森の踏切番日記

ただのグダグダな日記です/2018年4月からはマイクラ日記をつけています/スマホでのんびりしたサバイバル生活をしています/面倒くさいことは基本しません

倉敷でブラタモリ(2)

ブラタモリ』#74倉敷(2)

~なぜ美しい町並が倉敷に?


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綿毛の不安

 

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倉敷アイビースクエアかな?


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元工場長の守本卓郎さん。


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間違いじゃないけどね。


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綿押し。


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近江(ワタ、ワタ、メン、ワンタンメン?)


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近江(メンカ?)


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近江(分かった振り、分かった振り)


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大坂の大和川つけ替え工事で出来た低湿地も綿の栽培をして河内木綿になったものなあ。


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大阪に大阪紡績(現・東洋紡)が出来たのと同じような経緯だろうな。


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タモリ倶楽部


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京都府舞鶴市に「赤レンガ博物館」というレンガばっかり展示している博物館があります。


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イギリス積み、見たような覚えがある。あと、フランス(フランドル)積みとか。


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何が面白いのか、さっぱり分からなかった。 


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鋭いなあ。


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「いつごろ」の解釈の問題。


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なぜに倉敷限定?


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倉敷では、正午ぐらい?


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近江ちゃんには、分かりやすく言ってあげなきゃ。


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自分の勘違いに、ウケてる。


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今回も、近江ちゃん絶好調。


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真夏じゃなくて、夏至


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近江ちゃんは、社会も理科も苦手なのね。

給食の時間が得意そうね。


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ついに、自虐化。


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工場の中が灼熱地獄化。

それで、どういう対応をしたか?


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タモリ「アイビーで断熱をはかる」


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南側の壁の温度は10℃も下がった。


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ツタに彩られた工場は、今では観光資源に。


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紡績の発展がさらに新しい魅力を生み出した。


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銀行。


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モダンな西洋建築が次々と生まれた。


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倉敷といえば、大原美術館


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やっぱり、これを見ないとね。


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倉敷といえば、大原財閥。


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大原孫三郎の長男。


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多分、お城が好きだったのだろうな。

倉敷にはお城が無いからお城も欲しかったとか。


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全国で二番目。

全国初は、同じ年の「金沢市伝統環境保存条例」ということなのかな?

 


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今週のお題「なぜ美しい町並が倉敷に?」


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残ったのではなくて


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残したということ


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よ~く分かりました。


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いろいろ駄目だけど、ガンバってね、近江ちゃん。


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つまりは、住民の強い関心がないと、残すべきものも残らないということですね。

 

 


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ついに実現! タモリ🆚ナゴヤ


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ピアスは、いつもオサレさん。


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名古屋城は西の備えに築城したからなあ。


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築城時に福島正則加藤清正のエピソードとか、あったものなあ。 

 

 

 

大原美術館Google マップ
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📄OHARA MUSEUM of ART

 


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児島虎次郎「大原孫三郎像」1915


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ルノワール「泉による女」1914


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ゴーギャン「かぐわしき大地」1892


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クロード・モネ「睡蓮」

 

📄大原美術館 - Wikipediaには、この他にも所蔵作品の画像が紹介されています。

 

 

 

 

📄この記事の続き

🔘名古屋でブラタモリ(1) - 森の踏切番日記

🔘名古屋でブラタモリ(2) - 森の踏切番日記

 

📄関連日記

🔘尾道でブラタモリ(1) - 森の踏切番日記

🔘尾道でブラタモリ(2) - 森の踏切番日記

 

🔘箱根関所でブラタモリ(1) - 森の踏切番日記

🔘箱根関所でブラタモリ(2) - 森の踏切番日記

 

🔘箱根でブラタモリ - 森の踏切番日記

 

 

 

 

 

 

倉敷でブラタモリ(1)

ブラタモリ』#74倉敷(1)

~なぜ美しい町並が倉敷に?


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今回は、近江ちゃんが屏風の虎を退治します。(嘘)

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いかにも倉敷


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タモリ「ビール飲みたいね」

近江「もう、お休みですか」


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いろんな時代の建物が残っている。

町の中心部に古い建物が500以上。


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順番が廻って来るまでに戦争が終わった。

運が良かった?

京都市も被害は少なかったけれども、東山馬町や太秦安井が空襲の被害を受けています。倉敷も軍事施設や工場を標的とした小規模空襲の可能性はあったはず。

ちなみに、最も空襲が少なかった県は石川県だそうな。

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言い当てちゃいました。


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案内人、辞書持参。


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前回の尾道倉敷地だった。


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別名「汐入川」

上流から水が流れているのではなくて、海の水が入り込んでいる運河。


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倉敷の多くの豪商が富を増やした本業以外の“やり方”とは?


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暗渠をたどって今も残る豪商の家へ向かう。


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橋の跡。


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森田酒場?


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タモリ「おじの所だ」


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草彅くん、どうしちゃったの?


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森田森田。


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正しくは、森田酒造場だそうな。


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隙を見て、川の上にコンクリートの蓋をして家を建てたとか。


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大正時代の建物だとか。


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お宝登場。


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いかにも岸派。


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タモリさんも屏風好きだそうな。

 


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タモリさん、屏風から虎を追い出してください!

 


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森田家が酒造業を始めたのは明治42年から。

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岡山はイグサの産地として有名だった。

でも、畳表の商売だけで豪商になったわけではない。


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畳表を扱う商人なのに大量の米を持っていた。どうして、森田家は大量の米を入手できたか?


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倉敷の商人の多くは、地主を兼ねていた。


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では、どうして倉敷では商家が地主になることができたのか?


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干拓事業ね。


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大坂の鴻池新田みたいなものか。あれは、大和川のつけ替え工事で出来た低湿地だったけど。


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倉敷といえば、クラボウ


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タモリさん、なんか見えた。


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山本太郎案内人、ガッカリ。

 
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近江いじり、来た!


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そのまんまやないか~い!


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天領だったので、お侍が少ない。


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商人の力を借りないと干拓事業が出来なかった。

その辺も大坂と似てるな。


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よ~く分かりました。


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🐯次の記事へと続く


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後半は、近江ちゃんが本領を発揮します。

 

 

 

 

🐯この記事の前

🔘尾道でブラタモリ(1) - 森の踏切番日記
🔘尾道でブラタモリ(2) - 森の踏切番日記
 

 

 


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虎と云えば、岸駒(がんく 1749~1839)


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よく分からないけど、岸駒本人の作品ならすごくね?

 


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虎図 岸駒 石川県立美術館蔵

美技 | 北陸物語より)

 


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猛虎図 岸駒 本間美術館蔵

虎描きの名手 円山応挙と岸駒 | 公益財団法人 本間美術館 [山形県 酒田市]より)

 

 

 

 

 

 

「源氏びと」の聖地巡り

5月の読書録04ーーーーーーー

 明解源氏物語五十四帖 あらすじとその舞台

 池田弥三郎 伊藤好英

 淡交社(2008/05/12)

 1705-04★★★

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🐱この4月から毎週月曜日に、市内に住んだはる作家のいしいしんじはんが、朝刊に源氏物語の現代京ことば訳いう連載を始めはってん。今週で8回目なんやけど、ようやっと「帚木」の源氏の君が空蟬を口説く所までいかはったんや。これ、長い連載になりそうやわあ。

🐱いしいはんは、大阪生まれやしい、ネイティブの京都人ちゃうしい、現代的な言葉遣いやしい、京ことばいうよりも京都弁いう感じやなあ。なんか大阪からお嫁さんに来はった近所のおばちゃんに源氏物語聞かせてもろてるいう感じやわあ。

🐱どんな感じか、最初のトコをチョロンと引用させてもらうとこんなんや。

どの帝様の、ころやったやろか。

女御やら、更衣やら…ようさんいたはるなかに、最高位のご身分でもあらしまへんのに、とくべつなご寵愛をうけはった、更衣はんがいてはってねえ。

🐱それからな、第1面では「京都ぎらい」の井上章一センセが「現代洛中洛外もよう」いうコラムを始めはったんやけど、これも井上センセらしい、ひねた文章で京都のことをくさしてはってな、ホンマようやらはるわあ。あ、そうそ。京都で新聞言うたら京都新聞のことやから。

 


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土佐光起「紫式部

 

 

源氏物語については、部分的には読んだことはあるけれども、原典はもちろんのこと現代語訳も通して読んだことはない。あらすじ本は読んだことがあるが、おおむね高校の参考書程度の知識しか無いといってもよい。昔の恋愛小説にはあまり興味を持てないのだ。それでも、今回の源氏物語現代京都弁訳の連載を機会に少し源氏物語を復習してみようと思い本書を読んでみた。

 

淡交社は茶道関係に強い京都の出版社で、本書は元々は1976年にカラー古典シリーズの一環として『カラー源氏物語』というタイトルで出版されたものらしい。それを2008年の源氏物語千年紀にカラー写真を除いて復刊したということだ。

 

池田弥三郎(1914~1982)は、折口信夫に師事した国文学者、民俗学者。東京生まれで東京育ち(生家は銀座の天麩羅屋らしい)の著者が旅行者の立場で源氏物語縁の聖地を各帖ごとに巡る随筆が本書の中心となっている。元本には各帖ごとに写真が付いていたのが本書では除かれたことになる。40年前の京都の風景も今となっては貴重だと思うので残念なことである。コストの問題か権利の問題でもあったのかも知れない。

 

◽著者は「源氏物語の中に、その精神生活を探るよすがを留めている人々」のことを「源氏びと」と呼んでいる。これは、登場人物だけをいうわけでもなくモデルとなる実在人物だけをいうわけでもないという。源氏物語を生み出した王朝社会に生きた人々を、その「内生活の抽象」として源氏物語の中に見いだすということのようである。ちょっと難しい。

 

◽本書で紹介されている聖地も、源氏物語の舞台だから訪れるのではなく、「源氏びと」の内生活の記念の場所だから訪れるのだという。そして、著者はその場所を「名どころ」と呼び単なる「名所」と区別している。これは将に今言うところの「聖地」である。著者は「源氏旅行」と呼んでいるが、これも今言うところの「聖地巡礼」に他ならない。従って、本書は源氏物語オタクの聖地巡礼の書と言ってもよいと思う。

 

◽著者が訪れた聖地は、平安京内裏、賀茂川、夕顔の墓(架空の人物なのに墓がある)、鞍馬寺、北野、高尾、賀茂社野宮神社、廬山寺、須磨、明石、住吉、紙屋川、逢坂の関、清涼寺、大堰川左岸、冬の嵐山、桃園(西陣)、二条城周辺、長谷寺、六条、今出川通、瀬田、大原、大原野、石山寺仁和寺、男山、小幡、岩戸落葉神社、冷泉院、小野、鳥辺野、大覚寺平安神宮宇治橋宇治川、小幡山、巨椋池、勧修寺、山科川平等院宇治神社、橋寺、三室戸寺、横川、比叡山など。京都・宇治を中心に畿内各所にわたる。五年近くかかったというからかなりの労作である。

 

◽「橋姫」の帖では、宇治橋が取り上げられている。「橋姫伝説」といえば嫉妬深い女神のことなのだが、「源氏びと」の間では宇治の橋姫はすでに美化されていて民間伝承とは離れていたという解説を読んで、自分の勘違いに気がついた。民間伝承の「橋姫伝説」は源氏物語には反映されていないようだ。

 

◽「早蕨」の帖では、小幡山を取り上げている。宇治十帖の舞台を想像する場合、今は干拓されて無くなってしまった巨椋池がどの程度の大きさだったかを考えなければならない。著者は小幡山を今の小幡辺りでは無くて、もっと西寄りだったのではないかと推測している。つまり、京から宇治へ向かうには、「深草を通り過ぎて、大亀谷から、斜めに、低い峠を越えて、六地蔵に出た」と推測し、この道が越える山路こそ「小幡山」であったと主張している。源氏びとは、小幡山を畏怖していたという。

 

◽あらすじの方は、池田弥三郎の教え子である伊藤好英が担当している。各帖ごとのあらすじが簡潔にまとめられている。やはり、あらすじを読んだだけでは源氏物語の良さは分からないなと反省した。

 

◽本書には付録として、主要人物系図、源氏物語略年譜、主要人物一覧、用語解説、参考地図、平安京図、平安京内裏図が付いていて、これらは大変分かりやすく便利である。

 

いしいしんじ訳の連載では、毎回原文の一部も掲載されているのだが、音読してみて美しい文だなと思う。本来なら原典を読むべきなのだろうが、折口信夫が語っているように、源氏物語の不幸は長すぎることにある。源氏物語に取り組むにはそれなりの覚悟を求められるような気がして二の足を踏むのである。

 

◽本書はそれなりに面白く読んだが、あらすじを知る目的としては少し物足りなかったので、次はもっと詳しい阿刀田高の『源氏物語を知っていますか』を読んでみようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松岡譲『漱石の印税帖』の感想 ~漱石の娘婿の憂鬱

5月の読書録03ーーーーーーー

 漱石の印税帖

 松岡譲

 文春文庫(2017/02/10)

 1705-03★★★

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🐱著者の松岡譲は、明治24年(1891)、新潟県古志郡(現在の長岡市鷺巣町)の寺の生まれ。旧制長岡中学、一高を経て東京帝国大学文学部哲学科に入学。久米正雄菊池寛芥川龍之介らと共に第三次(1914)、第四次(1916)「新思潮」を発刊。晩年の漱石の門人となる。大学卒業の翌年、大正7年(1818)4月に漱石の長女・筆子と結婚。昭和44年(1969)7月没。主著に『法城を護る人々』『敦煌物語』など。

 

🐱本書は、昭和30年に朝日新聞社より刊行された単行本『漱石の印税帖』が文庫化されたものである。この文庫版には「娘婿がみた素顔の文豪」という副題が付いていて、全部で10編の随筆の内6編が漱石に関するものである。残り4編は「新思潮」時代の回想などであるが、こちらも興味深い内容である。

はっきりと書かれてはいないが、所々に夏目鏡子未亡人に振り回されている様子が垣間見られて苦労がしのばれる。

 

 

 

🔘「漱石の印税帖」では、夏目家に保存されていた印税覚帖から、当時のベストセラー作家だった漱石の本が実際にはどの程度売れていたのか考察している。不完全な資料なのでおおよその事しか分からないが、漱石在世中より死後に圧倒的に売れ始めた。これは、廉価版が出始めたり全集が刊行されたりしてマーケットが広がったことや、本人の声望が死後の方が上がったことや、世間の景気が影響しているのではないかと著者は推測している。著者は、漱石在世中の12年間でおよそ10万冊に対して、大正6年から12年までの7年間でおよそ70万冊売れたと分析している。この漱石死後の7年間は、著者自身が覚帖を認めたこともあって詳しいデータが残っているのだが、それによると『猫』『坊ちゃん』『草枕』が、やはりよく売れている。

 

 

🔘「漱石の万年筆」は、漱石山房にあったはずの漱石遺愛の万年筆(のペン尖)と硯が、戦後富山県の高岡から出てきたという話。盗品が巡り巡って高岡までいったようで、探偵小説風味の作品。漱石山房の様子が詳しく再現されていて興味深かった。また、義弟の純一について「相変わらずのお殿様だ」と、揶揄しているのが印象に残った。

 

 

🔘「贋漱石は、漱石の書画の鑑定の第一人者である著者が見てきた贋作にまつわる話。著者の娘である半藤末利子の『夏目家の福猫』(新潮文庫)によると、著者が大正9年から亡くなるまでの約50年間に鑑定した真漱石の数は500余に対して贋漱石は2000点近くに及んだという。ややこしいことに、漱石の俳号を使っていたのは夏目漱石だけではないということもあるのだそうだ。

 

 

🔘「漱石の顔」「宗教的問答」「『明暗』の頃」には、著者が木曜会で見聞した漱石との対話や木曜会の様子が記されていて貴重である。『明暗』には、推理小説の手法が取り入れられているという意見が印象に残った。

 

 

🔘「蘆花の演説」は、漱石とは関係なく、明治44年(1911)2月1日に催された一高の弁論部大会での徳冨蘆花の「社会主義演説」を当時一高生だった著者が見聞した思い出を昭和28年に発表したもの。これは、『謀叛論』と題されたもので当時問題となったようである。青空文庫でざっと目を通してみたが、井伊直弼吉田松陰の話からから始まって、大逆事件における政府の対応を弾劾する激烈な内容になっている。最後は、西郷隆盛と同様に幸徳秋水も逆賊ではないとし、聴衆に人格をみがくように呼びかけて締めている。一時間を超える演説であったらしいが、著者は深い感銘を受けたようである。

幸徳秋水らの死刑が執行されたのは、この演説の直前の1月24日、25日。

 

(近い未来において、この国が再び言いたいことも言えないような国に成り果ててしまわないとは限らない)

 

 

🔘「三重吉挿話」は、漱石門下の大先輩にあたる鈴木三重吉の思い出話。晩年の三重吉が、所蔵する漱石の「虞美人草」の原稿を売りに出したのだが、やっぱり手放せなくてドタキャンした話は、漱石愛の大きかった三重吉らしい挿話で印象深い。

 

 

🔘「二十代の芥川」は、芥川龍之介の思い出話。学生時代の芥川は秀才タイプの都会人で異彩を放っていたという。始めから親しく交わったということではなかったようだ。小説を書き始めた頃の芥川が「柳川隆之介」という筆名を使っていたことや犬を極端に怖がったことなど友人ならではの逸話が綴られていて興味深い。

 

🐱ここで、芥川龍之介が珍しく学生時代を振り返った「あの頃の自分の事」を再読してみた。芥川が自身のことを書くと私小説にはならなくて、随筆に近い作品である。第四次「新思潮」を創刊しようとしていた頃の話で、芥川自身は「鼻」の執筆中だった。当時の成瀬正一、久米正雄、松岡譲との交友が描かれている。芥川の方は松岡譲を浮世離れした鷹揚な人物とみていたようである。芥川が松岡譲の下宿を訪ねたとき、徹夜で戯曲を仕上げて爆睡している松岡の目から涙がこぼれているのを見て、もらい泣きしたという話が印象的である。所々に芸術論が挿まれているのが芥川らしい。

🐱佐藤春夫がこれを読んで「成程、他の連中はみんなあの頃だが、作者自身はこの頃だ」と評したと「二十代の芥川」に書いてあるのだが、確かにそんな感じのする作品である。

 

🐱芥川の「文藝的な、餘りに文藝的な」には、漱石の思い出が少しだけ書いてあるが、秀才の芥川龍之介から見て夏目漱石は天才であったようだ。漱石のことを考えると「老辣無双」の感を新たにすると書いている。

🐱松岡譲は、娘の松岡陽子マックレインによると、晩年の漱石先生は円満で澄み切った心の持ち主だったと言っていたそうだ。一方、筆子は、最後まで精神的に激しい人であったと主張して譲らなかったという。

🐱漱石は、松岡譲を「越後の哲学者」と呼んで可愛がったという。

 

 

🔘最後の「回想の久米・菊池」は、本書の中で最も長く最も印象に残る一編である。漱石が没した大正5年(1916)の翌年の春、第四次「新思潮」の「漱石先生追慕号」が完成し発送しようという日に菊池寛が見合い写真を持って著者を訪ねた所から話は始まる。

菊池寛は、「新思潮」の同人の中では異質な感じがする。本書では、菊池との友人らしい遠慮のないやり取りが書かれているのだが、菊池の愉快な人物像が印象的である。

菊池寛は、友人の成瀬正一の父親に経済的な援助を受けて京都大学を卒業している。成瀬家は、豪農出身の銀行家で大金持ちだった。当時の菊池寛は、成瀬正一が留学中で父親も多忙で不在がちな成瀬家に男手がいた方が良いとの理由で成瀬の母親に頼まれて成瀬家に下宿していた。

菊池の縁談はトントン拍子に決まり、4月の始めに故郷の高松で結婚式を挙げる。嫁が上京して所帯を持つことになったので、著者が代わりに成瀬家に下宿することになる。菊池寛の嫁が極端な恥ずかしがり屋でどうしても人前に出ようとしないエピソードが愉快である。

一方、夏目家も漱石が没して女子供だけになって心細いということで、独身の門人たちが順番に泊まることになっていた。古い門人たちは家族に対して遠慮があったようだが、著者たち若い門人は家族に対する遠慮もなく子供達にも人気だったという。

そうした中で、久米正雄漱石の長女に熱を上げ始めた。半藤末利子に云わせると、久米は才人だが軽薄で目立ちたがり屋で先輩たちからは睨まれていたという。久米は惚れっぽい性格で何度も浮き名を流していたということもあって、先輩たちは久米の恋に反対していた。松岡譲自身は、まだ喪も明けていないうちから不謹慎なという気持ちと友人の恋を応援してやりたいという気持ちの二律背反で苦しい立場だったと述懐している。

久米の方は周囲のことなどお構いなしで、いよいよ我慢できなくなって、鏡子夫人に「お嬢さんを下さい」と直訴する。鏡子夫人は満更でもなかったようで、本人さえ承知すればと、肯定的な返事をしたので久米はすっかりその気になってしまった。

ところが、ある日、成瀬家に下宿し卒論に取り組んでいて夏目家から足が遠のいていた著者が鏡子夫人から呼び出されて行ってみると、久米の情事を暴露する女文字の手紙が鏡子宛に舞い込んだという。著者は鏡子に疑われたが、身に覚えのないことで否定する。この手紙の張本人を著者と菊池が推理する。

本編では犯人の名は伏せられているが、久米の友人だった山本有三(『路傍の石』の著者)である。当時、久米には彼女がいたようで、その彼女を捨てて筆子に乗り換えたみたいなことがあったようだ。そういう久米の性格が気に入らなくて暴挙に出たようだが、やり過ぎである。著者は道義的に許されるものではないと切り捨てている。山本は、その後も何食わぬ顔で久米との親交を続けていたというから相当な人物である。

この手紙事件で、鏡子夫人の信頼を失った久米は謹慎するのだが、この恋愛事件は意外な決着をみる。実は、筆子は久米にはまったく興味がなくて、一目見たときから松岡譲が好きだったのだ。ところが、明治女性の奥床しさで言い出せなかったらしい。周囲の誰も気が付いていなかったのだが、久米だけは恋する男の敏感さで、松岡を警戒する素振りを見せていたという。松岡本人は、筆子の恋心に全く気がつかなかったと主張している。芥川の松岡に対する見方から考えると肯ける。

松岡は、筆子の想いを受け入れ筆子との結婚を決意するのだが、これは同時に友人を裏切る結果となり、相当に複雑な心境だったようだ。誰が悪い訳でもないけれども後味が悪い結末である。久米も傷ついただろうが、松岡も筆子が傷つかないように自分が傷つく決心をしたようだ。

私は山に隠れるような気持ちで創作の筆を折ろうと決心した。

翌年の大正7年(1818)4月に松岡譲と夏目筆子は日比谷大神宮で式を挙げ、築地の精養軒で披露宴を行った。その日、憂鬱な気分の著者は菊池を誘い出す。結局「新思潮」の同人で式に出席したのは菊池だけだった。

「哲学者は困る。自分で自分の掘った穴にはまってもがいている」

菊池の平凡で素朴な結婚と著者の波乱に満ちた結婚が対比して置かれている。

 

話はこれだけでは終わらない。嫉妬に狂った久米が二人を悪者に仕立てた失恋小説を次々と発表し始めたのだ。特に、大正11年(1922)に発表された『破船』は、評判となり世間の同情を集めたという。久米も嫉妬に狂う己の醜さを客体化し昇華出来れば優れた文学者に成り得たかもしれないが、感情に流されて俗に堕してしまったようだ。久米は恋愛の女神に見放されたが、芸術の女神にも見放されたと云えよう。

松岡家にとって迷惑なことに、久米の小説を事実と信じこんだ世間が松岡夫妻を悪者と誤解してしまった。松岡譲は何を言われても沈黙を守ったが、長女が、あんな悪い人の子供と遊んじゃ駄目と言われて、泣いて帰ってきた時には、流石に久米に対して腹を立てたという。家族のために弁護することに決め発表したのが小説『憂鬱な愛人』だった。

本編の終わりに、著者は若い女性の来訪を受ける。その女性は山本有三の別れた妻だった。夫に言われるがままに破廉恥な手紙を書いた事を恥じ謝罪に訪れたのだった。著者は、本当の被害者は貴方自身だとその女性を慰める。著者の倫理観では一番の悪人は山本有三のようだ。

 

🐱昭和22年(1947)、久米正雄は松岡譲に正式に(手をついて)謝罪した。本編の発表も昭和22年なので、この和解を受けて発表されたものと思われる。

🐱半藤末利子によると、筆子は自分の気持ちを周囲に知らしめるために食を絶ったという。明治の女性は恋愛の手続きが面倒くさい。松岡譲は寺の生まれで幼い頃から躾られていたので行儀の良い人であったらしい。漱石の弟子は娘から見て皆行儀の悪い人ばかりだったようで、松岡の行儀の良さに好感を持ったと筆子は娘によく語っていたという。

🐱松岡陽子マックレインによると、筆子が、好きになったのは自分の方で、むしろ迷惑をかけた結婚だったのではと話したことがあったという。松岡家は経済的にはあまり恵まれなかったが、筆子にとっては幸せな結婚生活だったのではないかと、娘たちの書いたエッセイを読んで思う。松岡譲は一度だけ陽子に、筆子との結婚は文学的には損をしたと、語ったことがあるという。男は、女から好きと言われて悪い気がしないはずはない。ましてや、尊敬する先生の娘さんである。松岡譲は男気でもって筆子を愛そうと決心したのではないだろうか。友情と文学を犠牲にして筆子を選んだのだ。本編では、その心理を踏み込んで描いてはいないが、明治の男性の意気を感じる。

 

🐱菊池寛は、かなり個性的な人だったようで興味深い。1818年当時、既に自分達で雑誌を始める構想を持っていたようで、松岡譲に主幹をやらないかと誘っている。作家としては「生活第一、芸術第二」を標榜していたそうだ。円城塔は「娯楽小説という形式自体をつくりだした一人」が菊池寛であると指摘している。

 

 


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大正5年(1916)、第四次「新思潮」創刊の頃。左から久米正雄、松岡譲、芥川龍之介、成瀬正一。

 

 
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大正8年、長崎滞在中の菊池寛(左端)。その隣は、芥川龍之介

 


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昭和9年頃(1934)の松岡家。前列左が陽子。末利子は昭和10年生まれ。

 

 

 

 

漱石の印税帖 娘婿がみた素顔の文豪 (文春文庫)

漱石の印税帖 娘婿がみた素顔の文豪 (文春文庫)

 

 

 

📖関連図書

漱石夫妻 愛のかたち (朝日新書 70)

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🔘漱石の孫娘(姉) - 森の踏切番日記

 

 

夏目家の福猫 (新潮文庫)

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🔘夏目漱石の孫娘(妹) - 森の踏切番日記 

 

 

 

 

 

尾道でブラタモリ(2)

ブラタモリ』#73尾道(2)

~なぜ人は尾道に魅せられるのか?


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番組の後半では、日本史が苦手そうな近江ちゃんが時をかけて過去に飛ばされます(嘘)

 

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ご名答。


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鎌倉時代の絵図


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だから


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おねみち


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➡おのみち(諸説あり)


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街道がそのまま商店街になったというのも珍しいのではないかなあ。そうでもないのかなあ。


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神社が気になる森田氏。


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神社へ向かう途中。骨董猫発見。


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スナック・マンボ


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石垣が気になる森田氏。


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海の神様。向島にも厳島神社があります。


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🔎八阪神社Google マップ


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残ってた。


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森田氏、大満足。

 


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ちなみに、西山喜久恵アナの実家、老舗旅館「西山別館」は、画面の右側を外れたずっと先、しまなみ海道よりも東側、福山市寄りにあります。


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早い。


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3分くらい。


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草彅「何だったのでしょう」


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久保八幡神社といいます。


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坂道に家が出来たことと線路が深く関係している。


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だいたい、そうなるよなあ。当時の町外れに駅が出来たりするよなあ。


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それでも、山際まで人が住んでいたので、


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その人たちは、立ち退くしかなかった。


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土地は寺か神社の土地なので借地だそうな。


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タモリ「借地料入りますね」


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坂の上の家と下の家が共同で使用する二階井戸の話は省略します。

 


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空気が読めないハト。


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尾道ラーメン。


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美味しそう。


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とにかく、坂と石段が多いから足腰が鍛えられそうな街だな。

 

 

 

🐱次回は

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一週お休みだ。


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🐱この記事の続き

🔘倉敷でブラタモリ(1) - 森の踏切番日記

🔘倉敷でブラタモリ(2) - 森の踏切番日記

 

 

 

🐱関連日記
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🔘箱根関所でブラタモリ(1) - 森の踏切番日記

🔘箱根関所でブラタモリ(2) - 森の踏切番日記


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🔘箱根でブラタモリ - 森の踏切番日記


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🔘神戸の街でブラタモリ - 森の踏切番日記

 

 

 

 

 

 

 

尾道でブラタモリ(1)

ブラタモリ』#73尾道(1)

~なぜ人は尾道に魅せられるのか?


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今回は、タモリさんと近江ちゃんが石段から転がり落ちて体が入れ替わります(嘘)

 

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尾道出身のアナウンサーといえば、キクちゃんこと、西山喜久恵


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そして、山本モナ


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近江アナは、尾道は初めてとか。


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尾道が舞台の映画といえば、


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やっぱり、これか。


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それと、これだな。それほど出来の良い映画だとは思わないが。原田知世の白ブルマだけが印象に残っている。


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大林宣彦監督の尾道三部作といえば、『転校生』、『時をかける少女』、『さびしんぼう』。


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さびしんぼう』は、観てないなあ。


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尾道が舞台の小説といえば、


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林芙美子の『放浪記』


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志賀直哉の『暗夜行路』


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どちらも、読んだことないな。


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今回は、神さまになった中学生は出てこないのね。


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福石猫とかも出てこないのね。


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尾道について知っていることはこれくらいしかないな。


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内田百閒の「鹿児島阿房列車  前編」(『第一阿房列車新潮文庫)に尾道が少しだけ出てくる。

 

🔎大宝山千光寺Google マップ
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昭和26年の夏、鹿児島へ向かう途中の内田センセは戦前に見た呉線の車窓の風景をもう一度見たいと思って、乗り換えのため尾道で下車した。


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三原から広島までの山陽本線は山中を通るが、呉線は海岸に沿って通っている。内田センセは、小雨に煙る瀬戸内海の眺めにうっとりしたそうだ。頸の筋が痛くなるほど白砂青松の浜が何時間も続いたという。その景色をもう一度見るためにわざわざ遠回りをするというのだからヒマな人だ。


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乗り換えのために一時間待つことになった内田センセと付き添いのヒマラヤ山系君は、時間つぶしのために尾道の街へ出てみる。


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駅の前の広場のすぐ先に海が光っている。その向こうに近い島がある。小さな汽船が島の方から這入って来たところである。潮のにおいがして、風が吹いて、頭から日が照りつけた。


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駅のすぐ前の海に面した広場に小さな見世物小屋があった。蛇女とか蜘蛛娘などの看板が出ていた。


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二人は、小屋の前を通り、海辺まで出てみて、引き返した。内田センセは、観光名所などには自分からは決して行かない人なのだが、一時間という時間つぶしは中途半端で持てあましたのか、見世物小屋に這入ってみる気になった。


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白粉を塗った若い女の胴から下が蛇だというのが蛇女。乳の辺りから下は木毛(瀬戸物や果物の箱詰めに保護のために入れるやつ)を散らかして隠されている。盛り上がった木毛の中から張り子の尻尾がのぞいている。女は頻りに瞬きしてこちらを見ている。


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蜘蛛娘は、高い所へ宙に吊した梯子の途中に腹ばいになった若い娘。やはり白粉を塗っていて、一点を見つめた目が光っている。肩の辺りから先は張り抜きの蜘蛛の胴体になっていて蜘蛛の脚を方々に出している。


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娘の肩から先はどこに隠したのか、恐らく鏡を使っているのだろうが、どこにどう使ってあるのか、内田センセには見極めることが出来なかった。


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蛇女には大別して、蛇を生のまま食べたり蛇を体に巻き付けたりするパターンと体が蛇とか皮膚が鱗とかの変化パターンの二つのバリエーションがある。内田センセが見たのは後者の例のようだ。


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お代は一人三十円、二人で六十円だったそうだ。内田センセは、おやおやと思った。


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思ったよりも高かったようだ。ちなみに、当時のタバコ(ゴールデンバット)が一箱30円だったそうです。一人タバコ一箱分。


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わずか一時間の滞在で尾道を後にした内田センセは、念願の景色を見て堪能した。ところが、忘れていたことが一つあった。


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呉線は隧道がうるさいほど沢山あるのだ。当時は、勿論蒸気機関車である。窓を開けていると、煤煙が巻き込まれるのだ。内田センセは、うんざりした。


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見世物小屋は全国を巡業していたのだろうが、この話を読んでから尾道というと見世物小屋を連想してしまう。内田センセが堪能した呉線の風景は、今もうっとりする眺めなのだろうか。今は煤煙の心配もないし、一度行ってみたいと思う。

 

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ハトにエサをやるタモリさん。ハトの餌、一袋30円。


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朝早いので、ハトがいない。


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我が家には、朝早くからハトが来るけどな。


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朝早くから、グルグル啼いてうるさくてかなわない。


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しかも、台所の換気扇に入りたがるし。


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そうそう、ブラタモリだった。


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大坂での米相場(先物)の情報を伝書鳩を使って入手していたそうな。


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他にも、紀伊国屋文左衛門が考案したと云われる旗振り通信や狼煙通信なんかもあったらしい。


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幕府は米飛脚を保護するために、これらの通信を禁止していたようだ。


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尾道の商人たちは、寺を隠れ蓑にして掟破りをしていたそうな。


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幕府は、伝書鳩を捕まえるためにハヤブサを放ったという話もあるそうだ。


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タモリ「町ぐるみですね」

 


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昔は新聞社でも伝書鳩を使っていたことを説明している森田氏。

 


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西国街道だった。


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ご名答。


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前回は出女で、今回は荘園。


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倉敷地といいます。


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次の記事へと続く

 

 

 

📄この記事の前

🔘箱根関所でブラタモリ(1) - 森の踏切番日記

🔘箱根関所でブラタモリ(2) - 森の踏切番日記

 

 

 

 

 

 

 

『文庫版 書楼弔堂 破暁』の感想~虚実の淡いに浮かび上がる物語

5月の読書録02ーーーーーーー

 文庫版 書楼弔堂 破暁

 京極夏彦

 集英社文庫(2016/12/25:2013)

 1705-02★★★★

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文庫版 書楼弔堂 破暁 (集英社文庫)

 

明治25年(1892)5月23日、東京の外れで日々無為に過ごしていた高遠彬は、奇妙な書舗と巡り合う。店の名は書楼弔堂。奥行きのある店内の左右の壁面は三階まで全て書架で、古今東西書物で埋められている。平台にも夥しい数の本が積まれている。店の主人は元僧侶で、明治維新廃仏毀釈の煽りを受けて還俗し、本屋を始めたらしい。本書の終わりの方で明らかになるが、主人の名は龍典という。

本の中身を売っているのではなく、本を売っております

この主は「本は墓のようなもの」だと言い、「移ろい行く過去を封じ込めた呪物」だとも言う。書名は戒名のようなものなのだそうだ。

 

本を読むという行為と本を所有する行為との違い。ただ情報を得るだけなら本を所有する必要は無いし、本である必要すらない。だが、好きな本は手放せない。もう読み直さないかもしれないが、手元に置いておきたい。私は、子供の頃から本棚の本の背表紙を眺めるのが好きだった。

 

主はまた、「ただ一冊、大切な大切な本を見付けられれば」仕合わせだと言う。

本当に大切な本は、現世の一生を生きるのと同じ程の別の生を与えてくれるのでございますよ。ですから、その大切な本に巡り合うまで、人は探し続けるのです

とはいうものの、「その一冊」にはなかなか巡り合うことが出来ないから、本は「集めるものではなく集まってしもうもの」なのだそうだ。

 

私は、未だ「その一冊」には巡り合っていないので、この感覚はよく分からない。色々な本から色々な影響を受けているけれども、これこそが人生の道標となるべき本であると確信した本は無い。引き算していって最後に残る本はあるが、それが「その一冊」であるという確信がない。読まないでも手元にあると安心できるお守りみたいな本は何冊かある。若いうちに「その一冊」に巡り合える人は、確かに仕合わせだと思う。

 

この店の主人もまた、「その一冊」に巡り合えないまま本が集まってしまい、そうやって集まった本を供養するために、本を売る商売を始めたのだという。

売るのが供養でございます

だから、弔(とむらい)堂なのだ。読まれぬ本は只の紙屑、それでは本は成仏できないということらしい。

本書は、この風変わりな店に己のための一冊を求め訪れた人生に迷える人々と主人との対話を高遠彬が見聞する物語である。

 

 

「探書壱 臨終」で訪れた客は、臨終のその前に読む本を売ってくれという。この客は衰え弱っていて死期が近づいているようである。ここでは、浮世絵について語られる。明治時代の半ばにあっては滅びゆく江戸文化である。客は幽霊を見てしまったことがあり、それが原因で神経を病んでしまったことがある。主人はこの客にある書物を売る。その書物が何であるかと客の眼の状態を知った高遠は驚く。この最後の浮世絵師と呼ばれる客は、17日後の6月9日に臨終を迎える。享年53歳。

本書の時代設定を明治25年においたのは、著者がこの客を描きたかったこともあったに違いない。まことに京極夏彦らしい人選である。著者のこの客に対する解釈が興味深い。明治時代は、日本が近代化する過程で色々なものを捨てた時代だが、ここでは捨てられた側が描かれている。

 

「探書弐 発心」では、高遠が丸善でたまたま知り合った神経質そうな書生に書楼弔堂を紹介する。彼は尾崎紅葉の弟子だという。彼はお化けが好きなようだ。怪を好むという。弔堂の主人は、この書生との対話から彼の真実を照らし出すのだが、どこまでが事実に即しているのかよく分からない。

この書生は、巡り合うべき「この一冊」にすでに巡り合っている。彼が求めた本は意外なものであり、求めに応じた主人が売った書物がこの書生の作品の題材となる。もちろん、これは虚構である。

本書には、この世は虚実が半々だと書かれている。物語は、事実を記述するものではなく真実を照らし出すものであろう。また、たとえ事実を書き留めたとしても、それは最早物語に過ぎないというのが京極夏彦の立場である。これは物語であり、どこまでが事実かということは重要ではないだろう。著者が考えるところの真実が照らし出されればそれで良いのである。

この書生も京極夏彦らしい人選であり、時代設定を明治25年におけば、当然取り上げるべき人物である。彼は明治6年11月4日生まれなので、この時は18歳ということになる。

日本の近代文学が確立する過程において、まず新しい文体を作り出すことから始めなければならなかったのだが、その辺りの日本の文学事情が詳しく描かれていて興味深かった。

 

「探書参 方便」では、哲学館の設立者が客として訪れる。この年この客は34歳である。著者が最も取り上げたかったのはこの客ではないだろうか。彼に弔堂を紹介したのが勝安芳というのも面白い。この年勝安芳は69歳である。弔堂の主人は勝と知り合いらしい。

客は、日本の近代化のために大衆を啓蒙したいという大志を抱いているが、お金がなくて困っているという。そこで主人は、客に大衆に向けて本を出版し講演会を開けと助言する。本書では明治時代の出版業界について詳しく書かれているが、明治時代は本が商品となった時代でもある。

そして、この客に売った書物鳥山石燕の『畫圖百鬼夜行』である。ここで主人が述べる妖怪・化け物考は、京極夏彦ファンにはお馴染みの論考であり、特に『妖怪の檻  妖怪の理』に詳しいが、それをこの客に語るというのが面白い。これがきっかけで、客は後に「妖怪学」を広く世に問い、「妖怪博士」と渾名されることになるという。勿論、フィクションであるが、著者のこの客に対する理解が分かって興味深い。

勝海舟のべらんめえ口調は懐かしい感じがする。小学生時代に『べらんめえ大将』という勝海舟の伝記を読んだことを思い出した。

また、この話の冒頭に不思議巡査の異名を持つ矢作剣之進が登場する。

 

世に無駄な本などございませんよ

本を無駄にする者がいるだけです

 

「探書肆 贖罪」では、高遠が鰻屋で中濱萬次郎と出会う。中濱萬次郎は鰻の蒲焼きが好物だったという逸話があることを踏まえた導入である。彼は土佐弁の男を連れていた。

「死人でございますき」

何故だかぞっとした。

死人と云うなら、この男は幽霊と云うことになるだろう。

探書壱の客が幻視し、探書弐の客が憧憬を抱き、探書参の客が否定した「幽霊」が探書肆で登場するという趣向である。

中濱は、勝安芳の紹介でその男を書楼弔堂へ連れて行く途中なのだが所在が分からないということなので高遠が案内する。勝海舟ジョン万次郎といえば咸臨丸仲間である。この年中濱萬次郎は65歳。土佐弁の「幽霊」は、確かに勝海舟ともジョン万次郎とも縁のある人物である。この年54歳であるはずだが、この男は慶応元年に死んだはずである。ところが、この「幽霊」が中濱を刺客から守ったという話は慶応4年のことなのである。著者はそこからヒントを得てこの物語を創作したものと思われる。

中濱萬次郎の人物造形は、如何にもと思わせるものがあり好感が持てた。また、主人と中濱が語る勝海舟の評価が興味深い。幕臣でありながら新政府にも重用された勝海舟は、何かと毀誉褒貶が激しいのだが、著者の勝海舟に対する見解は、私もそれに近い考えを持っているので共感する。

土佐弁の「幽霊」は、司馬遼太郎がその作品で色を付けた影響が大きいのだが、京極夏彦は、新たな解釈を見せてこの「幽霊」の人物像を浮かび上がらせることに成功していると思う。

本書の中では、意外な人選ということもあり最も印象に残る物語だった。特に、著者の幕末観が分かって興味深かった。

 

人に人は救えない、だが本は人を救うこともある

 

「探書伍 闕如」の客は、探書弐の客の紹介である。この年22歳。この客については詳しいことを知らなかったのだが、誰もが幼少期に親しんだおとぎ話を再生させた人物である。本書のここまでの流れから見れば意外な人選だが、確かにもっと知られてもよい人物であり興味深く読んだ。彼もまた、近代日本文化の一側面を作り上げた人物と云ってよいだろう。

人生において逃げると云うことは決して卑怯な行為ではない、後ろ向きの人生に欠如を感じる必要はないという人生観には共感する。大勢と同じ向きを向く必要などない。前向きに進もうが後ろ向きに進もうがたどり着く先は同じだと思う。もっとも、人生の場合は立ち竦んだままでも時間が勝手に押し流してくれるけれども。

探書弐の客も探書参の客も探書伍の客も歴史の主流に名を残した人物ではないが、それぞれ独自の世界を築き上げ歴史に名を留めたという点では共通していると云える。

この話の冒頭の高遠と丸善の店員の会話は、人間関係が錯綜して話せば話すほどこんがらがっていって、まるで落語のような感じがして面白かった。文体も本書の全体を通して明治を意識した文体になっていて効果的である。

 

逃避というのは、生き延びるためにする行為なのでございます。

努力すれば成る等と云うのは愚か者の戯言。為てみるまでは判らない等と云うのは痴れ者の譫言にございます。

人は在るだけで満ち足りておりましょう。

 

「探書陸 未完」では、弔堂の主人が書物の買い付けのため珍しく外出する。高遠も手伝いにかり出されるのだが、向かう先は中野の寺の間の坂道を上ったところにあるあの神社である。書物の売り主は中禅寺輔。京極堂の祖父のようだ。しかも、彼が売りたいという書物の殆どは菅丘李山の蔵書である。輔の父親と李山が懇意にしていたそうだ。こうなると小夜がどうなったのかも気になる。小夜はこの年37歳前後のはずである。

中禅寺家は市井の陰陽師であり明治時代には滅びゆくもののひとつである。ここでは、時代の変化に応じて宗教の役割も変化していくべきである事が語られる。これは、探書参で語られた明治の仏教界の現状とも関連している。ここで語られる主張は京極ファンには馴染みのものであるが、明治時代の文明開化の文脈の中で語り直されている。

弔堂の主張と京極堂の主張は当然のことではあるが似通っている。京極堂が龍典に影響を受けたという物語を想像したくなるし、京極堂の蔵書は弔堂の蔵書を引き継いだのではという想像をしたくなる。

 

ないものをあるとしなければ、私共は立ち行きません。

伝統と云うのは、守るものではなく続けることです。続けるためには変えなければならないのです。

 

本書の語り手である高遠彬は、35~36歳。旗本の家に生まれたが元服前に瓦解を経験し武家という意識がない。かといって、急激に変わりゆく明治という時代にも馴染めない狭間の世代の人間である。彼は何処へも向かえず立ち竦んでいる人であるように思われる。そのような彼に弔堂は英国の有名な未完の小説を薦める。

 

決められないのなら、決めなければいいのですよ

 

この未完の小説は弔堂の主人の知り合いである夏目金之助に進呈するつもりのものだったという。本書で夏目金之助が客として現れることはなかったが、本書の後半には夏目漱石の影が感じられるような箇所がある。例えば、探書陸の蒸気鉄道に関する言及は、明らかに漱石を意識していると思われる。探書伍の落語的な会話も漱石を意識した感じがする。それが印象に残った。

 

本書の全体を通して、明治時代半ばの過渡期にある近代国家としては未完成の日本の一側面が浮かび上がってくる。これは虚実半々の物語ではあるが一面の真実が語られているように思われた。本書の語り手である高遠彬は、虚実の淡いに浮かび上がった幽霊のような存在であり、本書の物語が語り終えられると消えてゆくのは当然のことであろう。

 

 

 

文庫版 書楼弔堂 破曉 (集英社文庫)