『ブラタモリ』#94吉祥寺(2/3)
~なぜ人は吉祥寺に住みたがるのか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
イノカシラフラスコモは、車軸藻類のシャジクモ科フラスコモ属。車軸藻類は、種子植物のような姿をしている藻です。雌器(生卵器)がフラスコのような形をしているのでフラスコモと名付けられたのだとか。ちなみに、雄器(造精器)は球形だとか。
へえ~。
よ~く分かりました。
水がありますからね。
吉祥寺周辺。村の名前がない。
なぜ吉祥寺には人が住んでいなかったのか?
それには井の頭公園の入り口の段差が大きく関係している?
と言うことは…
鷹狩にはピッタリ。
水が手に入りませんでした。
ところが、あることがきっかけで
状況が一変!?
タモリ・近江「へえ~」
タモリ「いいですね。深いなあ、森がね」
これは一体何でしょう?
タモリ・近江「あっ!」
江戸市街の発達により上水が不足してきたため、1653年(承応2)4月着工。1655年(明暦1)完成。赤坂見附までの全長約43km。
四谷見附で二分し、一つは麹町を経て江戸城に、他は赤坂、虎門より、さらに南西部の武家屋敷や町屋に給水した。他にも多数の分水が行われ、新田が開発された。
神田上水・玉川上水の二大上水は、明治初年には22万人に給水していた。1900年(明治33)東京市上下水道の竣工によってその大部分が廃せられた。
歩いてみると…
なぜなんでしょう?
なるほどね。
ということね。
近江(ぶんすい?)
お裾分けみたいな感じ
いいっすかね
きっかけとなったんですねえ。
ふりだしに戻る。
吉祥寺という名前でありながら、吉祥寺というお寺は…
ないんですね。
そのきっかけは何かご存じですか?
お江戸につきものですわな。
吉祥寺に人がやって来たきっかけ。それは明暦の大火。
周辺の住民は家を失いました。
60軒ほどの家が引っ越してきたんです。
吉祥寺村
お寺さんの方の吉祥寺(曹洞宗)も移転し、現在も文京区本駒込三丁目にあります。
クリスマスツリーきれい。
駅周辺の商店街をのぞいてみると、駅に対してナナメ
ハーモニカ横丁発見。
亀井勝一郎の命名なのね。
何に対してナナメになってる?
ということですね。
江戸時代、ここに人がやって来た時のこと。
五日市街道という江戸につながる街道を中心に…
土地を区分けしました。
なるほどね。
歩いてみましょう。
まっすぐです。
長い直線。
実はこれが江戸時代ここに移住してきた人たちの
手前の家のある方が五日市街道。
このなが~い短冊状の土地。
こんなにもらえるなら住みたくなりますよねえ。
街道沿いに敷地が並びました。
2015年11月放送の『ブラタモリ #24軽井沢への道』でもありましたね。坂本宿でしたか。街道沿いの短冊状の敷地が並んだ街。街道を監視する役目もあったとか。
次の記事へと続きます
井の頭公園 辨財天
夜のハモニカ横丁