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坑夫
★★★☆
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🐱 本作品は、明治41年(1908)1月1日より4月6日まで「朝日新聞」に連載された。『虞美人草』に続く朝日新聞社入社後第2作目にあたる。本作品の成立事情については、
に既に書いたので省略する。
足尾銅山(1895)
◾あらすじ
何でも暗い所へ行かなければならないと、ひたすら暗い所を目的に歩き出したばかりである。
主人公の十九歳の青年は、良家の子弟だったが恋愛関係のもつれから自暴自棄になり、死のうと思って金も持たずに東京を出て北へ北へと歩いて行く。
長蔵と名乗る男と出会い、坑夫にならないかと誘われ、成り行きで承諾する。途中、赤毛布と小僧も加わり、鉱山へと向かう。
鉱山町の飯場に着いた主人公は、坑内を見学し、坑夫にからまれたり、坑道で置き去りにされたりする。坑内で出会った親切な安さんに東京に帰れと諭されるが、坑夫になる決意をする。翌日、健康診断で気管支炎が見つかり帳附係にまわされる。5ヶ月働いた主人公は東京に戻る。
🐱文体は『坊っちゃん』や『二百十日』に近い感じがする。準備不足は明らかで取材する時間も無かったと思われるので、荒井伴男から聞いた話や鉱山に対する一般的な知識で飯場や坑内の描写を組み立てたと思われるが、リアリティがあると思う。
🐱主人公はいかにも考え方が甘い単なるヘタレでしかない。彼は教育のある良家の子弟ということもあり、飯場の人間を蔑視しており上から目線で飯場の様子を観察している。
🐱漱石は主人公に対して、安さんに次のように言わせている。
「青年は情の時代だ。おれも覚がある。情の時代には失敗するもんだ。君もそうだろう」
荒井伴男に対する漱石のメッセージが込められているような気がする。
🐱完成度はあまり高くないし、主人公にも同情出来ないし、大した話でも無いのだが、何か妙な魅力がある作品である。鉱山に向かう途中、汽車の中での他の乗客の会話が面白い。(いかにも場つなぎという感じがする)
📄関連日記
🐱夏目漱石の『坑夫』というと思い出すのは、やはり、この小説である。
😺★★★★☆
🐱十五歳の誕生日がやってきたとき、少年は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになる。
🐱その図書館で少年は『坑夫』を読むのである。彼は『坑夫』の主人公の体験に対して感想を述べている。
「それは生きるか死ぬかの体験です。そしてそこからなんとか出てきて、またもとの地上の生活に戻っていく。でも主人公がそういった体験からなにか教訓を得たとか、そこで生きかたが変わったとか、そういうことはとくに書かれていない。彼が人間として成長したという手ごたえみたいなのもあまりありません。本を読み終わってなんだか不思議な気持ちがしました。この小説はなにを言いたいんだろうって。でもなんていうのかな、そういう『なにを言いたいのかわからない』という部分が不思議に心に残るんだ。うまく説明できないけど」
🐱村上春樹の小説の主人公は地下の深い暗い場所、地下室のそのまた下の隠し部屋のような所へ降りて行って、そこで何かを得て戻ってくることが多い。この少年も導かれて森の奥深くに入り込み、小さな「町」にたどり着き、そして、生還する。『坑夫』の主人公は何も変わらなかった。村上春樹が『坑夫』を取り上げたということが興味深い。
「孤独にもいろんな種類の孤独がある」
😽村上春樹がノーベル文学賞を受賞するかどうかということは、それ程重要なことだろうか。今更という気がしないでもない。
😼大隅良典・東京工業大栄誉教授のように地道に基礎研究をしてこられた研究者に光が当てられることは大きな意義があると思うのだが。
🐱オートファジーの「ファジー」は「fuzzy」ではないそうだ。「auto phagy」と書くそうだ。ギリシャ語由来で「auto」が「自」で「phagy」が「食」という意味になるそうだ。🐥
「人がやっていないことをやる。それがサイエンスの本質だと思います」