「まだ中々片付きやしないよ」
健三は留学から帰って来た直後の頃を回想する。(2年前になる)
妻の父は内閣が変わった煽りを受けて失職した上に相場に手を出し失敗し貯蓄を使い果たしていた。
娘は実家の離れで切り詰めた暮らしをしていたが、彼には娘を援助する余力が既に無かった。
帰国直後の健三自身も金が無く友人に借金をしなければならなかった。
「この俺を強請りに来る奴がいるんだから非道い」
今度は養母の御常が健三の家にやって来た。健三はやはり五円紙幣を渡してしまうのであった。
御常のことで健三は妻と言い争う。また、御住は夫の自分の生家に対する態度が不満だった。
日が経つと自然の勢いで二人の仲は元に戻る。
「離れればいくら親しくってもそれぎりになる代りに、一所にいさえすればたとい敵同志でもどうにかこうにかなるものだ。つまりそれが人間なんだろう」
健三は喘息の姉を見舞いに行く。姉と話すうち自身が軽蔑している姉と大して変わらないことに気が付く。
「姉はただ露骨なだけなんだ。教育の皮を剥けば己だって大した変わりはないんだ」
淋しい気持ちで姉の家を出た健三は、足に任せてさまよう。昔とはすっかり変わってしまった東京の風景の中を彼は不思議そうに歩くのだった。
「何時こんなに変わったんだろう」
[略]
「己自身は必竟どうなるのだろう」
※この節(六十九)が『道草』の題意だと思う。この後、何回か健三は街中をさまよう。また、この時期は漱石にとって人生の「道草」時代であるという意味もあると思う。
御住は両親から自由な空気の中で育てられ、形式的な昔風の倫理観に囚われない面があった。健三の方は旧式で、自分は自分の為に生きるという主義でありながら、妻は夫の為に存在すると考えていた。健三は自己主張する妻を不快に感じた。
※この夫婦は色んな意味で正反対である。
御住が出産する十日程前、健三の留守中に彼女の父が訪れた。外套も買えない程困窮した父に、御住は健三の古い外套を与えるのだった。
中一日おいて健三は久し振りに妻の父と対面する。彼は借金の保証人になってくれないかと頼みに来たのだった。健三はそれを断り、代わりに友人から借りた四百円を彼に届ける。
※漱石と中根重一は良好な関係では無かった。『道草』にはその経緯が詳しく描かれている。溝のある関係の漱石に頭を下げる程中根重一は困窮していたのである。
🐱ドラマ第2回で、中根倫にお金を渡すシーンのハセヒロは演技過剰ではないかと思った。
健三と御住の関係は悪化すると妻のヒステリーが緩和剤として働いた。健三が妻を介抱することで関係が改善されるのであった。二人の関係はその繰り返しであった。
※熊本時代に毎夜細い紐で自分の帯と妻の帯とを繋いで寝たことも描かれている。色々工夫したと思われる。
🐱ドラマ第1回の手を繋いで寝るシーンは評判が良いようだ。吾輩には少し甘すぎるが。
御住は予定より早く産気づく。深夜であった。下女に産婆を呼びにやるが間に合わず狼狽しながらも健三自身が赤子を取り上げる。知識のない健三は赤子が寒かろうと思ってむやみに脱脂綿を赤子に乗せるのだった。
※主人公が生まれたての赤子を気味悪がったり、壊れ物を扱うような恐ろしさを感じる所は共感する。男にはそういう面があると思う。
※この小説は全体的には重苦しいトーンで描かれているのだが、所々でユーモアが挟まれている。今回再読して改めて気がついた。
※この赤子が三女の栄子だが、この出産のエピソードは四女の時のものである。漱石は三女の栄子と四女の愛子には優しい父親だったようだ。
※長女と次女にはあまり愛情が持てなかったようだ。熊本時代に長女をよく乳母車に乗せたことを回想して残念がっている。
「ああ云うものが続々生まれて来て、必竟どうするんだろう」
お産の前には「今度は死ぬかも知れない」と云っていた妻が、安産で産後の経過も順調で気が抜けた健三は妻に不平を述べるが、妻に軽くいなされてしまう。
「人間の運命は中々片付かないもんだな」
健三の心のうちには妻子や兄姉、妻の父、養父母の事があった。これらの人々と自分との関係はまだ何も片付かずにいるのだ。
※この後、子供が懐かない不満や妻に対する不満、姉のこと、知人の雑誌に小説を書いたことが続く。この小説が「吾輩は猫である」である。『道草』に猫は登場しない。
再び御常が来訪する。健三はやはり五円紙幣を渡してしまう。養母に対して同情出来ない自身を不人情ではないかと疑うが、「何不人情でもかまうものか」と開き直る。
日ならずして、今度は島田が来訪する。島田は今まで援助してもらっていた娘(れんがモデル)が死んでしまって困っているので、もっと金をよこせと要求する。堪忍袋の緒が切れた健三はそれを突っぱねる。島田は捨てぜりふを残して帰っていく。健三は自身の生い立ちを思い起こさずにはいられないのだった。
「然し今の自分はどうして出来上がったのだろう」
年の暮れが迫ったある日、島田の代理の者が来訪する。離縁の際に健三が島田に入れた書付と引き換えに金をよこせと要求される。健三は仕方なく百円で手を打つことにする。
来客が帰った後、健三は帽子を被って寒い往来へ飛び出す。健三は自問自答を繰り返す。妻の父の事を考える。道行く人々が皆忙しそうにしているのを見て、健三は呆然とする。
年が改まり、健三は奮起して原稿紙に向かう。完成した作品で金を得た健三は百円を比田と兄に託し、島田と完全に縁を切ることに成功する。
「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」
※この後、最後の三行も夫婦関係をよく表していて見事な幕切れだなあといつも感心する。
🐱この小説において漱石は自己の「もっと卑しい所、もっと悪い所、もっと面目を失するような自分の欠点」を容赦なくえぐり出して過去の自己と対峙している。そこまでしないと「則天去私」の境地には達せられなかったのであろう。漱石にとって最後の関門だったのであろうと思う。
🐱また、自分にお金をせびりに来る養父母や兄姉や義父に対して断り切れない所に、「困っている人を見ると助けずにはいられない」漱石の優しさを感じる。
🐱最後には毅然として過去を断ち切ることが漱石には必要だったのであるが、片付かない運命的なものは受け入れざるを得ないという諦念で締めくくられている。
🐱この小説では、夫婦関係のすれ違いが色々形を変えながら何度も繰り返されるが、理屈の夫と感情の妻という図式も見られる。一般的な夫婦関係の問題に還元される事例も多いのではと思う。
🐱所詮、男には女が理解出来ないし、女には男が理解出来ない。理解出来ないにしても相手を思いやることは出来るし、それは言葉や態度で示さないと伝わらない。それが夫婦関係男女関係のみならず人間関係全般において必要だよなあという、割と平凡な結論に落ち着くのでした。
🐱土曜ドラマ「夏目漱石の妻」の原作『漱石の思ひ出』は鏡子の主観で書かれているので客観的な記述ではないし、鏡子自身の悪い部分は当然書かれていない。夫婦間の問題は双方の意見をきちんと聞く必要があると思うので、今回は漱石が見た「夏目漱石の妻」を紹介した。(漱石自身の暴力については、小説でははっきりとは書かれていない)
📄関連日記
※漱石幼少期から青年期までの年表
※漱石明治36年から明治37年までの年表
※漱石明治38年から明治43年までの年表
🐱本作品中で妻の父が乃木希典をこう評価している。
「手腕がなくっちゃ、どんな善人でもただ坐っているより外に仕方がありませんからね」
漱石は妻の父を仕事本位の立場から人を評価したがると書いているが乃木の評価を敢えて書いた所が興味深い。🐥