龍馬(33)・中岡慎太郎(30)暗殺される

12月、王政復古の大号令/小御所会議

◾慶応4年/明治元年(1868)※9月8日改元

1月、鳥羽・伏見の戦い戊辰戦争始まる)

 

第九章 勝海舟西郷隆盛

2月、徳川慶喜、上野寛永寺に謹慎/堺事件・英公使パークス襲撃事件

3月、西郷隆盛勝海舟江戸城開城について会談

 

第十章 戊辰戦争の戦死者たち

3月、神仏分離令/五箇条の御誓文・億兆安撫国威宣揚の宸翰/勝海舟、英公使パークスと会談

4月、江戸城無血開城

閏4月、政体書公布

5月、奥羽越列藩同盟成立/上野彰義隊破れる

7月、江戸を東京と改称

9月、明治と改元会津藩など降伏、奥羽戦争終結

10月、江戸城を皇居と定む

※この年、勝海舟46歳、岩倉具視44歳、西郷隆盛42歳、大久保利通39歳、広沢真臣36歳、木戸孝允36歳、江藤新平35歳、井上馨34歳、三条実美32歳、板垣退助32歳、後藤象二郎31歳、山県有朋31歳、大隈重信31歳、伊藤博文28歳/徳川慶喜32歳

 

第十一章 新政府の海図なしの船出

◾明治2年(1869)

1月、薩長土肥四藩主、版籍奉還を上奏

3月、明治天皇、東遷

5月、五稜郭開城、榎本武揚ら降伏(戊辰戦争終結

6月、諸藩の版籍奉還を許す

7月、官制改革

8月、蝦夷地を北海道と改称

※この年、農民一揆多発

◾明治3年(1870)

1月、大教宣布の詔(神道の国教化)

10月、工部省設置。兵制統一(海軍は英式、陸軍は仏式)

※この年、廃仏運動広がる

◾明治4年(1871)

1月、寺社領没収/参議広沢真臣暗殺される(39)

2月、西郷隆盛、中央政界復帰/薩長土の藩兵を徴集して御親兵を設置

7月、廃藩置県

 

第十二章 国民皆兵と不平士族

11月、岩倉使節団、欧米へ出発(木戸孝允大久保利通伊藤博文田中光顕他46名+津田梅子他留学生42名)

◾明治5年(1872)

2月、兵部省を廃止、陸海軍両省設置

3月、御親兵を廃止、近衛兵を置く

8月、学制頒布

9月、新橋・横浜間で鉄道開業

12月、太陽暦採用(12月3日が6年1月1日)

◾明治6年(1873)

1月、徴兵令公布

5月、大久保利通帰国(木戸孝允は7月に帰国)

6月、征韓論起こる

7月、地租改正条例布告

8月、閣議、西郷隆盛の朝鮮派遣を決定

9月、岩倉使節団帰国

10月、朝鮮遣使を無期延期。征韓論破れ、参議西郷隆盛副島種臣後藤象二郎板垣退助江藤新平ら下野(明治6年10月政変)

※この年、徴兵制反対一揆多発

 

第十三章 西郷どん、城山に死す

◾明治7年(1874)

1月、板垣退助民選議員設立建白書を提出

2月、佐賀の乱江藤新平ら武力反抗)

5月、台湾出兵西郷従道、台湾上陸)

◾明治8年(1875)

2月、大阪会議(板垣退助大久保利通木戸孝允伊藤博文井上馨ら大阪で会合、三権分立などの政治改革で意見一致す)

5月、千島・樺太交換条約締結

9月、江華島事件

◾明治9年(1876)

2月、日朝修好条規締結

3月、廃刀令

10月、神風連の乱秋月の乱萩の乱

12月、地租改正反対一揆激化

明治10年(1877)

1月、地租軽減の詔

2月、西南戦争西郷隆盛、鹿児島に反乱、熊本城包囲)

3月、西郷軍、田原坂に破れる

5月、木戸孝允没(45)

9月、西郷隆盛(51)、桐野利秋(40)ら城山で自刃、西南戦争終結

 

むすびの章 だれもいなくなった後

明治11年(1878)

5月、大久保利通暗殺される(49)

12月、参謀本部が設置される(統帥権の独立)

※この年、山県有朋41歳、伊藤博文38歳

 

ここから大日本帝国は、67年後の敗戦へと突き進むわけでありますが、それはまた別の話であります。

 

 

 

 

 

幕末史 (新潮文庫)

幕末史 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

 

幕末を暗く彩った暗殺者たち~司馬遼太郎の『幕末』を読む

1月の読書録05ーーーーーーー

 幕末

 司馬遼太郎

 文春文庫(2001/09/10:1977:1963)

 ★★★☆

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新装版 幕末 (文春文庫)

 

本書の「あとがき」の冒頭には、「暗殺者だけは、きらいだ」とある。その司馬が幕末の暗殺者たちを描いたのが、この連作短編集である。司馬による暗殺者の定義は、「何等かの暗示、または警告を発せず、突如襲撃し、または偽計を用いて他人を殺害する者」ということになる。司馬はそのような暗殺者を「人間のかざかみにもおけぬ」という。

この短編集が単行本として刊行された1963年というと、司馬が『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』を連載していた時期と重なる。本書には坂本龍馬土方歳三のような「幕末」のメインキャラにはなり得ない連中が次々と登場する。ここで取り上げられた暗殺事件のほとんどは歴史の「奇形的産物」に過ぎない。しかしながら、これもまた「幕末」の一側面なのである。その中でただ一つ、例外的に「歴史を躍進させた」暗殺事件がある。それが冒頭を飾る「桜田門外の変」である。 (丸数字は本書の目次順)

 

 

桜田門外の変

安政7年(1860)3月3日の江戸城桜田門外における水戸脱藩士17名と薩摩脱藩士1名による井伊直弼暗殺事件を、薩摩藩から唯一人参加した有村治左衛門兼清を主人公にして、安政6年の秋から決行当日までを描いている。有村は井伊直弼の首級をうばったが、重傷に耐えかねて自害した。享年23。

 

この桜田門外の変から幕府の崩壊がはじまるのだが、その史的意義を説くのが本篇の目的ではない。ただ、暗殺という政治行為は、史上前進的な結局を生んだことは絶無といっていいが、この変だけは、例外といえる。明治維新を肯定するとすれば、それはこの桜田門外の変からはじまる。斬られた井伊直弼は、その最も重大な歴史的役割を、斬られたことによって果たした。三百年幕軍の最精鋭といわれた彦根藩は、十数人の浪士に斬りこまれて惨敗したことによって、倒幕の推進者を躍動させ、そのエネルギーが維新の招来を早めたといえる。この事件のどの死者にも、歴史は犬死をさせていない。

 

司馬にいわせると、その後の暗殺事件は、「すべてこれに影響された亜流」であり、「暗殺者の質も低下した」ということになる。

霊山歴史館の木村武仁氏によると、幕末の天誅事件は文久元年から慶応3年までの7年間で、

 文久元年~3年 (1861~63) 97件

 元治元年    (1864)      38件

 慶応元年~3年 (1865~67) 26件

合計161件であるらしい。

 

 

⑦ 土佐の夜寒

 文久2年(1862)4月8日の土佐藩参政吉田東洋暗殺事件が、当時吉田の配下だった下横目岩崎弥太郎の視点で描かれている。事件の首謀者は土佐勤王党武市半平太で、実行犯は那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助。

この事件が他の佐幕開国派に対する尊王攘夷派による暗殺事件と異なる点は、土佐藩の山内系の上士に対する長宗我部系の下士の積年の恨みという複雑な内部事情もからんでいる点であろう。吉田氏は長宗我部元親に仕えたが、土佐在郷の名家ゆえに上士に迎えられた家系である。岩崎家は郷士が落ちぶれた地下浪人だったが、もともとは安芸氏に仕えていたので、長宗我部侍ほど山内氏に対する憎悪はなかったのかもしれない。

吉田東洋は有能だが癇癖の強い性格だったというし、改革派の常として保守派からは敵視されていたので、幕末の動乱期でなくても、いずれ失脚するか、暗殺されるような人物だったように思う。享年47。当時29歳だった岩崎弥太郎は、同僚の井上佐一郎とともに下手人探索を命ぜられ大坂へ向かうが、単身帰国後、小役人に嫌気がさして士籍を脱している。井上は岡田以蔵らによって暗殺された。ここで命を無駄にしなかった岩崎は後に三菱財閥を築き上げることになるのだから面白い。

この事件の直前、3月24日に坂本龍馬土佐藩を脱藩したのだが、那須信吾は父親の俊平とともに伊予との国境まで道案内をしている。土佐では龍馬が吉田を暗殺したという噂が流れたという話もある。那須信吾は事件直後土佐を脱出し潜伏、翌年の天誅組の変に参加し戦死。享年35。かなりの大男だったらしい。那須信吾の甥の田中顕助(のちの光顕)や吉田東洋の義理の甥の後藤象二郎も脇役で登場。

 

 

② 奇妙なり八郎

文久3年(1863)4月13日の幕府刺客佐々木唯三郎らによる清河八郎暗殺事件。清河八郎庄内藩出身の倒幕・尊王攘夷の志士。清河八郎が果たした歴史的役割は、浪士組を結成し、新選組と新徴組への流れを作ったことになるか。有能なアジテーターだったが、背景を持たなかったことが彼の不幸だった。己の才気だけを頼りに天下に事を成そうとしたが、自信家過ぎたのか、「策士策におぼれる」の典型だったという印象。享年34。

佐々木唯三郎(只三郎)は、その後、京都見廻組隊士になる。慶応3年(1867)の近江屋事件の刺客の一人(襲撃犯ではない)と目されている。慶応4年(1868)、鳥羽・伏見の戦いで重傷を負い、紀三井寺で死去。享年36。

 

 

④ 猿ヶ辻の血闘

文久3年(1863)5月20日の禁裏御所朔平門外の猿ヶ辻における姉小路公知暗殺事件。当時の禁裏御所は、今の京都御所とは形状が異なるので、猿ヶ辻も現在の猿ヶ辻とは位置が異なる。姉小路公知は攘夷急進派公卿の大物だったが、前月に大坂湾防備の視察に摂州にくだった際に、幕府軍艦順動丸上で勝海舟から攘夷の無謀を説かれて、開国派に変節したと疑われたという。享年25。

暗殺現場には鞘が落ちていたのだが、それを土佐脱藩士那須信吾が薩摩藩田中新兵衛のものだと証言したことから、田中新兵衛が捕縛された。田中新兵衛は、島田左近や本間精一郎、宇郷玄蕃を斬殺したというテロリストである。ところが、この新兵衛は黙秘したまま取り調べ中に自害してしまい真相は闇の中に埋もれてしまった。享年32。

司馬は、この事件を会津藩密偵大庭恭平を首謀者として小説に仕上げた。大庭恭平は、この年の2月に起きた「足利三代木像梟首事件」に連座して信濃上田藩に流罪となったのだが、そこから抜け出して暗躍したという筋立てである。小説では大庭は事件の翌日自害したことになっているが、現実の大庭は明治35年まで長生きしている。享年73。この事実との齟齬は、小説であることを強調するためのものだと思われる。

この事件の結果、京における勢力争いで、公武合体派の薩摩藩が後退して、尊王攘夷に藩論を転換させた長州藩が浮上したことになるが、司馬は、長州系公卿を薩摩藩士が暗殺したと見せかけて、長州の勢いを削ぐとともに、もともと仲の良くない薩長の関係を致命的に悪化させて、さらに、薩摩藩の勢いも削ごうという幕府側の陰謀という見方をしている。長州が勢いを得たのは誤算だったということになるか。

当時、長州藩にかくまわれていた土佐脱藩士那須信吾が証言していることや、この事件が起きたのが長州藩による攘夷決行の最中であったことも気になるが、真相はやはり闇の中と言うよりない。

 

 

⑤ 冷泉斬り

元治元年(1864)5月5日、大和国丹波市の鍵屋ノ辻(荒木又右衛門で有名な鍵屋ノ辻とは別)において絵師冷泉為恭(れいぜいためたか/ためちか)が殺害された天誅事件。実行犯は、長州浪士大楽源太郎、神山進一郎、天岡忠蔵の3人。

この小説の主人公は長州浪士間崎馬之助になっているが、どうやら架空の人物のようである。新選組隊士米田鎌次郎も架空の人物で、大石鍬次郎をモデルにしたものと思われる。この二人が対峙する場面と、間崎が米田を斬る場面が良い。

冷泉為恭は宮廷に仕える絵師だが、京都所司代にも出入りしていたことから、尊王攘夷派の機密を漏らしているのではないかとの疑いをかけられ命を狙われる羽目になる。命の危険を察した為恭は逃げまくるが、執拗な追跡から逃れきれなかった。享年42。一度狙ったターゲットは仕留めるまで諦めないというテロリストの特質をよく表現している。

為恭を多くの尊王攘夷派浪士が付け狙ったのは、他藩の浪士に出し抜かれたくないというだけの事であり、くだらない話である。司馬が、架空の人物を登場させてまで、この小者を狙った三流浪士どもの狂騒的な天誅さわぎを描いた真意は、作中チョイ役で登場する坂本龍馬の「天誅さわぎなどは、愚劣すぎる」という言葉に尽きるだろう。

 

 

⑧ 逃げの小五郎

元治元年(1864)夏、但馬出石藩の槍術師範役堀田半左衛門は、領内で不審な男を二度見かける。三度目に城崎の宿でその男と出遭ったとき、彼が長州人であると確信する。その男こそ蛤御門の変後の幕府による厳しい残党狩りから逃れてきた桂小五郎(のちの木戸孝允)であった。「剣でめしの食える男」と言われながらも、剣を抜くこともなく、逃げて逃げて逃げまくった桂小五郎が出石に潜伏し帰藩するまでの動向を描いた異色作。

蛤御門の変での小五郎の動向も描かれていて、幾松も登場する。蛤御門の変後姿を消した小五郎の生存を信じる幾松が、京の焼け跡を何日も探し回り、ようやく乞食に扮した小五郎を見つけ出したときの二人のやり取りが印象に残る。殺伐とした話が多い本短編集の中で、小五郎と幾松のエピソードにはホッとさせられる。

斎藤弥九郎の道場・練兵館の道場訓「兵は兇器なれば一生用ふることなきは大幸といふべし」も小五郎の行動原理として紹介されていて、暗殺者たちへの批判になっているように思われる。

面白いのは、この短編で言及されている長州人気質である。「長州怜悧にして油断ならず」、しかも、「頑固で妥協を知らない厄介な」気質をもっているのだそうな。あの男もそうであるな。

 

 

⑨ 死んでも死なぬ

元治元年(1864)9月25日、山口讃井町袖解橋付近で井上聞多(のちの馨)が刺客に襲われ瀕死の重傷を負った「袖解橋の変」を取り上げた一編で、伊藤俊輔(のちの博文)の視点で井上聞多を描いている。

話は、文久2年(1862)12月12日の高杉晋作久坂玄瑞らによる英国公使館焼き討ち事件の前夜から始まる。伊藤俊輔は百姓の出で上士階級の高杉、久坂、井上とは身分が違うのだが、井上だけは伊藤と友達づきあいをした。第二級の似たもの同士でウマが合ったのだろう。井上は松下村塾出身ではないし、高杉、久坂、伊藤よりも年長である。

文久3年(1863)井上と伊藤は、長州藩の秘密留学団に加わり英国へ密航、国力の違いを実感し攘夷論から開国論に転じる。長州藩の攘夷決行を知り、急遽帰国することに決めた二人の英国滞在は半年ほどだった。

元治元年(1864)6月に横浜に密入国して戻った二人の藩論転換運動は実を結ばず、8月の四カ国連合艦隊馬関砲撃となる。幕府からは長州征伐の軍令がくだされ、窮地に陥った長州藩内は俗論党が台頭し、高杉らの強硬論と対立する。幕府に対し、恭順か、武装恭順かを決める最後の御前会議が山口の藩庁で開かれたのが、9月25日である。その場で熱弁をふるった井上聞多は、藩論を武装恭順に導くことに成功する。井上が襲われたのはその夜、藩庁を退出し帰宅する途中のことであった。

襲ったのは、俗論党の椋梨藤太次男中井栄次郎他数名である。その中の一人だった児玉愛次郎は、明治になってから井上聞多に引き立てられて官途に就いたのだが、30年以上経って犯行を告白、井上に謝罪したという逸話がある。主犯の中井栄次郎は、翌年別の暗殺事件の犯人の一人として刑死。享年23。死んでも死ななかった井上聞多は大正4年まで長生きした。享年80。

司馬はこの短編で、明治になってから「貪官汚吏(たんかんおり)の巨魁として悪名をのこした」井上馨を「袖解橋で死ぬべきであったかもしれない」と酷評しているが、『世に棲む日日』(1971)では肯定的な評価をしている。公私の区別がつかない人ではあったらしい。この短編は、『世に棲む日日』と重なるエピソードが多いので、久しぶりに『世に棲む日日』を読み返したくなった。『世に棲む日日』にも「長州怜悧」という言葉が出てきたのを思い出した。

 

 

⑪ 浪華城焼打

吉田東洋暗殺事件を取り上げた「土佐の夜雨」ではチョイ役で登場した那須信吾の甥の田中顕助は、元治元年(1864)仲間とともに脱藩し、長州へ走った。が、長州は幕府から長州征伐の軍令がくだされ窮地に陥った最中で頼ることが出来ない。そこで、起死回生のため浪華城焼打を計画し、9月に大坂に潜伏する。この時、田中顕助22歳。この計画に参加したのは土佐勤王党の残党と京都浪士で大坂松屋町筋でぜんざい屋に身をやつしている本多大内蔵で、謀主には蛤御門の変では「忠勇隊」に属して奮戦した大利鼎吉が選ばれた。

ところが、この計画は、新選組大坂屯所隊長谷万太郎に情報が漏れてしまう。元治2年1月、谷万太郎らが本多のぜんざい屋を襲撃したのが、「ぜんざい屋事件」である。この時ぜんざい屋にいたのは、本多とその母と妻、大利の四人だけであった。本多は逃亡、討ち取られたのは大利鼎吉だけである。享年24。谷万太郎は明治19年まで生きた。享年51。

この事件の前に、千屋金策、井原応輔、島浪間の三人は、同志を募るために山陰方面へ遊説に出かけている。この三人とたまたま同道した備前浪士山中嘉太郎の四人は、作州津山藩領吉岡村百々で、金策に訪れた造り酒屋の主人に侮辱されたあげく強盗として訴えられ、村人たちからリンチに遭い無念の死を遂げた。四人の死後、村人たちは遺体に陵辱の限りを尽くしたが、遺書などから冤罪が判明したという。なんとも後味の悪い事件である。

小説では、大坂にオンナができた田中顕助は米の飯の誘惑もあって、この山陰遊説に同行せず命拾いしたことになっている。ぜんざい屋事件の時もその場に居合わせなかった顕助は、大和十津川の山中にのがれ、7月になって土佐浪士の指導者中岡慎太郎を頼って、京へ潜入した。死なない奴は死なないようにできているということか。

 

土佐藩は支配層が佐幕だったから、勤王運動をしている土佐人に対して冷酷で、京都でも新選組に斬られる者は多くは土佐人であった。斬られても藩が何の故障もいいたてないから、幕府方は遠慮なしにやった。幕末、もっとも多く血を流した集団の一つは土佐人であったが、藩としての行動ではなかったために、維新政府は薩長に独占された。

 

 

祇園囃子

慶応3年(1867)6月祇園祭宵山の宵に水戸藩京都警衛指揮役住谷寅之介が鴨川東岸松原河原で土佐藩士山本旗郎らによって暗殺された事件を大和十津川郷士浦啓輔の視点で描いている。この浦啓輔は架空の人物であるようだが、幕末期における十津川郷士を描きたかったのかもしれない。

住谷寅之介は第二の藤田東湖といわれ、水戸藩尊王攘夷思想の中心的存在だったが、公武合体を容認していたので勤王派の志士から命を狙われた。享年50。この事件には後日談があって、明治3年(1870)2月24日、神田筋違見付で住谷寅之介の長男と次男が山本旗郎を追いつめ、仇討ちを果たしている。

 

 

花屋町の襲撃

慶応3年(1867)11月15日、坂本龍馬中岡慎太郎が近江屋で暗殺された。海援隊副長格の陸奥陽之助(のちの宗光)は、白川村の陸援隊本部に走り、陸援隊隊士らとともに復仇を企てる。紀州藩出身の浪士である陸奥自身は文官で人を斬ったことがないが、大将として指揮をとる。陸奥らは実行犯を新選組だとみていた。この強敵を相手にするために剣客を探す。一人は、十津川郷士中井庄五郎。一人は、元宇和島藩士後家鞘の彦六(のちの土居通夫)。両名は坂本龍馬とは深い関係ではなかったが慕っており、参加を即決する。

討ち入りの準備が進行する中で、事件の張本人が紀州藩用人三浦休太郎だと判明する。この年の春、海援隊蒸気船いろは丸(160㌧)が、讃岐箱崎沖合で、紀州藩藩船明光丸(887㌧)にぶつけられ沈没するという事故があった。非は紀州藩の方にあり、坂本龍馬は多額の賠償金を紀州藩に要求して、談判が成立したのが一ヶ月前のことである。紀州藩はその事を逆恨みしたに違いない。

12月7日夜、海援隊士・陸援隊士ら16名が、油小路花屋町南の天満屋二階で酒宴をしていた三浦と新選組隊士を襲撃する。これが「天満屋事件」である。この時、陸奥陽之助24歳。襲撃側は中井庄五郎が死亡。享年21。新選組側は近藤勇の従弟宮川信吉が死亡。享年25。三浦は軽傷を負っただけだった。

土居通夫が天満屋襲撃に参加した歴史的事実はない。これは飽くまで歴史上の事件に基づいたフィクションである。危険を察した三浦は新選組に護衛を頼んだようだが、そのため尚更疑いが深められたのだろう。近江屋事件の実行犯は京都見廻組の可能性が高いが、黒幕がいたかどうかは不明である。中岡慎太郎を頼って陸援隊隊士になった田中顕助は自重して襲撃に参加していない。

事件から二日後、王政復古の大号令が下った。

 

 

⑫ 最後の攘夷志士

中岡慎太郎亡き後、田中顕助が陸援隊隊長代理になった。この時、田中顕助25歳。そして、王政復古の大号令、倒幕である。司馬は云う。

「顕助、運がよすぎる」

顕助は大久保一蔵(のちの利通)からの要請で陸援隊残党を中心とした義軍を率い、高野山上から紀州藩を牽制する役割を担う。そこへ軍師として招かれたのが、天誅組の生き残り市川精一郎こと三枝蓊(さえぐさしげる)である。この頃の薩長はすでに攘夷を倒幕の道具として使っているだけで、顕助のような攘夷志士にも思想性はなかったのだが、三枝のような国学系の攘夷志士は別で、純粋に攘夷主義者なのだ。いつの時代にもこういう自国至上主義者はいるものだが、彼らは宗教的で頑迷なだけに厄介である。三枝蓊、目が据わっている。

顕助らの高野山義軍は、鳥羽・伏見の戦いの間紀州藩を牽制し、潰走した幕府側の敗残兵と一戦を交えた後、京に戻り解散し朝廷御親兵となる。 朝廷が攘夷を捨て外交をすることが明らかになると、失望した純粋攘夷主義者たちは暴発し、堺事件などの外国人襲撃事件が発生する。

慶応4年(1868)2月30日、三枝蓊は同志の朱雀操とともに、明治天皇に謁見するために宿舎の知恩院から御所に向かう英国公使ハリー・パークス一行に斬り込んだ。朱雀は、後藤象二郎に斬られて死亡後、斬首。三枝は重傷を負い捕縛された後、斬首。享年29。二人は士籍を削られ、平民に身分を落とされ、罪人として梟首された。

ほんの数カ月前なら、かれらは烈士であり、その行為は天誅としてたたえられ、死後は、叙勲の栄があっただろう。

かれらは、その「攘夷」のかどで攘夷党の旧同志によって処刑され、ついに永遠の罪名を着た。

 

イデオロギーというのは、そういうものであるし、時代の相転移というのは、そういうものである。

死者を祀るのも、死者の名誉を奪うのも、生者の側の都合に過ぎず、死者には関係のないことである。

 

田中顕助(のちの光顕)は、昭和14年まで生きる。享年97。

才質さほどでもなく、維新の志士のなかでは三流に近かったが、一流はほとんど死に、顕助、ただ奇蹟的な長寿を得たために多くの栄誉をうけた。

 長生きの術やいかにと人問はば

   殺されざりしためと答へむ

私は、井上聞多や田中顕助のような二流の生き方が好きである。

 

 

彰義隊胸算用

慶応4年(1868)2月12日、徳川慶喜江戸城を去り、上野寛永寺の大慈院に蟄居恭順となったが、これに不満を持つ抗戦派の幕臣を中心に彰義隊が結成された。この彰義隊の顛末を寺沢新太郎(寺澤正明)の視点で描いている。寺沢は八番隊長で後に《幕末秘録》という回想録を出した人。

彰義隊結成当初の頭取は渋沢栄一の従兄渋沢成一郎、副頭取は天野八郎だったが、二人はそりが合わず分裂、天野派による渋沢暗殺未遂事件が発生、渋沢は彰義隊を離脱し別組織「振武軍」を結成する。小者のお山の大将が集まった組織というのは派閥ができて内部抗争が起こり分裂するものである。

5月15日、新政府軍に攻め込まれた上野彰義隊は惨敗を喫し壊滅した。戦わずに逃げ出した者も多かったようだ。寄せ集めの軍隊であるし、戦力が違いすぎるのだから仕方あるまい。寺沢新太郎他逃亡兵の一部は榎本武揚の艦隊に逃れ、函館へ転戦する。渋沢成一郎も函館まで逃げ込んでいる。函館では、彰義隊の残党と振武軍の残党で渋沢を隊長に彰義隊が再編成されたのだが、松前藩の居城福山城を攻撃した際に、渋沢が金蔵に駆け込んで、一番乗りを逃したことから、又しても、渋沢派と反渋沢派に分裂する。もともと武家ではない渋沢は乱世を金儲けの場と楽しんでいた節がある。面白い人だ。

天野八郎は、7月13日、捕縛され、11月8日牢死。享年38。渋沢成一郎は喜作と名を改め、大正元年まで生きた。享年75。

 

 

 

 

新装版 幕末 (文春文庫)

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うつ人もうたるる人もあぢきなき

おなじ御国の人と思へば

勝海舟

 

 

 

 

 

有馬温泉でブラタモリ(3/3)

ブラタモリ #97有馬温泉(3/3)

有馬温泉♨人気はなぜ冷めない?


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有馬温泉でブラタモリ(2/3) - 森の踏切番日記の続き

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金の湯の前を通って左へ折れます。


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松田先生は物腰がはんなりしたはるしエレガント♥

 

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🔍金の湯 Google マップ

 

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真っすぐ。


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横道も直交して真っすぐ。

 

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タモリ「はあ~」


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直線といえば!

 

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タモリディベロッパーですよ」


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近江ちゃんもチャートと秀吉だけは一生忘れへんやろな。

 


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この名言は、梅林氏との合作だったか。

 


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秀吉は有馬温泉が大のお気に入り。

 

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近江「他のとこ行ってみたいと思わないんですかね」

タモリ「大好きだったんだね」

近江「大好きですね! 有馬ばっかりだなあ」

近江(私は温泉巡りしたいなあ)

 

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松田「有馬で滞在するときの費用にあてた」 

 

 

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1596年(慶長1)の伏見城を倒壊させた慶長伏見地震では、有馬温泉も大きな被害を受けました。地震直後に温泉の温度も急上昇して熱湯になったそうな。

1597年(慶長2)慶長の役が始まった年に、秀吉は有馬温泉の大規模な修復工事を行いました。


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お風呂の実物が今でも残っている。

 

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1598年(慶長3)秀吉は、地震後新たに湧出した温泉に湯山御殿を造りました。

 

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その遺構を保存しているのが極楽寺境内にある「神戸市立太閤の湯殿館」です。

 

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草彅「もちろん源泉掛け流し」

実はこの湯山御殿は言い伝えはあったのですが、文献資料も遺構も無かったのです。


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ところが、1995年の阪神淡路大震災で半壊した庫裏の修復工事の際に遺構の一部が発見されて、言い伝えが本当だったことが分かったのです。


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そこで、この遺構と出土品を保存、公開するために「神戸市立太閤の湯殿館」が1999年に開設されたのです。


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慶長伏見地震がきっかけで建てられた湯山御殿が、阪神淡路大震災がきっかけで発見されたって、なんかすごくない?

 

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あ、そうそう、露天風呂の他に蒸し風呂の遺構もあります。


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寝て入るには深すぎるし、立ってはいるには浅すぎる深さ。ということは…


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近江(?)


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へぇ~


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タモリ「温泉の座り湯の最初が秀吉だった」


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立って入るのは無理だから…


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秀吉のために設計された。


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慶長3年8月18日没


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秀頼のために長生きしたかったのだろうなあ。


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有馬温泉は、江戸時代には天領になりました。

 


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冷めない人気に水をさす大事件が起きた。

 

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何でしょう?


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おやおや


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極楽泉源は極楽寺の前の「ねがい坂」を上がった「銀の湯」の裏手にあります。ちょうど銀の湯と太閤の湯殿館の間になります。


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出てる。


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詰まってる。


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CaCO3


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お湯の中のカルシウムと結びついて固まったと。


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パイプは4日しかもたない。


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近江「大変だ~」


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長い間の蓄積で温泉の吹き出し口を塞いでしまった。


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そういう事


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ですよね。


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新品のパイプを買う方が安く済む。

 

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草彅「その人気を現代にまでつなげたのは」

 

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ですねえ。

 


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ねがい坂をさらに上がっていきます。


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炭酸ガスを有馬名物に変えてしまった場所とは?


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炭酸せんべいです。


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ということで、(株)三ツ森炭酸泉店におじゃまします。


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出来たて好き。

 

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少し上がると、炭酸泉源があります。


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草彅「ここに質の良い炭酸水が湧いていることを知り、好んで飲み始めました」


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NaHCO3


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ウシ分て。


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有馬温泉


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冷めない人気の秘密だったんです。

 


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新ネタお気に入り。


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やっぱり自然のダイナミズムはすごいと再認識しました。


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顔がw

 

 

 

おまけ

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有馬川に架かる太閤橋の近くにある太閤秀吉像。

有馬温泉の人たちにとって太閤秀吉は、有馬温泉を再建してくれた大恩人なのでしょう。


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ねね橋とねねの像

 

 

 

次回は

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鹿児島でブラタモリ


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そりゃ、関ヶ原の恨みを忘れなかったからじゃないの?


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鹿児島でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記

 

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🙀3月17日放送の99回目も引き続き「鹿児島」で島津斉彬が案内人で登場とな。

🙀3月24日放送の100回目は「宮崎」で今年度最後の放送。近江アナ卒業回。

🙀後任は、林田理沙アナ。1989年生。長崎出身。東京芸術大学卒。絶対音感の持ち主だとか。

 

 

📄ブラタモリ関連日記

別府でブラタモリ - 森の踏切番日記 

神戸の街でブラタモリ - 森の踏切番日記

箱根でブラタモリ - 森の踏切番日記

宝塚でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記