『ブラタモリ』#70京都・祇園(1)
~日本一の花街・祇園はどうできた?
祇園町南側どす
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まさかの祇園ロケ。
ですよね~
近江(パカパカ?)
芸妓はんと舞妓はん。
豆六はんと豆千佳はん。
祇園町南側の花見小路
期待通りのボケ。
祇園さん(八坂神社)
縁のない所やなあ。
祇園甲部どす。
そのまんまのボケ。
それが建前というような気がしないでもない。ここまでは、祇園の基礎知識。
するどい。
新京極とかも、昔はお寺さんの境内やったもんなあ。
組合が一括して買い取ったということがポイント。
何百回と通ってるけど気にしたこと無いなあ。
右上の水色の長方形は、今は無き京都市立弥栄中学校のプールなのかな。少し古い地図を使てるな。
今は、漢検のミュージアムやったっけ?
そこは、超有名店。
そのまんまの解答。
一力には、いろんな著名人が訪れていますが、夏目漱石も二度訪れています。
1度目は、明治40年(1907)4月10日で、この時は、高浜虚子に誘われて二人で訪れています。
そのときの様子は、高浜虚子の「漱石氏と私」(『回想 子規・漱石』岩波文庫)に書かれています。
二人は、花見小路をブラブラし、都踊りを観賞し、一力に立ち寄り、そのまま泊まっています。
13歳の舞妓はん二人と雑魚寝したはる。
その頃の四条通は、こんなんやったんやなあ。
2度目は、大正4年(1915)3月20日のことで、この時には、津田青楓と青楓の実兄・西川一風亭と三人で訪れています。
この日は、大石忌でした。
関連日記➡春寒み胃がいたむなり京のこひ ~京における夏目漱石 - 森の踏切番日記
次の記事へと続く。
📄この記事の続き
🔘京都・祇園でブラタモリ(2) ~祇園さんどす - 森の踏切番日記
🔘京都・祇園でブラタモリ(3) ~お豆腐さんと鴨川どす - 森の踏切番日記
🔘京都・祇園でブラタモリ(4) ~祇園町北側どす - 森の踏切番日記
📄この記事の前
🔘京都・清水寺でブラタモリ(1) ~清水の舞台から? - 森の踏切番日記
🔘京都・清水寺でブラタモリ(2) ~音羽の瀧の? - 森の踏切番日記
🔘京都・清水寺でブラタモリ(3) ~八坂の塔まで? - 森の踏切番日記
🔘京都・清水寺でブラタモリ(4) ~地獄を? - 森の踏切番日記