『ブラタモリ』#60こんぴらさん(1/3)
~人はなぜ“こんぴらさん”を目指す?
近江「混乱する~ (>_<) 」
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🐶あけましておめでとうございます
1月2日の夜7時20分から放送された『富士山・三保松原』は、おせちを食べながら、お酒を飲みながら、「めちゃイケ」と交互に視聴していたので、詳しくまとめるのはあきらめました。
※結局、簡略版を〈一富士二鷹三茄子のルーツは三保にあり? - 森の踏切番日記〉にまとめました。
今回は、2日の朝に再放送された「富士山頂」「箱根」「京都祇園」「こんぴらさん」から、「こんぴらさん」をお送りします。
※「京都祇園」は過去記事にあります。
👉京都・祇園でブラタモリ(1) ~祇園町南側どす - 森の踏切番日記
※「箱根」は過去記事を大幅修正しました。
この回が放送されたときは、諸事情があってまとめることができなかったので、今回の再放送はうれしかったです。( ´∀`)
タモリ「ここからが急ですね」
近江アナは、こんぴらさん初体験。
タモリさんは、4度目。
タモリ「まず最初は」
タモリ「おやじと一緒に来まして」
タモリ「丸亀に着くやいなや嘔吐の連続」
しみじみ
その代わりに無口になります。(さっき富士山頂編で見たw)
タモリ「それに比べれば大したことない」
「こんぴらさん」の正式名称は「金刀比羅宮(ことひらぐう)」で、主祭神は大物主神と崇徳天皇です。
奥社までは1368段あるそうな。
「石段かご」さん。駕籠タクシーです。駕籠の重さは20kgくらいあるそうです。大門までの365段を上り下りします。料金は、登り5300円、下り3200円、往復だと6800円だそうです。体重制限は100kgくらいまでだとか。それ以上重い方は自力で登ってください。駕籠が行けるのは大門までですが、身体に障碍のある方は、身体障碍者手帳と金刀比羅宮の事前許可があれば、料金は高くなりますがもう少し上まで乗れるそうです。
タモリ「なんで目指したんだろうね」
大門までが急峻。
石段かごさん、速い!
生粋のこんぴらっ子。
江戸時代の中頃から全国の庶民の間に信仰が広まって、「金毘羅参り」は伊勢神宮への「お陰参り」に次ぐ庶民の憧れになったそうな。この二ヶ所と京都の東西本願寺が江戸時代のお参りビッグ3となります。
金毘羅祭礼図屏風
明治元年の神仏分離令までは神仏習合で、真言宗の象頭山松尾寺金光院がありました。ご神体は神仏習合神である金毘羅大権現でした。つまり、江戸時代の金毘羅参りは、象頭山松尾寺金光院に詣でることでした。神仏分離令以降、「金刀比羅宮」と改称されて神道の神社になりました。
保元の乱で讃岐に配流された崇徳天皇が松尾寺金光院に参籠したことから、御霊信仰の影響で崇徳院が合祀されました。
山岳信仰や修験道とも関わりがあって、天狗は金毘羅大権現の眷属とされています。崇徳院も天狗になったと云われています。上の絵のような天狗を背負った行人が金毘羅信仰を広めたとも云われています。
金刀比羅宮 - Wikipediaと金毘羅権現 - Wikipediaを参考にしました。
タモリ「なんでこんな苦しいところを多くの人が目指したのか」
参拝客は年間300万人だそうな。
これは急な石段だわ。石段かごさんスゲえな。
ようやく大門に到着。石段かごさんは通常ここまで。
いい景色。
土産とかを売ることができない。
ところが…
何か売ってた。
べっこう飴?
試食する二人。
五人囃子ではなくて。
800年くらい前から。
五人百姓。鎌倉時代から飴だけを売り続けています。
「加美代飴」というそうな。
「こんぴら詣りにまた飴か」
お宮の神事に従事していた五家を五人百姓といい、この五家の家筋に限り神域で商売をする特権が与えられたのだとか。
みんたべ。
御利益をおすそ分け。ついでに土産話もすると。
伊勢神宮の「お伊勢講」と同じように「金毘羅講」もあったらしい。
笑顔でしあわせ。こんぴらさん!!
「僕も船に乗ってますからお札を貼っています」
さすが船舶免許を持っているタモリさん。
戦国時代には備讃瀬戸にある塩飽諸島を本拠地とする塩飽水軍が金毘羅大権現を深く信仰していました。
江戸時代に入って徳川家康に安堵された彼ら塩飽の島民は、河村瑞賢が確立した西廻り航路の海運を一手に引き受けます。
彼らが乗る廻船が金毘羅大権現の旗を掲げて諸国の港を巡ったことから、金毘羅大権現が航海の神として広く知られるようになったと云われています。幕末に太平洋を横断したあの咸臨丸の水夫も7割は塩飽の島民だったとか。
(塩飽諸島 - Wikipediaを参考にしました)
「ことおかやすひろ」さん
地下室に降ります。
船乗りならではの奉納がこの樽。
お酒が入ってる。
どのようなしかたで奉納されるか?
海に浮かんでる。
船から落として流した。
地元の漁師さんが拾って代参した。
草彅「船乗りたちの信仰の証拠」
草彅「瀬戸内海に流しました」
草彅「樽を流した人も樽を届けた人も」
そういうことにしておかないと誰も持っていってくれないよな。
海上自衛隊は、練習艦の実習や処女航海のときなどに流し樽をするようです。
迷惑奉納品?
むげにできない。後ろ苦笑い。
岩手の人が用材にと奉納したという「流し木」だそうな。無事流れ着いたのがすごい。途中の浜にうち上げられても、その土地の人が、また流してあげるという風習があったようだが、黒潮をどうやって乗り切った?
正直使えない。
こんぴらさんへの代参といえば、清水の次郎長親分の代参で参拝した森の石松が有名ですな。
タモリ「信仰だけしてくれっつうんだよね」
草彅「たくさんの人が目指すようになった事、よ~く分かりました」
ていうか、船の模型に興味津々のタモリさん。
信仰が広まったのはいいけれども、境内で「とんでもないこと」が起きてしまいました?
🐶次の記事へと続きます
杖は無料で貸してくれるそうな。
🐶おかげ犬🆚こんぴら狗🐶
『東海道五十三次 四日市』歌川広重
江戸時代には、伊勢神宮へお陰参りに行けない飼い主の代わりに、飼い犬が代参したという話があるそうな。この犬のことを「おかげ犬」と呼ぶそうな。上の浮世絵に描かれた犬がその「おかげ犬」なのです。
絵を見るとおかげ犬だと分かるように首にしめ縄を巻いてもらっています。また、お金とお伊勢参りの旨が書かれた書付を入れた袋もぶら下げていたようです。お陰参りへ行く人たちについていったようです。
道中でも人々から食事をもらったり、泊めてもらったり、世話をしてもらえたようです。上の絵の犬は、旅人から饅頭か何かをもらっています。そういう親切がお伊勢さんの御利益をもたらすと信じられていたのでしょう。伊勢神宮では、ちゃんとお札をもらって帰路についたそうです。
今では、「おかげ犬サブレ」とか「おかげ犬張り子」とか「おかげ犬ストラップ」とかおかげ犬グッズが伊勢土産で売られていて人気なのだとか。
金刀比羅宮のこんぴら狗像
こんぴらさんにも犬が代参した話があるそうな。この犬を「こんぴら狗」と呼ぶそうな。金刀比羅宮でも、こんぴら狗の置物とか絵馬とかミニこんぴら狗付きのお守りとかがあるそうな。
『金毘羅狗図』掛軸(部分)作画・平林春一
(出典:金刀比羅宮)