江戸図屏風(17世紀)
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🐱2月9日の朝刊で気になったのは、松江歴史館で見つかった、徳川家康が築いた江戸城を描いた最古級の絵図「江戸始図」の記事である。
🔎最古級の江戸城絵図、松江で発見 「最強の要塞」裏付け : 京都新聞
🐱これは、1607~09年頃(慶長12~14年頃)の江戸城を描いたものであるらしい。
🐱年表を見てみると、慶長11年(1606)の3月から、諸大名の助役で、江戸城の大増築が始まっているので、その時のものであるようだ。
🐱これが、その「江戸始図」である。
🔎家康築いた江戸城絵図 「最強の要塞」裏付け - 読んで見フォト - 産経フォト
※囲んだ部分が慶長末年(大坂の陣の前)に完成。
※向きを変えた「江戸始図 」
江戸図屏風(部分)
🐱慶長12年(1607)に建てられた天守は五層六重で、東西42㍍、南北43㍍と日本最大級のもので、外壁は白壁、屋根は白色の鉛瓦が用いられた。
🐱元和8年(1622)、天守台、御殿を修築して元和期天守が完成した。さらに、寛永14年(1637)、天守台、御殿を修築して、翌年、寛永期天守が完成した。
🐱この寛永期天下普請で総構えが完成したのだが、明暦3年(1657)の大火で類焼し、その後天守は再建されなかった。
🐱今回発見された絵図で江戸城の天守は連立式天守だったことがわかったのだそうだ。
拡大してみた。
※江戸城 - Wikipediaにあった「江戸御城絵図」。
🐱左の青い四角が慶長期の天守。小天守と連立式になっている。右の青い四角は寛永期の天守で、現存する天守台がこれである。
🐱各紙の記事によると、
「江戸城は姫路城と熊本城の優れた部分を合わせた最強の城だった」(松江歴史館)
らしい。
姫路城
熊本城
🐱調査した奈良大の千田嘉博教授(城郭考古学)は、
戦いを意識した強力な要塞機能を最大限備えた城と裏付けられた
と説明している。
「豊臣氏との決戦に備えて万全を期した家康の意志が伝わってくる」
のだそうだ。
江戸城本丸富士見櫓(幕末頃)
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🐱これをもって、家康を臆病で慎重な性格だったと見るわけにはいかない。用意周到で万事抜け目のない性格だったと見るべきだと思う。家康の非凡さはそこにあると思う。信長や秀吉とは非凡さの方向が異なるのだ。地味なので分かりにくいだけなのである。
🐱この「江戸始図」は、『極秘諸国城図』74枚の中の1枚だという。去年話題になった「真田丸絵図」もこの中の1枚である。
🐱どうやらこの『極秘諸国城図』は、松江城が含まれていないということで、長らく放置されていたものらしい。世の中には、まだまだお宝が埋もれていそうだな。🐥
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