😺11月28日(月)の朝刊の文芸欄の〈季節のエッセー〉の担当は、詩人の最果タヒ。タイトルは「冬は大人のもの」。最果さんは、「子供の頃、冬は大人のものだと思っていた」そうだ。冬は「人をさみしくする季節」だが、子供の頃、「寂しさを感じることはなかなかなかった」からだそうだ。それ故に、冬は「まぶしい」。
🐱秋と冬と、どちらに寂しさを感じるかということは人によって異なるかなと思う。百人一首には、秋の寂しさを歌った歌も、冬の寂しさを歌った歌もある。枕草子では「秋は夕暮れ」である。秋の夕暮れの寂しさは子供にも分かる寂しさかなと思う。冬の寂しさの方が「大人」の寂しさなのだろうか。吾輩は、冬にあまり寂しさを感じない方である。炬燵でまるくなるとほっこりした気分でいられる。
🐱そんなことを考えながら、たひーんのブログを久しぶりに覗いてみる。今月は一本だけか。
2016-11-17「詩」は恥ずかしいのか?
🐱「詩」を書くことは恥ずかしいことだというイメージが世間には確かにあるかな。散文よりも人の内面が現れやすいからだろうか。普段の文章と異なるから気どって見えるとか。自分の青春時代を思い出す恥ずかしさに近いものがあるか。
🐱詩集を読みます、ということもあまり他人には公言できない恥ずかしさがあるかな。男子としては、本屋でエロ本を買うよりも最果タヒの詩集を買う方が恥ずかしさを覚えるものである。なので、最果タヒの詩集は『空が分裂する』しか読んだことがない。ホントは、他の詩集も読んでみたいのだが。
🐱ついでに、〈週間はてなブログ〉の最果タヒのインタビュー記事を読んでみる。
🔘最果タヒさんインタビュー「なかったことにしなくちゃいけない感情なんて、何一つない」【新刊『きみの言い訳は最高の芸術』サイン本プレゼント】 - 週刊はてなブログ
🐱これは、エッセイ集『きみの言い訳は最高の芸術』の出版に関するメールによるインタビュー記事である(本のプレゼント応募はすでに終了)。〈最果タヒblog〉2016-09-26「ネットがあるなら共感はいらない」でも読んだことがあるが、最果さんは、他人から共感されることを求めていないそうだ。
「共感される」ことを目的に文章を書きたいとは思っていなくて、お互いが違っていても、自分も生きていて相手も生きているということそれだけが共有できれば、「私はこうだけど、君はこうなんだ」と理解することは可能だと思っています。たとえ共感できなくても。
誰かとすれ違えたような感覚になってもらえたら嬉しいです。
🐱十代の頃は、他者に理解してもらおうと無駄な努力をしたこともありましたな。また、同じ人間なのだから、他者を理解できるとも思っておりましたな。理解し合うことは出来なくても、共感することは出来ると思っておりましたな。共感することが出来なくても、思いやることは出来ると思っておりましたな。大切なのは、自己とは異なる存在に対する寛容の精神だと思うのだが、人間は得てして異物を排除したがるからなあ。
日常での会話だとどうしてもオチを求められたり、理解されないといけなかったりして、それが当時めんどくさくてめんどくさくて仕方なかった私にとって、自分の感情をただひたすら投げ出して「みんな好きに読めばいいよ」みたいな態度でいることのできるインターネットは魅力的
🙀しかし、こうやって、ブログに自分の文章をさらすという行為も、結構恥ずかしいものがある。己の底の浅さが透けて見えてしまいそうだからである。
😽吾輩のこのブログは「他人に読まれても構わない日記」という設定で、好きなように書いているのだし、「好きなように読んでいいよ」と云うしかない。ブログはそんなものだろう。ブログは恥のかき捨てだと思う。
※インタビュー記事より
🐱ここで、妹から情報が入ったので、ASKAのブログaska_burnishstone’s diaryを覗いてみる。へぇー、ASKAも〈はてなブログ〉なんや。なんか親近感。文章はマトモだけど、内容はかなりキてますなあ。逮捕されたら、このブログも閉鎖なのか? とりあえずリンク張っとこ。
📄関連日記
😺クロネコさんの宅急便でーす。
😺JA信州うえだ、真田幸村の郷。
😸おいしそー🍎🍎🍎🍎🎵
😽幸村たちがつくったのか?一個十文か?
🙀一度、行ってみたいなあ。🐥