朝日放送 10月12日放送
ビーバップ!ハイヒール
放送600回記念特別編
筒井康隆とは何者なのか?
────────────────────
放送600回にしてついに実現!
筒井康隆特集!
ホンマに、Google マップでも Google Earth でも「筒井康隆」で出てくる!
すごいなあ。
御大登場。
内装もすご~い。掃除が大変そう。
お客さんも多いだろうし。
たしか、泥棒に入られたことがあったような。
1934年(昭和9)9月24日生まれ
御年83
〈こよいは4つの鍵から解き明かす〉
筒井康隆を語るならこの人。
筒井康隆ファン(ツツイスト)東の正横綱といってよいでしょう。
私はせいぜい序二段クラスなので、あまり詳しくはありません。
山下「自分のおもしろいと感じたことを徹底的に掘り下げていく。おもしろがることは徹底的におもしろがれ、というようなことが僕の中で響きあって…」
すべてを面白がる男
〈そう、森羅万象世の中のすべての現象や出来事を筒井は徹底的に面白がる〉
完成まで9年を要したと云われる大作。当時のベストセラーで、ドラマ化もされた。なぜか、金閣寺が沈没していくシーンだけ憶えている。
タイトルを考えたのは星新一。小松左京が執筆を許可。完成までに数時間を要したと云われる。小松は返礼に「タイムジャック」という筒井風の短編を執筆している。
2006年映画化。ご本人も出演。
「ベトナム観光公社」(1967)
「アフリカの爆弾」(1968)
『家族八景』(1972)
直木賞候補に三度ノミネートされるが
三度とも落選
(同じ時期に直木賞を受賞した作家は、野坂昭如や井上ひさしなど)
『大いなる助走』(1979)
自身を投影したかのような小説家志望の主人公が自分の作品を落選させた文学賞の選考委員たちを皆殺しにしていくという話。
1977年から1978年にかけて別冊文藝春秋に連載された。直木賞選考委員の一人である唇の分厚い作家が編集部に「あの連載をやめさせよ」と怒鳴りこんだ話は有名。
本人は、私怨を晴らすという意図はなく、面白がって書いたとコメントしている。
筒井作品は、怒りとか悲しみとか恐怖などといった感情すらも、面白がって笑いにしていくところがあると思う。
1989年、佐藤浩市主演で映画化された。
この年は、芥川賞・直木賞が第100回を迎えた記念すべき年だった。
筒井の笑いの原点といわれるマルクス兄弟。
戦争さえも茶化してしまうナンセンスな芸風。
マルクス兄弟は、ドリフターズなど多くの喜劇人に影響を与えたのではなかったかな。
筒井康隆の笑いには、アメリカ的な一面があるのは確か。泥くさい笑いではなくて、スマートな笑いといえるかも。
芸人タモリ誕生秘話
演奏旅行で福岡市を訪れた山下トリオがタモリと遭遇し意気投合。
➡東京に戻った山下トリオは、常連だったバー「ジャックの豆の木」でタモリのことを吹聴。
➡ジャックのママや他の常連客は、本当に面白いか確かめたいからと東京へ呼ぶことを要請。
➡1975年夏、客から新幹線代を集めてタモリを福岡から呼び出すことになる。
➡新幹線の切符を送られたタモリは、博多まで開通したばかりの新幹線で上京。
➡当時、神戸市垂水区に住んでいた筒井康隆も噂を聞きつけ、上京。
➡7月30日、「ジャックの豆の木」でタモリの本格的な独演会が催される。
その日、「ジャックの豆の木」を訪れた客には、筒井、山下の他に、赤塚不二夫や高信太郎などもいた。赤塚は当初、そんなに面白いシロウトがいるとは信じていなかったという。
しかし筒井の要望はとどまることを知らない。さらに「大河内伝次郎の中国人のターザンが、宇宙船のなかで酸素漏れに苦しんでいるところをやってくれ」というむちゃくちゃな設定が与えられる。
だがこれにもタモリは一瞬たじろぎながらも挑んでみせ、《「およ。うよ。すうしほ。ごよごよごよ」などと言いながらノドをカキムシリ、苦悶の表情物凄く、それでも必死に操縦桿を手さぐりしようとする》その演技は客人たちを圧倒する(山下洋輔『ピアノ弾き翔んだ』)。
こうしてリクエストに応じるままに即興で演じるなかから「四ヵ国語麻雀」など、のちに「密室芸」と呼ばれることになる初期タモリのレパートリーができあがっていったという。
以上、『タモリと戦後ニッポン』(近藤正高著・講談社現代新書)から引用しました。
この日、すっかりタモリに惚れ込んだ赤塚不二夫が、自分のマンションの部屋に泊まっていけと、タモリを連れて帰る。以後、タモリの居候暮らしが始まったのは有名な話。
山下「この人が笑ったら最高だなと…」
この年の8月の終わり、赤塚不二夫とともに高島忠夫司会のテレビ番組『土曜ショー』に出演したタモリは初めてテレビで芸を披露、高島忠夫の度肝を抜いた。その番組を見ていた黒柳徹子が、すぐさまテレビ局に電話し、赤塚に「あの人誰?」と訊ねたという。
(近藤正高の前掲書より)
時代を超えて愛される筒井作品
山下「あれから入るので、必ず筒井康隆のことを覚えるんです」
山下「いつまでたっても読者層は若いまま」
〈たびたび映画化・ドラマ化されている〉
記憶の中では、NHKドラマ『タイムトラベラー』とごっちゃになってしまっている。
『旅のラゴス』(1986)
これも名作。当時、久し振りに筒井康隆のSFらしいSFを読んだ思いがした。
最近のリバイバルヒットには本人も驚いているようだが、よき作品は残るものだなあと思う。この作品の場合、いっさいメディアミックスしていないのに売れたところがスゴい。
筒井教徒(ツツイスト)は、皆そう言いますな。
そうやって、面白がっておるのでしょうな。
筒井康隆の恐るべき才能
〈日本中のありとあらゆる場所に無数のカメラ・アイがあり、人々の言動をテレビに映し出す社会。誰もがカメラを意識し自己演出しながら暮らしている〉
「監視社会」は、SFのテーマのひとつなので、それ自体は先見的というわけではない。
〈嫌煙運動がどんどんエスカレートし喫煙者が迫害される近未来社会〉
「魔女狩り」は、人類の性とも云えるので、それ自体は先見的というわけではない。
筒井康隆とは◯◯である
中学時代には、漫画雑誌に投稿していた。投稿者には赤塚不二夫や藤子不二雄などがいたという。
雑誌『面白半分』は、作家が半年交替で編集長を務めていた。筒井康隆は編集長を一年続けた。この雑誌に恐怖の「腹立半分日記」を連載した。
大盛況。
自身の作品が原作の映画『ジャズ大名』では、山下洋輔とともに作曲を担当した。
〈作家としても新たな地平に挑戦していくようになった〉
80年代に入ると、メタフィクションの技法を用いた実験的な小説に軸足を移す。
『夢の木坂分岐点』(1987)谷崎潤一郎賞
「ヨッパ谷への降下」(1989)川端康成文学賞
『文学部唯野教授』(1990)
40万部の大ベストセラー
この時期には他にも
『虚航船団』(1984)
『残像に口紅を』(1989)
『ロートレック荘事件』(1990)
『朝のガスパール』(1992)
『パプリカ』(1993)
など重要な作品がたくさんある。
ところが…
1993年9月
「私、ぷっつんしちゃいました」
角川書店の高校国語の教科書に掲載された短編「無人警察」が問題の小説。
「文壇」に対する嫌悪もあったものと思われる。
筒井康隆は、長い作家人生を通じて、売られた喧嘩はもれなく買っているところがスゴい。むしろ、喜々として買っている節すらある。そういう状況すら面白がっているのである。恐ろしい人だ。
1993年4月1日 中野サンプラザ
よりによって、エイプリルフールw
結局、筒井康隆に味方したのは文壇ではないところが面白い。
演出家・髙平哲朗
信じておりました。
いろいろあって、てんかん協会とも合意にいたり、出版社とも覚え書きを交わし、執筆活動再開。
トリゴーリン
『漸然山脈』
「ラ・シュビドゥンドゥン」
要はめっちゃイチビリやねんな。
だと思った。
筒井康隆とはラ・シュビドゥンドゥン🎵
作品の中で作中人物を演じているみたいな?
「俺の一番の当たり役は作家や」
役者として小説家を演じているうちに、いつの間にか普通の小説家よりも小説家らしくなってしまった、というような意味のことをおっしゃっておりました。
筒井作品は演劇的とはよく言われる。
筒井康隆の書斎に潜入。
『時をかける少女』誕生秘話
秘話というほどでもないと思うけど。
父は動物学者の筒井嘉隆。母・八重。弟が3人。
孫悟空にはまる。
太平洋戦争のせいでかぼちゃ嫌いになる。
疎開先でいじめられる。
江戸川乱歩作品を愛読。
孤独を救う物語の力。
世界文学全集を貪り読む。
IQ178。特別教室で天才教育。
父親の本を売り飛ばして映画館通い。
米国の喜劇映画でギャグ感覚を磨く。
俳優を目指して劇団に入る。
日活ニューフェイスのオーディションを受けるが不合格。
乃村工藝社に入社。
仕事をさぼって小説を執筆。
海外のSF小説に出会う。
1960年、同人誌「NULL」創刊
「お助け」が乱歩の目に留まり、雑誌『宝石』8月号に転載される。
1964年12月31日(木)
今年、いろんなことあり。一、三十歳になったこと。二、原稿料入りはじめたこと。
ひとりだけなら原稿料だけで生活していけそうである。来年東京へ行くのは、それを自分にわからせるためか。他人にわからせるためかもしれない。
※「SF幼年期の中ごろ」(『腹立半分日記』角川文庫)より
1965年、光子夫人と見合い結婚。上京。二人になったので、しばらくは苦しい生活が続いた。
※原宿のアパートは、平井和正が住んでいた部屋だったが、平井和正が結婚して引っ越す事が決まった際に、筒井康隆に後に入れと強く勧めた。筒井夫妻は、3年ほど住んだ後、神宮前三丁目の建売住宅に引越した。
同年、処女短編集『東海道戦争』刊行される。
学研の『中三コース』
ジュブナイル「時をかける少女」などアイディアが出ず、一カ月ほど毎日のように神宮外苑へ出かけてはぐるぐるとアイディアを求めてさまよい歩いたものだが、ああいう発想の作品は言うまでもなく僕の資質に反するものだ。
※「楽しき哉地獄」(『着想の技術』新潮文庫)より
〈こうして生まれたのが「時をかける少女」の芳山和子だった〉
我が家の『時をかける少女』は、このカバー。
筒井康隆のSFジュブナイルとしては他に、「悪夢の真相」と「ミラーマンの時間」が好きだった。
光子夫人登場!
筒井康隆が語る奥様と仲良くする秘訣。
「我慢して話を聞くことやね」
「反論しては絶対イカン」
「結論を出してはイカン」
筒井が語る創作の極意。
そやけど、昔に比べたらマルならはったな。
😺筒井作品に出会ったのは、中学3年の時でした。最初の一冊は『にぎやかな未来』でした。お蔭様で人生を面白がることを教えていただきました。感謝しております。🐥
「ラ・シュビドゥンドゥン」(作詞作曲:筒井康隆 ピアノ演奏:山下洋輔) - YouTube